レナと圭一を自宅へ送り届け、富竹と別れた雪とオマケの一柱はそのまま園崎家へと足を運んでいた。慣れた様に潜戸を抜け、玄関へと到着した雪の表情は何処となく緊張しているように、羽入の目には映った。
既に日が落ちて暫く経っているというのにも関わらず、不用心にも玄関の鍵は開いたままで。雪もまたそれに何の疑問も持っていないようで、特段の驚きを見せることもなく家の中へと入っていくのだった。
(静か、ですね……)
梨花に命じられるままに雪の後を追っている羽入は、見慣れたはずの園崎本家の中を少しだけ不思議そうにきょろきょろと周りを見渡していた。当然、過去のカケラで何度も訪れている場所であり、どんな人間が住んでいるのか、足を運んでくるのかは住人に次ぐ程度には把握しているはずの羽入ではあったものの、雪という不確定要素がどんな影響を及ぼしているのかまでは知る由もなく。何が起こってもいいようにと、珍しく気を張っていたのだった。
「───帰ってきたんならただいま、ぐらい言ったらどうだい?」
「あぅ───っ!?」
通り過ぎた襖が突然開いた。それだけの事だったのだが、珍しく気を張っていた羽入は驚きのあまり、盛大にズッコケてしまい。もしここに梨花がいたのならば、その間抜けな体勢に笑いが止まらないことだっただろうと言い切れてしまうようなブレイクダンスの失敗作が誰の眼にも止まることなかったことだけは不幸中の幸いだろうか。
当然そんな羽入が見えるはずもない雪は、襖から顔を覗かせた茜に何食わぬ顔を向けた。
「あ、いたんだ母さん。ただいま」
「おかえり。急に帰ってきてどうしたんさね。連絡ぐらい寄こしな」
「いや、本家に母さんがいるとは思わないじゃん。僕はその…、魅音に用事があってさ。母さんはどうしたの?」
「鬼婆とちょっとお茶を嗜んでただけさね」
「成程」
表上勘当されているためか、雪でさえ茜が今日園崎本家にいるとは思ってもいなかったのだろう。実際には時折お菓子やお茶を嗜むぐらいには良好な関係ではあるのだが、勘当騒ぎのせいで内々にせざるを得なくなっているのだ。
まあ。雪からしてみればそんなことは知っているし、親子の仲がいいことで迷惑を被ることもないためか、あまり気にしている様子はなかった。
「魅音は部屋に居るのかな?」
「今風呂。部屋で待ってな」
「りょーかい」
と、一言返事をした雪はまた魅音の部屋に向かうために踵を返し───。
「雪、あんたまた首を掻いてるだろう。痕が出来ちまってるじゃないか」
がしかし、襖から顔を覗かせたままの茜は雪の首を見つめ、渋い顔を浮かべながら彼を呼び止めるのだった。気が付かれちまった、と言いたげな表情で振り返った雪の首の丁度左側を指差した茜もまた、ため息交じりに首を竦め。
「また悩まなくてもいいことで悩んでるんじゃないだろうね。あんたは他の厄介を抱える癖があるからねぇ…」
「……かもねぇ。とはいえ、無意識だからねぇ。気を付けるよ、としか言えないよ」
「あんたねぇ…」
「分かってる、明日にでも薬貰いに行くって。遅くなる前に用事済ませたいからさ、婆ちゃんによろしく頼むよ。あ、そうだ、アイツにもね」
説教の気配を感じたのか、掌をひらひらと振りながら再び魅音の部屋を目指し始めた息子の背中に、茜は呆れたように、しかし嬉しそうに微笑みながら浅く息を吐くのだった。
羽入も慌てて失敗作のエアロビクスのような体勢から立ち上がり、乱れた服装を直しながら雪の背中を追いかけ、暫く。
「……ん?」
魅音の部屋まであと数歩となったその時。雪は突然立ち止まり、後ろを振り返って首を傾げた。自分の胸の辺りの高さの虚空、正確には羽入の顔をじっと見つめ、不思議そうな表情で目を凝らしていた。
