ありふれた癌 作:Matto
「……なるほど。試練に神代魔法、それに神の盤上か……」
警備隊長ギルの先導でフェアベルゲンに連れられた慧斗たちは、中央樹の一角『長老の間』の上室にて、アルフレリックに一通りの説明をした。まもなく他の長老たちも集まり、会議が始まるという。
「信じるのか?」
「この世界は亜人族に優しくない。今更だ」
「あっそ」
聖教教会の権威もないこの地では、エヒト神への信仰心もないらしい。代わりに
問題は、『資格』という表現。曰く、ハルツィナ樹海の大迷宮の創始者リューティリス・ハルツィナより、「七大迷宮を示す紋章を持つ者が現れたら、それがどのような者であれ敵対しないこと」「その者を気に入ったのなら望む場所に連れて行くこと」――という、抽象的な口伝があるらしい。そして“解放者”とその仲間たちの名を遺したが、肝心の『“解放者”が何者なのか』については語られていないのだとか。オルクスの証にアルフレリックが反応したのは、大樹の根元に七つの紋章が刻まれた石碑があり、そのうちの一つが、この証と同じものらしい。
「で、その証を持ってる俺たちが、資格者ってわけか」
「そういうことだ」
そうして話をしていると、階下がどたどたと騒がしくなった。下の『長老の間』にはハウリアたちを待機させているが……何者かと衝突があったのだろうか。
同時に階段を降りた慧斗たちとアルフレリックが目撃したのは、大柄な熊人族がハウリアたちへ拳を振り上げている様子だった。ハウリアたちは部屋の隅に縮こまり、ぶるぶると震えている。必死にシアを庇うカムの顔は、赤く腫れていた。その周囲には、多種多様な亜人族の長老たち。
「おい、何やってんだ熊公」
慧斗のこめかみに青筋がひとつ浮かんだ。今まさにカムらを殴りつけていた、熊人族の長老ジンも同じだった。
「アルフレリック! 貴様、どういうつもりだ! なぜ人間を招き入れた? こいつら兎人族もだ。忌み子にこの地を踏ませるなど……返答によっては、長老会議にて貴様に処分を下すことになるぞ」
降りてきた三人、特にアルフレリックに向かって、ジンが詰め寄った。身長も体重も自らを遥かに超えるジンに対し、アルフレリックは涼しい顔で口を開いた。
「なに、口伝に従ったまでだ。お前たちも各種族の長老の座にあるのだ。事情は理解できるはずだが?」
「何が口伝だ! そんなもの眉唾物ではないか! フェアベルゲン建国以来一度も実行されたことなどないではないか!」
「ならば、今回が最初になるのだろう、それだけのことだ。お前達も長老なら口伝には従え。それが掟だ。我ら長老の座にあるものが掟を軽視してどうする」
「なら、この人間共が資格者だとでも言うのか! 敵対してはならない強者だと!」
「そうだ」
果たしてアルフレリックの言葉は、誰の納得も得られなかった。特に長命な森人族はともかく、他の亜人族の平均寿命は百年がせいぜいだ。真偽不確かな口伝よりも、明確な脅威である人間族への憎悪の方が勝っているようだ。
「……ならば、今、この場で試してやろう!」
いきり立ったジンは、ついに慧斗目掛けて突進した。
誰もが咄嗟に反応できない中、ジンは慧斗目掛けて太い剛腕を振り下ろした。亜人の中でも、特に耐久力と腕力に優れる熊人族。一撃で大樹を圧し折る筋力を以てすれば、脆弱な人間族などひとたまりもない。亜人族は皆、潰れた肉塊となった慧斗を幻視した。
「ふんっ」
「えっ」
そのジンの腕を掴みながら身を捻り、ぐいと投げ飛ばすまでは。
当のジンでさえ、驚愕に思考が停止する。すぽーんと高く放り投げられたジンが、受け身も取れずに天井にぶつかり、轟音を立てて落下する。背後の階段へ頭と首をしたたかに打ち付けたジンは、そのまま白目を剥いて失神した。
「え?」
「え?」
「え?」
一歩遅れて、長老たちに驚愕の感情が戻ってきた。あの熊人族、その長老たるジンを投げ飛ばした? たった一撃で?
