結局、この数日間の努力もむなしくシュークリームにありつくことが出来なかった羽入は、わざわざ実体化して梨花に何か仕返しするわけにもいかず、朝から梨花の事を睨み続ける事しかできなかった。
騒いでのたうち回ったところで存在しないシュークリームは出て来ないし、どうせ梨花の事だ。報復には報復を返してくることぐらい目に見えている。
そんなりすの様に頬を膨らませる羽入の表情に内心ほくそ笑む梨花は、何も知らずにぐっすりとよく寝ていた沙都子と共にいつも通り雛見沢分校を目指していた。
「そういえば、もう綿流しの時期ですわね」
ふと、思い出したように沙都子が呟く。幾度となく繰り返されて来た惨劇の始まりがもう目の前に迫っているのかと、悪態の一つでもつきたいところだが。
「今年は圭一も居ますし、部活も盛り上がると思うのですよ」
込み上げて来た罵詈雑言を噛み殺し。普段と変わらずおくびに出さないままソレ等を嚥下した梨花は、笑みを只返した。
圭一の不信が緩和されたとて、富竹と鷹野は死ぬ。誰が殺したのかがわからない以上、気を付けてくれと何度か念を押したこともあった気がするが、全てが無駄に終わっていた筈だ。
どうせ今回も何も変わらない、と。諦めきった感情の梨花に対し、沙都子は何故か若干頬を桃色に染めながら人差し指同士を擦り合わせていた。
「圭一さんが騒ぎすぎて注意されないといいのですけれど。そ、それより今年こそ、雪さんは綿流しにいらっしゃってくださらないのかしら…」
「みぃ…?雪が、ですか?」
「部活も、もう暫く参加していただけてないですし…。せめて今年の出店巡りぐらいは…」
寂しげに呟く沙都子を余所に、梨花は彼女の言葉を口内で反芻させた。沙都子の言葉をそのまま信じるのならば、雪は部活に参加していた時期があったということなのだろう。それが何年前なのか、と聞き出すことはできないが、ああやって部活が終わるまで同じ空間で時間を潰しているのはどういう了見なのだろうか。
もしかすると、魅音ならばその事情を知っているのやもしれないが、このカケラでの関係を未だに洗い切れていない以上、それを軽々しく質問することもまだ出来ず。例えば沙都子の為に参加できない理由を尋ねる事すらできないのが現状だ。
「と、兎に角、雪を誘って見たらいいのですよ。ボクも一緒にお願いしに行くのですよ」
「───僕を?」
「い、いつの間に!?」
「後ろ姿が見えたから声をかけようかなと思ってさ。驚かしちゃったみたいだね…」
口から心臓が飛び出してしまうのではないだろうか、と錯覚してしまう程の脈動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す梨花を余所に、沙都子は満面の笑みで彼の名を呼んだ。
「あら雪さん!おはようございますですわ!」
「ああ、おはよう北条。で、僕に何か用事でもあったかい?」
歯に衣着せぬままに、あっけらかんとした様子で問いかけられた沙都子はつい先程の様に人差し指同士を突き合わせながら、挙動不審に目をきょろきょろとさせていた。
「えっ、うー…あー……。こ、今年の綿流しはご、御一緒できませんか!?」
「綿流し…。そうか、確かにそんな時期だね…」
意を決した沙都子と、顎に手を当てながら考える雪の姿を見比べ、梨花は唐突に鈍感という言葉を雪に向かって投げつけたくなった。
女の子が勇気を出して誘っているのだから、最速で時間を作るぐらいは言ってみたらどうなんだ、と。雪がどんな存在であったとしても、今ばかりは沙都子の親友として味方に立つ梨花なのであった。
「……うーん、最初から最後まで一緒に居られるのかはわからないけど、何とか時間を作れないからやるだけやってはみるよ」
「本当ですか!?」
「おぉっと…。ただし、過度な期待はしないでほしい。猫の手を借りたいくらいには忙しいからね」
相変わらず首を擦りながらチラリと隣の梨花へと一瞬だけ視線を移した雪であったが、沙都子も梨花も、そして羽入ですらその様子に気が付いた者はいなかった。しかも梨花に至っては、ただただ部活が終わるまで小説を読んでは、圭一と帰るだけの生活をしている奴の何が忙しいんだとツッコみたい気持ちであったがために、余計気が付くはずもなく。
