ありふれた癌   作:Matto

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02:勇者の卵

「まず、()()()()は、“トータス”と呼ばれております」

 

 

 ゼイゼイと肩で息をしながら、イシュタルは語り出した。

 生徒たちとイシュタルは、別の部屋に移動していた。長机が長方形に配置された大部屋である。信者から大量の()()()を吸い上げて建てられただろうその部屋にも、煌びやかな調度が飾られていた。

 イシュタルはその上座――大広間の壁画と同じ人物のそれを背負う形で座っていた。集団拉致の首謀者でありながら不躾な野郎だ、と慧斗は()()()を企てたが、止めてやることにした。

 

 

「なんだ、その言いようは。まるで別世界のような口ぶりだな」

「はい、そうです」

 

 

 慧斗の冷たい言葉を、しかしイシュタルは真正面から肯定した。まさかの事態に、生徒たちはざわざわと騒ぎ始めた。

 

 

「で? いまどき流行りの異世界召喚ってやつ? なんでそんな真似をした」

「その前に、この世界の説明を――いいですかな」

「許す」

 

 

 痛苦に耐えながらのイシュタルの言葉を、慧斗は尊大な態度で許可した。

 

 

「トータスには、大きく分けて、三つの種族があります。人間族、魔人族、亜人族です。人間族は北一帯、魔人族は南一帯を支配し、そして亜人族は東の樹海の中でひっそりと生きています。

 問題は、我ら人間族と魔人族です。我らと彼らは、何百年も戦争を続けています。魔人族めは、個々の力こそ強大ですが、我々人間族は、その数で対抗してきました」

「その程度は地球でもやってる。名を変え形を変えてな。いちいち『異世界』なんぞに縋るな」

 

 

 イシュタルの説明に対し、慧斗はふんと鼻を鳴らした。敵対者を蛮族(バルバロイ)だの異教徒だの邪悪だのと呼び、その人間性を否定してきた歴史など、枚挙に暇がない。

 

 

「ですが、魔人族めに、大きな動きがありました。魔物どもを、大規模に従えている、とのことです。魔物どもの、大規模な動員に、人間族の数の優位は、失われました」

 

 

 ようやく話が見えてきた。つまり『数』と『質』の拮抗が崩壊し、質に劣る人間族側が不利に陥ったということだろう。

 

 

「あなた方を召喚したのは“エヒト様”です。我々人間族が崇める守護神、聖教教会の唯一神にして、この世界を創られた、至上の神。

 おそらく、エヒト様は悟られたのでしょう。このままでは、人間族は滅ぶと。それを回避するために、あなた方を()ぶべきだと」

「根拠は」

「召喚が実行される少し前に、エヒト様から、神託があったのです。異世界“地球”より、あなた方という『救い』を送ると。

 あなた方には、是非その力を発揮し、エヒト様の御意志の下、魔人族を打倒し、我ら人間族を、救って頂きたい」

「その『ご神託』って奴は、葉っぱでもキめた最中に授かったもんじゃねえだろうな」

 

 

 イシュタルの陶然とした表情を、慧斗は冷たく切り捨てた。つまりこいつらは、根拠不確かな話に基づいて、成否不確かな方法に従ったわけだ。しかも二十一世紀日本人高校生という、およそ役に立たない候補を引き当てて。

 そこに割り込んだのが、毅然と立ち上がった畑山だった。

 

 

「ふざけないで下さい! 結局、この子達に戦争させようってことでしょ! そんなの許しません! ええ、先生は絶対に許しませんよ!

