勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い   作:海原凛

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第14話 余光

 夜が明けていた。

 砦塞都市の広場に、静かな朝の光が差し込んでいた。瓦礫と焦げ跡が残る石畳を、柔らかな陽光がそっと包み込む。雷光と咆哮が駆け抜けたあの戦場には、今は鳥のさえずりさえ聞こえ、澄んだ空気が肌に冷たく心地よい。喧騒と恐怖に満ちていた夜は、確かに過ぎ去ったのだ。

 レインは広場の一角、崩れかけた石柱の陰に腰を下ろしていた。銀髪の毛先はすすけて黒ずみ、肩の外套には焦げ跡がくっきりと残っている。それでも、腕の中に抱える温もりは、確かな安堵を伝えていた。

 カナデが静かに身を預けている。彼女の猫耳はぴくりと動き、巻きつけた尻尾がレインの腰をゆっくりと撫でる。鼓動と呼吸が穏やかに重なり、互いの存在を確かめ合っていた。

 少し離れた場所で、リーンが杖を支えに立ち尽くしていた。紫の髪は朝の光に照らされ、戦いの熱が去った後の静けさが、その輪郭を柔らかく浮かび上がらせていた。

 

「……終わったのよね、これで」

 

 呟くようなその声は、誰に向けられたものでもなかった。けれど、レインはしっかりと頷いた。

 

「ああ。もう、大丈夫だ」

 

 カナデがゆっくりと目を開けた。緑の瞳がまっすぐにレインを見上げ、疲れた笑みがこぼれる。

 

「ちゃんと……守れたんだよね、私たち」

 

「守ったんじゃない。お前が、守ったんだよ」

 

 その言葉に、カナデの瞳がまた潤んだ。唇が小さく震え、けれど笑顔はそのままだった。

 リーンはその様子を横目で見て、わざとらしく鼻を鳴らした。

 

「はいはい、感動の抱擁はもうお腹いっぱい。いい加減、後片付けくらい手伝いなさいよね、レイン」

 

「そう言うと思った」

 

 レインは苦笑しながら立ち上がり、カナデの手をそっと引いた。彼女もゆっくりと身を起こし、傷ついた膝を庇うようにして尻尾を揺らす。小さな動作に、まだ戦いの余波が残っているのを感じさせた。

 

「ロイクさんや、他の人たちは……?」

 

 カナデの問いかけに、リーンが肩をすくめて答える。

 

「無事よ。ギルバートたちが運び出してた。衛生班がすぐに処置してくれるって」

 

「……よかった」

 

 レインの声が、深く安堵の色を帯びた。その瞬間、彼の中で張りつめていたものが、少しだけ緩んでいく。

 そのとき、広場を見下ろす砦の高台から、血と煤にまみれた騎士の姿が現れた。隊長代行ギルバート。彼の鎧の隙間からは、応急処置の包帯が覗いていたが、その瞳は揺るぎなく光を宿していた。

 

「レイン殿、リーン殿、そしてカナデ殿……」

 

 彼は静かに一礼し、声を張り上げた。

 

「この砦塞都市は、再び人の手に戻りました。すべて、あなた方の力あってのことです……本当に、ありがとう」

 

 レインは少しだけ目を伏せ、首を横に振った。

 

「俺たちは……仲間を迎えに来ただけです。守りたかったから、戦った。それだけです」

 

 リーンがそっぽを向きながらも、ぼそりと呟く。

 

「まあ、あんたらだけに任せてたら全滅だったかもね」

 

「リーン……」

 

「なによ。事実でしょ。……でも、悪くないわよ。たまには、こんな戦いも」

 

 その言葉の裏にあるもの――恐怖や孤独、そして確かな達成感。それを、レインもカナデも、理解していた。

 三人は肩を並べ、崩れた瓦礫を踏み越えていく。その先にあるのは、まだ傷跡の残る指令室の裏道。朝の光に照らされながら、倉庫区画へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 倉庫前には、すでに騎士団と衛生兵たちが集まり、負傷者の手当てが始まっていた。

 煙の残り香が漂う中、崩れた木箱の上に白布をかけた台が設けられ、その上にロイクが座っている。額には血のにじむ包帯。隣では、幼い娘を抱えた母親が不安げな顔で彼に寄り添っていた。

 

「ロイクさん!」

 

 カナデの声が弾むように響くと、ロイクははっと顔を上げた。やつれた頬に刻まれた皺が、微かに動く。

 