「……弱そうな方のユエを狙わなかったのは褒めてやる。が、それだけだな。
そんで? 次は誰が試す番だ?」
こきりと首を鳴らしながら言い放つ慧斗に、答える者は誰もいなかった。
◇ ◇ ◇
失神したジンを運び出し、改めて長老会議が開かれた。
呑気に茶を啜る慧斗とユエを除き、『長老の間』は緊張に包まれている。円卓に並んで座る長老たちも、慧斗たちの背後で震えるハウリアたちも同様だった。
「――確かに、この者たちは、紋章の一つを所持している。その実力も大迷宮を突破したと言うだけのことはあるね。僕は、彼を口伝の資格者と認めるよ」
狐人族の長老ルアの発言に、翼人族のマオ、虎人族のゼルも渋々といった様子で同意した。これで多数決、趨勢は決まった。アルフレリックが、長老衆を代表して口を開いた。
「ホザキケイト、そしてユエ。我らフェアベルゲンの長老衆は、お前さんらを口伝の資格者として認める。故に、お前さんと敵対はしないというのが総意だ……可能な限り、末端の者にも手を出さないように伝える。……しかし……」
「何か支障があんの」
「知っての通り、亜人族は人間族をよく思っていない。正直、憎んでいるとも言える。血気盛んな者たちは、長老会議の通達を無視する可能性を否定できない。特にジンは……」
「それは総意って言わねーんじゃねえの?」
アルフレリックの苦々しい言葉を、慧斗は切って捨てた。上位者からの通達を遵守できない集団など、もはや権力構造として崩壊しているといっても過言ではない。「けだもの扱いされるのはこういうところなのかもな」と、慧斗は失礼なことを考えた。
「で? 要点ははっきり端的にと、先代から習わなかったのか?」
頬杖を突きながら、慧斗は冷たく言い放った。それに対し、アルフレリックもまた意志の宿った瞳を向けた。
「お前さんらを襲った者たちを殺さないで欲しい」
「殺意を向けてくる相手に、手加減をしろと?」
「そうだ。お前さんらの実力なら可能だろう?」
「無理だ」
アルフレリックの懇願を、慧斗はきっぱりと否定した。
「あんたらが『強者』というものをどう定義しているかは知らん。が、俺にとっちゃ関係ないことだ。
敵は殺す。敵は潰す。そうしないと生きていけない連中に、『手加減』なんて生温いこと期待してんじゃねーよ」
「私にも関係ない。亜人族が何人死のうと、同じこと」
生き延びたければ殺さなければならないのが戦争で、生き延びるために殺し尽くしたのが奈落での戦いだ。そうして自らを練成した慧斗とユエに、『手加減』などという精密な作業は恐ろしく面倒で困難な要求だった。第一、手加減して生き延びさせたところで、再び襲撃してこない保証はない。
しかし、そこで虎人族のゼルが口を挟んだ。
「ならば我々は、大樹の下への案内を拒否させてもらう。口伝にも、気に入らない相手を案内する必要はないとあるからな」
その言葉に、慧斗はぴくりと片眉を上げた。拒否も何も、最初からフェアベルゲンの協力を仰ぐ気などない。そんな不審を察したのか、ゼルは言葉を続けた。
「ハウリア氏族に案内してもらえるとは思わないことだ。そいつらは罪人、フェアベルゲンの掟に基づいて裁きを与える。何があって同道していたのか知らんが、ここでお別れだ。忌まわしき魔物の性質を持つ子と、それを匿った罪――フェアベルゲンを危険に晒したも同然なのだ。既に長老会議で処刑が決定されている」
ゼルの言葉に、シアは泣きそうな表情で震えた。カムたちも諦めた表情をしている。
「長老様方! どうか、どうか一族だけはご寛恕を! どうか!」
「シア! 止めなさい! 皆、覚悟は出来ている。お前には何の落ち度もないのだ。そんな家族を見捨ててまで生きたいとは思わない。ハウリア氏族の皆で何度も何度も話し合って決めたことなのだ。お前が気に病む必要はない」
「でも、父様!」
土下座しながら必死に寛恕を請うシアだったが、ゼルは容赦なく言い捨てた。
「既に決定したことだ。ハウリア氏族は全員処刑する。フェアベルゲンを謀らなければ、忌み子の追放だけで済んだかもしれんのにな」
堪らず泣き出すシアを、カムたちが優しく慰めた。他の長老たちが口を挟む様子はなかった。
