ありふれた癌 作:Matto
01:ライセン大峡谷と残念なウサギ
魔法陣の光を抜けると、そこは洞窟だった。
「……あ、あれ?」
想像だにしなかった光景に、慧斗は思わず焦りを浮かべる。無意識下で地上に続いているものと信じていた彼は、予想外の事態に混乱を隠せなかった。
そんな慧斗の裾を、ユエがくいくいと引っ張った。
「……秘密の通路……隠すのが、普通……」
「あ、ああ……そっか、そうだよな。反逆者の住処への道だもんな……」
ユエの言葉に、しかし慧斗は落胆を隠せなかった。そんな当然の事実に気付けないほど、慧斗が浮かれていたともいえる。
光源も、緑光石のひとつもない暗闇を、慧斗たちは“光球”を焚きながら歩き出した。道中、トラップのようなものや道を塞ぐ壁などがあったが、オルクスの指輪をかざした途端、はらはらと崩れ落ちていった。何者にも阻まれない道中、二人はただ黙々と進んでいった。
やがて、一筋の光が見えた。慧斗にとっては数ヶ月ぶり、ユエに至っては三百年ぶりの光だ。どちらからともなく、駆けるように進み始めた。いつの間にか消失した“光球”のことなど、頭から吹き飛んでいた。
近づくにつれ徐々に大きくなる光。その先から、清涼な風も吹き込んでくる。奈落のような澱んだ空気ではない、ずっと清涼で新鮮な風だ。慧斗は『空気が旨い』という感覚を、この時ほど強く実感したことがなかった。
やがて光へ飛び込んだ先――二人は、今度こそ地上に出た。
地上の人間にとって、そこは地獄にして処刑場である。断崖の下はほとんど魔法が使えず、にもかかわらず多数の強力にして凶悪な魔物が生息する。深く広い断崖絶壁が、西の『グリューエン大砂漠』から東の『ハルツィナ樹海』まで続き、大陸を南北に分断するその大地の亀裂を、人々はこう呼ぶ――『ライセン大峡谷』と。
二人は、そのライセン大峡谷の谷底にある洞窟の入口にいた。地の底とはいえ頭上の太陽は燦々と暖かな光を降り注ぎ、大地の匂いが混じった風が鼻腔をくすぐる。
「……太陽だ……」
「そうだね」
「太陽だぞ、ユエ! 俺たちは、ようやく脱出したんだ!!」
やったー! と、慧斗は快哉を叫んだ。太陽を眩しそうに見上げるユエも、同じ気分だった。
うおおー! と慧斗は目の前の草叢を駆け出した。途中で石に躓き、「ぐえっ」と盛大にすっ転ぶも、天を仰いでけらけらと笑い始めた。ユエもそれに続き、同じように寝そべりたいところだったが――
「……囲まれた」
「ごめん……」
「空気読めない、魔物が悪い」
二人は、狼と猪を掛け合わせたような魔物に取り囲まれていた。合計、八頭。ぐるぐると唸る合唱を前に、慧斗が申し訳なさそうに立ち上がる。
「確かここ、魔法使えねえんだっけ?」
ライセン大峡谷は、放出される魔力を分解する効果がある。それが七大迷宮たる由縁のひとつであり、地獄と称される由縁である。慧斗の確認に対し、しかしユエはぐっとサムズアップした。
「大丈夫。力尽くでいく」
「効率は?」
「……十倍くらい」
「大人しく下がってろ」
上級魔法レベルの消耗で、初級魔法程度しか使えない計算になる。むーんと不満げに押し黙るユエをよそに、慧斗はグレートソードを構え、魔物の群れに相対した。
「はあッ!」
飛び掛かる三頭の魔物に対し、黒鉄の刃がぶおんと薙ぎ払われる。その頭蓋を薙ぎ倒すように両断し、はじけた目玉と血と脳漿が撒き散らされる。それに構わず、慧斗は薙ぎ払いの勢いで回転しながら踏み込むと、その向こう側の二頭を薙ぎ払った。
あいつは危険だ、と直感した残党が、ユエを狙うべく駆け出した。ユエはそれに対し、後ろに飛び退いて対処する。振り向いて迫りくる、漆黒の影と入れ替わるように。
「しぃッ!」
前へ踏み出した慧斗が、黒鉄の刃で風を斬りながら振り払った。横合いから殴りつけるような鉄塊が、魔物たちの頭蓋を力ずくで叩き割る。
数分と経たず、魔物たちは一掃された。
「――なんか、開き直れば大したことねえな」
「バケモノに言われても」
「言うなよそれなりに傷付くんだぞ!?」
返り血を拭いながら呟く慧斗の言葉に、ユエの冷淡なツッコミが炸裂した。
