───羽入がいない。
言葉にしてしまえば往々にして起こる話だし、何故かは知らないが雪だってそれをよく理解しているはずだ。
羽入は時折ふらりと出掛けては、どこからともなくと見つけてきた雛見沢症候群の発症者をつけ回して謝り続ける。
そんなことを今更口にして確認する必要なんてないはずなのに。そう結論付けた梨花であったものの、ふと目の前の算数プリントを眺めながら首を傾げる。
とっくのとうに解き終わったプリントが不思議なのではなく。雪が、
(羽入が居ないことの何が不思議なのかしら。明日会おう、とでも約束したとか…。いえ、無いわね)
少なくとも雪は羽入を見ることが出来ない筈。雛見沢症候群の末期症状に至ってもなお、視認することが出来ない羽入を雪だけが例外的に見れてしまうなんてことはないだろう。例えどれだけ彼の症状が進行していようが、羽入が実体化しない限り他者にその身体を晒すことはできない筈だ。それに、態々羽入が雪の前で実体化するとは到底考えられない。
(……無意味では無いと判断した?あの羽入が?)
それもないはず。
例えば昨晩、雪が魅音と詩音が眠る家から抜け出し、何処かで羽入と出会っていたとしても。やはり、羽入が実体化を選ぶとは到底考えられなかった。
(部員以外の発症者がいてもおかしくはないわね。大石や赤坂辺りがストレスで発症してたような………、───?)
───はて。
羽入が誰の後ろを付け回しているのか。そんなことを考えていた梨花は、無意識のままに反対方向へ首を傾ける。
何か、何か変な事を思い出した気がしたのだが、と。つい顎に手を添えてしまうぐらいには何かしらに引っ掛かりを覚えた梨花だったが、答えは出そうになく。
それどころか、「雪は、部員達から末期症状者を出すな」と言っていたな、と思い出してしまった彼女はその疑問を投げ捨てるのだった。
〇
案の定羽入が現れないまま放課後。
「───圭ちゃん。膝を抱えるのはいいんだけどさ、正面から丸見えだよ、その格好」
前略、ミニスカポリスのコスプレを着せられた圭一が遠い目で体育座りをしていたのであった。
ロッカーから飛び出してきたコスプレを強引に着せられた圭一の尊厳は残念ながらもうこの部屋には無く。無様にもトランクスを晒し続ける女装野郎に成り果ててしまったのだった。
「殺してくれ……」
「ミニスカポリスぐらいで何言ってんだか。それともおじさんのうさ耳バンドの方が良かった?」
「まだそっちの方がマシだろ…。頭だけだぜ……」
「目の毒だからさっさと椅子に戻ってもらってもいいかな、前原。仮に下着まで女性用なら、君と園崎に飛び蹴りを食らわせてたかもしれないぐらい最悪の光景なんだけども」
どうせこんな
さて。今日の部活は、部員それぞれがマスを用意したお手製のすごろく。つまりは、なんて説明する必要が無いぐらいには分かりやすい地獄そのものだろう。
サイコロを転がし、マス目に置かれた四つ折りの紙を開き、実行する。どちらかと言えば人生ゲームに近いのやもしれないが、早速の洗礼を浴びたのは圭一だった、というだけの話。
「いつも通り人生ゲームで良かっただろうに」
「いつも通り、じゃつまらないでしょ~?自分が食らうかもしれない罰ゲームを自分が決める、サイコーのゲームだと思わない!?」
「思わないね、うん。残念だけど」
「予告自殺みたいなものですわね」
「圭一くんかぁいいよぉ……」
入部したばかりの圭一には酷すぎると思うのだが。そう思う雪であったものの、それが喉から先に飛び出すことはなかった。
勝てば勝ったで調子に乗って、猫耳スク水妹系メイド前原圭一が誕生しかねないのだから、どちらにせよいい勉強だろうとしか言いようがなかった。
いずれにしても、レナのお持ち帰りからは逃れられない運命であることは言うまでもないことなのだから。
「ほら、次は雪の番だよ?」
「僕はやるなんて一言も言ってない気がするんだけどなぁ…」
その割には今日は圭一とレナの間に椅子を持ってきて鎮座している雪なのであった。
「でもマスは書いたでしょ?」
「君に昨晩頼まれたからね!!断れないように騙すなんて卑怯だぞ!?」