 私たちを早く帰して下さい! きっと、ご家族も心配しているはずです! あなたたちのしていることはただの誘拐ですよ!」

「センセ、遅い。つか誘拐じゃなくて拉致」

 

 

 社会科教諭、畑山愛子、二十五歳。教師としてまだまだ若輩の彼女は、その小柄な体格であくせく働く姿が生徒たちの人気を買い、『愛ちゃん先生』の名で親しまれている。今もまさにぷりぷりと怒る様は、本人の真剣さと反してまるで威厳がない。

 

 

「で、帰せないって理由は? ()べたのなら帰せて当然だろ」

「そ、そうです! 不可能って、どういうことですか!?」

 

 

 そんな畑山はともかく、慧斗は次なる話題に切り替えた。使い物になるにせよならないにせよ、異世界からの拉致である。当然、送り返す算段は存在するはずだ。

 

 

「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのは、エヒト様です。我々人間に、異世界に干渉するような、魔法は使えません。あなた方が、帰還できるかどうかも、エヒト様の御意志次第と、思われます」

「そ、そんな……」

 

 

 イシュタルの言葉に愕然とした畑山は、そのまま脱力したように椅子に落ちた。ようやく事態の重大さを悟った生徒たちが、口々に騒ぎ始める。

 

 

「うそだろ? 帰れないってなんだよ!」

「いやよ! なんでもいいから帰してよ!」

「戦争なんて冗談じゃねぇ! ふざけんなよ!」

「なんで、なんで、なんで……」

 

 

 完全にパニックに襲われている。これだから使い物にならないんだ、と慧斗は内心で吐き捨てた。無論、彼自身も含めて。

 その騒乱を切り裂いたのは、だんと机を叩く音だった。大部屋にいる全員の視線が、その主――椅子から立ち上がった天之河に集中した。

 

 

「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。

 それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。――イシュタルさん? どうですか?」

「そうですな。エヒト様も、救世主の願いを、無下にはしますまい」

 

 

 天之河の言葉に、一同がぱあっと顔を明るくする。イシュタルの肯定も、それを加速させた。

 一縷の希望を見出し、大部屋の空気が明るくなる一方、

 

 

「――いや何でお前が仕切ってんの?」

「えっ……?」

 

 

 そこに、慧斗が冷や水を浴びせかけた。

 予想外の言葉に唖然とした天之河を始め、再び慧斗に視線が集中した。慧斗は独り冷たい表情のまま、その視線を天之河に向けていた。

 

 

「ここまで懇切丁寧に説明させたの、俺なんだけど。今話を進めさせてたのは俺なんだけど。何で横でぼーっと突っ立ってただけのお前が、俺たちの将来に口出しするわけ?」

「それは――でも、他に方法がないじゃないか!」

()()()()()()に誘導したのはお前だろ。全部ぶち壊しだよ、この馬鹿野郎」

「――何だって……?」

 

 

 慧斗の容赦ない言葉に、天之河が思わず不快げな表情を浮かべる。

 話にならない。得意顔で勝手に話を進める天之河も、この程度で流される生徒連中も。

 

 

「お前ら馬鹿なの? 多少の撃剣、多少の徒手空拳ができる――しかもそれがごく一部だ。戦争なんて経験しちゃいない、そもそも家畜の殺し方も知らない。

 ()()()()()()を知らない俺たちがたかだか二十人、なんの役に立つって言うんだ? お前、そこまで考えてもの喋ってる?」

「でも、俺たちには力があって――お前も感じてるだろ? ここに来てから、妙に力が漲っている感じが。この力があれば、戦争なんてきっと」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 天之河の反論を、慧斗はきっぱりと否定した。天之河は、思わず反論の言葉を失った。

 戦う力があるかどうかではない。そんなものは二の次でいい。問題は、()()()()()()があるかどうかだ。

 

 

「あれか、世界史の授業全部寝てたタイプ? 日本史の授業何も聞いてないタイプ? ナントカの役、ナントカ合戦って数々の戦争を、お前は、俺たちは、()()()()()知らないんだよ。

 実際に肉を斬る感触を、骨を断つ感触を。そうする恐怖を、そうされる恐怖を。それを繰り返していく未来を、俺たちはなーんにも知らないんだよ。先人たちがそれを繰り返して、ようやく西暦二千年を乗り越えた事実を、お前らは実感として解ってないんだよ」

 

 