「……おお! 皆様、ご無事だったか……」

 

 その言葉を聞いた途端、カナデは駆け寄って彼の肩に身を預けた。彼女の腕は細く震えていたが、その中に確かな安堵が宿っていた。

 

「よかった……ほんとに無事で……!」

 

 カナデの目尻に滲んだ涙を、ロイクは苦笑まじりに手の甲でそっと拭った。

 

「皆様のおかげで、我々は……救われました」

 

 その言葉に、レインがロイクの傍らに立ち、静かに頭を下げる。

 

「……助けられたのは、騎士団の皆さんと、カナデの勇気があったからです。俺たちはただ――間に合っただけです」

 

 優しい声だった。だがその瞳には、ひとりひとりを救えなかったことへの悔いが、かすかに浮かんでいた。

 ロイクは静かに頷き、礼を言う代わりのように、そっと右手を差し出した。

 

「それでも……ありがとう。皆様がいてくれて、本当によかった」

 

 レインもまた、その手をしっかりと握り返す。ふと、カナデが笑った。

 

「もう……かっこつけすぎだよ、レイン」

 

「そうか?」

 

 レインが少し照れたように笑い返し、三人の間にささやかな笑顔が広がった。

 そのとき、倉庫の奥から母親に手を引かれた少女が現れ、レインたちの方を見上げた。

 

「ママ、あの人たちが助けてくれたの?」

 

 母親は涙を含んだ笑顔で小さく頷き、深々と頭を下げる。

 

「はい……そうよ。あの人たちが……全部、終わらせてくれたの」

 

 少女はそっとレインに手を振った。レインは片手を軽く上げて返すと、また一つ深く息を吐いた。

 その様子を少し離れた場所で見ていたリーンは、わずかに視線を逸らした。

 

「……べつに。やれることやっただけよ」

 

 そう呟いた声は、普段の皮肉さとは裏腹に、どこか柔らかく、そして――沈んでいた。

 彼女の視線の先には、倉庫の壁際に並べられた亡骸があった。

 白布をかけられ、無言で横たわる人々。大人も、子供もいる。顔の形がわかる者もいれば、布越しに胸元の膨らみだけが人の形を保っていた者もいた。

 リーンはゆっくりと歩み寄り、一つの亡骸の前で足を止めた。白布の下から、小さな足がのぞいている。その足首には、子供用の小さな靴が片方だけ残されていた。

 並べられた亡骸の前で、リーンは足を止めていた。

 風に揺れる白布が、一瞬だけめくれ、顔の輪郭を見せかけては、また沈黙の中へ戻っていく。

 助かった者もいる。救い出せた命も確かにあった。

 けれど、それでも――

 助けられなかった命も、ここにある。

 

(……全部、救えたらよかったのに)

 

 そう思ってしまうのは、傲慢なのかもしれない。現実を知らなかった子供の感傷かもしれない。

 でも、そう願ってしまうのが自分なのだ。力を持ち、戦場に立つ者として、その感情を切り捨ててしまえば――たぶん、二度と立ち直れなくなる。

 だからこそ、彼女は自分に言い聞かせた。

 

(……助かった者もいれば、助からなかった者もいる。それが現実)

 

 目を閉じ、息を吸う。

 

(だからといって、必要以上に気に病む必要はない。あたしたちは、できる限りのことをやった。――それは、嘘じゃない)

 

 言い訳ではない。正当化でもない。ただ、あの日、ここで起きたことのすべてを、自分の目と心で見た。その上で――

 

(でも、この事実は、しかと受け止めなきゃならない)

 

 逃げない。忘れない。背負うのでも、背けるのでもなく、ただ――受け止める。

 それが、戦った者としての責任。

 足元の亡骸に、リーンは静かに魔力を流す。布の上に、仄かに輝く小さな花がひとつ、咲いた。

 誰のためでもない、彼女なりの祈りだった。

 その背を、そっとレインが遠くから見つめていた。声はかけない。ただ、そこに立ち、彼女がひとりにならないようにと静かに見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 砦塞都市の中央広場――かつて戦火に焼かれ、今は復旧の兆しと共に仮設された白布の天幕が、その中心に据えられていた。

 焼け焦げた石畳には修復の手が入り、倒壊した建物の残骸が徐々に片づけられつつある。かつての騎士団の指令室に代わる臨時の拠点には、次々と物資と人員が集まり、混乱の中にも秩序が戻りつつあった。

