勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い   作:海原凛

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第5話 聞込

 

 

 レインたちは、朝の冷たい風が街の広場を吹き抜ける頃には、すでに集まっていた。

 

 東の空は白んだばかりで、石造りの建物に囲まれた広場には、まだ人影もまばらだ。中央に据えられた大きな噴水の水音だけが静かに響き、小鳥のさえずりが遠くから届いてくる。

 

 広場の片隅には小さなパン屋の屋台が一軒だけ開いており、三人はそこで焼きたてのパンをそれぞれ手に入れた。まだ湯気の立つパンから漂う小麦の香りが、冷えた空気の中にほんのりと広がっていく。

 

 噴水の縁に腰かけたレインは、パンをちぎりながら隣のリーンとカナデに視線を向けた。

 

「調べるべきは、俺の力についてだけど」

 

 低く落ち着いた声だが、握るパンの端が少し潰れていた。リーンはそれに気づいて小さく息を吐き、パンを口に運んだあと、そっと立ち上がった。

 

「まずはビーストテイマーという職業について、もう一度調べなおす必要があるわね」

 

 噴水の水面が朝の光を反射して、リーンの紫の髪に揺らめくような光を落とす。長い髪を背中に流しながら、リーンはまっすぐにレインを見据えた。

 

「私は図書館で文献を探すわ。古い書物の方が何かわかるかもしれないし」

 

 レインはパンを最後のひとかけらまで口に運ぶと、ゆっくりと噴水の縁から立ち上がった。

 

「俺は冒険者ギルドを回ってみる。ナタリーさんにも頼んで、資料なんか見させてもらえれば」

 

 言いながら、レインはパン屑を手ではたき落とし、噴水の縁に片手を置いて周囲に視線を送った。

 

 その横でカナデは、パンをほおばりながら背伸びをしてふわふわの尻尾を揺らした。小さな口を動かすたびに、尻尾が楽しげに揺れている。

 

「にゃ! じゃあ私は街で聞き込みしてくるね。おいしい匂いのするところに人は集まるにゃ!」

 

 あどけない声に、リーンは噴水の水音を背に肩を竦めて微笑んだ。

 

「……寄り道はほどほどにね」

 

 レインも思わず口元を緩め、カナデに目を向けると、広場を通り抜ける冷たい風が三人の間をすり抜けた。

 

 小さな紙袋に残りのパンを仕舞うと、それぞれの荷物を確認して立ち上がる。まだ人通りの少ない石畳の道へと足を踏み出すと、噴水の水音だけが静かに背中を押してくれるようだった。

 

 こうしてレインたちは広場を後にし、それぞれの持ち場へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 レインは冒険者ギルドへ足を運んだ。扉を押し開けると、朝だというのに広いロビーは多くの冒険者で賑わっていた。

 奥の掲示板には依頼書がびっしりと貼られ、各々が仲間と相談しながら吟味している。酔いの残った男たちは木の椅子に腰かけ、昨夜の武勇伝を酒の残り香と共に大声で話し合っていた。受付のカウンターには列ができ、受付嬢たちは忙しそうに書類を捌いている。

 レインは雑踏の中を縫うように進み、受付の一番端で応対しているナタリーの前に立った。

 ナタリーは明るい栗色の髪を肩で揺らしながら、書類に目を通していたが、レインの姿に気づくとぱっと笑顔を見せた。

 

「あ、シュラウドさん!どうかされました?今日も何か依頼を受けに?」

 

 ナタリーは小さく首をかしげながら、カウンター越しに身を乗り出すようにしてレインを見つめる。

 

「いや……そうではないんです。ちょっと調べものについて」

 

 レインは片手を軽く上げ、気恥ずかしそうに笑った。

 

「調べものですか?」

 

 ナタリーは丸い目をさらに大きくして瞬きを繰り返し、小さく首を傾けた。

 

「ちょっと自分の職業……ビーストテイマーという職業について改めて勉強しようかなと」

 

 そう言うレインの声には、ほんの少しだけ躊躇いが滲んでいた。

 

「おお、シュラウドさん真面目ですね!自分の職業について学びなおすその精神、立派です!」

 

 ナタリーはぱっと手を合わせて声を弾ませると、柔らかな笑顔を向けた。

 

「ああ、いや……はは、ありがとうございます」

 