 容赦ない慧斗の言葉の数々に、生徒たちは沈黙した。何一つ反論できなかった。

 特に十九世紀以降、剣や槍が廃れ、小銃や大砲で殺し合うようになってなお、戦争という大規模な殺し合いは、それに従事する兵士たちに深いトラウマを与えたという。特に日清戦争などは、正式に鍛えられた兵士であっても、あまりの恐怖に『銃を撃つフリ』をする兵士が続出したらしい。ましてやそれすらないであろうこの異世界で、徴兵も練兵もされていない日本人高校生など、たった一戦分でさえ使い物になるかどうかさえ怪しい。

 何より、()()()()()()()()

 

 

「『滅亡の危機』? 『放っておくなんてできない』? 寝言ほざいてんじゃねえよ。()()()()()()()()()()()()。異世界の歴史なんかに、お前の自己満足なんかに、俺たちを巻き込むな」

「でも――!」

 

 

 これが地球ならば話は違うだろう。異世界からの侵略ならば話は違うだろう。だが地球とは全く関係のない、『異世界の民族戦争』に無理矢理巻き込んできた形だ。従う義理などどこにもない。

 冷たく吐き捨てる慧斗に、しかし天之河はなおも食い下がった。行き詰った議論に差し挟むように、イシュタルが口を開いた。

 

 

「残念ですが――他の方法は、ありません。エヒト様が、あなた方を召喚なさった以上、エヒト様のご意向でなければ、お帰しできません」

 

 

 これ見よがしに言い放つイシュタルに、「そらこれだ」と慧斗は無言で顔をしかめた。天之河が『エヒト神に従って戦えば、元の世界に戻してもらえる』という流れを作ってしまったせいで、話がそちら側に傾いてしまった。

 

 

「――と、言ってるわけだけど。どうする?」

「頭の痛えこと言うな、クソが」

 

 

 差し挟まれた八重樫の言葉に、慧斗は頭を抱えて天井を仰いだ。天之河も、畑山も、生徒たち全員が見つめる中、慧斗はぐるぐると思考を巡らせた。

 どうにも胡散臭い。『異世界からの勇者』なんて、他にいくらでも候補があるはずだ。よりによって、最悪の選択肢を採る必要はない。何か裏がある。しかし現実として、主導権を握っているのはイシュタル、もといエヒト神で――

 

 

「――……『使い物にならん』、そういう前提で使え」

 

 

 天井を仰いだまま、慧斗はぽつりと呟いた。

 趨勢は変えられない。胡散臭かろうと何だろうと、もう認めるしかない。

 

 

「俺たちはな、()()()()()()だ。武器の扱い方も知らない、家畜の殺し方も知らない、戦場なんてまっぴら知らない。そんな連中がほとんどで――それで成り立つ社会で育ってきた連中だ。

 前線の魔物、一匹二匹始末できる程度だと思え。そういう前提で扱え。その間に改めて護摩やって、『エヒト様』とやらに懇願しろ。『こいつらは使い物になりません、真っ当な戦士と入れ替えてください』ってな。誠心誠意込めて、俺たちを帰還させるように懇願しろ。どれだけの期間を費やしても、どれだけの資源を費やしても――どれだけの犠牲を費やしても。

 それまでは、そのクソ下らない戦争を手伝ってやる。後方援護くらいはしてやる。『エヒト様』とやらが根負けして、一分一秒でも早く帰還させるようにお願いし続けろ」

「……分かり、ました」

 

 

 苦み走った慧斗の言葉に、イシュタルは肯定を返した。痛苦に耐える苦しい言葉の端に、隠し切れない喜悦が零れたのを、慧斗は聞き逃さなかった。

 未だ不安げな生徒たちに対し、天之河はきらりと輝くような笑顔で口を開いた。

 

 

「大丈夫だ、皆。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」

 

 

 その力強い言葉に、生徒たちがぱあっと笑顔を取り戻す。彼がいれば、何とかなるかも知れない――そんな希望が、大部屋を再び満たした。

 

 

「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」

「龍太郎……」

「今のところ、それしかないわよね。……気に食わないけど……私もやるわ」

「雫……」

「え、えっと、雫ちゃんがやるなら私も頑張るよ!」

「香織……」

 

