勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い 作:海原凛
カナデは静かに鼻を利かせ、地に指を這わせた。
焦げた石の匂いに混じり、わずかに――異質な魔力の残滓が漂っている。
「……これ……」
肩がぴくりと震えた。
(この匂い……知ってる……! 前に、一度だけ――!)
レインと出会う前。ひとり旅の途中、誰も寄りつかない廃寺の奥深くで、確かに一度だけ感じたことがあった。
それは生き物のものではない、異質な“何か”から発せられた魔力の臭い。
「レイン! この魔力、バルガのものじゃない!」
鋭く振り向いたカナデの声に、レインの目が見開かれる。
「どういうことだ?」
「装備や術式じゃない。外でも中でもないのに、バルガの動きと連動して……もうひとつ、“何か”が反応してる!」
カナデの爪が地を掻いた。
「誰かが、いるんだよ。バルガの中に……あるいは、重なってる!」
「……憑依? いや、寄生型……それとも……」
リーンが低く呟き、魔力を精査するように眉を寄せる。
やがて、その瞳が細められた。
「……わかった。これ、魔石よ。バルガの体内に埋め込まれてる」
「魔石……!」
レインの声が硬くなる。
「魔族が使う、魔力を増幅するための……でも、これは普通のものじゃない。ただ埋め込まれてるんじゃないわ。完全に同化してる。バルガ自身の魔力として機能してるの!」
「つまり、雷の力はバルガ本来のものじゃない……!」
リーンの言葉に、カナデがはっと息を呑んだ。
魔法の扱えないはずの山猫族が、雷を自在に操る理由。猫霊族すら凌駕する力で《漆黒の牙》を率いる異常性――すべてが繋がる。
「……場所は?」
レインの問いに、リーンが即答する。
「胸部の内側。心臓の近く……あの胴鎧の奥にある」
視線の先、バルガの上半身を覆う金属製の魔導装甲。その表面には雷耐性の術式が幾重にも刻まれ、単なる防具ではないことを主張していた。
「つまり、あの鎧を破らなければ、魔石に手が届かないってことか……!」
「でも、正面からじゃ無理だよ! 雷の結界があるし、近づくだけで焼かれる!」
カナデが声を上げる。接近戦を得意とする彼女にとって、鎧と雷は致命的な障壁だった。
そんな彼らを見下ろすように、バルガが嘲るように雷を纏い直す。
皮肉めいた笑みと共に、身体の周囲で電光が脈動を始めた。
「ニャーッハッハ! わかっても無駄ニャ! この鎧は、貴様らの小細工じゃ傷一つつかんニャ! この魔石がある限り、俺は雷そのものだニャ!!」
雷鳴と共に、地面が砕けた。
カナデは悔しげに唇を噛む。
「どうすれば……私の一撃でも鎧には届かない……でも、魔石を壊さないと、バルガはずっと……!」
レインは一瞬、目を閉じて思考を走らせた。
(鎧が防いでる。正面からの攻撃は無意味。だが……)
「……弱点が見えてるのに、手が届かない。なら――」
レインはふっと口元を緩める。
「回り込むんだ。物理的にも、戦術的にも、やり方はある」
「は? 何か策でもあんの?」
リーンが訝しげに訊くと、レインは頷いた。
「カナデ。あの鎧、前面は完璧でも……背面、特に背中の接合部はどう見ても補強が甘い。重装甲は必ず“可動域”に隙がある」
カナデの瞳が一瞬で輝きを取り戻す。
「背中の合わせ目……! そこから魔石に直接打ち込めるかも……!」
「でも、それには一瞬で背後に回り込んで、一点に狙いを定めて――」
「できる。私がやる!」
即答だった。
レインは頷く。
「リーン、あいつの注意を引いてくれ。できるだけ正面に引きつけて」
「まったく……雑用ばっかり回してきて……でも、いいわ。やってやる!」
紫の魔力が杖の先で渦を巻く。
「カナデ、任せるぞ」
「うん!」
カナデの瞳に、再び狩人の光が宿った。
月光の下、雷が唸りを上げる。
その影に、三人の反撃が始まる気配が、確かに蠢いていた――。
雷の嵐が再びバルガの身体を包んだ。全身を覆う黒鉄の鎧が唸りを上げ、継ぎ目から滲み出た紫がかった魔力が脈打つように明滅する。その光は生き物の鼓動のように、不気味なリズムで明暗を繰り返していた。