 天幕の奥、粗末ながら清潔に整えられた卓を挟んで、レインたち三人と、騎士団隊長ギルバートが向かい合っていた。

 昼を越えた陽光が、布の隙間から斜めに差し込む。乾いた光が戦後の空気に一筋の静寂をもたらし、まるでこの瞬間だけは、争いのない別の時間が流れているようだった。

 

「……改めて、あなた方の協力に感謝を」

 

 ギルバートの声は低く、だが澄んでいた。戦闘と指揮の重圧が声に滲んではいたが、その言葉には礼節と、何よりも揺るぎない敬意が込められていた。

 

「討伐が確認された獣人は、首領バルガを含めて百五十三体。そのうち十五体は戦闘不能の状態で捕縛。残る残党も、先ほどすべて掃討が完了しました」

 

 彼の指が、卓上に広げられた羊皮紙をなぞる。その地図には、都市区画ごとの被害状況と制圧済みの印が緻密に記されていた。赤い印は消え、青の光点が代わって希望の兆しを灯していた。

 レインは静かに頷き、肩越しにリーンとカナデに視線を送る。

 二人とも、簡素な旅装に着替えていた。戦いで焦げた衣や血で染まった布はすでに処分され、今の彼女たちには、ほんのわずかに安堵の色が戻っていた。だが、それでも瞳の奥には消えない疲労と、戦場を生き抜いた者だけが持つ静かな光が宿っている。

 

「地下に潜伏していた民間人も、全員無事に保護されました。……都市機能の回復には相応の時間がかかりますが、騎士団と職人たちが協力して、復旧作業を始めています」

 

 ギルバートの言葉に、リーンがそっと息を吸い、紫の髪を揺らして口を開いた。

 

「復旧作業には、あたしたちも手を貸すわ。……あれだけの惨状を見せられたのに、見て見ぬふりなんてできないから」

 

 その声は、かつての皮肉や反骨の響きを失い、ただまっすぐに静かだった。魔法の天才――そう呼ばれていた少女の中に芽生えた、確かな覚悟と責任。それが今、彼女の言葉となって現れていた。

 ギルバートはその想いを受け止めるように目を伏せ、深く頷いた。

 

「あなた方の力がなければ、この都市は取り戻せなかった。本来ならば、王都からの勲章の一つでも贈られるべき戦果です。ですが……」

 

「俺たちは冒険者だ。名誉や褒章に興味はない。報告さえ通れば、それで十分さ」

 

 レインの声はあくまで淡々としていたが、そこには確かな意志があった。かつての過去――失った村や、知ることのなかった真実。それらすべてを胸に抱きながらも、彼は誰かのために生きることを、自分の意思で選んでいた。

 その言葉に、ギルバートは目を細め、小さく笑った。

 

「……そうですか。では、正式な戦果証明書をギルド経由で発行いたします。それと、ギルドへの報告ですが――」

 

「砦塞都市の簡易支部を使わせてもらうよ。ギルド本部への報告書も、今のうちにまとめておきたい」

 

 レインが応じると、カナデがきょろきょろと辺りを見渡しながら、ふと呟いた。

 

「そういえば……この都市にもギルドってあったんだね。あんまり目立ってないけど」

 

「戦闘職向けの簡易施設だ。設備は最低限だけど、報告や支援物資の受け渡し程度ならできる。お前が期待するような“面白いもの”は、たぶん置いてないぞ」

 

「むぅ……つまんないにゃ」

 

 ふいっと顔を背けて、猫耳をぴくぴくと揺らすカナデ。その様子に、リーンが思わず吹き出した。

 

「……まったく、あんたって本当に緊張感ないわね」

 

「えへへ、リーンの顔がこわばってたから、ちょっとだけ和ませようと思って」

 

「べ、べつに……そんな気遣いされなくても大丈夫なんだから」

 

 顔を赤らめてそっぽを向いたリーンの目元には、ほんのりと緩んだ色が浮かんでいた。

 そんなやり取りを聞きながら、レインはそっと目を閉じる。耳に届くのは、天幕の外から聞こえてくる騎士たちの掛け声、瓦礫を運ぶ音、子どもたちの笑い声。生き残った命が、確かにここにある。

 

 ――誰かの命が失われ、誰かが泣き、誰かが救われた。

 

 それが、戦の終わりだった。

 