「そういうわけだ。これで、貴様らが大樹に行く方法は途絶えたわけだが? どうする? 運良くたどり着く可能性に賭けてみるか?」
ふんとせせら笑うゼルは、勝ち誇った顔をしていた。これで、交渉のカードを取り上げたつもりなのだろう。
「じゃ、戦争すっか」
「なに?」
だが慧斗には通用しなかった。
ごんとグレートソードを円卓に突き立て、長老衆へと突き付ける。受け身に回ったジンの時でさえ見せなかった、明確な宣戦布告だった。
「邪魔する者は叩いて潰す、それが俺の流儀だ。その過程でどれだけ血が流れようと、どれだけの命が失われようと、いまさら知ったこっちゃない。貴様らがその気なら、この森全部丸焼きにしてくれる」
「そんな真似ができるとでも?」
「試してほしいのか?」
できるはずがない――そう踏んだゼルに向かって、しかし慧斗は一言で目の色を変えただけだった。
ずお、と空気が変わった。
「――これは……!?」
かつて感じたこともない凶悪なプレッシャーが、長老の間を満たす。それはハウリアたちのみならず、長老たちをして、思わずたじろぐ事態に陥らせた。
その中心にいるのは――白い髪を逆立て、全身に赤黒い線を纏い、眼窩を反転させた慧斗。
「ユエはこの街を気に入ったようだからな、いささか忍びないが――まずはこの街を焦土に変えてみるか?」
溜め込んできた魔力を解き放ち、形なき暴風を巻き起こしながら、慧斗は冷たい表情で長老衆を睥睨した。ユエだけが、我関せずとばかりに茶を啜っていた。
一瞬にして広間に緊張が走り、敵意と猜疑心と畏怖が錯綜する。一触即発の空気を変えたのは、アルフレリックの言葉だった。
「――フェアベルゲンから案内を出すと言っても?」
魔力の暴風が止んだ。殺意に満ち満ちた瞳を緩めながら、しかし慧斗の返答は変わらなかった。
「何度も言わせるな。俺たちの案内人はハウリアだ」
「……なぜ、彼らにこだわる。大樹に行きたいだけなら、案内人は誰でもよかろう」
「契約だ」
アルフレリックの問いに、慧斗はきっぱりと言い放った。
「俺たちは契約を交わした。そしてそれに足る仕事をした。その報酬をまだ貰っていない」
その言葉に、アルフレリックは意外さを覚えた。今目の前で、暴力の化身として顕現しているこの少年にはそぐわない、奇妙な義理堅さだった。
「……契約か。それならもう果たしたと考えてもいいのではないか? 峡谷の魔物からも、帝国兵からも守ったのだろう? なら、あとは報酬として案内を受けるだけだ。報酬を渡す者が変わるだけで問題なかろう」
「大有りだよ、この世間知らず」
アルフレリックの言葉を、しかし慧斗は鼻で嗤った。
「契約者が渡す。契約者が受け取る――それが『契約』だ。横から割って入った連中に『報酬寄越すから裏切れ』なんて言われて、ハイそうですかって従ってたまるか。誠実さとか理解できねーのか貴様ら」
殊更に悪辣な言葉選びに、長老衆が物言いたげな表情を浮かべた。とはいえ、今にも大剣を振り上げて斬殺しかねない威圧感に、面と向かって反論する勇気はない。
「大体、『一族を脅威から守ってくれ』なーんてふわっとした依頼だからな。貴様らがこいつら殺すってんじゃあ、まだ履行したことにならない。
「ケイト、そんなに戦争がしたいの?」
「横紙破りをしてくる連中が悪いだろ」
茶を飲み終わったユエが、呆れたように慧斗に言った。先に処刑の判断を下したフェアベルゲンとしては、慧斗の方が横紙破りなのだが、そんなツッコミが機能するか、どうか。
であれば、とアルフレリックは妥協点を探し始めた。長老会議としての処分を覆さず、しかし実際に処刑を行わない妥協点――
「ならば、お前さんらの奴隷ということにでもしておこう。フェアベルゲンの掟では、樹海の外に出て帰ってこなかった者、奴隷として捕まったことが確定した者は、死んだものとして扱う。……既に死亡と見なしたものを、処刑はできまい」
「アルフレリック! それでは!」
完全に屁理屈である。当然、他の長老たちがぎょっとした表情を向ける。ゼルに至っては思わず身を乗り出し、抗議の声を上げた。
「ゼル、わかっているだろう。この少年が退かないことも、その力の大きさも。ハウリア氏族を処刑すれば、確実に敵対することになる。その場合、どれだけの犠牲が出るか……長老の一人として、そのような危険は断じて犯せん」