 まさか自分の能力に異常があるかもしれないなんて言えるはずもなく、レインは頬をかきながら苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「そういうことなら任せてください!冒険者ギルドにも職業の資料ならある程度ありますから!ちょっと待っててくださいね」

 

 ナタリーは机の下から鍵束を取り出すと、カウンターを回り込み小さな足音を立てて奥の書庫へと姿を消した。

 ロビーの喧騒が少し遠のいたように感じられる中、レインはカウンターの上に置かれた古びた木箱や申請用紙を何気なく眺めていた。

 数分が経ち、ナタリーが両腕に何冊かの資料を抱えて戻ってきた。資料の背表紙には薄く埃が積もり、長い間開かれていなかったことがうかがえる。

 

「こちらがビーストテイマーの職業に関する資料ですね。申し訳ありませんが外に持ち運びは厳禁ですので、ラウンジで読んでいただく形になりますが」

 

 ナタリーは机の上に本を一冊ずつ丁寧に並べながら、レインに視線を送った。

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 レインは頭を下げてから、慎重に資料を胸に抱えるようにして受け取った。

 ロビーの奥に設けられたラウンジは、大きな窓から朝の光が差し込み、木のテーブルと椅子が規則正しく並んでいる。壁際には小さな暖炉があり、火は消えているが、まだ微かに薪の焦げた香りが漂っていた。

 レインは空いているテーブルを見つけると、重い資料をテーブルの上にそっと置き、椅子を引いて腰を下ろした。

 ページを開く前に一度だけ深呼吸をして、手のひらで資料の表紙を撫でるように整える。

 

「さて、やるか」

 

 窓の外では街の朝がゆっくりと動き出していた。

 

 

 

 

 

 

 一方、街の中央に建つ図書館では、リーンが埃をかぶった古い書物をめくり続けていた。

 石造りの外壁は昼間の光を僅かに吸い込み、わずかなひんやりとした空気が館内にも漂っている。

 背の高い窓から射し込む午後の日差しは色褪せた赤い絨毯に筋を描き、棚の隙間を抜けた光の粒が静かに舞っていた。

 

 図書館はそれほど大きくはないが、古くから伝わる資料をわずかに所蔵していることで、一部の魔導士や歴史家には貴重な場所とされている。

 背の高い本棚には黄ばんだ羊皮紙や革表紙の分厚い古書がぎっしりと並び、わずかに立てかけられた梯子が長年使われてきたことを物語っていた。

 

 館内には人影も少なく、ページをめくる音や、外で鳴く鳥の声が遠く響くだけだった。

リーンの指先はその静寂を乱さぬよう、そっとページを送り続ける。

 木製の机の上には、すでに読み終えた本がいくつも積み重なり、灰色がかった埃が指の腹にこびりついていた。

 

 リーンは姿勢を少し崩し、椅子の背に体を預けた。

 紫の髪がふわりと肩に流れ、長い睫毛の奥に隠された瞳が、本の文字をひたすら追っている。

 

(ビーストテイマー……魔物と心を通わせる力……けれど、レインのあの力は『心を通わせる』なんて生易しいものじゃない)

 

 木の机の端に置かれた小さなランプの火は、昼間にもかかわらず心細げに揺れていた。

 どこかの窓が風にわずかに軋む音がして、リーンは微かに肩をすくめる。

 レインが勇者パーティーにいた頃の姿を思い返すと、胸の奥がざわついた。

 彼は動物を従わせるだけではない。まるで動物たちが、レインの一部となって動いているかのようだった。一度に何匹もの鳥が空を飛び回り、獣が茂みを駆け抜ける姿が、ありありと脳裏に浮かんだ。

 椅子の上で姿勢を正すと、リーンは机の端に積み上げた本の山を見つめた。

 どれも時間が止まったかのような古びた背表紙で、触れるだけで埃が指先にまとわりついてくる。

 それでも一冊ずつ丁寧に開き、ページを繰り、わずかな可能性を探していた。

 だが、何ページめくっても、目に飛び込んでくるのは家畜管理の基本技術や繁殖の記録ばかりだった。

 羊の群れをどう導くか、家禽に与える飼料の配分、病に伏した家畜の見分け方。

 勇ましい魔物の制御について書かれたものはほとんどなく、護衛犬や猛禽類の調教法が載っていても、そこにあるのは習慣づけと褒美による学習の繰り返しに過ぎない。

 ページの間から、細かな埃の粒が舞い上がった。

 リーンは小さく咳払いをし、右手で口元を覆った。

 その指先は、紙の端にかすかに触れただけで角を破ってしまいそうなほど繊細で、それでも止めることはできなかった。

 

