勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い 作:海原凛
カナデの大きな瞳が、かすかに震えた。
小さな肩がきゅっとすぼまり、尻尾がテーブルの縁をとん、とんと叩くのを、リーンは黙って見つめていた。
レインはランプの光をぼんやり映したまま、少し遠くを見るように目を伏せると、重い口を開いた。
「昨日も言ったけど……俺をビーストテイマーとして育ててくれたのは両親だ。俺の故郷は……ビーストテイマーたちが集まる特殊な里だった。名前なんてない小さな村だったけど……名付けるなら、ビーストテイマーの里、ってところか」
リーンは目を瞬かせ、ぽつりと言葉を零した。
「ビーストテイマーの里……」
カナデは目を丸くして尻尾を大きく揺らした。
「へぇ、そんなところがあるんだ……初めて聞いたにゃ」
レインはわずかに口元を緩めたが、その奥に滲む影はランプの灯りにも溶けていかなかった。
「家族は……父さんと母さんの二人で、二人とも立派なビーストテイマーだった。俺は物心ついた頃には、もう当たり前のように動物と一緒にいて……小さい頃なんて、家の周りに小動物がずらっと並んでたんだ」
カナデがぱっと顔を輝かせ、身を乗り出す。
「わあっ! 小動物いっぱい!? すっごく楽しそう!」
レインは少しだけ笑った。
どこか遠い日の匂いを思い出すように、指先でコップの縁をなぞる。
「ああ。村では誰かしらが動物を連れてて、俺も両親と一緒に獣道を歩いては、野ウサギとか、小鳥とか……親父は大きな狼まで飼いならしてたな」
リーンが目を細め、声を落とした。
「優しい人たちだったのね……レインの親御さん」
「……ああ、二人とも優しかった。厳しくもあったけどな。父さんは、動物相手だって『命を預かるんだぞ』って口癖みたいに言ってた。母さんは……怪我をした獣を見つけると必ず世話をしてた」
レインの唇が少しだけ緩んだが、すぐに遠い影を落とす。
「……だから、俺も自然と学んだんだ。どうやって心を通わせるか、どうやって相手を信じるか……ほとんどの時間は、親の背中を見て覚えたようなものだった」
カナデが尻尾をぱたぱたと揺らしながら、両手をぎゅっと胸に当てた。
「レイン、すごく大切にされてたんだね……にゃ、なんだか私まであったかくなるよ」
「……いい家族だったのね」
リーンはそっとテーブルに手を置き、レインの指先に触れない距離でじっと見つめていた。
レインは小さく肩を揺らし、少しだけ唇を歪める。
「いい家族だった。村の人たちも皆優しくて……俺は村の端の小川で魚を追いかけて転んでばかりで……親父によく笑われたよ。母さんは怪我をするたびに叱ってくれた」
ふと、レインは視線を落とすと、テーブルの木目を指でなぞった。
「……でもな。そんな日々を思い返すと、どうしても……『あの夜』が浮かんでくるんだ」
カナデの耳が小さく伏せられ、しっぽがテーブルの端を掴むように止まった。
リーンもわずかに息を飲み、低く声をかける。
「……無理に話さなくていいのよ?」
レインは小さく首を振り、口元にわずかな苦笑を刻んだ。
「いや……二人には知っておいてほしい。あれは俺の一部だからな」
カナデが小さく尻尾を揺らしながら、おそるおそる尋ねた。
「……その夜……何があったの……?」
レインはゆっくりと目を伏せ、右手をぎゅっと握りしめた。
「……十二歳の時だった。いつものように森の奥で、テイムの練習をしてた。森に行けば動物がたくさんいるからな……夢中になって、気づいたら日が沈んでた」
小さな暖炉の火が、レインの瞳の奥に赤く映った。
「さすがに帰らないとって思って……ふと空を見たら、夜なのに赤く光ってたんだ。何かがおかしいって、すぐにわかった。走って戻ったけど……」
レインの手の甲に青白い筋が浮かび、テーブルをぎゅっと掴む。
「村は……全部、手遅れだった。火の海だった。魔物の群れに襲われて……誰も……」
言葉が途切れたところで、カナデが小さく鼻を啜った。
リーンはそっと視線を伏せ、テーブルの端をぎゅっと掴んだ。
カナデが震える声を絞り出す。
「……にゃ……ごめん……私、そんなこと……知らなくて……」
レインはそっと顔を上げ、カナデの頭に手を置いた。
その小さな額を優しく撫でる。
「気にするな。カナデに悪気があったわけじゃないし……むしろ、こうして今隣にいてくれるだけで……助けられてるのは俺の方だからな」
カナデは泣き顔をぎこちない笑顔に変えて、しっぽをゆっくり揺らした。
