ありふれた癌   作:Matto

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07:シア=ハウリアの去就

 樹々が圧し折れる音。大地が踏み潰される音、何か重いものが衝突する音――樹海の中に、轟音が響き渡る。太い樹々が幾本も圧し折られ、引っこ抜かれ、地面には深いクレーターが出来上がっている。さらに随所で黒く炭化した樹々が、氷漬けになった破片が散乱している。

 その惨状がたった二人の少女によって成されているなど、余人には到底信じられないだろう。

 

 

「でぇやぁああ!!」

 

 

 気合とともに、シアは太い樹を引っこ抜き、その幹をぶん投げた。狙いはまっすぐ、超然と立ちはだかるユエ。

 

 

「……“緋槍”」

 

 

 業火の槍が、それを真正面から迎撃した。全てを灰塵に帰す一撃が、その大質量に衝突し、真正面から焼き焦がしていく。後には、ぱらぱらと灰が舞うばかりだった。

 

 

「まだです!」

 

 

 霧の向こうで影が走ったかと思うと、天高く丸太が投下され、轟音とともに衝撃波を巻き起こした。ぴょんと飛び退いて躱したユエは、再度火焔の槍を放とうとする。

 しかし、高速で霧から飛び出してきた影が丸太に跳び蹴りをかまし、丸太を破裂させる。その破片が、散弾のようにユエに迫った。

 

 

「ッ、“城炎”」

 

 

 城壁のように立ち塞がる火焔が、その破片を焼き払った。ぼろぼろと崩れていく炭の破片は、一つとてユエの服を汚すことなく落ちていった。

 

 

「もらいましたぁ!」

「ッ!」

 

 

 そこに、霧に紛れて回り込んだシアが奇襲を仕掛ける。大きく振りかぶられたその手には、先よりも太い丸太。

 

 

「“風壁”」

 

 

 重厚な丸太と風圧が衝突し、大地を抉る。砕かれ弾け飛んだ石くれが、四方に飛び散った。ユエは丸太の一撃を躱すと、衝撃を受け流しつつ風に乗り、同時に氷の花を放った。

 

 

「“凍柩”」

「ふぇ! ちょっ、まっ!」

 

 

 自ら起こした衝撃の反動で動けないシアはそれを避けられず、頭を残して全身が氷漬けにされる。「みぎゃ~!」という悲鳴をよそに、ふわりと着地したユエは勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

 

「づ、づめたいぃ~、早く解いてくださいよぉ~、ユエさ~ん」

「……私の勝ち」

 

 

 悲鳴を上げながら懇願するシアに対し、ユエは悠然と勝利宣言を下した。

 この十日間、『特別訓練』としてユエに徹底的にしごかれたシアは、この日最終試験として模擬戦を繰り広げたのである。シアが一撃でもユエを傷付けることができれば、勝利・合格というものだったが……その代価として膨大な自然破壊が行われたのは、果たして妥当と言っていいか、どうか。

 

 

「うぅ~、そんな~……って、それ! ユエさんの頬っぺ! キズです! キズ! 私の攻撃当たってますよ! あはは~、やりましたぁ! 私の勝ちですぅ!」

 

 

 悔しがるシアの目は、ユエの右頬に吸い寄せられた。そこには確かに、赤い傷跡が浅く引かれている。おそらくは弾け飛んだ石粒のひとつが、ユエの防御を抜いたのだろう。ユエ本人すら自覚のない浅い傷だが、事前の約束に則れば、確かにシアの勝ちだろう。もぎ取った勝利への歓喜に、シアはぴょんぴょんと耳を跳ねさせた。

 

 

「……傷なんてない」

 

 

 しかしユエがふわりと頬を撫でると、その下には傷ひとつない白い肌が残るだけだった。“自動再生”による治癒をいいことに、彼女はしらばっくれた。

 

 

「んなっ!? 卑怯ですよ! 確かに傷が……いや、今はないですけどぉ! 確かにあったでしょう! 誤魔化すなんて酷いですよぉ!