「しかし、それでは示しがつかん! 力に屈して、化物の子やそれに与するものを野放しにしたと噂が広まれば、長老会議の威信は地に落ちるぞ!」
「だが……!」
「あのさ」
「なんだ! 今大事な話をして――」
「たかが“未来視”が、そんなに脅威?」
魔力を仕舞い、元通りの姿に戻った慧斗の言葉に、長老衆はえっと間抜けな声を上げた。
「『七大迷宮を示す紋章を持つ者が現れたら、それがどのような者であれ敵対しないこと』――だっけな? 掟に従うなら、あんたらはいずれにしろ、化物を見逃さなくちゃならねえって話になる。
俺、この通り魔物もどきだし。こっちのユエは先祖返りの魔人族だし。俺たちを見逃すくらいなら、正直シア=ハウリアの“未来視”とか、些事だと思う。どうよ」
ごり、と突き刺さったグレートソードを引き抜きつつ、慧斗は涼しい顔で言葉を重ねる。些事とかそういう問題ではなく――いやこんな化物を野放しにする以上――いやいや――と、長老衆の間で困惑が錯綜する。
最終的に話がまとまったのか、アルフレリックは長い長い溜息を吐きながら述べた。
「……ハウリア氏族は忌み子シア=ハウリアを筆頭に、同じく忌み子であるホザキケイトの身内と見なす。そして、資格者ホザキケイトに対しては、敵対はしないが、フェアベルゲンや周辺の集落への立ち入りを禁ずる。以降、ホザキケイトの一族に手を出した場合は全て自己責任とする……以上だ。何かあるか?」
「異論なーし。ユエは?」
「ない」
「……そうか。ならば、早々に立ち去ってくれるか。ようやく現れた口伝の資格者を歓迎できないのは心苦しいが……」
「まーいいよ。現地人から歓迎されない観光客とか、よくある話だし」
そう言うと、慧斗はグレートソードを担ぎ直し、ユエも席を立った。あとは長老衆の要望通り、さっさと出ていくだけだ。
◇ ◇ ◇
「あ、あの、私たち……死ななくていいんですか?」
中央樹を出た辺りで、おずおずと問うたシアの言葉に、慧斗とユエは顔を見合わせた。
「ウサギってやっぱ脳小さいんじゃねえ?」
「間違いない」
「もうちょっと言い方ないですか!?」
容赦の欠片もない罵倒に、シアのツッコミがぶち当たる。残念ながら、今後この二人が改めることはない。
「さっきの話は聞いてたろ。体裁上、俺の身内ってことになるけど……正直そこまで責任持ちたくないし、あとは各自で頑張って」
「い、いえ、聞いてはいましたが……その、何だかトントン拍子で窮地を脱してしまったので、実感が湧かないといいますか……信じられない状況といいますか……」
処刑確定の追われ者から一転、事実上の自由放免である。一日にして大きく覆った現実に、とてもついていけない。後に続くハウリアたちも同様なのか、一様に困惑している。この感情をどう処理すればいいのか困惑するシアに、見かねたユエが声を掛けた。
「……素直に喜べばいい」
「ユエさん?」
「……ケイトに救われた、それが事実。受け入れて喜べばいい」
「あれ救ったうちに入るかなあ……」
ユエの言葉に、慧斗はぼりぼりと頭を掻いた。やっていることが半分恫喝だったことは、彼にも自覚があった。
「ま、契約だしなー」
それだけ言い捨てると、「いいから早く行くよー」と慧斗は歩き出した。充分な理由のある敵意の中でいつまでも油を売っていられるほど、彼も厚顔ではなかった。
一方、立ち止まったままのシアは肩を震わせた。――契約。樹海の案内と引き換えに、シアと彼女の家族の命を守る。それは間違いなく慧斗の都合によるものだろう。しかしユエの言う通り、シアと大切な家族は守られたのだ。
その事実に、シアは心臓が跳ねた気がした。顔が熱を持ち、居ても立ってもいられない正体不明の衝動が込み上げてくる。それは家族が生き残った事への喜びか、それとも……シアは、ユエの言う通り素直に喜び、今の気持ちを衝動に任せて全力で表してみることにした。すなわち、慧斗に全力で抱きつく!
「ケイトさ~ん! ありがどうございま――ぎゃー!?」
がしかし、慧斗の背負い投げによってそれは阻止された。あまりに心無い対応に、さしものユエも閉口した。
「……ケイト……」
「いやあ、条件反射で」