勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い   作:海原凛

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第10話 狼煙

 

 

 

 仮設の天幕を叩いていた霧雨は止み、代わりに夜気が薪の煙を湿らせていた。粗末な卓の上に広げられた砦塞都市の地図を囲むのは、隊長代行ギルバートと数人の若い騎士たちだった。

 その端に、包帯を巻いたレインと肩を軽く押さえるリーンが並んでいる。

 卓上には、黒ずんだ破片や折れた矢羽が布の上に整然と並べられていた。血に染まった革紐の切れ端を、ギルバートが指先でそっと持ち上げる。

 

「……これが、崖上の道で発見された荷馬車の残骸です。積み荷は荒らされ、血痕も散らばっていました。痕跡をたどったところ、現在砦を占拠している盗賊組織《漆黒の牙》の可能性が高いです」

 

 若い騎士が小さく息を呑んだ。

 リーンはわずかに目を細め、卓上の革紐を睨みつける。

 

「……なら、その場で殺されていた可能性もあるでしょ。カナデたちが生きているって確証はないじゃない」

 

 低く吐き出した声に、ギルバートは静かに首を横に振った。

 

「しかし……遺体は見つかっていないのです。しかも砦を偵察した部隊の報告では、奴らは市民を虐殺せず、まとめて生け捕りにしているようです。おそらく何らかの利用価値があるのでしょう。そのため、あなた方の仲間も連れ去られ、砦へ運ばれた可能性が高い……無論、捕まったと断定するなら、ですが」

 

 レインは拳を握りしめたまま、口を閉ざしていた。

 カナデとロイクの笑顔が、霧の奥でぼんやりと浮かぶ。たしかにカナデだったらあの場から何とか逃げることもできただろう。だがロイクはそうもいかない。あの獣人の集団から逃げ切れるとは思えず、そしてカナデもロイクを放って逃げるような人間ではない。

 

「砦の倉庫区画に、かなりの人数が捕らえられている偵察報告もあります」

 

 ギルバートは言葉を繋いだ。

 

「もちろん確証はない……だが、捕らえられた者たちの中に、あなた方の仲間がいる可能性は高い」

 

 湿った薪が小さくはぜ、焚き火の火の粉が卓上をかすかに赤く染めた。

 リーンは視線を横にやり、隣のレインを見た。彼の目には迷いが張り付いている。単独ででも探しに行きたい。それでも、無謀はできない。

 

「……単独で潜入できる状況じゃないのは分かってる。でも……」

 

 かすれた声が、沈黙の中に溶けた。

 ギルバートはゆっくりと手を卓に置き、深く頭を下げる。

 

「お願いです。どちらにせよ、砦を奪還できなければ探すことすら叶わない。どうかお力を貸してほしい。奪われたものを、すべて取り戻すために」

 

 レインは拳を開き、卓の端をそっと掴んだ。

 

「……カナデとロイクを、必ず見つける。だから……」

 

 リーンは小さく息を吐き、短く言い切った。

 

「やるしかないでしょ。あたしたちがやらなきゃ、誰がやるのよ」

 

 天幕を打つ雨音は途絶えていた。

 だがその奥で、赤く揺れる焚き火の光が、二人の胸にわずかな決意を灯していた。

 

 

 

 

 

 

 森の仮設拠点には冷えた湿気と焚き火の残り香が滲んでいた。

 

 天幕の奥。隊長代行ギルバートは粗末な卓を囲む面々へ鋭い視線を走らせる。若い騎士十五名、火工班三名、衛生兵二名、工兵一名――そして潜入班の中心に立つレインとリーン。卓上には砦の改訂図面、地下水路の簡易模型、爆裂光弾や無音鋸が整然と並び、青白い水晶灯が紙上の線をくっきりと照らしていた。

 

「……奪還作戦、最終確認に入る」

 

 ギルバートの言葉に、見張り役の騎士が天幕の入口を閉じ、外光を遮る。全員の視線が卓上に集中した。

 

「まず陽動班だが、従来の火攻めはこの湿度では効果が薄い。火工班の案通り、今回は爆裂光弾を使用する。魔晶粉を高圧で圧縮した小型弾頭を矢に装填し、南門前の街道と西壁下の凹地で同時に起爆する。閃光は二十丈、衝撃音は百メートル四方に響く。煙ではなく閃光と轟音で敵の警戒線を外へ引き延ばす」

 

 火工班長が試作品の矢を卓に置いた。鉄製の矢尻には親指ほどの弾頭が装着され、表面は防湿処理された揮発封印符が巻かれている。

 

「点火は封印符を外した瞬間に始まる。封符は二重封印で湿気でも機能は落ちない。射手が照準を合わせる時間を含めても五秒以内に着弾。起爆の遅延は一秒で済む。作動不良の心配は無い」

 

 リーンが矢を受け取り、光にかざす。紫の瞳がわずかに細まり、魔力を流し封印符の揮発度を確かめる。

 

「確かに湿気でも暴発はしないわね。直視すれば目が潰れるわ。射手は?」

 