 ていうか、いい加減魔法解いて下さいよぉ~。さっきから寒くて寒くて……あれっ、何か眠くなってきたような……」

 

 

 鼻水を垂らして抗議するシアは、急激な体温低下により眠気を覚え始めた。流石に忍びないと思ったユエは、渋々魔法を解いた。

 

 

「ぴくちっ! ぴくちぃ! あうぅ、寒かったですぅ。危うく帰らぬウサギになるところでしたぁ」

 

 

 氷の檻から解き放たれたシアは、誰にアピールしているのか分からないあざといくしゃみを繰り返すと、近くの茂みから大きな葉を掴みとり、ちーんと鼻をかんだ。羽虫でも見下ろすような目でそれを眺めていたユエは、やがて真剣な表情を取り戻したシアから、思わず目を逸らした。

 

 

「ユエさん。私、勝ちました」

「……ん」

「約束しましたよね?」

「…………ん」

「もし、十日以内に一度でも勝てたら……二人の旅に連れて行ってくれるって。そうですよね?」

「………………ん」

「少なくとも、ケイトさんに頼むとき、味方してくれるんですよね?」

「……………………今日のごはん何だっけ?」

「ちょっとぉ、何いきなり誤魔化してるんですか!? 大体ユエさん、ケイトさんの血があればいいじゃないですか! 何でごはん気にするんですかぁ! ちゃんと味方して下さいよぉ! ユエさんさえ味方なら、九割がたOK貰えるんですからぁ!」

 

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぐシアから、ユエは徹底的に目を逸らし続けた。

 特別訓練を開始する前に、二人はひとつの約束をした。それは、この十日中の模擬戦でシアが一度でも勝てば、二人の旅への同行を認めること。少なくとも、慧斗への説得に味方することである。

 騒ぎながらも決して真剣な表情を崩さないシアに、ユエは仕方なく折れることにした。彼女の想いがどうであれ、約束は約束だ。自ら課した敗北条件を満たしてしまった以上、それを反故にするわけにはいかない。

 

 

「……はぁ。わかった。約束は守る……」

「ホントですか!? 『やっぱりや~めた』とかなしですよぉ! ちゃんと援護して下さいよぉ!」

「……返答は、ケイト次第だから」

「ちょ、そこで梯子外すのやめてもらっていいですか!?」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ユエとシアが慧斗の許へ辿り着いた時、彼は相変わらず大樹の根元に座り込んで瞑目していた。ざりっと土を踏む音が、二人の到着を知らせた。

 

 

「よう。勝負とやらは終わったのか」

 

 

 慧斗は瞑目したまま、二人に声を掛けた。苦虫を噛み潰したようなユエの顔と、対照的に喜色満面のシアの顔は、見えていない。そんな彼に、シアは上機嫌に話し掛けた。

 

 

「ケイトさん、ケイトさん! 聞いて下さい! 私、遂にユエさんに勝ちましたよ!」

「またまたあ。人が目利かないからって嘘八百言いやがって」

「そんなことありません! 大勝利ですよ! いや~、ケイトさんにもお見せしたかったですよぉ~、私の華麗な戦いぶりを! 負けたと知った時のユエさんったらも――へぶっ!?」

 

 

 身振り手振り大はしゃぎといった様相で語るシアの頬に、ユエが跳び上がってビンタをかました。「うぎゃっ!?」と吹き飛ばされるシアをよそに、ユエは慧斗の顔面に顔を寄せた。

 

 

「私が、ハンデを、たくさん、つけてあげた」

「そ、そうか」

 

 

 一言一言、たっぷり刷り込ませるように語るユエに、さしもの慧斗も思わずたじろいだ。よほど敗北を認めたくないらしい。気位という意味ではあまり傲慢なものを感じさせないユエだったが、こと戦闘能力に関しては強い自尊心があるようだ。慧斗は彼女との関わり方に気を付けなければ、と自らに言い聞かせた。