 

 そこに坂上、八重樫、白崎の幼馴染三人が加わる。「ダメですよ~」と涙目で訴える畑山のことなど、誰も気にしていなかった。

 動かしようのない大部屋の雰囲気に、慧斗は無言で舌打ちした。この連中は、明らかに自覚が足りない。

 

 

(――……話にならねえ)

 

 

 とはいえ、趨勢は決まった。エヒト神が根負けするその時まで――慧斗たちは、『戦争』という名の煉獄に囚われなければいけないのだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 戦争参加の決意をした以上、慧斗たちは戦いの術を学ばなければならない。いくら規格外の力を持っていると言っても、所詮は潜在能力だ。いきなり魔物や魔人と戦うなど不可能である。

 驚くべきことに、聖教教会はそれも織り込み済みらしく、この教会本山こと『神山』の麓、ハイリヒ王国にて受け入れ態勢を整えているらしい。同国は聖教教会と密接な関係があり、その建立からして、エヒト神の眷属たる人物によるものだという。物理的にも宗教的にも、国の背後に教会があるのだから、その繋がりの強さは推して知るべしだ。

 生徒一同は下山しハイリヒ王国に行くため、聖教教会の正面門に連れられてきた。教会本殿は神山の頂上にあったらしく、凱旋門もかくやという荘厳な門――生徒たちはほへーと感嘆の声を上げていたが、慧斗は冷ややかに見ていた――を潜ると、そこには雲海が広がっていた。地球環境では、雲海ができるのは標高およそ千五百メートルである。酸素不足による息苦しさなど感じていなかったので、まさか高山だとは気づかなかった。いわゆる魔法でも使って、生活環境を整えているのだろうか。生徒たちは、太陽光を反射してきらきらと煌めく雲海と、透き通るような青空という雄大な景色に見蕩れた。

 添木と包帯で身を被せ、傍らの僧侶に支えられながらも、どこか自慢げな表情を浮かべるイシュタルに促されて先へ進むと、柵に囲まれた円形の大きな白い台座が現れた。大聖堂と同じ大理石の美しい回廊を進み、巨大な魔法陣が刻まれた台座に乗せられる。柵の向こう側は雲海にたじろぎ、大多数の生徒が中央に身を寄せる。それでも興味が湧くのは止められないようで、きょろきょろと辺りを見渡していると、イシュタルが何やら唱え始めた。

 

 

「彼の者へと至る道、信仰と共に開かれん――“天道”」

 

 

 足元の魔法陣が煌々と輝き、台座がゆっくりと滑り出す。地球でいうロープウェイに相当する代物だろうか。初めて見る“魔法”に興奮し、生徒たちがきゃっきゃと騒ぎ出す。雲海に突入する頃には大騒ぎだ。膨大な質量の水分に慧斗は思わず身構えたが、想像に反して一滴たりとも濡れなかった。まさに魔法、至れり尽くせりである。

 やがて、雲海を抜け地上が見えてきた。眼下には大きな街、もとい城塞都市が見える。山肌からせり出すように建築された巨大な城と、放射状に広がる城下町――ハイリヒ王国の王都だ。台座は王宮の一角、高い塔の屋上に向かって進んでいるらしい。

 なるほど素晴らしい演出だ。『雲海を抜け天より降りたる“神の使徒”』という絵図は、聖教信者が教会関係者を神聖視するのに充分な荘厳さがある。だがそこに、慧斗は嫌な予感を覚えた。この絵面は、まるで王国が教会に傅いているかのようだ。

 王宮に到着すると、生徒たちは真っ直ぐに玉座の間に案内された。教会に劣らぬ煌びやかな内装の廊下を歩く。道中、武官らしき者や文官らしき者、メイド等の使用人とすれ違った。皆一様に期待に満ちた、あるいは畏敬の念に満ちた眼差しを向けている。生徒たちが何者か知っているのか、先頭を歩くイシュタルの存在が大きいのか。

 巨大な両開きの扉の前に到着すると、その両隣を警護している兵士二人が扉を開き、向こう側に向かって朗々と叫んだ。

 

