勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い 作:海原凛
三日後の朝――。
砦塞都市の城門前に、旅支度を整えたレインたち三人の姿があった。
向かい合うのは、ロイクとギルバート。ロイクは相変わらず控えめな態度で頭を下げ、彼らに礼を述べる。
「ではロイクさん、色々とお世話になりました」
「いえいえ、私の方こそ……皆様には、命を救われたようなものです。心から感謝しております」
「そんなことないですよ」
レインが静かに笑いかけると、ギルバートも隣で姿勢を正した。
「お三方には改めて感謝いたします。我々だけでは、到底ここまで辿り着けなかった」
「もう何回も聞いたわよそれ。耳にたこができそうだわ」
リーンの皮肉混じりの言葉に、ギルバートは苦笑しながら頷いた。
「はは……復興にはまだ時間がかかると思いますが、なんとか前に進んでみせます。あなた方も、どうか道中お気をつけて」
「ロイクさんも、ギルバートさんも、元気でね!」
カナデが小さく手を振る。二人に深く頭を下げると、レインたちは門をくぐり、砦の外へと足を踏み出した。
見送りの騎士たちが道を開け、その中央を三人が通っていく。少し照れくさいが、どこか誇らしい空気がそこにあった。
門の外に出た瞬間、乾いた風が頬を撫でる。遠くなりゆく砦塞都市を一度だけ振り返ると、ロイクとギルバートはまだこちらに向かって礼をしていた。
それを見届けたレインは、小さく手を振り返す。
(……また、誰かのために戦えた。それだけで、俺には十分だ)
旅路は、ここから再び始まる。
「さて、色々とあったけど、改めて目的地に出発だな」
「こっからどれくらいあるの?」
カナデが、尾を揺らしながら問いかける。
「正直、まだまだかかるな。五日で着けばいい方だ」
「うへー……遠いにゃあ……」
「まあ、いざとなったら途中で動物をテイムして手伝ってもらうさ。荷物運びも、移動も、かなり楽になる」
レインがそう言って笑うと、リーンが頷いた。
「それが他の旅人と違って楽な部分よね。……まあ、あんたの異常なまでの能力があってこそだけど」
「大したことないよ。ただ、少し人よりやれることが多いだけさ」
その言葉に、リーンはふと目を細めた。
「ほんと、あんたって……自分のことだけは過小評価するのね」
「え?」
「なんでもないわよ」
呆れたように言いながらも、リーンの表情はどこか柔らかかった。
風に乗って、鳥の囀りが聞こえる。朝日が昇り、三人の影が長く地面に伸びていく。
「ふふっ。じゃあ、頑張って歩くにゃ!」
軽やかに笑いながら、カナデが先頭を歩き出す。レインとリーンもその後に続いた。
目指すは、レインの故郷の跡地。
過去の記憶と、失われた真実と向き合う場所――だが同時に、彼にとって本当の意味で「始まり」となる場所でもあった。
◇
五日後の昼下がり。
長く続いた旅路も、ようやく終わりが見えてきた。レインたちは緩やかな丘の斜面を登っていた。汗ばむほどの日差しの中、風は涼しく、時折草の匂いを運んでくる。
「……この丘を越えれば、もうすぐだ」
前を歩くレインが立ち止まり、遠くを見渡した。声にはわずかな緊張が混じっている。
カナデがその横顔を見上げ、耳をぴくりと動かした。
「ここから先が、レインの村なんだね」
「ああ。けど、もう十年近く経つ。今さら残ってるものなんて、ほとんどないはずだ」
淡々と答えながらも、その瞳には複雑な色が浮かんでいた。懐かしさ、緊張、そして恐れ。見たいものと、見たくないものが同居している。
リーンは黙ったままレインの背中を見ていた。普段なら軽口のひとつも叩くところだが、今の彼にとってその言葉が刃になることを知っていた。
三人はしばし無言のまま丘を登り続けた。やがて視界が開ける。
――そこに広がっていたのは、果てしない草原だった。
風に揺れる草が大地を埋め尽くし、緑の波がどこまでも続いている。かつて人の営みがあったはずの場所は、すっかり自然に飲み込まれていた。焼け落ちた家屋の残骸も、畑の跡も、柵や井戸の痕跡すら見当たらない。ただ大地が、風に身を任せているだけだ。
その中央に、ひとつの灰色の石が立っていた。
「……あれは」
リーンが目を細める。
「慰霊碑、だな。誰かが後から建ててくれたんだろう」
レインは小さく息を吐いた。足が自然と石の前へと向かう。近づくにつれ、その表面に刻まれた文字が見えてきた。
――この地に眠る者たちに、永遠の安らぎを。
その言葉を目にした瞬間、胸の奥に重いものが沈んでいく。かつて共に笑った人々の姿が脳裏に浮かび、そしてすぐに霧のように消えていった。
「……そうか。やっぱり、跡形もないよな」
