───魘される羽入の声で目が覚めた。
彼女の意識はまだ、戻る気配が無いままで。
〇
見逃し、或いは聞き逃し。
その言葉に、梨花は未だ釈然とはしていなかった。少なくとも同じ部屋にいる最中に雪が交わす会話の殆どは注意深く聞いているつもりだというのに、何を聴き逃したのか。
雪がお魎に呼ばれている、は違うだろう。何故かは語っていなかったが故、聞き逃すも何も。
ではペナルティについてか。いや、これもさしたる言及はなかったはず。
そう、本日何度目かの振り返りを終え、やはり出ない答えに零れかけた溜息から意識をそらすように、魅音が守る缶へと視線を戻すのだった。
「……流石は魅音さん、鉄壁のガードですわね」
「みぃ…。もうレナも雪も捕まってしまっているのですよ…」
「圭一さんと
もはや詩音が参加しているのは誰もツッコむつもりは無いらしい、というのはさておき。
「まあ、雪さんはわざと捕まったんでしょうけど」
「雪らしいです、次は鬼にしてしまえばいいのです」
「まずどうやってジャンケンで負けさせるか、から考えますの?」
「本で釣ってみますですか?」
「そんなもので釣れるならとっくに捕まってますのよ、あの魚は」
本の虫だったり、魚だったり。本人の預かり知らぬところであらぬ呼ばれ方をする雪に、ざまあみろと心の中で零す。
残念なことは、気の一つも晴れやしないという点だろうか。
「とはいえ、そろそろ動きを見せないと魅音さんが探し始めてしまいますわね」
「魅ぃから逃げ切るのは難しいのですよ…。圭一が囮になってくれると嬉しいのですよ」
「今頃詩音さんとイチャイチャしてるかもしれませんわよ?」
「悟史が嫉妬で怪獣さんになってしまうのですよ」
悟史が行方不明になっていないのだから、詩音が圭一に惹かれる理由は無いだろうに。それに、圭一が詩音に手を出そうとしたところで詩音に力で勝てるはずもあるまい。
武力行使の点だけで言えば、警察に補導される程度には過激な性格をしているのだ。それこそ魅音よりも、だ。
そんなことぐらい沙都子も分かって言っているのだろう、とは思っていたのだが。
「……あら、そうでしたわね。にーにも嫉妬するかもしれませんわね」
何故か、ふと思い出したかのような表情を沙都子は僅かに浮かべていた。
「何を変な顔をしていますの?」
沙都子の問い掛けに、ハッとしたように我に返る。沙都子が悟史の存在を忘れているなどという現実に、つい思考の海へと航海しかけた梨花だった。
「さ、悟史のことを忘れるなんて珍しいと思ったのですよ」
「私だって常ににーにのことを考えている訳ではありませんのよ?雪さんのことを考えて、梨花のことを考えて、今日のお夕飯を考えて、と忙しいのですわよ~?」
いつも通りの沙都子だ。いや、梨花の知る沙都子からは些か色恋が強すぎるという難点はあるが───。
「───まぁ、最近の梨花がみぃ、とかにぱー、とかを思い出したように使ってるのと一緒ですわよ」
「………、今、なんて?」
決して聞き取れなかった訳ではなく、頭が理解を受け付けなかった。今沙都子は梨花になんと言ったのか、分かってはいる。分かってはいるのだが、その発言は、まるで部員に見せる梨花のソレが演技であると分かりきっていると言わんばかりの言い切りで。
「うっかり忘れてしまうことってありますわよね。最近の梨花は特にそれが酷いようで、凄くぎこちないですが……」
「ボ、ボクが何を忘れたっていうんですか……!?」
「なんでございましょう。初心?いえ、そういう類のものではありませんわね」
うーん、と首を傾げて考える沙都子の唸る声だけが梨花の鼓膜を震わせる。
魅音が部員を煽る声も、雪とレナがオリの中でやんややんやと騒ぐ声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
まるで時間が凍ったような、不気味な程静かな空間にも関わらず、梨花は何故か落ち着きを取り戻していた。
「梨花は、少し前に私にプレゼントしてくださった
梨花が、沙都子に、ホタルを。
残念ながら、梨花の記憶にそんな思い出は一切存在しない。
かつての世界の事を思い出せないのではなく、数え切れなくなるまで世界を数え続けていたからこそ、梨花はそんな記憶は存在しないという確信を持つことが出来た。
故に、巻き戻りが起こる前のこの世界の梨花が沙都子にホタルを送ったのだとしか思えなかった。
「最初で最後の贈り物、そんな勢いがありましたけど…。その顔を見る限り、梨花にとっては何気無い日常の一コマだったのですわね」
ガッカリしたような声音で。しかし、何処と無く嬉しそうな表情の沙都子に、梨花はまだかけるべき言葉を見つけられず。
巻き戻る前の梨花はどんな意図でホタルなんかを捕まえて沙都子に渡したのだろうか。