 

「――聖教教会教皇、イシュタル・ランゴバルド猊下のご到着です!」

 

 

 イシュタルは、さも当然とばかりに悠々と通っていった。一方で場慣れしていない生徒たちは、恐る恐る扉を潜った。

 扉のは、まっすぐに延びたベルベットのカーペットと、その奥の中央に豪奢な玉座があった。そこには、金色の王冠を被った初老の男が()()()()()()待っていた。

 

 

「ご足労戴き感謝いたします、イシュタル猊下――そのお怪我は!?」

「大したことではありませぬ、うっかり階段を転んだだけのこと。年寄りは足腰が弱くなっていけませんな」

 

 

 頭を下げようとした男は、僧侶に支えられて歩くイシュタルを見て驚愕した。あれが、この国の王だろう。隣には王妃と思われる女性、その更に隣には十歳前後の金髪碧眼の美少年、十四、五歳の同じく金髪碧眼の美少女が控えていた。カーペットの両サイドには左側に甲冑や軍服らしき衣装を纏った武官たちが、右側には文官らしき者たちが三十人以上、びしりと整列して立っている。

 玉座の手前に着くと、イシュタルは生徒たちをそこに止め置き、自分は国王の隣へと進んだ。そこでおもむろに手を差し出すと、国王は恭しくその手を取り、軽い接吻をした。

 

 

(案の定だ)

 

 

 カノッサの屈辱。カトリック教会による破門の危機に、神聖ローマ皇帝の膝を折らせた大事件。政治と宗教の力関係を逆転させた厳然たる事実。それが、この世界でも生じているわけだ。

 そこからはただの自己紹介が流れた。国王の名をエリヒド・S・B・ハイリヒ、王妃をルルアリアというらしい。金髪の少年はランデル王子、王女はリリアーナという。他に騎士団長や宰相等、高い地位にある者の紹介がなされたが、慧斗は全て聞き流していた。単純に、一斉に名前を並べられても覚えられなかった。必要があれば、個別で会話を交わす機会があるだろう。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 その後晩餐会が開かれ、生徒たちは異世界料理を堪能した。見た目は、地球の洋食とほとんど変わりない。たまにピンク色のソースや、虹色に輝く飲み物が出てきたが、現代日本育ちの生徒たちの口に合ったのは僥倖だろう。ランデル王子がしきりに白崎に話しかけていたのを、クラスの男子がやきもきしながら見ているという状況もあったが、慧斗は全く気づかなかった。

 

 

「陛下。戦闘訓練等の事前準備を受け入れて下さるということだが、具体的な待遇は」

 

 

 それら一切を無視して、慧斗はエリヒドに向けて言葉を発した。ぎょっとした畑山が止めにかかろうとしたが、無礼を恐れて口を挟めない様子だった。

 

 

「皆様の衣食住は王宮にて保証いたします。また戦闘訓練に関しては、現役の騎士団と宮廷魔法師たちを配備しております。明日、騎士団長メルド・ロギンスよりご紹介いたします」

「左様ですか。助かります」

 

 

 一方、エリヒドは想定済みだったのか、淀みなく返した。たかが十六、七の小僧共に対して随分な厚遇だが、『人間族を救う英雄たち』の養成と考えれば、妥当な判断だろう。

 晩餐が終わり解散になると、生徒たちは寝室に案内された。集団で寝泊まりする大部屋ではなく、何と個室が割り当てられている。値段も知れない高級そうな調度、豪奢な天蓋付きベッドに気後れした慧斗は、そこで日課の走り込みを思い出した。これから鉄火場に飛び込もうという状況だ、修練は欠かさない方がいいだろう――そんな言い訳を並べて、慧斗は部屋を出ていった。

 が、

 

 

(……しまった)

 

 

 豪奢な王宮の中で、走り込みどころではない。右も左も豪奢な絨毯で埋め尽くされ、とても汗を流せるような場所はなかった。

 これはどうしたらいいだろう――走る前から冷や汗を浮かべた慧斗は、通路の向こうから歩く一人の少女に出くわした。

 