それはともかく。魔物の亡骸から魔石を摘出し宝物庫に収めると、二人は断崖絶壁を見上げた。
「……絶壁だなあ」
「登る?」
「魔法なしで、お前抱えて? ちょっと無理だよ。俺、クライミング素人だし」
せめて、蹴り兎から継承した固有魔法が使えさえすれば、何とかなるかも知れないが。今の慧斗に使えるのは、簡単な身体強化のみだ。
「そういや、ライセン大峡谷も七大迷宮の在処なんだっけ。東向きに進みながら、ついでに探してみるか」
「……樹海側? なんで?」
「峡谷を抜けて、いきなり砂漠横断なんて辛いだろ。樹海側なら、町があるはずだ。帝国領だけど」
ざっくり方針をまとめつつ、二人は歩き出した。
◇ ◇ ◇
ライセン大峡谷は、東西に真っ直ぐ伸びる断崖だ。脇道などはほとんどなく、道なりに進めば迷うことなく樹海に到着する。ユエがほぼ戦力外になるのは痛いが、逆に言うとそれ以上の問題はない。
しばらく歩いていると、向こう側から魔物の咆哮が聞こえてきた。びりびりと反響する大叫喚は、その威圧感を伺わせる。二人は警戒しつつ歩みを進めた。やがて二人の前に、その正体が現れた。
双頭のティラノサウルス、そう表現すればいいだろうか。その巨躯、ずらりと並んだ牙、太く力強い後ろ足に、同じように太い尻尾。退化した前足も、人の腕よりはずっと太い。どれも、並みの魔物を遥かに超える脅威だ。
問題は、それが一つの人影を追っていることだった。巨躯ゆえに旋回の利かない足元を、ぴょんぴょんと跳ね回りながら逃げ惑う人影がある。その頭頂には、一対の兎耳。
「何だ、あれ」
「……兎人族?」
「なんでこんなところに? 亜人族って、谷底も住処だったっけ?」
「……聞いたことない」
「じゃあ、あれか。犯罪者として落とされたとか? 処刑の方法としてあったよな」
「……悪ウサギ?」
割と他人の事を言えない二人は、どう対処すべきか迷った。わざわざ助ける義理もないし、何だか面倒事の予感がするが、あの巨大な魔物に道を塞がれては困る。
遠巻きに見守る二人をどうやって見つけたのか、少女の兎耳がぴくりと動き、その視線がこちらを向いた。
「だずげでぐだざ~い! ひーっ、死んじゃう! 死んじゃうよぉ! だずげでぇ~、おねがいじますぅ~!」
一歩間違えば爪で引き裂かれるか、食い千切られるか、踏み潰されるかの三択の状況で、こちらを見ながら助けを求めることができるのだから、余裕があるのだかないのだか。ユエは慧斗の顔を見上げた。
「……どうする?」
「いやバッチリこっち見てるしなあ……」
露骨に「関わり合いになりたくない」という表情を浮かべつつ、しかし環境ゆえに手の出しようがないユエの質問に、慧斗もどんな顔をすればいいか分からなかった。
とにかく、あの魔物が退いてくれないとこちらも進めないし、大人しく退いてくれるタイプの生物には見えない。選択肢は一つしかなかった。
ユエに適当なところへ避難するよう指示を出すと、慧斗はグレートソードを片手に吶喊した。
「ずぇいッ!!」
「ガアゥッ!?」
まずは無防備な後ろ足の片方を。硬く分厚い筋肉は、この重厚なグレートソードをして両断に至らせなかった。だが深い裂傷を刻み、注意を引かせるには充分だった。
巨獣の振り向く瞬間に合わせて大跳躍。捕食生物故に視野角の狭い目玉に向けて、思い切り黒鉄を突き立てる。
「ギャアアッ!?」
「ぎゃー!?」
悲鳴を上げた片方の頭の向こうから、こちらを捉えたもう一方の頭は、しかし暴れる片割れのせいで満足に動けない。
自分より大型の敵に対しては、とにかく先手を打ち相手を動かさないに限る。ぎゃいぎゃいと満足に動けない双頭の背に乗ると、慧斗はグレートソードを高く掲げ、
「――ふぅッ!」
「うわーっ!?」
無傷な方の頭蓋に打ち込んだ。
皮膚を食い破り、頭蓋を砕き、大脳新皮質を潰す黒鉄の一撃に、巨竜が大絶叫を上げる。痛みにのたうち回る背中にぐっとしがみつくと、今度は目を潰された方の首筋目掛けてグレートソードを構え、
「ぜぃやッ!」
その肉を深く斬り抉った。