(これじゃあ、何もわからないじゃない……)

 

 無意識に唇を噛んだ瞬間、古い紙の角がかすかに破れた。

 破れる音が静寂に滲んだとき、リーンははっとして、破れた箇所を慌てて押さえた。

 自分の焦りが、歴史の一端を壊してしまったような気がして胸が詰まった。

 

(……レインの力のこと、私が一番知りたいのに)

 

 誰よりも彼の力を理解したい。彼の隣に立つと決めたのは、自分の意志だ。

 あの夜、パーティーを抜ける決意をしたときの心の震えが蘇る。

 

 小さな息が漏れ、机の上のランプの火が微かに揺れた。目の奥がじんわりと熱を帯びる。

 埃の匂いと古い紙の匂いが、熱い呼吸の中で混ざり合った。

 

 重い木の梁が軋む音が遠くで聞こえた。

 建物全体が長い年月を抱え込みながら、黙してリーンを見守っているようだった。

 リーンは両手でこめかみを軽く押さえ、何度か深く息を吐くと、机の端に残った最後の一冊をそっと手に取った。

 表紙は擦り切れ、革のひび割れが指先に伝わる。

 まるで、その中にこそ答えが潜んでいるのではないか。そんな小さな希望を抱えながら、リーンはページを開いた。

 

 窓の外から吹き込む風が、古い紙を揺らし、光の粒を静かに躍らせた。

 

 

 

 

 その頃、街の市場ではカナデが賑わう屋台の間を小さな身体で器用にすり抜けながら駆け回っていた。

 

 色とりどりの布を張った屋台には、香ばしい肉の焼ける匂いや果物の甘い香りが漂い、客の呼び込みの声や人々の笑い声が絶えず響いている。通りの端では子どもたちが追いかけっこをし、大人たちは籠を片手に品物を吟味していた。

 

 カナデは人混みを縫うように進みながら、若い人たちにビーストテイマーについて尋ねていたが、そのほとんどが肩をすくめたり、首を傾げたりするばかりだった。

 

「ビーストテイマー? あれは家畜の世話する職業だろ?」

 

 布のバンダナを頭に巻いた青年が肉串を頬張りながら笑った。

 

「そうそう。俺の知り合いにもいるけど、せいぜい農場の牛をまとめるくらいさ」

 

 返答を聞くたびに、カナデの大きな猫耳がしゅんと垂れ、胸の奥に小さな溜息が積み重なっていった。

 

(やっぱり、何もわからないのかな……)

 

 カナデは小さく尻尾を揺らしながら俯いたが、すぐに両手で頬をぱんと叩き、ブンブンと頭を振った。

 

「うんうん! まだ聞き込み開始したばかり! がんばるにゃ!」

 

 そんな声が聞こえたのか、通りの隅にいた典型的にガラの悪そうな男が口角を上げて近づいてきた。汗と酒の混じった匂いがふわりと漂う。

 

「おっ、こいつは珍しいな。猫霊族なんて、初めて見たぜ。こいつは、何か良いことがあるかもしれないな。おい嬢ちゃん、俺と一緒に……」

 

 カナデは眉をピクリと動かすと、無駄に男の話を聞くことなく一歩踏み込み、拳を思いきり突き出した。

 

「ふんッ!!」

 

 鈍い音とともに男の巨体が屋台の影に転がった。

 

「ほげぇ!!」

 

 カナデは尻尾をぴんと立てると、何事もなかったかのようにくるりと向きを変えた。下卑た欲をもって近づいてくる人間の気配はだいたいわかる。無駄な相手に時間は使えない。

 気を取り直して、カナデは人混みの奥へと足を速めた。今度は腰の曲がったおばあさんたちの集団を見つけると、足音を忍ばせて近づいていく。

 

「にゃー! そこのおばあちゃん! ビーストテイマーって知ってるにゃ?」

 

 おばあさんは干し魚を選んでいた手を止め、驚いたように目を細めた。

 

「ビーストテイマー? ああ、牛飼いとか、羊を追う人のことだよ」

 

「それだけにゃ?」

 

