週末にはもう綿流し。
迫ってきたタイムリミットに、梨花は思わず舌打ちを鳴らすのだった。
「もう少し隠す努力はしてみたらどう…?」
「沙都子はトラップの仕掛けに夢中、他に生徒はいない。こんな状況で隠す必要がある?」
「いや、まあそうなんだけどさ。
「どの古手梨花も私よ」
「………そうだね」
何かを言おうと口を僅かに動かしたものの、結局雪の口から零れたのは諦め半分の肯定の言葉で。深く息を吐き出すと手元の小説へと視線を戻す。
今更舌打ちの一つや二つ、隠す必要は無い。教室にはこの二人しかいないし、沙都子はトラップの準備をするために今は廊下と教室を行ったり来たりしている。
それどころか、ここ数日様子がおかしい沙都子に舌打ちを聞いてもらった方がしっぽを掴むことができるのではないだろうかとも思い始める始末であった。
「ところで、魅音と詩音は置いてきてよかったのかしら?」
「あの二人は今日は本家から来るからね。僕は夕飯を食べて家に帰ったから、別行動なんだよ」
「珍しいこともあるものね」
「これが当たり前になって欲しいんだけどねぇ」
大袈裟に首を竦め、手元の小説の頁を捲る。僅かに見えた、ジキルとハイドと書かれた表紙は何処かおどろおどろしく見えた。
「君こそ、調子はどう?」
「見ての通り、最悪よ。羽入はまた行方不明だし、あんたはまだ答えを教えてくれないし」
「羽入はそのうち帰ってくるでしょ。聞きたい事が聞けるのかは知らないけど」
「あんたが教えてくれればいいだけでしょ。本当に
「……ははっ、酷い言い草だね。あんまりな言い方だからビックリしちゃってるよ」
再び小説から視線を梨花へと移すと、目を丸くしながら空笑いをする。
ふと思い付いた文句を適当に連ねてみたが、思いの外語呂が良かったらしく、梨花自身も僅かに驚く程度にはスラスラと口から飛び出していた。しかし、言い過ぎたと後悔する気持ちは、不思議になるくらいに湧いてこなかった。
「でも言ってるだろ。答えを導き出すのは探偵の仕事だって」
「私の知ったことじゃないわ。探偵だの教授だの、真実だの奇跡だの、そんな言葉遊びに付き合ってられないのよ。もう週末には綿流しだって分かってるでしょ!?」
「そんなに声を張り上げなくても聴こえるよ」
はぁ、とわざとらしく溜息を零す雪の姿に、梨花は歯軋りの音を立てる。
どう名乗っていようが園崎家の人間であり、繰り返す者であるはずの雪だって、もう終わりが差し迫っていることぐらい分かっているだろうに。
声の一つぐらい張り上げてもバチは当たらないだろう、と自分を正当化する梨花の様子に、雪は尚更溜息を零すのだった。
「千歳を超えたおばあちゃんは、早く真実に繋がる情報を探すべきだと思うよ。探偵が事件を解決するための材料が足らないままだよ」
「……また始まった。探偵、探偵って、馬鹿の一つ覚えじゃない」
「そう例えるのが一番妥当なんだってば。彼等は答えを推理する者、君は真実を探す者、ただそれだけの事だろう?」
「……相変わらず意味が分からないわね。真実と答えなんて同じ意味じゃない」
「さてね。僕がそれを説明するとペナルティ案件だからね、知らないふりをさせてもらうよ」
真実の次はまたペナルティか、と。聞き飽きた単語の連続に、梨花は思わず天井を仰ぐ。
ペナルティの結果があの羽入であるのならば、雪にもペナルティを受けてもらった方が何かと融通が効くのではないだろうか、なんて。そんなことを考え、ふと、正体不明のペナルティという概念に頼ろうとした自分に呆れ果てる。
ゲームのルールと同じようなもの定められて、破るとペナルティがある。そんなものを信じる理由なんて本来ならば、ないはずなのだが。
「いいじゃない、ペナルティ。一回食らってみなさいよ」
どうせ本題を続けたところでまともな回答を得られまいと、梨花は意地悪気な笑みを雪に向けた。
「いやぁ…」
「食らってみないと分からないじゃない。何がどうなるのか、試してみた方がいいわよ」