リーンも俯いたまま、目を細める。
「……それから冒険者に拾われて、近くの宿で住み込みをして……生きるので精一杯だった。その後、勇者パーティーに誘われて……お前たちが知ってる通りだ」
リーンは顔を上げ、そっと椅子の背に寄りかかった。
「……あたしも……最初に聞いたとき、何もしてやれなかった……」
レインは小さく息を吐いて二人を見た。
「……もういいんだ。それに……カナデの言うことも、一理ある」
カナデが尻尾を立てて顔を上げ、鼻をすすりながら問いかける。
「にゃ……?」
「何も残ってないかもしれない。けど……あの里の跡地に行けば、何か手がかりがあるかもしれない。ビーストテイマーのことも……俺自身のことも、何か……」
レインの瞳に、わずかに灯が戻った。
「だから……行ってみようと思う。俺の里の跡地に」
リーンは息を吐き、瞳に決意を宿して小さく頷いた。
「……あたしも行くわ。とことん付き合うわよ」
カナデも涙の跡を指で拭い、ぱっと笑顔を作った。
「にゃっ! 私も一緒に行く! 絶対に何かわかるよ!」
三人はテーブル越しに視線を交わすと、小さく頷き合った。
暖炉の火がぱちりとはぜ、遠くで旅人たちの笑い声が弾けた。
食堂を出た三人は、夜の静けさが残る廊下を歩いて、宿の小さな客室へ戻った。
月明かりが窓から細く差し込み、リーンの紫の髪が揺れるたびに、淡く光をまとっている。
扉を開けると、簡素な木造の室内に油ランプのほのかな灯が満ちていた。
カナデは自分の荷物袋をぽんと床に置くと、くるりと振り返り、尻尾をふわふわと揺らした。
「レインの里って南大陸なんだよね? やっぱり行くのって遠いの?」
レインは壁際に荷物袋を解きながら、小さく笑った。
革の袋から小さなポーチを取り出す手が一度止まる。
「ああ……中央大陸から南大陸に行くならストライドブリッジを通って、一度砦塞都市に寄って補給して、さらに南に進んでって感じで、結構かかるな」
リーンはベッドに腰掛けて荷物袋を膝に置き、紐をほどきながら小さく頷いた。
「レインがパーティーに入ってからかなり時間かけてここまで来たからね。まあ直行じゃなかったから正確にはどれくらいかかるか知らないけど」
カナデはテーブルの縁にぴょんと飛び乗り、しっぽをくるんと巻きつけて目を丸くした。
レインは苦笑して肩をすくめた。
「まあ、本当に長い旅路にはなるかもな」
カナデはしっぽをぶんと立て、胸を張った。
「じゃあ食料の準備は任せて! 干し肉も保存パンも、お水もたっぷり! ちょっとくらい迷っても平気でしょ!」
レインはカナデの頭をそっと撫で、少しだけ目を細めた。
「助かる。とは言っても、砦塞都市までは馬車もあるだろうし、そこまでは苦労しないだろうから」
リーンもくすっと笑い、カナデの耳をつついた。
「私はギルドで乗合馬車や護衛の情報を調べてくるわ。橋を渡るまでは馬車に乗れたら荷物も楽だからね」
レインは窓辺に寄り、月を見上げた。遠くに伸びる橋の影を思い浮かべると、胸の奥にわずかに冷たい痛みが広がった。
「……行っても、何も残ってない可能性の方が高いんだよな」
リーンはベッドから立ち上がり、そっとレインの背に近づいた。
肩に触れない距離で、小さく笑みを向ける。
「それでも、この街で何もしないよりはマシよ。何も見つからなくても……一緒に探しに行ける。それだけで十分じゃない」
レインはかすかに首を振り、窓の外に目をやったまま唇をかんだ。
「本当にそうか? 何もなかったら……俺だけじゃなくて、お前たちの時間まで無駄に……」
リーンは迷いのない声で言葉を重ねた。
「無駄になんかならないわ。何もしないままこの街に縛られる方が、よっぽど何も残らないんだから。前に進めば、たとえ何も見つからなくても、あなたの中に何か残るでしょ?」
カナデもテーブルから飛び降り、ぱっと両手を広げて尻尾を揺らした。
「そうだよ! もし何もなかったら、そのぶんレインのこといっぱい知るの! 思い出が増えたら無駄じゃないんだから!」
レインの肩から力が抜け、思わず小さく笑みがこぼれた。
ランプの炎が小さく揺れ、三人の影を壁に映す。
「……ああ。お前たちと一緒なら……どんな道でも、悪くないな」
リーンは荷物袋の紐をきゅっと結び直し、小さく頷いた。
「明日の朝、馬車と通行手形の手配をして、朝ご飯を食べたらすぐ出発しましょう。橋の先で立ち往生しないためにもね」
カナデは尻尾をちょこんと触りながら、いたずらっぽく笑った。
「早起きは任せて! ……多分、レインに起こしてもらうけど!」