 おばあさんは首をひねり、背中に背負った籠を揺らした。

 

「そうさねえ……それ以上の話は聞いたことないねえ」

 

「そっか、ありがとにゃ!」

 

 カナデはぱっと笑顔を咲かせて頭を下げると、ぴょんと小さく跳ねるようにして次の屋台へ向かった。尻尾がリズムを取るように左右に揺れている。

 飴細工を買う子どもたちの隣で、肉屋のおじさんが骨付き肉を包んでいる姿が目に入った。カナデは子どもにぶつからないようにそっと隙間に滑り込む。

 

「おじさん! ビーストテイマーって……」

 

 だが、返ってくるのは同じ話ばかりだった。

 家畜を管理する、家畜を増やす、畑仕事の手伝いをさせる。せいぜい行商人の御者くらい。どの話も、レインが見せてくれた力には遠く及ばない。

 

(やっぱり、レインは特別だよ……)

 

 小さく吐息を漏らし、カナデは石畳の端に腰を下ろした。尻尾の先が小さくぱたぱたと揺れている。

 ふと風に乗って甘い香りが鼻先をくすぐった。顔を上げると、焼きたてのパンを売る屋台から白い湯気が漂ってくる。小さな腹がぐうと鳴り、耳がわずかに赤く染まった。

 

「……おなかすいたにゃ……」

 

 けれど、今はつまみ食いをしている場合じゃないと、カナデは自分の頬をむにっとつまんだ。

 

「……ないんだけど」

 

 とはいえ、レインとリーンからはある程度報酬のお金をもらっている。少しくらい使っても問題はないはずだと頭の片隅で思いながら、再びお腹が鳴った。

 

「……嬢ちゃん。これ、おいしいぜ?」

 

 串焼き屋の店主が陽気な笑みを浮かべ、香ばしい肉を串に刺してカナデの目の前へ突き出す。鼻をくすぐる香りに、カナデの耳がぴくりと動く。

 

「うう……」

 

 ここまで屋台の前で立ち止まってしまった自分に言い訳はできなかった。串の先端から滴る肉汁を見つめながら、カナデはお腹を押さえて立ち上がる。

 

「おじさん! 一本買うにゃ!」

 

「毎度あり!!」

 

 店主が声を張り上げ、香ばしい煙が市場の賑わいに溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 陽が天辺を指す頃、三人は街の中央広場に集まっていた。

 広場の中央には大きな噴水があり、水音が静かに石畳に響いている。噴水の縁には花壇が並び、小さな花々が夕陽を受けて色を変えていた。

 レインはその噴水の縁に腰掛けて、疲れたように肩を落としながら水面をぼんやりと見つめている。

 リーンは噴水の縁を踏まないように、そっと石畳を歩いてレインの隣へ近づいた。紫の髪が風にそよぎ、彼女の真剣な瞳が一瞬だけ水面に映る。

 カナデは少し離れた場所で尻尾を丸め、ぺたんと石畳に座り込んでいた。長い耳をだらりと垂らし、ぱたぱたと尻尾を揺らしているのが、どこか気が抜けている。

 

「どうだった?」

 

 レインが顔を上げ、低い声で問いかけた。目元には薄く疲労が滲んでいた。

 リーンは一度、遠くの噴水の水柱を見つめてから、そっと首を横に振った。

 

「駄目。資料には基礎的なことしかなかった。産業職としての役割とか……家畜管理ばかり」

「こっちも似たような感じだ。まあ、おかげで普通のビーストテイマーがどういったものなのか知ることはできたけど」

 

 レインは乾いた笑みを浮かべて肩をすくめる。

 カナデは石畳の割れ目を爪でつつきながら、小さな声を漏らした。

 

「街の人に聞いても同じだったよ。みんな農業向けとか言ってた」

「そう……。ところでカナデ、あなた随分満喫してそうじゃない?」

 

 リーンはカナデの口元をじっと見つめた。

 

「にゃ!? にゃんのことかな?」

 

 カナデは慌てて口元を隠したが、隙間から小さなパンくずがこぼれ落ちた。リーンは肩を竦め、あきれたように小さく笑った。

 噴水の音が静かに三人を包む。だが、成果がなかったのは皆同じだった。一瞬の沈黙が、空気を重くする。

 それでも、諦めるわけにはいかなかった。

 レインは目を細めて赤く染まった空を仰ぎ、小さく息を吐いた。

 