 まあ、そんな些末事はほどほどでいい。

 

 

「……で、詳細は?」

 

 

 慧斗は瞑目したままユエに尋ねた。模擬戦の結果そのものより、それで得たシアの能力の方が重要だ。

 

 

「……魔法の適性は、低い。ケイトより下」

「酷いなソレ……でも、それだけじゃないだろ?」

「……ん、身体強化に特化してる。正直、化物レベル。そっちは、ケイトと張り合えるくらい」

「……マジで言ってる? 俺、これでもそれなりに鍛えてきたよ?」

「ん。鍛錬次第で、まだ上がるかも」

「末恐ろしいやっちゃな……」

 

 

 この十日間、特訓にみっちり付き合ってきたユエの言葉だ。誤りはないだろう。この十六年間隠れて生きてきた少女が、十数年かけて鍛え上げてきた己を凌駕しうるということになる。まさに突然変異、フェアベルゲンが忌避するのも無理はない。

 

 

「ユエさん、ユエさん」

 

 

 ようやく頬の痛みから立ち直ったシアが、くいくいとユエの袖を引いた。ユエは、今日一番の大きなため息を吐いた。

 

 

「……ケイト」

「何?」

「この子、私たちの旅に付いていきたいって」

 

 

 ユエの提言に、慧斗はむっと顔をしかめた。

 

 

「NOだ」

「ありがとうございま――えぇ!?」

 

 

 てっきり了承されると思っていたシアは、慧斗の即答に驚愕した。

 

 

「そんなぁ、なんでぇ!? 私、ユエさんに勝った実力者ですよ!?」

「――ハンデ」

「あっはい」

 

 

 大騒ぎして抗議しかけたシアは、腹の底から響くようなユエの言葉に遮られた。

 それでも諦めきれないようで、うぅぅと恨みがましい声を上げる。

 

 

「何でなんですかぁ~……」

「逆にこっちが訊きてえよ。何がしたくて俺たちに付き纏うんだ。だいたい、家族ほっぽり出すのかよ」

「……家族も連れて行けって言ってる?」

「ち、違いますよ! 私だけの話です!

 ――父様たちには、修行が始まる前に話をしました。『一族の迷惑になるから』ってだけじゃ認めないけど……私自身が、付いて行きたいと本気で思っているなら、構わないって」

 

 

 じろりと睨むユエの言葉を否定しつつ、シアは真剣な表情で説明した。いまや彼女は重荷どころか、一族の立派な戦力として役に立つと思うが――そこは本人たちの意向なのだろう。

 いずれにせよこの小娘は、

 

 

「俺たちの旅の目的、知ってんだろ」

「はい。七大迷宮の攻略ですよね」

「そりゃ、ただの手段だ」

「ふぇ?」

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

「俺たちは、元の世界――地球に戻るための手段を探してる。が、その過程で、邪神共の妨害に遭う可能性が高い。そんなとこに、お前の()()()()が介在する余地はねえんだよ」

「でもぉ……」

 

 

 容赦ない慧斗の言葉に、シアは何とか食い下がろうと言葉を探した。何も見つからなかった。

 ため息を吐いたユエは、ふわりと浮き上がると、シアの頬をぐいとつねった。

 

 

「言いたいなら、はっきり言わないと」

 

 

 それは、ユエなりの背の押し方だったのかも知れない。一世一代の大勝負に、シアはもじもじしながら口を開いた。

 

 

「わ、わた、私は、その……」

「なんだ」

「で、ですからぁ、それは、そのぉ……」

「おう」

「えっと、だからぁ……」

「――おい黙って聞いてりゃ何なんだ!?」

「ひぃ!」

 

 

 ついにかっと目を開いて立ち上がった慧斗の怒声に、シアは思わず蹲った。

 

 

「言いてえことがあるならはっきり言え! そんなことも出来ねえ愚図を連れて行ってやると本気で思ってんのか!? 連中の監視中じゃなかったらぶった斬ってるところだぞ、この愚図!!」

