梨花「誰だお前」   作:ゆっかもん

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「……僕としては、あのまま呆けてていて欲しかったんだけどね」

 

 カントク、或いは入江の元へ向かっていたはずの雪は、廊下でピタリと足を止めると後ろを着いてくる少女に視線をくれぬまま、ボソリと呟いた。

 

「分かってるとも。君が説明を求めていることぐらいはね。何故北条悟史が失踪していないのか、何故今日彼と面会することを選んだのか、辺りは教えてあげられる」

「あげられる、だなんて。相変わらず上から目線ね」

「そりゃそうさ。()()()()()()も、既に何度繰り返した事だか」

「さっさと答えないから、でしょう?無駄な問答だと一蹴したいのなら、素直に教えればいいことには変わりないの」

「……そうかもしれないね」

 

 小さく溜息を吐き出し。少年は何故か頬を触れてから、少女の方へ振り返った。

 その少年が浮かべている笑みは、いつも通りの作り笑いであるはずなのに。梨花の目には何処と無く違和感を感じさせるような。そして、何故か親近感を抱かせるような、そんな笑みだった。

 

「移動をしながら、話を続けよう。目的地はすぐそこだけどね」

「え、えぇ……」

 

 相槌以外を返すことは何故か出来ず。再び梨花に背を向け、歩き始めた少年の姿に、梨花は慌てて彼の横に並ぶように早歩きで近寄るのだった。

 

「昨年、北条の叔母を殺した犯人を君は知っているかな?」

「何を今更……。悟史が殺したことぐらい、知っているはずでしょう?」

「確認の為だよ。君が経験したであろう幾万の経験を全て把握しているわけじゃないからね。転ばぬ先の杖ってとこさ」

 

 少年が知るのは、あくまでも答えと幾つかの過程のみ。それはまだ、梨花には明かされていなかった一つの答えでもあったのだが。

 

「話を戻すけども。そう、あの叔母を殺したのは北条悟史だ。雛見沢症候群の末期症状から来る幻覚、幻聴、疑心暗鬼。そしてあの少年を取り巻く環境が叔母を殺す要因となった」

 

 北条夫妻の失踪、そして引き取り先であった叔父叔母による執拗な虐待。

 雛見沢症候群の症状を進行させるには有り余る家庭環境だったのは言うまでもないことだろう。

 

「最も、そこまで症状を進行させた状態でも妹を守ろうとした気概だけは評価してあげたいところだけど」

「……そうね」

「だが、前回のカケラで君は北条沙都子からこう聞いたはずだ。叔母を殺したのは僕だ、と」

 

 どうして、沙都子の言葉を。と尋ねようとした梨花の口から零れたのは掠れた吐息だけだった。

 すんでのところで止まったという所か。未だ、存在すら掴みあぐねている、仮称もう一人の羽入による密告が起こりえた可能性を思い出せたのは不幸中の幸いだと彼女は内心胸を撫で下ろしていた。

 が。無論、その言葉は口にしておくべきだった、と、羽入は薄い目で梨花の後頭部をただ眺めているだけで。そして徐々に途絶えていく一足にも気が付くべきだった、とも。

 

「だから北条悟史は失踪せず。しかして虐待によるストレスから雛見沢症候群を発症し、入江診療所に隔離されている、というのが単純な答えだよ」

「……どうして悟史の叔母を殺したのか、なんて聞いてもいいのかしら」

 

 その梨花の問いに、少年はほんの僅かな時間だったが、無言を貫いた。

 答えたくない、そんな雰囲気を感じ取った刹那に彼は口を開いたのだが。

 

「魅音が、いや。君達の知る園崎詩音が雛見沢症候群を発症せずに済むから。ただそれだけかな」

「その為だけに手を汚したっていうの………!?」

「ああ。血の繋がりはないが、少なくとも数百年は姉弟として過ごしたんだ、情も愛もある。彼女が末期症状にならず、その果てに北条悟史と幸せな顛末を送れるのならばそれに超したことはない。そうは思わないかい?」

「その癖悟史をちゃんと救うことはしないのね」

「何処まで行っても僕はガキだからね。助けられるものは、僕の手の届く範囲か、そこに手を伸ばしてきたモノだけさね」

 

 北条悟史はどのカケラでも、手を伸ばしてくることは。助けを求めてくることはなかった、と溜息混じりに零した少年は、突然足を止めた。

 入江の居る場所にはまだ辿り着いていない。それどころか、悟史が居る部屋からも、そして入江が居そうな場所から遠ざかっていたと言ってもいい。

 人通りが限りなく少なそうな、面会に訪れる人間など滅多に居ないのでは無いかと疑ってしまうような病室の前で。

 

「だからと言って、手を伸ばされても助けたくない人間だっている。どん底から這い上がらせることすらさせたくない、僕自らどん底に突き落としてやるってぐらいには嫌いな人間ぐらい、誰だって」

 

 背筋に刃物でも当てられたかと錯覚する程度には、彼の声音は冷えきっていた。

 