 だが、それでもなお、彼らは立ち上がる。

 

 信じたいもののために。

 

 守りたい誰かのために。

 

 

 

 

 

 

 夕暮れが砦塞都市を包み始めるころ、街の西側にひっそりと建つ石造りの建物――冒険者ギルドの簡易支部では、かすかな紙音と魔力のかすれた気配が静かに満ちていた。

 木の扉を開けると、冷えた空気とともに墨と埃の匂いが鼻をかすめる。簡素な造りの室内には、机が二つと古ぼけた書棚、そして報告書の束が整然と積まれていた。都市を襲った混乱の爪痕は、ここにも色濃く残っていた。

 

「……ふぅ、やっと落ち着いたにゃ」

 

 カナデが一つ大きくあくびをして、木製の長椅子に身を投げ出した。しなやかな尾がだらりと床に伸び、その緑の瞳はうっすらと眠気を帯びている。

 その隣では、リーンが魔力を帯びた羽根ペンで報告書の仕上げに取りかかっていた。白い指先が迷いなく走り、呪文詠唱の記録や敵の魔力反応、戦術の成功率などが、整然とした文字で綴られていく。

 

「もう少しだけ。我慢しなさい。……この報告をきちんと残さなきゃ、後で何を言われるかわからないから」

 

「えー……リーンって、ほんと几帳面すぎるにゃ。もっと肩の力抜いてもいいのに」

 

「はあ? 誰かさんと違って、あたしは頭を使う戦い方してるの。魔力の出力と波形の調整、地形の把握、部隊の配置――一つでもずれてたら死人が出てたのよ?」

 

「う……それは確かに。でも、言い方がきついにゃ……」

 

 カナデがしゅんと耳を伏せた様子に、リーンは小さくため息をついた。

 

「別に責めてるわけじゃない。……むしろ、あんたが無事だったのは助かったわ。前線を飛び回って、よくあれだけの数を引き離せたものね」

 

「えへへ、得意分野にゃ。あたし、足と反射神経だけは自信あるから」

 

「まったく……あんたみたいな無茶を、こいつが止めてくれなかったら、こっちは心臓いくつあっても足りないわよ」

 

 ふっと目を向ける先には、受付カウンター越しにギルド員と話をしているレインの後ろ姿があった。

 髪が肩に落ち、その穏やかな佇まいは、先刻まで獣人の首領と死闘を繰り広げていたとは思えないほど落ち着いていた。

 だが、ギルド員と向き合うその目は静かに研ぎ澄まされていた。

 

「討伐対象の詳細と被害の記録、民間人保護と防衛協力に関する証言……すべてこちらにまとめてある。後はギルド本部への伝達と、戦果証明の発行を頼む」

 

「確かに……受領いたしました。これほど整った報告は久々です。あなた方の働きは、都市の記録に刻まれるべきものでしょう。改めて、感謝を」

 

 年配のギルド員が深く頭を下げた。だが、レインは淡々と首を横に振る。

 

「俺たちは報酬さえもらえれば、それで十分です。名誉や評価を得るために戦っているわけじゃないから」

 

「……謙虚ですね」

 

「ただ、誰かが困っていたから。それだけのことです」

 

 その言葉は飾り気がなく、重さだけが残った。レインの背に宿るのは、信念でも覚悟でもなく、ただ「そう在ることが自然だ」と思い込んでいる静かな意志だった。

 報告を終えたレインが二人の元へ戻ってくると、リーンが最後の一筆を紙面に記し、魔力で封を施した。

 

「これで、全部終わったわよ」

 

「お疲れ。……この都市には、あと三日は滞在する。みんな、それぞれ休んでくれ」

 

「了解にゃ!」

 

「ふん、休むのも大事だしね。魔力も完全に戻ったわけじゃないし……って、何よ。あんた、その顔」

 

「……別に。笑っただけだよ」

 

 レインの目元に浮かんだわずかな笑みを、リーンはやや照れくさそうに睨み返す。だが、その頬に浮かんだ赤みは、きっと自覚がない。

 三人はそのまま支部を後にし、夕焼けに染まる道を並んで歩き出す。

 この都市での戦いは終わった。だが、旅は続く。

 次に彼らが向かうのは、レインの生まれ育った南大陸の村――今はもう地図にすら記されていない、滅びた故郷の跡地。

 そこに何が待っているのか、まだ誰も知らない。

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