「えぇ。期待して待っていますわ」
「こりゃ手厳しいな……」
と、にっこりと微笑んだ沙都子は、ふと彼の首に絆創膏が貼ってあることに気が付き。
「あら。また首に絆創膏を貼っていらっしゃるのですね?」
「ん、あぁ…。ちょっと引っ搔いちゃってね…。この癖はいつまで経っても治る気配がないというか、なんというか…」
何とも雛見沢でついてほしくない癖というか、紛らわしすぎる癖を表すべきか。
梨花が惨劇から抜け出せない要因の一つとして考えている、雛見沢症候群にも首を掻く症状があり、末期症状として現れる最悪の状態だ。
幸い、羽入から雛見沢症候群を発症しているというような話は聞いていない為、彼が言う通り本当に癖なのだろうが、梨花の心臓には決してよろしくないものであった。
「みー、痕が残っちゃうのですよ」
「昨日母さんにも言われたよ、それ。考え事をしてると無意識にやっちゃうんだよねぇ…」
「困った癖なのです」
「ほんとにね。後でカントクのとこに行って塗り薬でも貰いに行かなきゃなぁ…」
と、言いつつも絆創膏の上から首を擦る雪なのであった。
〇
そんな朝のやり取りなどすっかり頭の中から抜け去ってしまった放課後。幾つかの机を集めて作ったフィールドを囲うようにして集まった部員達は、今日も罰ゲームをかけた戦いを繰り広げるのであった。
「んで、魅音。今日は何すんだ?」
「そうだねぇ…。先週は圭ちゃんのデビュー戦だったから簡単なジジ抜きにしたけど、一気に難易度上げちゃう?」
「ゲッ…。お、お手柔らかに頼むぜ…」
今日は何をしようか、とロッカーの中を浮かれた様子で確認する魅音の背中に、圭一はこれから自分の身に降りかかるかもしれない罰ゲームに身を震わせた。
前回、トランプの傷を見抜けずに負けたせいで、額に「朴念仁」と大きな文字で書かれてしまった。気を抜けば今回も前回の様に負けてしまう可能性の方が高く、そして他の部員は圭一よりも歴の長い強者達だ。油断をしていた、なんて遺書に書ける内容ではない。
「みー、圭一の眼が燃えているのですよ…」
「そういう梨花こそ、油断をしていると足元を掬われますわよぉ~!」
「……魅ぃ、今日は沙都子がコスプレをしたいそうなのですよ、にぱ~」
「えっ!?沙都子ちゃんのコスプレ…!?お持ち帰りできるかな!?かな!?」
誰に確認をしているんだか、というのはさておき。それぞれがいつも通りの座席に腰を下ろした瞬間、ギギギと机の足が床を擦る音が響いた。
「───悪いね、前原。ちょっと隣に入れてくれるかな?」
「ゆ、雪…?どうした…?」
別に断る理由も無いと間を作った圭一の隣に引き摺ってきた机を配置し、雪もまた部活のフィールドに腰を据えた。普段ならば圭一を待つためだけにほんの僅かに離れた位置で小説を読んでいる彼が突然とった行動に目を丸くする一同と、それとは対照的に雪は不敵な笑みを浮かべていた。
「いや、折角初心者がいるんだ。園崎が罰ゲームを受ける確率を増やしてみようかと思ってね。僕の席はまだ残ってるだろう?」
「そ、そりゃああるけどさ…。もしかして昨日のアレ、根に持ってるの…?」
「まさか。口の中を切って夕飯がうどんになったとか、そういうことは無いし、根にも持ってないんだけどさ」
三日月形に歪んだ口とは対照的に、全くもって笑っていない瞳に魅音は掠れた笑い声を漏らすことしか出来なかった。当然、昨日何が起こったのかを知らない面々は首を傾げる事しかできず。そして、一応何が起こったのかを知っている梨花と羽入はほんの一瞬だけ顔を見合わせるのだった。
「ちょっとばかし、偶には園崎に土を付けてみようかなと思ってみただけでさ、そんな深い理由は無いんだけど」
明らかな嘘を吐きつつ、ポケットから封の切られていないトランプを取り出し、それをそのまま魅音に向かって机の上をスライドさせる。傷のついたトランプでは正々堂々とは言えない、とでも言いたいのだろうか。はたまたロッカーの中に傷がついていないトランプがあることを知りながら、わざわざ新品を用意してくるという挑発がしたかっただけなのか。
「漸く、僕の忙しさにもケリがつきそうだからね。リハビリも兼ねて手堅く、大貧民でもどうかな?」
そう笑みを浮かべたまま目を見続けてくる雪に、魅音は只生唾を飲み込むのだった。