その傷痕から夥しい血が噴き出し、慧斗の全身を赤黒く染めていく。頭蓋をやられ、頸動脈をやられ、双頭竜は絶叫を上げながらどうと横倒しに倒れた。
「ひぃぃっ!」
「ふんッ」
最後に、それぞれの頭蓋を改めて叩き潰せばおしまいだ。噴き出す血と脳漿を浴びながら、慧斗は双頭竜の足の隙間でへたり込む兎耳の少女に向かって歩き出した。
「た、助けて頂きありがとうございまし――ってギャー! 魔物もどきぃ!?」
「……やっぱそんなに目立つ?」
「少なくとも、人間族には見えない」
礼を言おうとした少女は、慧斗の異形ぶりに悲鳴を上げた。思わず落ち込んだ慧斗は、とててと駆け寄ってきたユエに追撃を食らった。
現在の慧斗といえば、髪が白く逆立ち、全身に赤黒い線が這い回り、白目と赤目が反転した魔物のような容貌をしている。というかただでさえ返り血を全身にたっぷり浴びており、その時点で尋常なヒトからかけ離れた姿である。不審者を通り越して立派な怪物だった。
「え、どうしよう。そんなヤバい格好で町とかうろつけねえじゃん。正規軍が派遣されるレベルじゃん」
「……あ、あの~……」
「魔力操作で仕舞えば、見た目は誤魔化せると思う」
「いやそんなもんやったことないんだけど。どうやるの」
「……えっと~……」
「ここでは無理。一旦峡谷を出てから教えてあげるね」
目の前の少女を無視して、慧斗とユエは会話を重ねた。まさか完全に野生で生きていくわけにはいかないし、最低限の情報収集のためにも人間の街に入るのは必須条件だ。方法があるならぜひ試しておきたい。
「あ、あのー!」
「……何? さっきから」
二人の意図的な無視に堪らず、大声で割り込んだ少女に、ユエは胡乱げな視線を向けた。
「私は兎人族ハウリアの一人、シアといいますです! 先ほどは助けて頂きありがとうございました! とりあえず私の家族も助けてください!」
「えっ」
「ああホラこういう話になる気がしてたんだよなあ!」
◇ ◇ ◇
「私の家族も助けて下さい!」
「NOだ。諦めて死ね」
少女ことシアの懇願を無視して双頭竜の解体を始めた慧斗に対し、シアはなおも食い下がった。慧斗も一向に譲らなかった。
「そんなぁ……助けてくれないんですか?」
少女はうるうるとした瞳で、慧斗を上目遣いで見上げた。
青みがかったロングストレートの白髪に、蒼穹の瞳。眉やまつ毛まで白く、肌の白さとも相まって、黙っていれば神秘的な容姿とも言えるだろう。手足もスラリと長く、長い耳や丸い尻尾がふりふりと揺れる様は何とも愛らしい。
さらに言えば、シアはたいへん豊かな乳房の持ち主だった。ボロボロの布切れのような物を纏っているだけなので、殊更強調されてしまっている
――目の前の少年が、並みの男から半歩はみ出した怪物でなければ。
「あざとい女は好みじゃない。百回生まれ変わって出直してこい」
「そんなぁ!? 父様にも褒められたこの美少女を切って捨てるなんて!?」
慧斗はちらりと一瞥したきり、再び双頭竜の皮と筋肉を断つ作業に戻った。ががーんという擬音が鳴りそうなシアのことを、ユエが冷たい目で眺めていた。
「何なんですかあなた! ひょっとして巷で言う『ろりこん』っていう人ですか!? だから私の誘惑にも引っかからないんですね!?」
「誘惑って堂々と言いやがったなこのウサ公」
シアの反抗に対し、慧斗は解体作業に没頭しつつ吐き捨てた。なかなか図太い少女である。
しかし太い。ぐりぐりと剣鉈を押し込んでいっても、魔石どころか臓器さえ見えてこない。これ以上時間をかけても仕方ないし、適当なところで切り上げるべきか。
「私なら、お礼にご奉仕だってできますよ! どこがいいんですか、そんな
「あ」
「え?」
慧斗の手がぴたりと止まった。異変に気付いたシアが、間抜けな声を上げた。
二人は同時にユエの方を振り返った。先ほどまで慧斗の作業を見守っていた彼女は、無表情で立ち上がっていた。
「……いま、なんて?」
決して声を荒げず、しかしごろごろという擬音が鳴りそうな迫力を伴いながら、ユエが口を開いた。慧斗は心の中で合掌した。
しばらく、沈黙が続いた。
―――― ……お祈りは済ませた?
