勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い 作:海原凛
砦塞都市・中央区画。指令室下層の昇降梯子を駆け上がったレインたちは、火薬と血の臭いが混じる霧煙の廊下へと飛び出した。石壁には焦げが走り、床には割れた器具と砕けた防壁の残骸が散らばっている。
背後では、市民を護衛しながら後退する騎士たちの足音と、短く命令を飛ばす声がこだましていた。
「ギルバートさん!」
「レイン殿! そちらは上手くいったようだな!」
応じた声の主は、廊下の奥で部隊を指揮していたギルバートだった。黒く煤けた鎧を纏い、顔には土埃が浮かぶ。その周囲では火工班が爆裂光弾を調整し、衛生兵が傷者の搬送準備を整えている。光符が次々に掲げられ、淡い魔光が非常灯のように空間を照らしていた。
「よし、合図通りだ! カサンドラ、爆裂光弾は蝶番に集中しろ! レオリス、シグルドは突入後すぐ左へ、控室の制圧を頼む! レイン殿たちは援護を!」
「了解!」
仲間たちが即座に動き出す。リーンは爆破予定の扉の前に立ち、霧の中に残る魔力を読み取るように指先をかざした。瞳に浮かぶ光が、霧に淡く反射する。
「……罠は無いみたいね。吹っ飛ばして構わないわ」
「了解。三、二、一――起爆」
レインの合図と同時に、炸裂音が廊下を貫いた。火花と衝撃が巻き上がり、鉄の扉が爆風に押し潰されるように内側へ弾け飛ぶ。煙と魔力の霧が一瞬にして吸い込まれ、崩れた扉の奥が露わになった。
そこに広がっていたのは、かつて騎士団の中枢だった指令室。
だが、空気は濁り、床は血に染み、壁には斬り裂かれた地図と焼け焦げた帳簿。玉座は背もたれをへし折られ、誰も座っていない。
そこに、バルガの姿は――なかった。
騎士たちが銃剣を構え、左右に展開していく。だが、敵の気配は一切ない。
「敵影なし!」
叫びが上がり、静けさが反響した。
「……いない、だと……?」
ギルバートが眉をひそめ、剣をわずかに傾けたまま辺りを睨めつけた。焦げと硝煙の残り香の中、確かに何者かがいた痕跡はある――だが、もう遅い。
「逃げた……!」
声を上げたのはカナデだった。指令室の奥、割れた窓が開け放たれている。その隙間から流れ込む風に、彼女は敏感に反応した。
「この匂い……獣の臭いが残ってる。この風、砦の裏手……あいつ、こっちから逃げてる!」
緑の瞳が獲物を見据えた瞬間、彼女の身体が地を蹴った。爆破で崩れかけた床を一足で飛び越え、軽やかに柱を蹴って方向を変える。尻尾が鋭く翻り、影のように階段へと駆け出した。
「待て、カナデ! 一人で行くな!」
レインの声が響いたが、彼女は振り向かず、ただ一言だけ返した。
「私なら追いつける!」
足音が遠ざかり、火花が石壁に散る。カナデの姿は闇に紛れ、気配すら残さず消えた。
レインはその背を見つめながら、唇を噛んだ。彼女の直感と足の速さは信じている。だが――
「……一人で追わせるのはまずい!」
「行くわよ、あたしたちも!」
リーンが叫び、煙に包まれた通路を踏み出す。その目は決して怯えていなかった。レインがすぐに彼女の横に並び、二人はカナデの後を追って走り出した。
◇
まだ騒がしさの残る街路を、カナデは風のように駆け抜けた。
鼻先に残る獣の匂い。血と汗、そして雷を纏うような荒々しい気配が、風に溶けて後を引いている。
高い屋根の上に飛び乗り、塀を伝い、瓦の割れた屋根を滑り抜けていく。路地の角を踏みしめて壁を蹴れば、弧を描くように跳躍し、物見櫓の影を飛び越えた。
肉球を備えた足裏は音を立てず、視界に映る障害物すら、あたかも風景の一部のように踏み越えていく。カナデの身体は今や、都市そのものを遊ぶ狩場に変えていた。
(……まだ、近い)
目を細めると、砦の外壁に沿うように伸びた細道の先に、大きな影が走っているのが見えた。爪を使って石畳を滑り止めにしながら、カナデは勢いを緩めず一気に距離を詰める。
やがて砦の裏門が見えた。周囲の街灯が一つもなく、暗がりに包まれた場所。門前には広場のような開けた空間があり、その中央――
バルガがいた。
肩で荒く息を吐きながら、巨大な腕で扉を押し開けようとしていた。まだ完全には脱出していない。
カナデの緑の瞳が鋭く光る。
(今なら、間に合う――!)
