結局、電気ポットで沸かし直したお湯で自分用のコーヒーを淹れ。角砂糖を三つほど溶かしながら、雪は人様のカップを強奪した姉の顔にチラリと視線を移した。
「参加しなくてよかったのかい?」
雪の問いかけにキョトンとしたような表情で自身を指さす詩音の姿に、雪は苦笑を浮かべた。
「君以外に誰がいるんだよ…。昔みたいに姉ちゃんとか姉さんとでも呼べば分かるのかな?」
「はい、じゃあそれでお願いします」
「少しは遠慮とかしない??」
「言い出しっぺは雪ですよ?それにお姉ちゃんって呼んでくれるなんて何年ぶりですか?」
「や、あの……、あの……、姉さんで勘弁して頂きたい所存で……」
「姉さん
「───ちょっと、私だってお姉ちゃん呼びされたいんだけど?」
かなりどうでもいいやり取りを繰り広げていた姉弟の会話に、もう一人の姉が割り込む。
離れたテーブルでゲームをしていたはずだが、と雪がチラリと視線を送ると、彼女がいたはずの場所には死屍累々とした光景が広がっていた。
「……流石は園崎だね。加減知らずと言うべきか」
「勝つためにはあらゆる努力を惜しんではならないってね」
会則第二条を口にしながら、へへんと胸を張った魅音だったが。ふと思い出したかのように、グッと彼の顔を覗き込むように前屈みへと。
「そんなことよりお姉ちゃん、は?」
「ちょっと、お姉。それは私が呼ばれる予定なんですけど?」
「やだなぁ、詩音には仕方ないけど姉さんを譲ってあげるよ~」
「偶にしかこない雪のデレを譲れるほど私は大人じゃないですよ……?」
「あの、デレてないです…。というか、この時代の何処でデレなんて言葉を覚えてきたの君は……?」
至極どうでもいい暇潰しの会話だったはずのそれが、姉妹のくだらない小競り合いに発展し。本人の預かり知らぬ所で勝手にデレていることにされた雪は、遠い目をしながら溜息を零すのだった。
このブラコン共めと、内心悪態をつくのだが、それを遥かに凌駕するシスコンであるが故に特大ブーメランを投げているのだが、果たして彼は気付いているのだろうか。
「あら…。魅音さんと詩音さんは何を言いあってらっしゃるので…?」
「至極くだらない事だよ。と、君も随分早いね」
「私から指定させていただいたゲームですもの。では、お借りしたこちらはお返しいたしますわ」
魅音と同じく、鎧袖一触と言わんばかりにコテンパンにされたであろう子供達をチラリとみやり。沙都子が差し出したソレを受け取った雪は畏怖の籠った苦笑いを浮かべるのだった。
「まったく…。さっさと退院してくれないと、君に僕のコンビ取られそうだね」
「あら、早速確認してみますか?」
「そうしたいのは山々だけど、僕そこら辺の雀荘とか色んな所から出禁貰ってるからねぇ……」
色々と遊びすぎたかな、と今度こそ本当に微笑んだのも束の間。沙都子から受け取った赤ドラを慣れた手つきでポケットにしまい。
「しかし、君も何処で麻雀なんて覚えたんだい?」
「あら。少し前まで反面教師が我が家にいた事をお忘れですの?」
沙都子が誰を指しているのか、すぐに理解することが出来た雪はただただ「あぁ」と声を漏らすことしか出来なかった。
「まあ、私がどうやってアレを覚えたのか、なんてどうでもいいことですわ。此処で、何故どうして、を考える必要はありませんのよ?」
「……確かにね。
「えぇ、時間は有限ですもの。もっと有意義に使うべきですわ」
「君にしては随分理知的な言葉選びだね……」
苦笑いを作った雪に、沙都子は彼女らしからぬ妖艶な笑みを浮かべ。
「私なりに勉強しているつもりですのよ?」
「みたいだねぇ。じゃあまたなぞなぞでも用意しようか?」
「雪さんのなぞなぞはイタズラが過ぎていて嫌ですわ。暇で死んでしまうぐらいになっても解けないんですもの」
「ははは、残念だけど人間は暇じゃ死なないから頑張ってみてもいいと思うよ」
のも束の間。沙都子はぷくりと頬を膨らませながら口を尖らせるのだった。
幾ら雪を追ってミステリーを学んだ所で、勉強が嫌いな彼女が雪を出し抜くのはかなり遠い未来の話だろう。果たして、そんな未来が訪れるのかも怪しいという話でもあるが。
「そういえば、珍しく梨花はまだ終わっていないんですわね」
「……ん、あぁ。そう言われてみれば確かに。前原ならまだしも、古手にしては随分と珍しいかもしれないな」
沙都子の言葉に、二人同時に梨花の方をへと視線を移動させ、珍しいものを見たと言わんばかりに目を丸くするのだった。
とはいえ、魚釣りゲームをあえて選ばなかった雪こそが犯人であると、
(何なのよ、ラミィキューブって…!?)