―――― ……謝ったら、許してくれたり?
―――― …………
「お願いです許してくださ――」
「“嵐帝”」
「きゃあああーー!!」
がばりと土下座するシアよりも早く、ユエは竜巻で天高く吹き飛ばした。シアの情けない悲鳴が峡谷に木霊し、彼女はきっかり十秒後に「へぶっ」と墜落した。
その光景を眺めながら、慧斗はユエとシアの両方に呆れた。
「癇癪のために無理矢理魔法使うんじゃねえよ」
「……おっきい方が好き?」
「ノーコメントで」
慧斗は、振り返ったユエの質問を躱した。迂闊に答えれば、目の前の兎と同じ目に遭いかねない。
一方、頭から墜落したシアは、泥だらけの顔を拭いながら涙目で戻ってきた。
「うぅ~、ひどい目に遭いました……こんな場面
「頑丈なやっちゃな」
「ははは、誉め言葉として受け取っておきますぅ~……」
ユエの魔法で吹き飛ばされ、頭から墜落してもなお、大した傷は見えない。慧斗はギャグ漫画に迷い込んだ錯覚に襲われた。
「……これ、どうすべき? 話聞かなきゃいけない流れ?」
「無視していいと思う」
「お願いします話だけでも聞いて下さいぃ!」
「それ、結局ずぶずぶと事情に巻き込まれる流れなんだけど」
あからさまに厭そうな表情を浮かべる二人に対し、シアは縋りつくように懇願した。ああもう面倒臭い……とついに根負けした二人に対し、シアは身の上を語り始めた。
ハウリア氏族をはじめとする兎人族たちは、ハルツィナ樹海にて集落を作り、ひっそりと暮らしている。聴覚や隠密行動に優れているものの、基礎能力に劣る彼らは、亜人族の中でも格下と見られる傾向が強い。性格は総じて温厚で争いを嫌い、一つの集落全体を家族として扱う仲間同士の絆が深い種族である。
そんな兎人族の一つ、ハウリア氏族の運命は、ある女児――すなわちシアの誕生によって大きく変わった。基本的に濃紺の髪をしている兎人族の中でも、シアの髪は青みがかった白髪。しかも、亜人族には無いはずの魔力まで有しており、直接魔力を操る術と、とある固有魔法まで備えていたのである。
当然、一族は大いに困惑した。兎人族として――いや、亜人族として有り得ない子が生まれた。魔物と同様の力を持っているなど、普通なら迫害の対象となる。しかし、彼女が生まれたのは亜人族で最も家族の情が深い兎人族、百数十人全員を一つの家族と称する種族である。ハウリア氏族はシアを見捨てるという選択肢を持たなかった。
しかし、樹海深部に存在する亜人族の国『フェアベルゲン』にシアの存在が露見すれば、間違いなく処刑される。国の規律でも、魔物を見つけ次第可及的速やかに殲滅せよと規定されており、過去にわざと魔物を逃がした人物が追放処分を受けたという記録もある。故にハウリア氏族はシアを隠し、十六年もの間ひっそりと育ててきた。
が、先日とうとう彼女の存在が
だがその目論見は、他ならぬ帝国によって潰えた。樹海を出て早々、運悪く帝国兵に見つかってしまったのである。巡回中だったのか訓練だったのか、一個中隊規模と出くわしてしまったハウリア氏族は、南に逃げるしかなかった。
総じて容姿に優れており、エルフのような美しさとは異なる可愛らしさがある兎人族は、愛玩用の奴隷として人気がある。何とか女子供を逃がすため、男衆が身を挺して妨害を試みるも、半数以上が捕らわれてしまった。全滅を避けるために必死に逃げ続け、ライセン大峡谷にたどり着いた彼らは、苦肉の策として峡谷へと逃げ込んだ。魔法の使えない峡谷なら、さすがに追って来まいと踏んで。
ところが、帝国兵の執念はそれを上回った。小隊が峡谷の入り口に陣取り、兎人族が魔物に襲われ逃げ戻ってくるのを待ち構えているのである。どうしようかと迷っているうちに魔物に囲まれ、ハウリア氏族はさらに峡谷の奥へと逃げるしかなかった。そうやって、追い立てられるように峡谷を逃げ惑い……
「……気がつけば、六十人以上いた家族が、今は四十人もいません。このままでは全滅です。どうか助けて下さい!」
「断る」
がばりと土下座をしたシアの頭に、慧斗の冷たい声が降り注いだ。