塀の上から音もなく飛び降り、着地の反動を使って加速する。黒い影が、広場の中を一直線に駆け抜けた。
そして。
「……追いついてくるとは思わなかったニャ」
バルガが、背後に走る気配に気づき、振り返った。
カナデとの距離は十歩もない。バルガが振り返ると、その金緑色の瞳がぎらついた。
「砦を取り戻したのは……やっぱり貴様らの仕業かニャ。ちっ、ただの騎士どもじゃ説明がつかないと思ったニャ」
カナデは一歩、前へ出た。牙を剥くような視線を逸らさずに。
「騎士団も最後まで諦めなかった。でも、ここまで来れたのは――私の仲間がいたから」
「仲間? ふん……他の猫霊族でも引き連れてきたのかニャ?」
バルガはあざけるように唇を吊り上げた。
「違うよ」
カナデの瞳が、真っ直ぐにバルガを射抜いた。
「私の仲間は――人間。ビーストテイマーと魔法使い」
その言葉に、バルガの表情がわずかに歪んだ。
「ニャに……人間に縋るニャ? それが答えか……やっぱり貴様、異常な獣人だニャ」
「……たしかにそうかもしれない。私は猫霊族なのに、人間に近づいた。同族から見れば酔狂だって、馬鹿だって、言われるかも。でも……」
カナデは唇を噛み、声を震わせた。
「それでも……あの人たちは私を見捨てなかった! 関係なんて浅かった……出会って日も、ほとんどなかった。それでも、レインは……!」
喉が詰まり、言葉が途切れる。だがその瞳は、微塵も揺らいでいなかった。
「レインは私を探して、命を懸けて、助けに来てくれた。リーンだってそう……あんなに危ないのに、私を信じて、一緒に戦うって……あたたかくて、苦しくて……それでも、この気持ちが本当だったって――やっと信じられた!」
その想いの奔流が、声に乗って夜に響いた。
「私は、あの人たちの仲間でいたい! どんな過去があっても、どれだけ心細くても……私のことを信じてくれたあの二人に、今度は私が応えたい!」
バルガはくつくつと喉を鳴らし、低く笑った。
「ははっ……ニャーハハ! なるほどニャ、良い夜鳴きだニャ。信じた者に縋って、涙目で言い訳とは……やっぱり猫霊族は甘いニャ!」
金緑の瞳が嗜虐に輝き、バルガは自らの鋭い爪を立てて威嚇する。
「なら、その“人間たち”と一緒にくたばるといいニャ! まとめて喰らって、貴様の信じたもんがどれだけ脆いか――その最期で味わわせてやるニャ!!」
カナデは強く拳を握り、獣のように低く息を吐いた。
「絶対に、負けない……信じた相手を、信じ返すって、そう決めたから……!」
その背後――風が割けるように空気が揺れ、レインとリーンが現れる。
「カナデ!」
「まったく……こんなところまで勝手に来て、ほんと手間かけさせるんだから!」
紫の髪とその外套が風で揺れ、リーンの指先に魔力が集束する。
三人の影がバルガを包囲した。
「貴様らか……俺の《漆黒の牙》を壊滅させたのは……!」
怒気を孕んだ低い咆哮が、広場に響き渡る。金緑色の双眸が、レインたち三人を射抜くように睨みつけた。
「ああ。悪いが――お前たちは、ここで終わりだ」
レインが静かに応じた瞬間、バルガが地を蹴った。
「温いニャ!!」
咆哮とともに放たれた爪が、雷を引いて弧を描く。その閃光は槍のようにレインを貫こうとしたが、彼は寸前で身を翻し、かろうじて避ける。
「っ……魔法、だと……?」
レインが目を見開き、後方へ跳び退る。
カナデも息を呑んだ。
「まさか……山猫族が……魔法を!?」
本来、猫霊族と同じく山猫人族も魔法には適性がないはず。それが今、バルガの爪先にははっきりと雷が纏われている。
「たかが三匹……その程度で、この俺に勝てると思ってると思うてニャ!」
「ふん、たかが一匹のくせに、ずいぶん大口叩くじゃない」
リーンが呆れたように吐き捨て、杖を構える。紫の髪が風をはらみ、指先に集う魔力が周囲の空気を震わせた。
次の瞬間、裏門の扉に淡い光が走り、結界が形成される。
「逃がす気なんて、最初からないから。ここで終わらせる……!」
リーンの横で、カナデが拳を構えた。
