勇者パーティーを追放されたビーストテイマーと魔法使い 作:海原凛
街道沿いのなだらかな丘を越えると、荷馬車はゆっくりとストライドブリッジへと差し掛かった。
白く高い欄干が朝の光に霞んで揺らめき、橋の下を流れる大河の水音がかすかに響いてくる。
ロイクの操る荷馬車は、積み上げられた麻袋と木箱を軽く軋ませながら、石造りの橋をゆっくりと進んでいった。
御者台の前にはレインが腰をかけ、隣でカナデが尻尾を膝に巻きつけ、揺れる耳を時おりぴくりと動かしながらちょこんと座っていた。
荷台の縁にはリーンが腰を下ろし、橋を渡る風に紫の髪をなびかせながら指でそれを押さえ、前方をじっと見守っていた。
馬の蹄が石畳を叩く乾いた音が、澄んだ空にゆったりと溶けていく。
ロイクは手綱を軽く引き、馬の耳を撫でると前を向いたまま穏やかに口を開いた。
「改めてお礼申し上げます。お三方」
レインは振り向き、首をかしげた。
「お礼?」
ロイクは小さく頷き、どこか感慨深そうに目を細めた。
「【漆黒の牙】の件ですよ。我々御者にとっては彼らは脅威。街道を通るのも命懸けの道でございました。それを討ち果たしてくださったのが、他でもないレイン様方でございます。本当に……感謝しております」
カナデは尻尾をぴょんと立て、くすぐったそうにレインの腕を爪でつついた。
「にゃふふ。ロイクさん、知ってたんだね!」
ロイクは頬を緩め、両手で手綱を握り直した。
「もちろんでございますとも。街道の御者たちの間では、あの時の噂はあっという間に広まりました。あの厄介な盗賊共を、お三方が討ち果たしたと……我々にとっては命の恩人にございます」
レインは小さく咳払いをし、視線を遠くの街道へそらした。
「いやいや、そんな大層なことじゃないさ」
リーンは荷台の縁に手をかけて身を乗り出し、風に散らかる髪を耳にかけた。
「何度言われても慣れないわね。別に、称賛が欲しくてやったわけじゃないし。それに彼らの拠点の一つを潰したに過ぎないわよ」
ロイクは真剣な目をして、静かに頷いた。
「それでも御者を生業とする者にとって、一時でもあの盗賊共がいなくなった安心は計り知れません。おかげで交易の道も復興し、多くの人が救われております。レイン様、リーン様、カナデ様……本当にありがとうございます」
カナデは誇らしげに鼻を鳴らし、胸を張って尻尾をふわふわと揺らした。
「にゃーっ。レインはすごいんだにゃ」
レインは思わず視線をそらし、後頭部をかいて気まずそうに笑った。
「……やめてくれ、恥ずかしい」
リーンは肩をすくめ、微かに笑みを浮かべた。
「褒められるのに慣れてないのよ、レインは」
ロイクは申し訳なさそうに小さく頭を下げ、御者台の端でくすりと笑った。
「はは……失礼いたしました。何分、この御者ロイク、感謝の言葉を述べずにはいられませんで」
遠くの丘を越えて流れてくる風が、荷台の帆布をぱたぱたと揺らす。
青い空には、朝の光に白く浮かぶ橋の欄干がくっきりと映えていた。
ロイクはふと顔を戻し、少し声を潜めて尋ねた。
「差し支えなければお聞かせ願えますか。なぜあの都市へ向かわれるのかを」
レインは前を向き直り、小さく息を吐いた。
「……砦塞都市からさらに南へ行くつもりなんです。俺の故郷があった場所に行く。それが今回の旅の目的なんです」
ロイクは手綱を握る指先に力を込め、目を丸くした。
「ほう。左様でございますか」
カナデは少し体を乗り出し、瞳をきらりと光らせた。
「ビーストテイマーが集まって暮らしてた里らしいんだけど、ロイクさんは何か知ってるかにゃ」
同じビーストテイマーであるロイクならば何か知っているかもしれないと、カナデは期待して尋ねたのだが、ロイクは気まずそうに肩をすぼめ、視線を落とした。
「いや……お恥ずかしながら、初めて耳にしました。南大陸に、そのような里が」
カナデは少しだけ尻尾を伏せたが、ロイクは申し訳なさそうに顔を上げた。
「何分、私の生まれは西の大陸でしてな。最近こちらへ渡り御者をやっておりますが、南の奥までは詳しくなく」
レインは小さく笑い、後頭部をかきながらロイクを見やった。ロイクはレインの言葉にうなずきながら、気にするように視線を落とした。
「気にしないでください。里はもうとっくの昔に無くなってるんです。だから知らなくても無理はありません」
ロイクが目を見開いた。
「無くなって……?」
レインは少し気まずそうに頬をかいた。
「ああ、えっと……俺がまだ小さい頃に里は襲撃されて跡形もなく……俺はたまたま生き残ってって感じで」
ロイクは悲しげにまぶたを伏せる。
「そうでございましたか……随分つらい思いをされたのですね」
レインは苦笑いを浮かべ、手を振った。
「いえいえ、もう昔の話ですから」
ロイクは申し訳なさそうに帽子のつばをつまんだ。