見えてはいないはずだが、しっかりと目が合ってしまっている。困惑して、あぅあぅと声を漏らしてしまっている羽入の顔に熱がこもり始めたその瞬間、二人の耳が魅音の声を捉えた。
「あんれ、雪じゃん。私の部屋の傍で何してんの?」
「…君に用事があってね。遅くなって申し訳ないんだけど、今から少し時間を貰ってもいいかな」
「時間はいくらでも大丈夫だけど…。怖い顔してるけどなんかあった?」
「……いいや、多分空耳」
「もしかして悪い事ばっかりしてるから幽霊にでも取り憑かれたんじゃないのぉ~?」
「ははは、まさか。その時には古手のところで祓ってもらうとするよ」
湯上りで血色のいい魅音の顔をチラリと見やった雪は、部屋の主の許可を取ることもなく襖を開き。
「普通確認取らないかなぁ…?」
「僕は普通じゃないし、それに夕飯を食べる時間が無くなっちゃうからね。さっさと始めよう」
と、問答無用で魅音の部屋へと足を踏み入れるのだった。
「こっちで食べて帰ればいいじゃん」
「連絡もなくきちゃったからね、またの機会に取っておくよ。それに、もう食べ終わった後だろう?」
「自分の家なんだから遠慮しなくていいのにさ~」
そんな日常会話をこなしながら、またしても許可を取らずに押し入れから取り出したぬいぐるみを抱える雪の姿に、魅音は額を押さえながら大きな溜息を零した。
勝手知ったるなんとやら、と言わんばかりに図々しい態度は正しく自分が住んでいた家だと主張するものではあったが、年頃の姉の部屋の押し入れを確認することなく開ける姿には、流石の羽入ですらうわぁ、と独り言を漏らしていた。
「そんで、雪は何しに来たのさ。わざわざこっちに来るなんて、相当の理由でしょ?」
「…そうだね。それ相当の理由だと言ってもいいかな」
「もしかしてぇ、おじさんに告白しに来た、とか?」
「君を嫁にする役目は前原に任せる……。や、竜宮の方が優勢かもしれないなぁ…」
「け、圭ちゃんの事は今は関係ないでしょ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴る魅音の様子は「圭一に惹かれている」と認めているに等しいということを理解しているのだろうか。
「……はぁ。いいや、残念だけど今日は前原の事で来た。正確には君に殴られるために、だけどね」
「殴るって…、あんた圭ちゃんに何かしたんじゃないでしょうね…?」
「何かした、と言うか…。まあ結論から話すよ、前原にダム建設現場で起きた事件について教え───」
「………っ!!」
なんて、誤魔化す必要もないだろう。雪の言葉に、魅音は反射的に頬を叩いていたのだ。まさか魅音がそんなことをするとは思ってもいなかった羽入はさぞかし目を丸くしていたことだろう。
「……痛いな」
「どうして…。どうして圭ちゃんにその話を教えたの!?」
「知りたがっていたから。ただそれだけだよ」
正確には富竹の介入があったからだが、と心の中で付け足す。例えそれを口にしたところで無駄な事だと理解している雪は、頬の痛みに表情を歪めることもなく、魅音の目を見つめた。
惹かれ始めている男の子に
「雛見沢に住んでいれば遅かれ早かれ知る話だ。ましてや、園崎家のお嬢さんと関わっているともなればね」
「だからって今話すことじゃないでしょう!?」
引っ越してきたばかりで。しかも先日、葬式に行って帰ってきて間もない圭一に負担をかけることは避けたい、その感情も分かる。
だがしかし、だからこそ雪は憎まれ役を買わなければならなかったのだ、とも。
「じゃあ
「……っ、必要になればしたよ」
「嘘をつくなよ、詩音。君が話す訳ないって分かりきっているから僕が話したんだよ?」
狼狽えたようにほんの僅かに視線をずらした魅音に、雪は小さな息を吐き出しながら苦笑いを浮かべる。