 

「あら……?」

「ん?」

 

 

 現れた少女の正体を、慧斗は咄嗟に思い至ることはできなかった。見覚えはある気がするが――何せ初対面の人間が多く、誰が誰だか覚えきれていない。

 

 

「あなたは――勇者様のお一人ですね?」

「一応、そういうことになってますが……えっと……」

「あぁ、申し訳ありません。私は王女リリアーナでございます」

「あ、どうも。穂崎 慧斗です」

「ホザキさん? ケイトさん?」

慧斗(ケイト)の方が名です。他の連中も同様」

 

 

 少女、もとい王女リリアーナ姫と慧斗は、改めて挨拶を交わした。これが後々まで続く長い縁になると、この時の慧斗は全く予想してなかった。

 

 

「それで、ケイトさんはどうされたのですか? どこかに御用が?」

「いえ、ちょっと日課の走り込みをと……何か都合の良い場所はありませんか?」

「まぁ、真面目なお方なのですね」

 

 

 何気ない慧斗の一言を、リリアーナは微笑みながら褒めた。慧斗からすれば何気ない日常なだけに、こうして面と向かって褒められるのは面映ゆい。どんな感情を抱けばいいか分からず、慧斗は無理矢理情動を押さえようとした結果、不格好なしかめ面が出来上がった。

 

 

「鍛錬でしたら、騎士団の修練場がいいでしょう。ご案内いたしますわ」

「え、いえ、そこまでのことは。道さえ教えていただければ」

「慣れない場所で、道に迷ってしまうでしょう? 私も眠れなかったところですし、折角ですから」

「……助かります」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 騎士団の修練場は、体育館ほどもある広い空間だった。これなら、数周もすれば充分な運動になるだろう。夕食も済んだ夜半、当然誰もいない。

 そこでようやく、慧斗は制服であることを思い出した。他の運動着なども持ち合わせていない。まあ、仕方ないことだろう。今日のところはこれで我慢して、明日一番に洗濯をお願いしよう。

 まずは、ウォームアップに軽く三周。愉快そうに見つめるリリアーナの視線が気になって、慧斗は思うように走れなかった。

 軽く汗を流し、そこからは全力で五周。規則的な呼吸を重ね、汗を流しながら走るほどに、慧斗は思考がクリアになっていくのを感じた。異世界、人間族、戦争、教会、王国――余分な思考が削ぎ落され、目の前の運動に集中していく。

 そして、クールダウンに一周。そのころには、慧斗は日常の最中に戻ってきたような錯覚を抱いた。

 

 

「お疲れ様です。ケイトさんは体力がおありでいらっしゃいますのね」

 

 

 そんな錯覚は、ドレスに身を包んだ少女によってぶち壊された。

 

 

「ええ、まあ……家業で、修行をしておりますので」

「まぁ、素晴らしい」

 

 

 喜んで褒めるリリアーナには悪いが、どうにも居心地が悪い。汗を吸った制服も相まって、不快感が増大する。

 

 

「他に訓練などなさいますか?」

「本当は、素振りもやる予定だったんですが……やめておきます。退屈な時間に、王女様をお付き合わせるわけにはいきませんので」

「お気遣いありがとうございます」

 

 

 気まずそうに顔を逸らしかけた慧斗に、リリアーナはにっこりと微笑んだ。

 とここで、慧斗はもうひとつ、拙いことを思い出した。

 

 

「……あの……シャワールームとか、ありますか?」

 

 

 慧斗の申し出に、リリアーナは目をぱちくりとさせた。

 

 

「その……王女殿下の前で、いつまでも汗臭いのを嗅がせるわけにもいきませんので」

「うふふ、気にしませんよ。

 シャワールームでしたら、騎士団の兵舎に備え付けがございます。ご案内しますね」

「……すいません」

 

 

 「こちらへ」と案内するリリアーナに、慧斗は声を窄めて付いていった。気持ち離れて付いていったことは蛇足だろう。

 

 

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