「南門に六名、西壁に六名。各自一射のみで即撤退。撤退路は川沿いの獣道――地図の緑線だ」

 

 ギルバートの指が地図の細い線をなぞると、北外壁の一点を叩く。そこには小さな赤丸が記されていた。

 

「潜入班はここ。北外壁の鉄格子だ。昨夜の偵察で青鋼の縦桟の一部が空洞化しているのを確認した。工兵が無音鋸と〈吸音の紙〉を併用して切断する。吸音の紙は金属音と振動音を三分の一に抑えられる。霧も濃いから火花も遠目には分からん」

 

 武装整備班所属の工兵が無音鋸を卓に置いた。分厚い革手袋を嵌めた両手で刃を空振りすると、背に刻まれた魔導回路が淡い紫に光り、切断音はほとんど生じない。

 

「実測では一本切断に三十秒。三本で九十秒です。吸音の紙は粉塵も吸着するので、警戒される可能性は低いはずです」

 

 レインは地図を覗き込み、顎に指を添えて口を開く。

 

「俺は鳥をテイムして上空二十丈を旋回させ、巡回兵の動きと爆裂光弾の起爆を同時に監視します。合図は鳴き声二回で格子切断開始、三回で巡回接近、四回で即時退避します」

 

 ギルバートは頷き、倉庫区画を囲む赤い破線に指を移した。

 

「格子を抜けた先は地下水路だ。幅一間半、高さは成人の腰程度、水深は膝下。三十間先で右へ折れると搬入口の真下に出る。潜入班の所要は十分を見積もる。リーン殿の霧化魔法と幻惑膜は一段階目と二段階目合わせて十二分持つ計算だが、負担が大きいから予備の魔力符を使いながら維持してくれ」

 

「問題ないわ」

 

 リーンが口元を笑みに歪める。

 

「幻惑膜は霧と重なると魔力探知にも引っかかりにくい。ただ、第三段階に入る前に残り二分で霧は切れる。そこからは白兵戦になるわよ」

 

 卓上には捕虜救出ルートの模型が置かれていた。中央通路は木箱で迷路のように封鎖されている。

 

「内部構造は旧図面と実測で食い違いがある。木箱の隙間は人は通れないが、小動物は別だ。レイン殿の獣に先行して嗅覚偵察を任せる」

 

 ギルバートは人差し指を捕虜区画に沿って滑らせた。

 

「目標は捕えられている市民の救出。砦の占領後、反抗勢力や住民の一部が倉庫区画の奥や補給隧道の仮設牢に監禁されている。これを奪還する」

 

 レインは口元に手を添えて、視線をギルバートに向ける。

 

「ネズミをテイムして追わせます。時間が足りなければ、補助の鳥で熱源を上空から探る。捕虜が確認できなければ、最奥の昇降梯子で補給隧道に移ります」

 

「梯子を下れば指令室下層だ。鉄扉の前に控室が一つ。その奥が指令室だ」

 

 ギルバートは別紙の断面図を卓上に広げる。

 

「鉄扉は粘着火薬で開口する。火工兵が三十秒で仕掛ける。起爆符は封印術師が魔力漏洩を防ぐ術式をかけてある。爆風は内部に集中し、隣室の番兵を巻き込む。だが残党が小規模に押し寄せる可能性はある。主力突入班と陽動班が外で引きつける間に制圧しろ」

 

「探知石は全員装備だ」

 

 ギルバートは小袋を配りながら続けた。

 

「味方魔力には反応しない。高位魔術だけ赤く発光する。敵が大規模術式を使う気配があれば即退避する。リーン殿の幻惑や治癒術では反応しないから安心しろ」

 

 衛生兵が薬籠を点検し、封印術師が粘着火薬の封印を確認した。

 

 潜入班はレインを含む六名。リーンは外壁上空から霧と幻惑膜を張りつつ、非常時には爆裂光弾の予備を射出して支援に入る。

 

「指令室を取ったらどうする?」

 

 レインが問う。

 

「指揮網は崩壊する。城門の獣人傭兵は指示を失い、突入班が南門から制圧する。残存兵は散発的な抵抗しかできない」

 

 ギルバートは卓に灰符丁を置き、小珠の銀光が靄の中で微かに光った。

 

「捕虜を全員確保したら、この灰符丁を倉庫屋根窓から放て。上空三十丈で銀灰の光輪が分散して二十秒漂う。霧で光は拡散するし、符丁自体も風で揺らいで軌跡を残さないから敵には位置は割れない」

 

 リーンは符丁を手に取り、魔力を流して反応を確かめる。淡い光が点滅し、すぐに沈黙した。

 

「誤作動は無し。これで合図も漏れないわね」

 

 ギルバートは胸甲を正し、深く一礼した。

 

「君たちの働きが全てだ。危険は承知の上だが、民を救い、この都市を取り戻す。共に生きて帰ろう!」

 

 レインは深呼吸し、拳を胸に当てた。

 

「……ああ。必ず成功させよう!」

 