「さあ、来るニャ……次の一撃で、誰から潰してやるかニャ……!」
バルガが唇を裂けるほどに吊り上げて嗤う。獣じみた笑みと共に、雷を纏った腕が天を仰ぎ、空気がびりびりと震える。
だが、その魔力の圧にひるむことなく、リーンが地を蹴って一歩前へ。
「じゃあ、まずはあたしからいってあげるわよ。感謝しなさい!」
瞬間、彼女の杖の先端が淡く光り、雷撃ではなく閃光を孕んだ球体を放つ。《幻光爆弾》――爆ぜた光と熱、そして視覚と魔力をかき乱す特殊な閃光がバルガの目に焼きつくように炸裂した。
「目潰しか……小癪な!」
唸りながらバルガが腕を振るう。雷が霧のように迸り、幻惑の残滓をかき消す。だが――その一瞬の視界の喪失の間に、リーンは素早く地を滑るように数歩詰めていた。
「《氷縛弾》ッ!」
足元から青白い魔方陣が浮かび上がり、氷がバルガの足元に走る。冷気が大地を包み込み、黒鉄の脚を瞬間的に凍りつかせた。
「なっ……!」
身体を引き剥がそうとバルガがうなるが、その拘束が解けるより早く、レインが低く指を鳴らす。
「今だ、カナデ!」
塀の上、闇に溶けていたカナデがぴくりと耳を揺らし、即座に跳ねた。屋根から屋根へ、塀から柱へ、まるで重力を無視するかのように、風のような静けさで駆ける。彼女の緑の瞳が鋭く細まり、空中を裂いて放たれた視線が、バルガの背へと突き刺さる。
(見えた……背中の合わせ目!)
鎧の肩甲骨中央、縦に走る継ぎ目――そこに収まる魔石が、魔力の脈動に合わせて一瞬だけ顔を覗かせる瞬間を、彼女の目は逃さなかった。
「……これで、終わりにするッ!!」
カナデが空中で身体をひねり、全身の筋力を螺旋のように回転力へ変換しながら拳を突き出す。その拳は狙いすました一点――バルガの魔石へ一直線に迫った。
――しかし。
「……硬っ!?」
鈍く詰まった衝突音。カナデの拳がわずかに逸れ、衝撃が腕に響いた。寸前、バルガが肩をひねって回避したのだ。反射神経と本能の力。だがそれは、カナデの肉体の強さにも勝る力だった。
「惜しかったニャあああッ!」
振り上げたバルガの肘が鋼の塊のように唸り、カナデの腹部に叩き込まれる。その一撃は岩をも砕く重みを持ち、彼女の身体が屋根を転がるように吹き飛んだ。
瓦が砕け、木材が軋む。落下するカナデの身体――地面に激突する寸前、銀の閃きが走った。
「間に合えっ!」
レインが跳び込む。その腕がカナデを受け止め、衝撃に膝を折りながらも体を捻って庇う。バルガの雷撃が間髪入れずに飛んだが、その軌道はすでにレインの観察の網に捉えられていた。
土煙が舞い、爆風が巻き起こる中、レインの背がそれを全て受けてなお、崩れることはなかった。
「……ごめん、失敗したにゃ」
カナデが悔しそうに呟く。拳を握る手が、わずかに震えていた。
「いいんだ。もう一度いける。今度は俺が援護する」
レインの声は優しかったが、揺るぎなかった。カナデの瞳が見開かれ、そしてそっと頷く。
「任せて。今度こそ……絶対に、仕留めるッ!」
レインが再び指を鳴らす。その背後、影の中から無数の使役獣たちが現れる。鳥型、獣型、虫型――それぞれが戦場に散開し、バルガの周囲を取り囲んだ。撹乱と妨害。その意図をカナデは即座に理解する。
呼吸一つ。
風を切る音と共に、再び宙へ跳ぶ。
今度は真っ直ぐではない。壁を蹴り、屋根を滑り、障害物を利用して軌道をねじ曲げる。バルガの死角に潜り込むように、彼女は低く、速く、鋭く迫った。
レインの使役獣たちが一斉に吠え、羽ばたき、牙を向ける。その一瞬、バルガの視線が前方に集中した。
――背中が、空いた。
「そこにゃあああッ!!」
カナデの身体が宙で回転し、拳を握った爪先を魔石へと一直線に叩き込む。渾身の一撃。レインの観察と計算、そして仲間の連携によって導き出された、ほんの一瞬の隙を逃さなかった。
――鈍い音。
甲高い破砕音。
魔石が砕け、紫電が奔る。
「な、に……が、起こ……」
呻いたバルガの身体が、内側から裂けるように光を放つ。制御を失った雷の魔力が暴走し、周囲の大地すらも砕く勢いで暴れだす。