「うぅぅ~……」

 

 

 捲し立てる慧斗の罵倒にも、蹲って唸るばかり。こんな不審な行動、付き合うのも馬鹿馬鹿しい。

 同じように馬鹿馬鹿しくなってきたユエは、先手を打つことにした。

 

 

「――ケイトのこと、好きなんだって」

「は?」

「あぁーっ!?」

 

 

 呆れた声で伝えるユエ、予想外の答えに唖然とする慧斗、絶叫するシア。

 

 

「ちょちょちょちょちょユエさん!? す、好きな人への告白って言ったら、女の子の一大イベントですよ!? 何で台無しにしちゃうんですか!?」

「まだるっこしい」

「即答!」

 

 

 大声で叫ぶシアに対し、ユエは平然と言い捨てた。三百年間の孤独が、『他人の心の機微を察する』という配慮を彼女から取り上げてしまったのか、どうか。

 一方で、その告白を受けた慧斗本人。鳩が豆鉄砲を食ったようにしばらく呆けていると、やがて意味を理解したのか、これまで以上に不機嫌な表情を浮かべた。

 

 

「――……馬鹿馬鹿しい。世迷言なら余所でやれよ」

 

 

 そう吐き捨てると、くるりと背を向けて歩き出した。

 

 

「そろそろ、刻限だ。連中の様子を見てくる」

「私も行く」

 

 

 慧斗が感情を押し殺した言葉を残すと、ユエもそれに続いて歩き出す。

 あとには、ようやく立ち直ったシアだけが残された。

 

 

「……え? え、あれ? け、ケイトしゃん?」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ユエに頼んで結界を解いた先。そこには、ハウリアたちが集っていた。

 

 

「よう、ウサギ共。気分はどうだね」

 

 

 慧斗の気さくな呼びかけに対し、ハウリアたちは誰一人答えなかった。慧斗を見る憎々しげな視線は、家族であるシアでさえ初めて見るそれだ。

 

 

「み、みんな……どうしたんですか?」

 

 

 家族の変貌ぶりに戸惑うシア。自分の訓練で精いっぱいだった彼女は、家族の身に何が起こったのかまるで理解できなかった。

 

 

「無視か? まあ、大体察してやるよ。全部見てたしな」

 

 

 唯一、慧斗だけはそれに構わず、どっこいしょと切り株に座り込んだ。

 

 

「そんで? 何人死んだ?」

「――二人だ」

 

 

 ハウリアの一人、ヤヤが絞り出すような声を上げた。

 

 

「へえ、そんなもんか。意外と生き残ったな」

「二人死んだ! 家族が! セムとハムが、私たちの目の前で死んだ!」

「知ってるよ」

 

 

 いよいよ声を荒げるヤヤに対し、慧斗は真正面から返した。

 

 

「知ってるに決まってんだろ。()()見てたんだからよ」

 

 

 それがヤヤの、ハウリアたちの激情に火を点けると承知の上で。

 

 

「どうして! どうして二人を助けなかった!

 私は見た! 魔物がハムの亡骸を喰おうとしたとき、魔法の火が魔物を殺したのを!」

 

 

 ヤヤは感情を爆発させて叫んだ。何度も遊び相手になってくれたヤヤは、シアが見たことのない、憎悪に満ちた目で睨んでいる。

 

 

「あんたは全部見てたんだ! セムとハムが死ぬその瞬間! 助けることができたはずなんだ! なのにどうして――」

 

 

 ハウリアの一人、シエがそれに加わった。よくシアの頭を撫でてくれたその手は、ぎりぎりと軋みながら拳を握っている。

 

 

「二人が弱かったからだ」

「何だと!?」

「何度でも言おう。二人が、生きるに足りない弱さしか持っていなかったからだ」

 

 

 それに対し、慧斗はあくまで冷淡に答えた。

 

 

「あんたは! あんたは()()と思ってたのに!」

 