ぽつりと漏らす声は、自嘲にも似ていた。彼はかすかに笑った。無理に明るく見せようとしたのか、その笑みはどこか乾いている。
カナデが耳を伏せ、尻尾を垂らした。
「レイン……」
リーンも視線を落とし、言葉を飲み込む。普段なら皮肉のひとつも飛ばせるのに、この場では何を言っても嘘くさくなるだけだと感じていた。
レインは二人を見やり、気遣うように首を振った。
「気にするなよ。もう昔の話だし、ここまで跡形もないなら……笑うしかないだろ」
努めて軽い声でそう言ってみせるが、その裏で胸が締め付けられる。
リーンは眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
「……せっかくだし、少し周囲を見て回ろう。何か残ってるかもしれない」
「うん。じゃあ私、あっちを探してくる!」
カナデが元気よく尾を振り、草を分けて駆けていく。
「じゃ、あたしはこっちを見てみるわ」
リーンも反対側へと歩みを進めた。
レインは慰霊碑の背後に回り込み、草原を見渡す。風に揺れる緑の海の中に、人の痕跡はほとんどない。だが、彼の心はなおも探していた。父と母と共に過ごした家の残り火のような証を。
(……何も残っていなくても、ここが俺の故郷だ。それだけで、十分だろう)
そう思いながらも、彼の視線はなお地面を探し続けていた。
◇
草原の中を、それぞれの方向へ分かれて歩き始めてから、しばらくの時間が経った。
風が頬を撫で、草の波が足首に触れる。鳥の影が空を横切り、遠くで虫の羽音が鳴いていた。けれど、三人が探し求めていたもの――かつての村の痕跡は、どこにも見当たらなかった。
レインはしゃがみ込み、指先で土を掬い上げてみる。手の中で崩れるのはただの乾いた土で、そこに「人が生きていた証」はない。焦げた木片の欠片すら出てこなかった。
(……やっぱり、何も残ってないか)
予想していたことだ。十年もの歳月が流れれば、風も雨も全てを呑み込み、痕跡を覆い隠してしまう。ダメ元で来たのだから当然だ。そう理解していても、胸の奥に小さな虚しさが広がっていく。
レインは苦笑し、立ち上がった。
「……まあ、こんなもんだよな」
声に出すことで、自分の感情を誤魔化す。
やがて、草をかき分けて戻ってきたカナデが、大きく息をつきながら言った。
「うーん。あっちを探したけど、特に何もなかったよ。石ころと草ばっかり」
尻尾をしゅんと下げながらも、無理に明るく笑おうとする。その様子に、レインは小さく首を振った。
「そうか。リーンは?」
リーンもすぐに戻ってきた。彼女の表情は普段よりも硬い。
「……こっちも駄目。焼け焦げた石みたいなのがいくつかあったけど、ただの自然の跡かもしれないし……証拠と呼べるものじゃなかったわ」
「そうだろうな」
レインは両手を腰に当て、草原を見渡した。慰霊碑だけが、風に耐えるように立っている。
「もともとダメ元で来たんだ。見つからなくても仕方ないさ」
苦笑混じりにそう言うと、二人は言葉を失ったまま彼を見つめる。レインはその視線を受け止めつつ、努めて柔らかい声を出した。
「さて……これからどうするか、だな」
「……このまま帰る?」
カナデが少し不安そうに問う。
レインは首を横に振った。
「いや、ひとつ提案がある。ここは何も残ってなかったけど……俺が村を失ったあと、世話になった村があるんだ。そこなら、何か手がかりが見つかるかもしれない」
その言葉に、リーンがはっと顔を上げた。
「あ……!」
レインが訝しげに視線を向けると、リーンは腕を組んで目を細めた。
「思い出したわ。あんた、あの村の宿屋で住み込みしてたじゃない。……アリオスたちがあそこで一泊して、あんたを見つけて勧誘したのよね」
レインは小さく頷いた。
「ああ。あれが、俺が勇者パーティーに入ったきっかけだった」
「その時が、あたしとあんたが初めて会った時でもあるわね」
リーンは遠い記憶を辿るように視線を落とした。あの頃、彼女はただ“勇者の仲間”として従っていただけで、レインの存在に特別な感情を抱いたことはなかった。小柄で人懐こそうな獣使いの青年――その程度の印象。
「……まあ、当時は何も感じなかったけど」
小さく呟く声は、今の彼女自身に言い聞かせるようでもあった。
カナデはきょとんとした顔で二人を交互に見ていた。
「へえ……二人の出会いって、そんな感じだったんだ」
リーンはわざとそっけなく肩をすくめた。
「別に大した話じゃないわよ。ただ、あそこで道が交わったってだけ」
だがその声色には、ほんのわずかに柔らかさが混じっていた。
レインは二人に微笑み、改めて慰霊碑の前に立った。
「……それじゃ、行こうか」
慰霊碑に軽く頭を下げる。ここで眠る人々に別れを告げるように。
そして三人は再び歩き出した。風は背中を押すように吹き、草原の音が遠ざかっていく。