勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い 作:海原凛
街の商店街を歩くレインの手には、小さく折り畳んだメモが握られていた。次の遠征に備えての買い出しは、食料に薬草、替えの装備品まで多岐に渡る。量も多く、一人で運ぶのは骨が折れる作業だったが、他に手伝う者の姿はどこにもなかった。
勇者アリオスを筆頭に、戦士のアッガスも神官のミナも、買い出しや雑用はすべてレインに任せるのが当然だと考えていた。
パーティーの中でビーストテイマーという立場は低く、レイン自身も、それが自分の役目だと黙って受け入れてきた。
何も言わずに、文句も言わずに。どれだけ理不尽に扱われても、仲間の役に立てるなら、それでいいと思っていた。
だが、そんなレインの姿を、ただ一人だけ気にかける者がいた。
「……あ、やっと見つけたわよ、レイン!」
背後から掛けられた声に、レインが振り向く。そこには、長いローブに身を包んだ魔法使いのリーンが立っていた。
いつもは仏頂面な表情の彼女も、人目がない場所では素の表情を見せることがある。
「まったく……あんた、また一人で全部抱え込むんだから……!」
「はは……でもいいのか?」
呆れたようにため息をつきながらも、リーンはレインの荷物を一つ奪い取った。レインが戸惑ったように目を瞬かせると、リーンはそっぽを向いて肩をすくめる。
「いいのよ、どうせアリオスの話なんて聞いてたって時間の無駄だし。あんたの方がよっぽど役に立つってわけ。」
素直じゃない言葉に、レインは小さく笑った。
「……助かるよ、リーン」
その一言に、リーンはわずかに頬を赤らめ、手元の袋をぎゅっと握り直した。
「勘違いしないでよ! 暇だから手伝うだけだから! 別にあんたのためとか、そんなんじゃないんだから!」
必死に取り繕うリーンの横顔を、レインは優しく見つめる。このパーティーで、自分を気にかけてくれるのは彼女だけだった。誰よりも冷静で、誰よりも仲間想いな魔法使い。
そうして、二人は並んで商店街を歩いた。ささやかな会話を交わしながら、少しだけ心が温かくなる時間だった。
――だが、そんな日常は、すぐに終わりを告げることになる。レインも、リーンも、そのことをまだ知る由もなかった。
◇
レインは勇者アリオスの部屋に呼ばれた。
部屋にはアリオスの他に、戦士のアッガスと神官のミナが揃っていた。三人の視線はどこか冷たく、レインを突き刺すようだった。
「……君はクビだ」
アリオスが淡々と告げた瞬間、部屋の空気は張り詰めて凍りついた。
「え……? ちょっと待ってくれ。何を言っているんだ……いきなりすぎる……冗談か何かか?」
事態をのみ込めないレインに、アリオスは苛立たしげにテーブルを叩いた。
「冗談じゃない。お前がお荷物だと、ずっと言おうと思っていたんだ」
小さく息をつくように、アッガスが視線を逸らした。
その顔にはわずかに言葉を飲み込むような影があったが、結局何も言わなかった。
「……本気で言っているのか?」
レインが縋るように問いかけても、アリオスの瞳には一片の情けも冗談もなかった。
「理由なんて一つしかないだろう。お前はお荷物だからだ。……訂正しよう。お荷物と一緒にしたら荷物に失礼だな。ゴミだ」
「言い過ぎですよ、アリオス。……もっとも、彼が何の役にも立っていないのは事実ですが」
ミナの声にも、慈悲の色はなかった。レインは俯き、アッガスをちらりと見る。だが、アッガスは目を伏せたまま何も言わなかった。どこか申し訳なさそうに見えたが、アリオスに逆らう様子はない。
仲間だと信じていた相手から吐き捨てられる罵声。言い返したい言葉すら出てこない。
全てが事実だと、どこかで諦めていた。
「お前は敵に狙われて足を引っ張るだけだ。せいぜい動物を使って荷物を運ばせたり偵察させたり……そんなもの、金を払えば誰にでもできる」
アリオスの声は冷たく突き放すようだった。
「僕たちは魔王を倒す使命を負った選ばれし者だ。……だがお前は違う。ただの気まぐれで拾っただけだ。これ以上、失望させないでくれ」
レインの拳が小さく震えた。視界が滲み、こぼれそうな涙を必死に堪える。
それでも、口から出たのは言い訳ではなかった。
「……分かった。俺はパーティーを抜けるよ」
その瞬間、扉が勢いよく開いた。
「ちょっと! どういうことよ!」
リーンだった。
息を切らして駆け込んだ彼女は、すぐにレインの隣に立ち、アリオスたちを睨みつけた。
「どうもこうもないさ。レインはお荷物だ。もう必要ない」
「ふざけないで! 旅の雑務も荷物の管理も、全部レインが――」
「だから? 雑用係なんて他にいくらでも代わりが効く。戦えない奴はいらないんだよ」
アリオスの冷笑に、アッガスやミナも同調する。
リーンの顔が悔しさで歪んだ。