レインは苦笑し、小さく息を吐いた。
「……頼りにしてるぞ。二人とも」
小さなランプの火がはぜ、小さな室内に柔らかな影を描いた。
中央大陸を越え、ストライドブリッジを渡って南大陸へ――
レインの失われた故郷、ビーストテイマーの里を目指す新たな旅が、こうして静かに始まったのだった。
◇
二日後。
朝の冷たい風が街道を抜け、石畳の上を吹き渡っていく頃、中央通りの奥に建つ商業ギルドの前では、荷馬車の蹄音と荷積みをする商人たちの威勢のいい掛け声が絶えず響いていた。
馬たちの吐く白い息が、まだ薄い朝靄にゆらゆらと溶けていく。
レインたちはギルドの脇に設けられた石段に立ち、整然と並ぶ荷馬車の列の向こうをじっと見つめていた。
カナデは尻尾をふわふわと揺らしながら背伸びをし、耳をぴくりと動かして馬車置き場の奥を覗き込む。
「にゃー……人がいっぱいだにゃ。ロイクさん、もう準備終わったかにゃ?」
カナデの声は小さくとも、街の喧騒の中に期待が混じっていた。
先日交わした約束が、こうして形になろうとしているのが嬉しかった。
リーンは紫の髪を指でまとめ、肩越しに風で散った髪を払い落とすと、周囲を見渡して小さく息を吐いた。
「荷物ももう積み終わる頃よね。昨日の話がちゃんと通ってて良かったわ」
レインは肩にかけた革の荷物袋を握り直し、冷たい石畳を踏みしめる足に僅かに力を込めた。
商隊の人波の向こうに、見慣れた帽子の影を探す。
「砦塞都市まで一緒に行けるのは心強いな……ロイクさんが昨日声をかけてくれて助かった」
そう言葉を落としたとき、荷馬の嘶きと共に、商隊の人混みから懐かしい声が届いた。
「レイン様、皆様。お待たせいたしました」
荷馬車の脇に現れたのは、髭を湛えた御者の男――ロイクだった。
分厚いコートの袖を肘までまくり、肩にかけた麻袋を軽々と担ぎ上げながら、いつもの穏やかな笑みを見せている。
「ロイクさん!」
レインが声をかけると、カナデもぱっと顔を輝かせ、尻尾を高く立てて耳をぴんと伸ばした。
「にゃっ! ロイクさん、ちゃんといたにゃ!」
ロイクは肩の麻袋を荷台に軽く放り込み、粉雪のように舞った埃を手で払うと、両手を擦り合わせて深く頷いた。
「お約束通り、準備は万端でございます。砦塞都市までどうぞお任せくださいませ。皆様がご一緒くださるだけで、心強うございます」
リーンは一歩前に出て、肩に流した紫の髪を整え、緩んだ口元に笑みを浮かべた。
「頼りにしてるわ、ロイクさん。昨日は急な相談だったのに、ちゃんと段取りしてくれて助かったわ」
「いえいえ、私も護衛を探していたので、本当にタイミングが合ってよかったです」
レインも安心したように息を吐き、荷馬のたてがみに手を置いて、黒く艶めく毛並みにそっと触れた。
馬は鼻を鳴らし、人懐こくレインの指先を受け入れた。
「昨日のうちに決めといて良かったな。魔物も増えてるし、一緒なら心強い」
ロイクは頷き、大きな手をレインの肩に置いた。
長旅への心構えを分かち合うように、厚い掌が確かな温もりを伝える。
「道中は何があるかわかりませぬが、皆様となら必ず無事に辿り着けましょう」
カナデは荷台の脇にぴょんと飛び乗り、揺れる荷物の間に器用に腰を据えると、馬の首を撫でて尻尾をふりふりと揺らした。
「にゃふふ! ロイクさんの馬、昨日より元気そうだにゃ!」
ロイクは優しく目を細め、カナデの頭をそっと撫でた。
カナデの耳が気持ちよさそうに伏せ、小さな笑い声が漏れる。
「ありがとうございます、カナデ様。道中は長うございますから、よろしくお願いいたします」
リーンは革紐で荷物の口を結び直し、ロイクの方へ顔を向け、紫の瞳に微かな光を宿して頷いた。
「ええ、こちらこそよろしくお願いするわ」
レインは手袋を外し、暖かな手を差し出してロイクとしっかり握手を交わした。
昨夜の握手よりもずっと力強く、確かなものだった。
「改めて……砦塞都市まで、よろしく頼むよ」
荷馬車の荷台には積まれた荷物の隙間から穏やかな朝の光が差し込み、馬は鼻を鳴らして蹄を石畳に打つ。
カナデは荷台の端にちょこんと腰掛け、くるりと振り返ってレインたちに笑顔を向けた。
「にゃ! 出発準備はバッチリにゃ!」
ロイクは手綱を握り直し、澄んだ空を仰いで小さく笑みを浮かべた。
「それでは、参りましょうか」
石畳に蹄の音が響き、馬車が軋む音と商人たちの声が街の喧騒にゆっくりと溶けていく。
こうしてレインたちは、約束を胸に、失われた里を目指す長い道のりを共に歩み始めたのだった。