 リーンも半歩前に出て、いたずらっぽく笑う。

 

「霧が晴れる前に戻ってきなさいよ。あたしの魔力が切れたら即撤退って約束だから」

 

 ギルバートが腕を振り上げ、短く号令を放つ。

 

「各班、配置へ! 陽動班は南と西へ分散。潜入班は北外壁の格子へ。全体の持ち時間は二十分――第三段階は九分で決めろ!」

 

 天幕が押し開かれると、白い靄の向こうに兵たちの影が動き出す。矢筒の爆裂光弾が背に揺れ、鎧の擦れる音が小太鼓のように響いた。

 レインは肩の鴉に囁き、リーンは両手に霧の魔力を集める。

 不意に微かな陽光が靄を透かし、卓上の符丁を淡く照らした。

 二人は視線を交わし、無言で頷く。霧の中へ歩を進める背に、熾火の赤い光がかすかに揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い倉庫の片隅に、かすれた呻き声が滲んだ。

 頬に汗が滲み、息も荒く浅い。カナデの隣に横たわるロイクの顔色は、まるで土気色に沈んでいる。口元から漏れる咳が痛々しく響き、縛られた手首が小刻みに震えていた。

 

「ロイクさん……頑張って……」

 

 カナデは擦り切れた縄に手首を擦りつけ、どうにかして解けないかと試すが、擦れる皮膚の痛みだけが増していく。必死に呼びかけても、ロイクの返事は微かな吐息混じりの呻き声だけだ。

 倉庫の中には他にも、床に膝を抱えて震える母子や、肩を寄せ合う若い男女の姿があった。泣きそうになる幼子の口を、母親が慌てて塞ぐ。その指の隙間から溢れる涙が、母子の頬を濡らす。

 ギラリと光る瞳が闇の奥に浮かんだ。鉄の棒を持った狼型の獣人が、一歩前に踏み出すと、低く喉を鳴らす唸り声が倉庫内を支配した。

 誰も息を呑むことしかできない。子供の喉が詰まり、小さな嗚咽が洩れかけたとき、母親の手が震えながらさらに強く口を塞ぐ。下手に声を上げれば、その瞬間に殴りつけられるのだと、ここにいる誰もが知っていた。

 冷たい石床が背中にしみる。カナデは伏せた猫耳をぴくりと震わせ、しなやかな尻尾を自分の腰に絡めて小さく丸くなる。

 

(――レイン……リーン……どこにいるの。無事だって信じてる……信じてるけど……)

 

 脳裏に浮かぶのは、崖から落ちていったレインと、それに引っ張られるように落ちていったリーンの姿。何度も何度も、その光景が胸を抉るように蘇る。自分だけが捕まって、動けないでいることが悔しくて、喉奥から小さく唸り声が漏れた。

 

 レインなら、絶対に生きている。リーンも絶対に。

 信じたい、信じなきゃ、心が折れてしまう。

 誰も泣けない倉庫の片隅で、カナデは自分を必死に奮い立たせていた。

 

 ギィ……。

 

 そのとき、重い鉄扉が鈍く軋む音を立てた。湿気を含んだ空気に、獣の匂いが混ざる。見張りの奥から、影が四つ、五つ――狼の牙をむき出しにした獣人たちがぞろりと入ってきた。

 先頭の獣人は、冷たく光る黄瞳をカナデに向け、獰猛な牙を見せつけながら低い声で言った。

 

「来い。首領がお呼びだ」

 

 床に這いつくばるロイクをかばうように、カナデは尻尾を床に叩きつけて立ち上がろうとした。細い手首はまだ縄で縛られたままだが、獣の瞳を真っ直ぐ睨み返す。

 だがすぐに別の獣人が足音もなく回り込み、鈍く光る刃をロイクの首元に突きつけた。ロイクは小さく呻き、咳の合間に喉がひゅうっと鳴る。

 カナデの鮮やかな緑の瞳がわずかに揺らいだ。

 

「やめて!!」

 

「ならば大人しく従え、猫霊族の娘よ」

 

 獣人の手首の筋肉が締まり、刃先がロイクの皮膚をかすめる。血の気が引くのを感じながら、カナデは唇を噛んだ。小さく鼻先が震え、尻尾の先が床を打つ。

 奥歯を噛みしめ、無言で小さく頷くと、膝をつきながらゆっくりと立ち上がった。背後では母子の怯えた瞳が、祈るようにカナデを見ていた。だが誰も声をかけられない。泣き声すら許されない――ここは、絶望を呑み込む檻だ。

 冷たい鉄扉が再び重く軋む。獣人たちはカナデを中心に無言で取り囲むと、鋭い爪の先で縄を無造作に切った。手首に食い込んだ痕が赤く滲む。

 

「さっさと歩け」

 

 背中を押された瞬間、カナデは小さく尻尾を揺らし、誰にも見えないように口の中で呟いた。

 母子のすすり泣きすら響かない倉庫の空気を背に、カナデは振り返らずに薄暗い通路へと連れ去られていった。

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