「騙すも何も、明日すごろくやるから罰ゲーム込みのマス書いておいてってお願いしただけじゃ~ん」
「全員に書かせるならやらせなくても良かっただろうが……。ましてやすごろくなのに、全マスにイベントが置いてあるなんて聞いてないぞ…」
魅音が止まっているマスには「うさ耳を付ける」と。そして圭一が止まっている場所には「ミニスカポリスを着る」。
仮に魅音か、今日はいない詩音が止まっていれば雪の説教が始まりそうなマスだなぁ、なんて。そんなことを考える梨花は自分が何を書いたのかすら既に覚えていなかった。
それどころか、やっぱりこんな部活は初めてだ。的な、達観的な思考しかしていない始末であった。
「何マス進むみたいなやつはつまんないから全部除外したよ?」
「おかしいだろ???すごろくじゃなくてただの罰ゲームくじ引きだろ、これ」
「俺もうサイコロ振りたくない…」
「最下位にはちゃんと罰ゲームあるよ?」
「よし!やろうぜ魅音!早く振れよ雪!」
「都合がいいな君は………」
「これが罰ゲームじゃねえってことは、もっとヤバいってことだろ…!?」
確かに。そう、口だけを動かした雪もまたサイコロに手を伸ばし。
「ひぃ、ふぅ、みぃ…。っと、まだここも捲られてないね」
「そりゃ始まったばっかだからねぇ…。雪も6を出して、ミニスカポリスになって欲しかったけど」
「そんな何着もあるのかい……?」
「いや、圭ちゃんの脱がせるけど」
「6が出なくてよかったよ。本当に」
すごろくとして、そして罰ゲームとして若干破綻しているような気がするのだが。
そんなツッコミを考えながら手に持った四つ折りの紙を開いた雪の口からは無意識のままに舌打ちが零れていた。
「……雪くん?」
「ん?何が書いてあったんだ?」
舌打ちから黙ったまま何も行動しない雪の様子に、彼の左右に座るレナと圭一は不思議そうな表情で紙を覗き込む。
「……魅音をお姉ちゃんと呼ぶ?」
「なんか……、雪くんを狙い撃ちしたマスだね……」
「こないだは詩音に取られたからねぇ~。私だって呼ばれたいもんねぇ?」
こないだ、とは先日のゲーム大会のことだろう。
確かに姉妹でそんな騒ぎをしてはいたが、こんな誰が引くか分からないすごろくでこんなマスを用意してくるとは、雪の目を持ってしても見抜けなかった。そして、そんなマスに止まってしまうとも。
「それがありなのでしたら、私も今週末デート、とでも書けばよかったですわね」
「みぃ…、強引なデートは嫌われるのですよ」
「梨花ぁ!?私の味方をしてはいただけませんの!?」
「ボクは中立なのですよ、にぱ~」
むしろ、この沙都子が書いていないことに内心目を見開く程度には驚いた梨花だった。
「へいへい雪ぃ?マスに書いてあることは絶対実行だよぉ?」
「そうだね。次に名前を呼ぶタイミングからソレで呼ばせてもらうとするよ。ああ、仕方無くだけど」
「今呼んでくれても良いんだよ?」
「残念だけど、今のところ君を呼ぶ理由が無いね。次は竜宮の番だし」
と、レナの前にサイコロを移動させた雪は口を尖らせながらそっぽを向き。そのほんの一瞬だけ、何かに驚いたかのごとく雪の肩が跳ねたように梨花の目には見えた。
他の部員はそんな雪の様子にはまるで気が付いていなかったらしく、梨花だけが雪が見ている方向へと視線を動かし───。
「…………」
なにあれ、と。窓に顔を押し付けて教室を覗く羽入の姿に、思わず手で顔を押さえてしまいそうになる梨花だった。
必死な形相で顔を押し付けているその光景には一体何の意味があるのだろうか。というより、普通に摺り抜けて教室に入ってくればいいものを。
「───おっ!レナのマスは当たりだねぇ。次の罰ゲームを圭ちゃんに押し付けるだって!」
「どうしてそんなマスがあるんだよ!?」
「私が用意いたしましたのよ?圭一さんは罰ゲームを受けたそうな顔をしていましたもの」
「どんな顔だよ!?」
今の羽入ぐらいには間抜けな顔でもしていたのだろう。なんて、ツッコミを入れる気力は今の梨花には無く。ただただ貼り付けた笑顔を浮かべ続けることしか出来ないまま、只管に込み上げてくる溜息を嚥下し続けるだけの部活が幕を開けたのだった。
どうして、窓の外の存在に気が付いたのかも忘れたまま。