だがレインは、リーンの肩にそっと手を置いた。
「……ありがとう、リーン。でも、もういいんだ」
彼女の目が揺れる。
レインは静かに首を振った。
「……装備を置いていけ」
アリオスの言葉に、レインは一瞬目を見張ったが、すぐに納得したように小さく息を吐いた。
仲間たちと共に過ごした証ともいえる最上級の装備を、レインは机の上にそっと置いた。
装備を手放すことで、仲間との絆も全て消えてしまう気がした。
だが、もとより絆などなかったのだと、ようやく思い知る。
「宿代は払ってやるよ。せめてもの情けだ」
背を向けるアリオスの声を最後に、レインは黙ってその場を後にした。
扉の向こうで、リーンだけが小さく名前を呼ぶ声が聞こえた。
レインは振り返らなかった。
それが、すべての終わりだった。
◇
レインは宿を出た夜道をゆっくりと歩いていた。
重たい扉を閉めたとき、背後に残った声が遠いもののように思えた。胸の奥を埋めていた何かが、一度に空っぽになるのを感じる。
どこへ行くあてもない。
それでも、もうあの部屋に戻るつもりはなかった。
ふと、背後から小さな足音が追いついてきた。
「レイン!」
振り返らなくても、誰かは分かっていた。
名前を呼ばれた声に、レインの足が止まる。
息を切らして駆けてきたリーンが、暗がりの中でレインの背中を見つけ、必死に腕を伸ばした。
「どうして……どうして何も言わずに行くのよ……!」
声がかすれていた。
レインは肩越しにだけ彼女を見た。
「……言っても同じだろ。もう決まったことだ」
「同じじゃない!」
リーンはレインの背中に回り込むように立ちはだかった。街灯に照らされた彼女の瞳には、涙が光っていた。
リーンはレインの胸を拳で叩いた。小さな音が夜気に響く。
「あたしは……あたしは嫌だから! あんなのおかしいよ……レインは役立たずなんかじゃない!」
言葉と一緒に、リーンの拳がレインの胸を何度も叩く。
小さな音が夜気に溶けた。
「雑務も偵察も、誰より丁寧にやってくれた……! あたしは分かってる……レインがいてくれたから、みんな無事に戻れたんだよ……!」
リーンの声は途切れ、嗚咽に変わった。レインは視線を落とし、泣きじゃくる彼女の肩にそっと手を置いた。
「……ありがとう。でも、いいんだ。俺はもう――」
「よくない!」
リーンが顔を上げた。
涙で赤くなった目が、レインを真っ直ぐに射抜いてくる。
「あたしも一緒に行く。ここに残らない。」
「バカ言うな。リーンはパーティーに必要な……」
「そんなのどうでもいい!」
夜の街に響いた声に、遠くの店の灯りがわずかに揺れた。
リーンは小さく震えながらも、唇を噛んで続ける。
「あたしは……レインと一緒がいい。役に立つとか立たないとか、そんなの関係ないの」
その一言に、レインの胸の奥が熱くなるのを感じた。
長い旅の中で、自分を選んでくれる人がいる――それだけで、冷え切っていた心がわずかに温まった。
「……後悔するぞ。俺といても、いいことなんか……」
「後悔なんてしない」
リーンはきっぱりと言い切った。その瞳には、一切の迷いがなかった。
レインの肩がふっと緩む。固く縛っていたものが、夜風に溶けていく。
「……そうか。じゃあ、一緒に行こう」
リーンは泣き笑いのような顔で大きく頷いた。
二人は誰もいない夜道を、肩を並べて歩き出した。
◇
「さてと……これから、どうしたもんかな」
翌朝。
宿を出たレインは、街の広場に面した古い樫の木の下に腰を下ろしていた。朝の空気は澄んでいて心地いいはずなのに、吐き出した息は少しだけ寂しげだった。
勇者アリオスたちは、夜明けと共に『迷いの森』へと出発したらしい。何の挨拶もなく、まるで最初からレインという存在がいなかったかのように――それがあいつらの答えだったのだろう。
「……まあ、いいさ」
言葉にしたところで、心の奥に残った何かがすぐに消えるわけじゃない。
それでも、もう振り返る気はなかった。
これからは自分のために。そして――
「ねぇ、お得意の黄昏タイムは終わった?」
不意に届いた声に、レインはハッとして顔を上げた。陽光を背に立っていたのは、魔法装束に身を包んだリーンだった。
腰に手を当て、顎を少し上げて、いつものように笑みを浮かべている。
「リーン……もう支度、済ませたのか。」
レインがわずかに目を細めると、リーンはフンと鼻を鳴らし、杖を肩に担いだ。
「当然でしょ。誰だと思ってんの、あたしを」
その何気ない一言が、どこか安心させる。強がっていても、こうして当たり前のように隣にいてくれる――それだけで十分だった。
「……ごめんな。巻き込んじまって」
ポツリと漏れたレインの謝罪に、リーンは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに小さく鼻で笑った。