「……他に当てはないか?」

 

 風が噴水の水面を揺らす。その中で、リーンの目が僅かに光を帯びた。

 

「そうだ。商業ギルド……御者の間に、魔獣を護衛につけるって話があった気がする」

 

 レインは思わず顔を上げ、目にかかった前髪を払いのけた。

 カナデも跳ねるように尻尾を立てて顔を上げる。

 

「にゃ! 行ってみよう!」

 

 沈んでいた空気がわずかに動き出す。噴水の水音が三人の背を押すように響いていた。

 三人は互いに頷き合い、小さく埃を払うと、再び広場を後にして歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 商業ギルドは街の中央通りを少し外れた場所に建っていた。

 粗削りの白い石壁と頑丈な梁で組まれたその建物は、まるで街の大穀物庫のように重厚で、荷馬車を引く商人や農夫たちが絶え間なく出入りしていた。

 建物の周囲には、収穫された作物を詰めた麻袋や木箱が所狭しと積まれ、通りには荷降ろしを手伝う人足たちの掛け声と、荷馬の嘶きが入り混じる。

 軒先に掲げられた交易と豊穣を象徴する黄金の穂束の紋章が、夕陽にきらりと光った。風に乗って、香辛料や熟れた果物の甘い匂いが鼻をくすぐる。

 重い扉を押し開け、一歩中へ入れば、帳簿をめくる紙の擦れる音と、行き交う人々の足音、小さな怒鳴り声が石造りの空間に反響していた。

 冒険者ギルドのような荒々しさはないものの、契約を取り交わす者、積荷を数える者、値を交渉する者……それぞれが自分の仕事に追われる熱気が、ひんやりとした石壁を染めている。

 

 広い玄関ホールの奥、長く設けられた受付前には、荷馬車の手配や取引の確認に訪れた商人たちが列を成し、レインたち三人もその後ろに並んだ。

 肩を並べたリーンは、時折周囲の様子を窺いながら紫の髪を指先で梳いている。

 カナデはそわそわと尻尾を揺らし、列の隙間から足元を駆け抜ける小さな使い魔に目を丸くした。夕刻が近づくにつれ、人の波はさらに厚みを増していった。忙しなく動く人々の合間を、荷運びの動物が低く唸りながら荷台を引き、使いの者たちは主の命令を伝えるべく、石畳をせわしなく走り回っている。

 やがて順番が来ると、レインは小さく息を吐き、窓口に立つ初老の男性に声をかけた。

 

「すみません、ビーストテイマーの御者の方を探しているんですが、いらっしゃいますか」

 

 受付の男性は眉を寄せ、帳簿を捲る手を一度止めると、顎に手を当ててしばし考え込む。窓越しに光が彼の白髪を照らし、その奥で冷たい石壁に反射した外の騒音が遠く響いていた。

 

「ビーストテイマーの御者……お探しなら、ちょうど馬車組合に所属している者がおります。少しお待ちを」

 

 穏やかな声と共に、レインたちは受付の横にある小部屋へと案内された。

 

 質素な木の椅子が壁際に並んだその部屋には、古びた絨毯と小さな窓があるだけで、外の喧噪から切り離されたようにひっそりと静まり返っている。リーンは窓際の椅子に腰を下ろすと、紫の髪を指で束ねて撫で、長い睫毛を伏せたまま小さく吐息をこぼした。

 

「ちゃんと話が聞けるといいわね」

 

 カナデは椅子に座らず、窓辺の小さな縁にちょこんと腰を乗せて尻尾を左右に振り、外の荷馬車の列をじっと眺めていた。微かに聞こえる車輪の軋む音が、部屋の中に細く入り込んでくる。

 

 しばらくして、木の扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。現れたのは、分厚いコートに身を包み、革の手袋を外したばかりの男だった。日に焼けた頬と、短く刈り込んだ髭面は、まさに長く街道を走る御者のそれだった。

 

 ロイクと名乗った男は軽く頭を下げ、部屋に入るとレインたちを順に見渡した。

 

「お待たせしました。御者のロイクと申します。ビーストテイマーのことでお話を伺いたいとか」

 

 レインは立ち上がり、礼を込めて握手を交わすと、口元にわずかな笑みを浮かべた。

 