 

 シエは悔しそうに叫んだ。何度も自分たちを護ってくれた奇妙な人間族。ぶっきらぼうだが、優しくて、慈悲深い存在。そんな恩義は、きれいさっぱり吹き飛んでいた。それを承知の上で、慧斗は言葉を続けた。

 

 

「この世を生き延びる方法はたった二つだ。強者に媚びるか、強者に成るか。

 お前たちは、前者を捨てた。種としての繋がりを失ってでも、強者に媚びて命を繋いでいく道を捨てた。だったら、強者に成るしかない。そうなれない者から順に、死ぬしかない」

「だから、死ぬべきだったと!? セムとハムは、死ぬべき命だったと!?」

 

 

 ヤヤの反論も、慧斗の心を動揺させるには至らなかった。事実上の肯定だった。

 

 

「鳥も花も虫も、そうして生きている。お前たちが悠長に愛でていたものたちがそうだ。この地上に生きる全てが、生きるために懸命に尽くしている。

 ――そのうえで、それでも死ぬものがある。何が正しいのではない、どれが悪いのではない。ただ結果として、何者かの生と死がある。それは神なんぞではなく、この世界そのものが自らに課した(ルール)だ」

 

 

 その言葉に、ハウリアたちは愕然とした。慧斗は遠慮なく言葉を続けた。

 

 

「お前たちにこそ訊きたい。どうしてお前たちは()()んだ?」

 

 

 突き付けられた問いに、誰も答えることができなかった。彼らは、鳥も花も虫も慈しむ優しさを持っていた。それは彼らが、()()()()()()()()()()からだった。守るべき、庇護するべき、弱くて愛おしい存在――そんな風に見下していたのだ。彼ら兎人族が、他種族に見下されているように。

 

 

「あんたは――!」

「やめろ、ジル!」

「離せ!」

「そうだ、離せ」

 

 

 それでも、家族を奪われた悲しみは止められない。それを強いたこの男への憎しみは止められない。ハウリアの一人、ジルが詰め寄ろうとしたのを、仲間たちが抑えつけた。全員が、慧斗の強さをよく知っている。ここで刃向かったところで、家族の犠牲が増えるだけだ。

 しかし慧斗はそれを制止すると、ゆらりと立ち上がった。

 

 

「いかにこの世の(ルール)があろうと、それを強制したのは俺だ。お前たちは、俺に復讐する権利がある」

「ケイトさん!?」

 

 

 驚愕するシアの目の前で、慧斗は両手を広げて屹立した。武器を構えてすらいない。ハウリアたちの殺意を受け止めるかのような姿だった。

 

 

「――来い。命の奪い方は覚えただろう?」

 

 

 無防備な姿で、慧斗はハウリアたちを挑発した。彼ら全員が、「今なら、あるいは」と憎悪の視線を浴びせた。

 

 

「ケイト!」

「止めるな、ユエ」

 

 

 思わず止めようとしたユエを、他ならぬ慧斗が制止した。それこそ、これを踏み越えなければ、ハウリアたちの未来はない。

 

 

「う――うああああっ!!」

 

 

 解き放たれたジルは、絶叫しながら突撃した。右手に鋭い石片を構え、その脳天に突き刺すように――

 がり、と重い音が響いた。避けもしない慧斗の左頭頂に、ジルの石片が突き立てられた。ぼたぼたと血が流れる中、

 

 

「――そのうえで、謝罪する」

 

 

 慧斗は当然のように口を開いた。

 

 

()()()()()()()()()()

「かは……っ!」

 

 

 慧斗は驚愕するジルのみぞおちに拳を叩き込んだ。肺から空気を押し出され、意識の飛んだジルが、どさりと倒れる。

 

 

「次」

「……え……」

 

 

 その姿に目もくれず、慧斗はハウリアたちに視線を遣りながら言い放った。

 ぼたぼたと大量の出血が零れ、その肩を汚していく。一向に構わずハウリアたちを睥睨する慧斗の姿に、彼らは動揺した。

 

 

「次。二人の仇討ちをしたいものは?