「はあ? 何しおらしくなってんのよ。誰があんたに『来い』って言われて来たわけ? あたしの意思だから。勘違いしないで。」
まっすぐに向けられた紫の瞳には、隠しようのない意地と――小さな不安が滲んでいた。
レインはそんな瞳を、どこか愛おしそうに見つめた。
「……ありがとな」
「誰が礼なんか言えって言ったのよ」
ぶっきらぼうにそっぽを向くリーンの頬が、ほんの少しだけ赤くなっていた。
「で、お金は?」
急に話を変える声は、どこか無理に強気を装っているようだった。レインは笑いをこらえて、小袋を探った。
「銀貨が五枚に、銅貨が三十八枚」
「うわ少なっ……。ま、あたしも似たようなもんだけど。はー……まあ、仕方ないわね」
偉そうに腕を組む姿に、レインの口元が思わず緩む。
「……さっき冒険者ギルドを覗いてみたんだ。試験さえ受ければ登録できるってさ」
「ふぅん? それで、受けんの?」
「ああ。やってみようと思う。」
「なら、あたしも一緒に受けてやるわ。あんた一人に任せっきりなんて、つまんないし」
強がりなくせに、どこか嬉しそうに目をそらすリーンを見て、レインの胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていく。
樫の木の下で、二人は肩を並べて立ち上がった。
◇
そして二人は並んで冒険者ギルドへ向かい、手続きを済ませるとすぐに試験――新米冒険者にはお決まりのゴブリン十体の討伐を引き受けた。
深い雑木林の中、木々の影を縫うように緑の影が走り抜ける。
「ふふん、レインなら余裕でしょ? 付き合いも長いし、あんたの腕はあたしが一番よく知ってんだから」
「頼もしい言葉だな」
リーンがいつもの調子で強気に言い放つその横顔に、レインは小さく笑みを返す。
言葉通り、ゴブリンの討伐は危なげなく終わった。
倒れたゴブリンの死骸を蹴りで並べ直しながら、リーンが杖を肩に担ぐ。
「十体、確認っと。……数え間違えてたら、もう一回とか絶対イヤだからね」
「分かってる。ありがとな」
「誰があんたのためにここまでやってんのよ……ほんっと、世話が焼けるんだから」
ぶつぶつ言いながらも、リーンの頬はどこか緩んでいた。
だが、帰り道。林を抜けかけたとき――
「……ん? 今、悲鳴が聞こえなかったか?」
立ち止まったレインの声に、リーンも辺りを見回す。
遠く、湿った風が沼地特有の匂いを運んできた。
「……あっちの方、沼地よね。最近キラータイガーが出たって噂があったはず」
「放っておけないな。行こう」
視線を交わし、二人は頷いた。
躊躇いは一切ない――木々を蹴り、二人は迷わず沼地の方へと駆け出した。
ぬかるんだ地面の先、倒木の陰に追い詰められていたのは、一人の少女だった。
肩まで伸びる栗色の長い髪がかすかに揺れ、ピンと立った猫耳と細い尻尾が震えている。
鮮やかな緑の瞳は獣を睨んでいたが、その胸は浅く上下し、今にも力尽きそうだった。
目の前で牙を剥いて唸り声をあげるのは、分厚い皮膚を持つDランクの魔物――キラータイガー。
普通の刃など通じない、危険な相手だ。
「レイン! あたしが援護魔法を撃つ! あんたはその隙に!」
「了解!」
リーンの詠唱が低く響くと同時に、レインは体勢を低くして地を蹴った。
短剣を逆手に握り、獣の背後を取って飛びかかる。しかし刃は皮膚に弾かれ、甲高い音を立てて折れてしまう。
「……ちっ、効かないか!」
振り返ったキラータイガーの赤い瞳がギラリと光り、唸り声が空気を裂いた。咆哮一つで、その場の空気が刃物のように肌を切り裂く。
その瞬間――
「……っ、これで……最後……!」
少女の喉からかすれた声が漏れた。
ピンと立った猫耳が小さく震え、尻尾が弾けるように張る。
一瞬で脚の筋肉が弾け、少女の身体は宙へと舞い上がる。
木々の間に低く響く風切り音――次の瞬間、華奢な体がキラータイガーの背へ一直線に降下した。
「なっ……!?」
「レイン、下がって!!」
リーンの叫びが木霊する。
直後、土が爆ぜるような鈍い音と共に、獣の首は乾いた枝のように折れて沈黙した。
土埃が晴れたとき、粉塵の中心に立つのは猫耳の少女。
その瞳から光が消えると、すぐにふらりと膝をつき、レインの胸元へと倒れ込んだ。
「大丈夫か!? どこか怪我は――」
レインの呼びかけに、少女は小さく目を開き、声を漏らした。
「……お腹……減った……にゃ……」
気の抜けた声に、リーンは肩を落としてため息をつく。
何とも間の抜けた声に、レインとリーンは顔を見合わせる。
沼地の風が二人の頬を撫でた。
「……なんか、とんでもないのを助けたかもね」
「……ああ。たぶん、そうだな」
こうして思いがけない出会いをきっかけに、レインとリーン――そして小さな猫耳の少女の旅路は、また新しい一歩を踏み出したのだった。