「食らわないに越したことはないと思わない?」
「私は思わないわ。圭一が沙都子のトラップを食らうのと大差がないでしょう?」
「大差しかないと思うんだけどなぁ…」
何も説明されない梨花には、その大差がなんなのかなど見当もつくはずもなく。
そして、それを指摘する間も無いまま、対圭一トラップを仕掛け終えた沙都子が、満足気な表情で雪の元へと寄ってくるのだった。
「またお二人で楽しそうに密談ですの?」
「古手に虐められてたんだよ、およよよよ…」
「雪は泣き虫さんなのですよ」
「まったく…。雪さんを虐めるのは私の役目ですわよ?」
「北条?違うからね?そんなものに役目はないからね?」
嗜虐的な沙都子の言葉に、狼狽える雪。仮面の一つや二つを被っていなければ指を突きつけながら大笑いしてやるのに、と心の中で舌打ちを鳴らす梨花なのであった。
兎角、沙都子がトラップを仕掛け終わった以上、件のやり取りを続ける訳にもいかず。沙都子の湿気を多量に孕んだ追及にあたふたする雪から視線を逸らし、梨花の思考は再び迫り来るタイムリミットである綿流しへと移るのだった。
今週末、間違いなく富竹と鷹野が死ぬ。そしてそれをきっかけに部員の誰かしらが雛見沢症候群の末期症状になってしまうのだが。
梨花の巻き戻りが起こった時、厳密にはついこの間の日曜日。彼女の意識は興宮のおもちゃ屋で目を覚ました。
梨花の経験則に基づけば、圭一は富竹と出会っていないため、バラバラ殺人事件を知ったことによる不信感を得る理由はないため、それを理由とした発症のリスクは少ないだろう。
沙都子は、北条鉄平が悟史の代わりに失踪している為、こちらも再発のリスクはほぼないと見ていい。
そして、ゲーム大会をする世界では大抵詩音が発症しているのだが、悟史が行方不明になっていない現在、彼女も発症するリスクは無いはずだ。
(……であれば、レナ?それとも魅音?)
いいや、レナが発症する契機である間宮リナも雪の手によって実質的な軟禁状態にある。可能性があるとすれば母親が雛見沢に現れる様な事態にでもなれば話は変わるだろうが、今までそんな経験は無かったと言い切れる。
もう一方の魅音も同様に、少なくとも「入れ替わり」を除いて、魅音が発症した覚えは梨花にはない。理由は正直思い当たらないのが残念なところだが、強いて言うのであれば、
ふと、耳に飛び込んできた情けない悲鳴に、梨花はほんの一瞬だけ彼の慌てた表情を見やり、いつも通りの笑みを作っておく。
今日はかぼちゃでも頭にぶつけられたのだろうか、と適当なことを考え。直ぐに梨花の思考は元の道へと戻る。
はて、と。今の所、誰かが末期症状に至る理由がまるでない。
沙都子の注射は欠かさず行っているし、それぞれに過度なストレスがかかる理由がまるで思いつかない。
辛うじて件の事件を圭一が耳にすれば、というところ。後は大石が余計な事をするだろう、という点についてか。
刑事として大石が優れているのは間違いないとは思う。村民には好かれていないが、狡猾さやコネ、行動力など、ある種の狂気とまで言い換えてもいいそれらには尊敬の意を表するべきだろうか。
「はろろ~ん、雪。今日は一段と早いですね」
「そりゃもう。久しぶりに君達のお世話をしなくて済んだから、ゆっくりと読書を嗜めるってわけ」
「聞きましたお姉。私達のお世話ですって」
「随分な言い方だよ、まったく。私達が普段のお世話をしてあげてるのにねぇ?」
「君達が泊まる時の炊事洗濯掃除、全部僕がやってるんだけど?」
「そりゃ雪の家なんだからさ~」
「一ヶ月の半分以上泊まってるんだから、それぐらい手伝ってくれないかな?かな?」
「やだな~雪。レナの真似ぇ~?」
姦しい。口から零れかけたその言葉を数回咀嚼し、嚥下する。
かつての沙都子と詩音のドタバタでは感じなかったその感情に内心驚きながら───。
(──────沙都子と詩音がドタバタ?)