「できればお手伝いしたいのはやまやまですが、荷馬車も都市までの運搬が仕事ゆえ、私は砦塞都市までしかお供できぬのが心苦しい限りでございます」
レインは小さく肩をすくめ、穏やかに答えた。
「十分です。砦塞都市まで運んでいただけるだけでありがたいです。あとは俺たちで進みます」
カナデはぴょこんと尻尾を立て、誇らしげに胸を張るとリーンの隣に腰を寄せた。
荷馬が鼻を鳴らし、街道を渡る風が三人と御者の笑い声をそっと運んでいく。
遠くの空にはストライドブリッジが朝の光に白く浮かび、その下を流れる大河は絶え間なく街道の物語を映していた。
街道を抜け、小高い丘を越えた先――中央大陸と南大陸を分かつ巨大な渓谷が、地平線を裂くように口を開けていた。
その深さを知る者はいない。
かつて幾人もの学者が命がけで測定を試みたが、底の気配すら掴めないまま、誰もが途方に暮れて引き返したという。
ストライドブリッジは、その渓谷を跨ぐように築かれ、遠目に見るだけでも城や要塞を思わせるほどの威容を誇っていた。
幾重にも組まれた鉄の柱は魔力障壁で補強され、陽光を反射して白く光を放ちながら空へ突き上がっている。
橋の全長は街ひとつが収まるほど広大で、商隊用の大馬車が四台並んでもなお余裕があると言われている。
ロイクの操る荷馬車は、橋の袂で蹄の音を石畳に響かせながらゆっくりと止まった。
冷たい谷風に乗って、馬の吐く白い息が空に溶けていく。
御者台に座るロイクは帽子を外し、手綱を緩めた馬のたてがみを撫でると、橋の向こうを見上げて目を細めた。
「……何度見ても、実に見事な造りでございますな。あの渓谷を跨ぐとは、古の人々の知恵には驚かされるばかりでございます」
レインは吹き上げる風に髪を揺らしながら、白い魔力障壁のゆらめきをじっと見つめた。
「……人が、こんなものを作るなんてな……すげぇ」
リーンは外套の裾を押さえ、無言で橋を見上げた。
やがて鼻を鳴らして視線を橋の向こうへ投げ、その仕草に本音がわずかに滲んだ。
荷台から身を乗り出したカナデがぱっと笑顔を咲かせ、尻尾をふわりと揺らして欄干へ駆け寄った。
「わぁ……すっごく高い。こんな大きな橋、初めて見た」
カナデは石の欄干に手を置き、遠い空を映す瞳を輝かせた。その言葉にレインが疑問を抱いてカナデに問いかける。
「猫霊族の里から来たときは通らなかったのか?」
ストライドブリッジは中央大陸と四方の大陸を繋いでいる橋である。そこを通らないとまともな道はなかったはずだが。
カナデは耳をぴんと立てて振り返り、尻尾をくるりと巻いた。
「通らなかったよ。通行料かかるんだもん。私お金あんまり持っていなかったし」
ロイクが驚いて尋ねた。
「……では、どうやって中央大陸まで?」
カナデは胸を張って答えた。
「崖沿いの旧道を回って来たんだよ」
ロイクは息を呑んだ。カナデの言うように、ストライドブリッジがまだ繋がる以前は旧道があったのだが、現在はまともに整備されておらず、かなり危険なものとなっている。
「カナデ様……あそこは今は獣道と化していえ、久しく荷馬車どころか徒歩でも命がけですぞ」
「うん。でも通れないほどでもなかったし、時間はかかったけど何とか通ってこれたよ!」
カナデは屈託なく言い切り、谷の風を胸いっぱいに吸い込んだ。
リーンは呆れたような表情でカナデを見て、
「……さすが上位種の猫霊族ってところかしら」
肩をすくめてそう言った。レインもこれには同意なのか苦笑いを浮かべている。
ロイクは軽く手綱を引き、馬に声をかけた。馬の蹄音と車輪の軋む音が荷馬車を橋の上へと導く。
「……妙ですな」
「妙?」
レインが尋ねる。
「この時間なら南からの荷馬車も何台か通ると思うのですが。珍しく一台とすれ違わないので」
ロイクの言うようにこれだけ長い橋を渡っているのにも関わらず、すれ違う荷馬車が一つも無いのだ。
少し不思議そうにするロイクだったが、髭を手で触りながら切り替えるように口を開き、
「まあ、こんなこともあるでしょう」
言って、馬の手綱を持ち直した。
吹きさらしの空に、鉄骨の隙間を鳴らす谷風と、淡くきらめく魔力障壁が調和する。
荷馬車は重みを感じさせる足取りで橋を渡り始めた。
時折、カナデは身を乗り出して欄干から谷底を覗き込み、レインはその背を支えた。
リーンは風で帽子が飛ばないように軽く抑えるように深くかぶり、風になびく髪を押さえながら橋の先に広がる新たな世界を見据えている。
やがて、ロイクの落ち着いた声が聞こえた。
「渡り切りますぞ、皆様」
馬の歩みが最後の石畳を踏みしめ、荷馬車の揺れが止まった。吹き抜けていた谷風は、橋の向こうに差す陽光に溶けていく。
橋の出口を越え、大地を踏んだとき、レインとリーン、そしてカナデの前に新しい道が伸びていた。