「僕が君に答えを教えられない理由の一つがこの部屋にある。これは、園崎ユキという少年が抱く嫌悪であり、憎悪。そしてこのチェス盤に設けられた安全装置とも言い換えられる」

 

 そう、病室のドアノブに手を掛けた少年は、入院患者がいるであろう部屋のドアを思い切り開き。

 

「以前、僕が雛見沢症候群のL3にかかった理由を説明したね。やや、僕の()()()()()、とね」

 

 有り得ない、と。そのベッドの()()と、それを示す名札に、思わず開いてしまった梨花の口からはただ掠れた吐息が漏れた。

 雪という有り得ない存在が何処から湧いて出てきたのか、の答え合わせがこれだと認めることはできなかった。

 有り得ていいはずがないのだ。かつての世界で、()()の背景が深く掘られたことはないだろう。梨花とて興味のある話ではなかった。

 これこそ、だからと言って起こっていい話ではないだろうか、と言いたげな梨花の反応に、少年はクスリと笑みを零した。

 

「そうなるのは()()()()()で、ある意味で安心したよ。君なんかは初対面でも無いくせにさ」

「しょ、初対面かどうかなんてこの状況で分かるわけ無いでしょう!?」

 

 ベッドに拘束された、包帯まみれの人型。繋がれた点滴と鼓動を示しているであろう機械の音が無ければ生きているとは到底思えず。

 そしてトドメとばかりにベットに備え付けられたその名札は。

 

「───改めて紹介しよう。()()は唯一判明している僕の親であり、君の()()を阻む女、()()()()だ」

 

 〇

 

 ───有り得ない、間宮リナに子供などいるはずも無い。

 ある世界ではレナの父に美人局として現れ、ある世界では園崎組の金に手を出したとして消え、そのまたある世界では……。

 兎角、梨花の知る限り、名前が出るだけで厄を運んでくるような女でしかないはずのコイツが、子を孕み、ましてや園崎家に押し付けるなどあっていいはずがないのだ。

 

「まあ、大体君の考えてることは分かるよ。北条鉄平と同じく、いや、僕からしてみれば北条鉄平よりも厄運びな彼女に子供なんて出来るはずが無い、だろう?」

 

 僕もそう思う、と続けた少年だったが、その表情は明らかに残念がっていた。

 

「当然僕だってそう思う。だが、偶然とやらが噛み合うと恐ろしいことも起こると身を持って知らされたよ」

 

 肩を竦め、微動だにしないミイラの近くにあった椅子に腰をかけた少年は、恐らく横顔をながらしんみりとした様子で。

 

「間宮リナ、いや当時の間宮律子は売春でもしていたんだろうね。妊娠はしないように心掛けていただろうけど、それも完全じゃなかった。気が付いた頃には下ろすことすら出来ないぐらいに腹の中で子供は成長していた。故に、産むしか無かった」

 

 それが園崎ユキだ、と。まるで他人事のように語る少年の様子に、梨花は無意識に生唾を飲み込んでいた。

 有り得ないと馬鹿の一つ覚えのように口に出すこともできず、ただ少年の言葉に耳を傾けるだけしか、今の彼女に出来ることは無かった。

 

「とはいえ、赤子を園崎家に連れてきたのはこの女じゃない。数年前、間宮リナは園崎組の金に手を出した事ぐらいは知っているだろう?」

「え、えぇ……」

「いくら間宮リナがそこらのゴロツキや北条鉄平と結託したとて、園崎組の上納金に手を出すのは簡単な話じゃない。そう思ってね、幹部から構成員の末端まで一人ずつ懇切丁寧に聞いてみれば、案の定獅子身中の虫が一匹。そいつが鼬の最後っ屁と、間宮リナの息子を連れてきたのは自分で、それが園崎ユキだ、ざまぁみろと吠えてくれた。だから僕は意図せず母親を知ることになった」

 

 その言葉が本当に鼬の最後っ屁になったのだろうと容易に想像は着く。が、とてその顛末を聞いたところでやはり「有り得ない」というその答えは変わることは無かった。

 いくら偶然が重なったとて、間宮リナともあろう悪人に子供が産まれたなんてことがあれば風の噂ぐらいはあってもおかしくはないだろう。そんな話なんて一切、小耳に挟んだことすら無いのだ。

 

「間宮リナがこうなった半分は、園崎の上納金に手を出したこと。そしてもう半分が、僕が雛見沢症候群のL3まで症状を進行させてしまった状態でお手付きの罰を与えてしまったこと」

 

 園崎と言えば、爪を剥ぐ───なんて。そんな生温い罰で終わるはずもなく、きっと間宮リナはこの世の地獄の一端を味わったのだろう、と梨花は未だ飲み込むことが出来ない情報に、反射的に眩む頭を抑えていた。

 ただただ、今日ばかりはこの部屋まで着いてこなければ良かったのかもしれないなんて本当に後悔し始めるばかりで。

 

 雪が口にしていた()()()()という言葉の存在はすっかり記憶の果てに追いやられているのであった。

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