一から十三まで書かれたタイルが色別に四種類、そしてワイルドカードが二枚。
それを各自に十四枚となるように配布し、自番に山札を引き、同じ色の三枚以上の連番、或いは違う色で三枚以上の同じ数字を並べて役を作っていき、自分の手札を無くせば勝ちという大貧民や麻雀に近いゲーム性を持つものだ。
他にも細かなルールは存在するが、長考を誘発しがちとされ、しかも梨花にとっても見慣れないそのゲームに苦戦させられているのだった。
「まだ園崎のロッカー入りになってないやつを選んだのは失敗だったかもしれないね…」
「レナさんも終わったみたいですし、後は圭一さんと梨花だけですわね」
「まぁ…、億万長者ゲームもラミィキューブも時間がかかるゲームだからね。前原に関してはそろそろ園崎に発破でもかけてもらうさ」
玩具屋のゲーム大会で催すには相応しくないのではなかろうか、とツッコミを入れる者は残念ながら居なかった。
「あ、そうだそうだ。そこで言い争いをしてる醜い姉妹の方々」
「なんかとんでもない呼び方しなかった!?」
「気のせいでは。前原と古手の卓以外終わったみたいだから、参加賞配っておいてよ」
「仕方ありませんね…。後々とんでもない呼び方については夕飯を食べながら聞かせて頂きます。あ、お姉も来ますよね?」
「行くよー」
「にょわぁ……。家主に許可を取らないなんてやっぱり野蛮だよこの姉妹……」
そうしわくちゃな表情になる雪だったが、きちんと三人分の食事を準備してから家を出ていることを知っている詩音は内心ほくそ笑み。
興宮の玩具屋でゲーム大会をやるという話を聞きつけ、昨日学校終わりにそのまま雪の家に突撃を敢行してよかったと思う詩音だった。
「雪さん、私もお邪魔致しましょうか?」
「流石に今度でお願いしたいかな…。今日の夜を思うと今から胃が痛いよ…」
「かわいそかわいそなのです…、なんて。癒されていただけました?」
「癒そうと思ってる?それ??」
はぁ、と深い溜息を零し。項垂れながら今夜の食卓を想像する雪の頭に、不意に誰かの小さな手が乗った。
「───みぃ。かわいそかわいそなのですよ」
つい少し前まで初めてのラミィキューブに苦戦して居たはずの梨花が、いつもの笑みを作りながら雪の頭を撫で回していた。
「あら梨花、随分とのんびりしていらしたようで」
「初めてやるゲームは難しかったのですよ」
本当は、何を思ったのかは知らないが突然横からタイルを指さして来た羽入の言う通りにしてみたらさっさと終わった、というだけだが。
そもそもルールを知っていたのならもっと早く助けるべきだという羽入に対する苛立ちと、嫌がらせをしてきたであろう雪に対する怒りに、梨花は彼の頭を撫でる手にほんの少しだけ力を込めるのだった。
「あ、あのぉ古手さん…。何時まで僕の頭を撫でているんでしょうか…」
「圭一が終わるまで、なのです」
「この力と速度で擦ってたら禿げちゃうんですけども…」
「公由とお揃い、なのです。光るまで磨きますですよ、にぱぁ~」
「あの、あの……。許してつかぁさい……」
ゴシゴシ、ゴシゴシ、と。男子児童にしては少しばかり長めで柔らかい髪を擦る梨花の目は、獲物を見つけた猫のようであった、と。後の沙都子が語ったぐらいには途轍も無い程に鋭い眼光だった。
「もっと簡単なゲームにして欲しかったのですよ」
「簡単じゃつまらないだろう?番狂わせもあって欲しかったんだけど、まあそこまでにはならなかったね」
「五万円分のお醤油がかかってるのです」
「そんなに要りませんわよ!?」
「誰かが面倒がってお使いに行ってくれないからこうなるのですよ、にぱ~」
だからと言って五万円分の醤油を買おうとするのはどうなのだろうか。なんて、そんな冗談を真に受ける者は幸い。
それこそ、そんなに買ったところで色々な意味で使い切れないことぐらい言った本人が一番理解している事だ。
と、くだらない冗談はさておき。梨花の記憶が確かならば、この後は部員での決勝戦があると見せ掛けて、魅音に用事が出来たせいで解散となる流れだったはずだ。
部員達にも配られる参加賞の件で、圭一に一言言わなければならないこともあるが、そんなことよりも今の梨花にとっては雪を引っ捕まえて説明をさせることが最優先で。この直後の立ち回りについて、張り付けた笑みの裏で考えるのだろうな、と。
そんな梨花の考えなどお見通しだと肩を竦めた彼女は、嘆息を漏らしながら圭一に発破をかける魅音の方へと近寄るのだった。