「レイン・シュラウドといいます。この度はお時間をいただきありがとうございます」

 

「いえいえ」

 

 ロイクは人懐っこく手を振って笑い、小さな椅子に腰を下ろした。

 

「それで……ビーストテイマーについて調べていると。もしかして、レインさんも?」

 

「ええ、俺も一応ビーストテイマーです。ただ……少し普通とは違うかもしれません」

 

 ロイクの目がわずかに細まり、興味深そうに身を乗り出す。

 

「ほう。違うとおっしゃいますと?」

 

 レインは僅かに視線を横に流し、窓辺に座るカナデと目を合わせ、リーンをちらりと見ると、ゆっくり言葉を選んだ。

 

「理由があって調べてるんです。俺の力は、普通のビーストテイマーみたいに手順を踏んで契約するんじゃなくて……すぐに仮契約で使役できる。それに一度に複数の動物を扱えるんです」

 

 ロイクは顎に手を当てると、深く息を吐いてから低く唸るように声を漏らした。

 

「……なるほどでございますか。確かにお話を伺う限りでは、レインさんの力はビーストテイマーとは似て非なるもののようでございます。どちらかと言えば……そうですね、支配に近いものでございましょうか」

 

 リーンは瞳を伏せ、静かに眉を寄せた。

 

「支配……?」

 

 ロイクは慎重に頷くと、手の上に置いた手袋を指先で弄びながら言葉を続けた。

 

「はい。通常のビーストテイマーは、相手と信頼関係を築き、主従の形を取ります。しかしレインさんのは、無理やり従わせているようにお聞きします。誤解なさらないでください。悪い意味ではございません。珍しい力だというだけの話です。ただ……」

 

 男の瞳が真っ直ぐにレインの目を捉えた。

 

「なぜそのような力がレイン様に備わっておられるのか、私には分かりかねます。申し訳ございません」

 

 レインは息を吸い込み、わずかに肩を揺らして微笑むと、静かに頭を下げた。

 

「いや、話を聞かせてもらって助かりました。ありがとうございます」

 

 ロイクは立ち上がり、くたびれた革靴の音を響かせて扉を指し示した。

 

「何かございましたら、またお声かけくださいませ。馬車が必要な時も、いつでもご用命ください」

 

 レインたちは椅子を引く音を立て、礼を言って部屋を後にした。

外に出ると、いつの間にか日は完全に沈み、街の通りには暖かな灯りがともり始めていた。

 賑やかな笑い声と荷車の軋む音が、夜の空気を割って遠くまで伸びていく。レインはわずかに吐息を吐き、その背を追うようにリーンとカナデも静かに歩を進めた。

 宿へ戻る道のりは、思った以上に長く、冷たい風が頬を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 ようやく辿り着いた宿の食堂には、旅人たちの笑い声が暖炉の炎に溶けていた。

 レインたちは空いたテーブルを見つけて腰を下ろすと、給仕に頼んだ夕食を黙って待つ。暖かなランプの灯りが、疲れた三人の顔をほのかに照らしていたが、誰も箸を伸ばそうとはしなかった。

 

「……結局、何もわからなかったわね」

 

 リーンの声はかすれ、テーブルに落ちた。

 カナデは耳を伏せ、爪で木目をちょん、ちょんと突いている。レインは窓の外に目を向けたまま、かすかに眉をしかめていた。

 沈黙を切り裂いたのは、カナデの小さな拳を叩きつけるような声だった。

 

「にゃ! そうだ! レインの故郷に行けばいいだよ!両親に話を聞けば、何かわかるかも!」

 

 カナデの声に、リーンがはっと息を呑み、レインの横顔を見つめる。

 だがすぐに、その表情が曇った。

 レインは黙ったまま、視線を伏せて肩をわずかに震わせた。

 リーンは何かを言いかけたが、声にならずに唇を閉じた。カナデは大きな瞳を瞬かせ、しっぽを揺らしながら小さく首をかしげた。

 

「……にゃ?」

 

 レインは吐き捨てるように、短く呟いた。

 

「……俺の故郷は……もう、ないんだ」

 

 言葉は短かったが、その重みは空気をすぐに凍らせた。リーンの視線も、テーブルの上に落ちたまま動かない。

 宿の食堂は相変わらず笑い声と暖かさに満ちていたのに、三人を包む空気だけが、ひどく冷たく沈んでいた。

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