そんな瞬間があったか、と作った笑みの裏で浮かんだ疑問を反芻する。
そもそも、詩音がこうして雛見沢分校に訪れることに疑問を抱かなくなったのは何時からなのか。
前回のカケラで詩音が不意に訪れた事には確かに驚いた。だが、それはあくまで突然現れたことに対して、であり、彼女が訪れることにそこまでの違和感を覚えたことはあまりない。
どうやら梨花にとって、詩音が此処にいる事は自然なようだ。しかし、それが何故なのか、思い当たる節はまるで無く、そのまま梨花の思考が止まること数秒。
───嗚呼、と蚊の鳴くような声が徐に漏れた。幸い誰にもその声は届いていないようで、誰も梨花に視線を向けることは無く、梨花もまたその言葉が口から漏れたことに気が付いてはいなかった。
それどころか、漸く気が付いたソレに意識が取られているようで、沙都子と圭一を抱えるレナ達の喧騒も、園崎姉弟の姦しさも、もうとっくに耳に入っていなかった。
(私は、間違いなく決定的な何かを忘れている)
『何故梨花はそれを知っているのでしょう?』。前回のカケラで梨花が死ぬ前日、羽入はそう口にしていた。知っていることに理由はない、そう返答した覚えもある。
もっと早く、羽入の言っていることを理解するべきだった。
それの理由が富竹である、だなんて。
加えて、富竹による疑心暗鬼にのみならず、先日のゲーム大会での人形の一件もそうだ。
羽入が言う通りに、知っているのならばあのデートに梨花も着いていくだけで疑心暗鬼の種が植えられることはないはずだ。何故なら前回のカケラでは雪がその役目を負ってみせたからだ。
とて、大石の介入で圭一は疑心暗鬼に陥った。
(……何故?)
疑心暗鬼の種は無かった。
大石が種を蒔いたのは概ね間違いはないだろうが、それが芽を出す理由は何だ。魅音がデモを起こした際に補導されたことを聞いた、もしくはレナがかつて末期症状になりかけた時の話を聞いたか。
同じような流れになった時に、毎度お見舞いに行っていた魅音とレナは前回は雪に阻止された。
いつも通りお見舞いに向かっていれば、雛見沢症候群がもたらす幻聴、幻覚によって猶更症状が進行していただろうが、前回はそれ以外の理由で進行していたとしか考えられない。
しかして、部員にはアリバイがある。誰も圭一の家に訪れるようなことはしていない筈で、そして大石の行動も逸脱していない筈だが、と考え、またしても思考が立ち止まりかけ。
───否。
『僕の席はまだ残ってるだろう?』、だなんて。あれだけ分かりやすい問いかけを口にしていて、そして圭一が体調不良になる少し前から体調不良で学校を休んでいた人間が居たことを、今の今まで梨花はすっかりと忘れていた。
何故。その疑問を解決する答えは見えないし、思いも付かないが、唯一誰にも行動を監視されることなく、圭一に接触することが出来た人間。
梨花の繰り返しの記録を知り、何時圭一が体調を崩し、学校を休むことを把握している彼ならばその行動を起こすことも容易いのではないだろうか。
「えぇ…、今日もウチに来るつもりなの君達……」
「あったりまえじゃん。誰が私達のご飯作ると思ってるわけ?」
「自分達で作ってよ……」
こんな呑気な会話を繰り広げている彼をチラリと見遣り、そして梨花は思わず目を見開いた。驚きのあまり、彼女の名前が口から飛び出していかなかったのは、ある種の奇蹟か。
行方を晦ましていた羽入が、凍えてしまいそうなほど冷たい視線で、ただじっと梨花の事を見つめていたのだった。