雪の介入により、悟史が行方不明にならず、あの二人も死んでいる。恐らくはこの世界もそうなのだろうと考えた時に、梨花が沙都子を元気付ける様な行動を取る理由が見当たらないのだ。
魅音が部活と称して二人を夫妻から遠ざけようとしたタイミングぐらいでしか起こりえない事象だが、しかして巻き戻りはさておきとしても、自分がそんなことをやるかと問われてもあまり肯定はできない梨花であった。
「……梨花が私のことを考えるのが日常。何だか凄くこそばゆいですわね」
「こそばゆい、ですか…?」
「それが当たり前だと思い込んではおりましたが、いざこう、言葉にしてみると……」
照れくさそうに鼻の頭を掻く沙都子に、不意に肌にへばりつくような熱気を思い出した。
遠くでは、やはり魅音が声を張り上げながら缶を倒す挑戦者を挑発している。
「そろそろ雪さんを助ける白馬の王子様にならないといけませんわね!」
「みぃ、お姫様の方が正しいのですよ」
「私だって王子様になれますわよ!?」
無理だが。
「でもどうやって魅ぃのガードを突破するんですか?」
「あら、そんなの簡単ですわよ。
〇
「───おかしい、どうして俺だけが負けてるんだ…?」
福田屋で買った雑貨やらお菓子やらが詰め込まれたビニール袋を片手に、圭一は愚痴を零す。
前半は順調に逃げ回れていたはず。そんな疑問も孕んだ愚痴に、隣を歩く雪はラムネ瓶を片手に苦笑いを浮かべた。
「最初に逃げ過ぎさね。園崎の体力を舐めすぎだぜ、前原」
「そうですよぉ、お姉の体力はガソリン入れたての車みたいなもんですよ?」
「園崎にどこまで走らせる気なんだよ。そういう君も、体力自慢の方だろう?」
「雪みたいに家に引き篭ってるだけじゃないですからね~。お姉の体力に着いていけてないのは男子組だけ、ですよ~」
パチリ、とウィンクを送ってくる詩音に、男子二人は思わず溜息を零す。
二人の体力の無さは自他共に認めるものではあるが。しかし、雛見沢に住まう人間の体力がおかしいのだと、認識を改めるべきだろう。
既存のトラップを避けながら、裏山を駆け回り、新たにトラップを仕掛け回るような体力がある人間が滅多にいてたまるか、とラムネ瓶を握る力を強くする雪であった。
「沙都子だけじゃないですよ、梨花ちゃまも沙都子に着いていけるんですから」
「あのさ、魅お───園崎。僕の心をナチュラルに読むのやめてくれるかな?」
「顔に書いてありましたよ~?くけけ~」
「何だよその取ってつけた変な笑い方は……」
「これをやると雪がもの凄く嫌な顔をするんで、偶にやるんですよ。圭ちゃんもどうです?」
「姉が変な笑い方してたら嫌な顔ぐらいするだろ……。本当に何処で覚えてきたんだよ、その笑い方は……」
アニメのキャラクターでもそんな笑い方をしないぞ、と。もういちど大きな溜息を零した雪は、思い切りラムネを煽る。
「大昔、急に思い付いたんですよね、これ」
「んなもん急に思い付くか!?」
「思い付いちゃったもんはしょーがないじゃないですか。それとも、圭ちゃん。あんたもっといい嫌がらせでも思い付きました?」
「どうして嫌がらせなんだよ………」
仲が良い故のイタズラなのだろうが、ふと確認した雪の表情はやはりしわくちゃになっていた。
もし仮にレナが着いてきていたのなら、きっとお持ち帰りをされてしまうぐらいにはしわくちゃで。手に持った空のラムネ瓶も相まって、何故か圭一の目にすら幼く映っていた。
「私が食べたかった鯛のお刺身を取った恨み、はらさでおくべきか~、みたいな?」
「僕は鯛が嫌いなんだから取るわけないだろ!?」
「えー…、私が雪にイタズラをするのに理由が必要?」
「そんな目で見てもダメなもんはダメ。理由は必要ないからやめて欲しいって言ってんのね?何処で思いついたんだか知らないけど、心臓に悪い奴とかあるんだし」
尚更しわくちゃになる表情と、項垂れていく体勢に圭一は思わず彼の背中を撫でていた。
普段から魅音には優位に立っているように見えた雪は、どうやら詩音には弱いらしい。もう少し正確に言えば、雪も魅音も、詩音には頭が上がらないようにも見えて。
もっとも、今の圭一が知る由のないところを解説してしまえば、ただ長女に頭が上がらない姉弟というだけであるのだが。
「毎日大変だな……」
「ほんとだよ…。興宮の実家に居てくれればいいのにどうして雛見沢の僕の家に泊まって、しかも学校をサボって分校に来てるんだか……」
「だって興宮の学校がつまんないんですもん。みんなガリ勉でガリガリガリ~って」
「この世代は受験生だからだよ!普通の子は進路を気にしてるの!!」
「えー、進路に困ったら父さんのところで養ってもらうんだ~」
「………はぁ。
「神頼みだなんてあんたらしくありませんね」
「誰のせいだと思ってるわけ!?ありえない話だよ!!」
罰ゲームを受けないように立ち回っていたはずなのに実質罰ゲームを受けさせられている雪の姿に、思わず手に持つビニール袋と彼を見比べてしまう圭一なのであった。