「……この三人で、あんたを止める!」
「ニャんだ貴様らは……! いいだろう! まとめて地獄に送ってくれるニャ!!」
バルガの両腕に雷が集束する。耳をつんざくような音とともに、空気が焼け焦げる。
雷獣の咆哮が、ついに牙を剥いた。
バルガの両腕にまとった雷が、獣の咆哮のように空気を震わせる。
「まとめて引き裂いてやるニャ!!」
吠えるような叫びとともに、バルガが跳んだ。四肢を地につけ、獣のような姿勢から一気に跳躍する。
「来るッ――!」
レインの声と同時に、雷を纏った巨体が地面を割る勢いで突っ込んでくる。その軌道を見切ったレインは即座にカナデの肩を押し、横へ飛び退いた。
次の瞬間、雷の突進が三人の立っていた地面をえぐり、石畳が爆ぜる。
「くっ……なんて威力……!」
リーンが顔をしかめ、後方に距離を取る。杖の先端にはすでに複数の魔法陣が重なっていた。
「雷と肉体強化の複合魔法……それも自然発動……!?」
だが、ためらいはなかった。彼女はレインの背を見て、すぐに口元を歪めて笑う。
「やりがいあるじゃない……! あたしの魔法、ちゃんと受け取ってよね!」
リーンが詠唱を一節、紡ぐ。魔力が凝縮し、彼女の指先から霧のような光が噴き出した。
「《導魔結界》、展開!」
空気がきしみ、バルガの周囲に青白い結界が広がる。それは魔力の流れを一時的に固定し、発動タイミングをズラす干渉結界だ。
「いける……!」
レインが短く頷くと同時に、鴉が一羽、彼の肩から跳び立った。次の瞬間、彼の意識は鴉と同化する。
空中からの視界で、バルガの動きがまるでスローモーションのように解像される。
(……右足、次の重心が甘い。あそこに崩れが出る……!)
レインは跳び出した。
鴉の視界を利用し、数歩先を読み切った動きで地を駆ける。
その隙を逃すまいと、カナデが宙に跳ぶ。
「こっち見なよ、雷ネコ!!」
軽やかな身体がバルガの頭上に達し、空中で鋭くひねる。爪先に重心を移し、垂直に降りるようにして踵をバルガの肩へ叩き込む。
衝撃でバルガの動きがわずかに止まり、そこに――
「もらった……!」
レインの拳が腹部に突き刺さる。だが直後、雷が逆流するように弾け、レインは反射的に飛び退いた。
「……っぐ……!」
衣服が焦げ、腕が軽く痺れる。それでも構わず、レインは叫ぶ。
「今だ、リーン!」
「言われなくてもっ!」
リーンが両手を掲げ、魔法陣を重ねる。
「《雷封の檻》――鎖雷!」
複数の光鎖が地面から這い上がり、バルガの四肢を縛るように絡みつく。
「ニャアアアアアアアア!!」
バルガが咆哮し、雷の嵐が巻き起こる。
「耐えて! 今、結界が……!」
だが――
その瞬間、リーンの魔法陣が一つ、砕けた。
「なっ……魔力、上書きされた!?」
その叫びと同時に、バルガの身体から異様な魔力が溢れ出す。
結界が音を立てて弾け、雷が暴走する。
空気が焼け、地が震える。耳をつんざくような咆哮が、夜の空気を貫いた。
「もうひと暴れ、してやるニャ……!!」
雷が奔り、地が軋んだ。
バルガの周囲には紫電が渦巻き、まるで雷雲の核が地に降りたかのような異様な気配が満ちていた。
レインは後退しながら、眉をひそめる。
「……おかしい。魔法の精度も、出力も……完全に人間の上位魔法に匹敵する」
バルガがただの山猫人族であるなら、そもそも魔力の回路すら持たないはず。自然発動で雷を操れるなど、本来ありえない。
リーンも汗を滲ませながら呻いた。
「ありえないわ……魔力の流れが、まるで人間の術士並みに整ってる……! あたしですら、このレベルの魔力制御は安定に時間がかかるのに……!」
バルガは牙を見せて笑った。
「驚いたかニャ? そうニャ……この力こそ、俺が檻を喰い破った証ニャ……!」
「力を増幅する装備か……!?」
レインがそう呟くが、即座に首を振った。
「……いや、違う。魔力の起点が、体内から直接生まれてる。魔石や魔具なら、外部に痕跡が出るはずだ……」
そのときだった。
カナデの瞳が一瞬、鋭く細められた。
――何かが、おかしい。