「ニャ! ニャ!? ニャアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
断末魔の咆哮と共に、バルガの巨体が雷と化し、嵐の中心で四散した。空気を震わせる爆音と閃光。そして、戦場に静寂が訪れる――。
◇
雷の嵐が消えた。
まるで息を潜めるように、大地が静まり返る。焦げた匂いと立ち上る煙の中、夜の空がようやく本来の暗さを取り戻していく。
瓦礫の上、レインはカナデを抱えたまま、しばらく動かなかった。彼の肩で意識を取り戻したカナデが、かすかに呻く。
「……レイン……あたし……やれた、よね?」
その声は、どこか不安げだった。力を振り絞った一撃が、本当に届いたのか、自信が持てなかったのだろう。
だが、レインは頷いた。
「ああ。お前のおかげで、終わったよ」
その言葉に、カナデの瞳がふるふると揺れた。湧き上がる安堵と誇らしさ、そして、ようやく掴んだ“役に立てた”という感覚に、小さく笑みを浮かべた。
「ふふ……にゃは……よかった」
そのまま、レインの胸元に顔を預け、全身の力を抜いた。
――遅れて、足音が響く。
瓦礫を踏み越え、リーンが姿を現した。炎の光に照らされたその頬は、すすで汚れながらもどこか誇らしげだった。
「ふーん。あんたたち、やるじゃない。ギリギリでカナデが外さなかったのは奇跡ね」
そう言いながら、彼女はレインの横に腰を下ろす。
レインが苦笑した。
「その奇跡を支えてくれたのは、間違いなくお前の魔法だよ」
「別に。あたしがいなきゃどうせ失敗してたんだから……当然でしょ」
視線をそらしながらも、その頬は赤らんでいた。
しばらく、三人の間に沈黙が流れた。
夜風が吹き、戦いの残滓をなぞるように瓦礫をかすめる。その風の中に、疲労と安心が溶け合っていた。
――そして、レインがそっと呟く。
「……みんな、無事でよかった」
その言葉に、リーンはちらりと視線を送る。気の抜けたような笑顔を浮かべる彼に、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ。
「……ほんっと、お人好し。あんたが無事かどうかは、考えてないわけ?」
レインはふっと目を細める。
「俺が生きてる意味は、誰かの役に立てたかどうかだから」
「……は?」
リーンの眉がぴくりと跳ねた。
そのやり取りを、レインの胸に寄りかかったまま聞いていたカナデが、ぽつりと呟く。
「そういうとこ……好きだにゃ……」
「なっ――!? なに急に寝言言ってんのよ、この猫!」
「にゃ……うるさいにゃ……」
リーンが真っ赤になって叫ぶのをよそに、カナデはゆっくりとレインの胸から身体を起こした。
そして、ぽつりと呟くように言った。
「……私ね、最初は借りを返すだけのつもりだった。食べ物もらって、助けられて……だから手伝ってただけ。まあ、契約のこととかで、不安なこともあったけど」
夜風が、彼女の長い尻尾を揺らす。
「でも今日、本気で命張って、レインが私を受け止めてくれて……リーンも、私を信じて魔法撃ってくれて……」
瞳が揺れていた。
「その時、思ったの。私、ここにいていいんだって。レインたちの中に、居ていいって」
拳をそっと握る。
「だから……あの……」
言葉に詰まりながら、それでもしっかりと前を見据えた。
「私ね、レインとリーンと、もっと仲良くなりたい。……ううん、違う。私も……本当の仲間になりたいにゃ!」
最後の語尾が緩んだのは、気が抜けたからか、照れくささのせいか。
レインが一瞬目を丸くして、それから優しく笑った。
「とっくに、俺たちの仲間だと思ってた」
「……っ!」
カナデの瞳が一気に潤む。次の瞬間、彼女は勢いよくレインに飛びついた。
「レイン、大好きにゃ……!」
「わっ……!」
抱きつかれてよろけるレイン。リーンがため息混じりに呟いた。
「まったく……バカが二人に増えたわね」
けれど、その顔には微笑みが浮かんでいた。
こうして、猫霊族の少女・カナデは、改めてレインたちの“仲間”となった。