「やれやれ。僕が君の嘘に騙されると思ったら大間違いだ、何年弟をやってきてると思ってるんだか」
「……だけど、今の圭ちゃんに教えてもただ怖がらせちゃうだけなんだよ」
「隠してたって知った時の方が余程人は恐怖を感じるものだけどね。ま、前原がそんな人間だったらそもそも北条が懐いていないだろうけどさ」
その言葉に、魅音は何かを期待するかのような。もしくは彼の言葉に縋るような表情を見せた。
自分でも分かっているのだろう。隠すべきことでは無い、しかし自分にはそれを話す勇気が今は無いのだ、と。
話すことによって圭一に嫌われてしまうかもしれない、というただ純粋な年頃の女の子が抱くであろう感情を抱いているだろう、と雪が魅音の代わりに圭一に伝え、様子を見たに過ぎないのだ。
「まったく、惚れやすい姉を持つと大変というか、何と言うか。まだ二週間ぽっちだよ?」
「べ、べべべ別に惚れたなんて言ってないでしょ!?」
「あーあ!大好きな姉さんが嫌われないように僕頑張ったんだけどなぁ~!」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……っ!!」
「ははっ、これで暫くは僕に足を向けて寝れないねぇ…」
大袈裟に悔しがる魅音と、優しげな笑みを浮かべながらそれを見つめる雪の姿を眺め、羽入は一つの結論を導き出すのだった。
この男、ただのシスコンである、と。今のところ、どの言動も全ては姉の為に、が原理になっているようにしか感じられなかった。言わずもがな、当然そんなことは無いのだが。
それでも、彼は梨花がわざわざ心配するような男では無いようにしか羽入には見えなかった。たまたま、こういう稀有な事象が起きているカケラに迷い込んでしまったのだ、と梨花には伝えようと口に飛び込んでくるであろうシュークリームの味を想い、ニヤリとほくそ笑んだ。
「ま、言うべきことはこれくらいかな。僕はそろそろ帰るよ」
「えぇ…、泊まっていけばいいのにぃ…」
「やだよ。
「…………」
「だからさ、今度は興宮の
黙ったままこくりと頷いた彼女に、よしと相槌を返した雪はおもむろに立ち上がり、彼女の部屋の襖を開いた。
「じゃ、園崎。また明日」
「う、うん、また明日…。顔、叩いてごめんね…?」
「気にしてないよ」
そう笑顔を浮かべた彼はそのまま魅音の部屋を後にした。鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌な姿に、羽入はふと「この世界ならありうるのかもしれない」と率直に思ってしまった。
このカケラで初めて現れた彼は、まるで雛見沢症候群を発症させないように先回りしていると言ってもいいほど完璧なものであった。
無論、今現在の状況で確実に惨劇を回避できる訳ではない。犯人すらもわかっていないこの状況は、梨花がどれだけ頑張ってもどうにもならなかったこのループであり、たった少年一人の行動で何とかなるようなものではないことぐらい、羽入とて理解はしているつもりだ。
(でも、急いで報告する必要はあるのですよ!)
既に日が落ちて暫く。いくら精神が大人になっている梨花とて体は小学生のそれなのだから夜更かしをさせてもいいことはまるでない。ましてや、惨劇を乗り越えた先にある生活を考えれば、正直ワインもやめて欲しいぐらいなのだが。
兎角、思い立ったが吉日と古手神社に帰るために雪の監視を止め、羽入は一足先に園崎家から飛び出してしまうのだった。
が、羽入がいなくなった瞬間。雪は再び立ち止まり、羽入がつい先程までいた場所を振り返りながら、
「足音が消えた…?」
と、首を傾げながら無意識のまま、首に爪を立てるのだった。