 どうせならまとめて来い。あるいはそのうちのどれかが、俺の命に届くかもしれんぞ」

 

 

 挑発ではなく、慧斗は本気で言った。今の彼ら四十人がまとめて襲い掛かれば、その全ての攻撃を浴びせられれば、或いは慧斗を殺しうるだろう。

 ……結局、後続は現れなかった。誰もが慧斗に憎悪と殺意を向けながら、しかし挑みかかる勇気を持てなかった。見切りを付けた慧斗は、ぼたぼたと血を流しながら背を向けた。

 

 

「ユエ、今日は()()に結界を張ってくれ。魔物共も、亜人共も、何者も侵入することができないように。

 お前たちは、今日と明日でゆっくり休み、疲れを取れ」

 

 

 ユエに指示を出しながら、慧斗は薪となる枝を拾うべく歩き出した。

 

 

「レッスン1――生き延びたければ、戦え。ようやく骨身に沁みたかね?」

 

 

 去り際の言葉は、ハウリアたち全員の胸に重くのしかかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 その晩、シアは寝付けなかった。

 十日間、寝る間を惜しんで訓練した。何しろ教官役が冷徹無比のユエである。最終日の今日には、自らの去就を懸けた大激戦を演じた。心身ともに限界など通り越していて、頭と体が一刻も早い休息を求めていた。

 なのに、心だけが言うことを聞かない。別の生き物になったかのようにざわざわと蠢き、嘘のように大きな鼓動でシアを覚醒させ続ける。この十六年と数ヶ月で、初めての体験だった。

 原因は一つしかない。

 

 

(セムとハムが――家族が、死んだ)

 

 

 家族が奪われた。自分の、目と鼻の先で。

 だが、それはこの数ヶ月で何度も起きたことである。亜人族の追手に、帝国兵に、魔物たちに。『強者』である彼らに襲われるたびに、『弱者』である彼らは命を落とし、離れ離れになり、奪われていった。何度となく、繰り返されてきた悲劇である。

 ただ一つ違うのは――

 隣で眠る家族を起こさないように、シアはそっと天幕から抜け出した。

 視線の先には、焚火を守る慧斗がいた。椅子代わりの丸太に座り込み、身じろぎ一つせず、ぱちぱちと爆ぜる焚火を見守っている。

 

 

(この人が、家族の仇)

 

 

 生まれて初めて、好きになった人。それが同時に、家族を死に追いやった仇でもある。

 愛すべき人。憎むべき人。恩がある人。仇がある人。味方。敵――

 

 

(私は、どうすればいいの)

 

 

 何度反芻しても、ぎゅっと拳を握っても、答えは出なかった。

 しばらく、シアはそのまま立ち尽くしていた。ぱちぱちと焚火の爆ぜる音、虫の鳴く音、樹々が風にざわめく音――

 

 

「――シア=ハウリア」

「は、はひっ!?」

 

 

 突然、慧斗が名前を呼んだ。まさか気付かれていると思わなかったシアは、思わず跳ね上がった。

 

 

「用があるなら素直に来い。あるいは、仇討ちの続きでもやるか?」

「い、いいえ……」

 

 

 こちらに目もくれず言い放った言葉に、シアはしどろもどろになった。言われた通り、焚火を挟んで正面に座り込む。

 

 

「……あの、その……」

「話したいことがあるなら、要点をまとめてからにしろ。回りくどい話は好きじゃない」

 

 

 話したいことは山ほどある。言葉を上手くまとめられないシアを、慧斗はざっくりと切り捨てた。

 シアは、一旦深呼吸してから口を開いた。

 

 

「二人は――セムとハムは、どうやって死にましたか」

 

 

 シアの問いに、慧斗はしばらく考え込んだ。

 

 

「セムは、魔物の群れに挑んで死んだ。奴が魔物共を引き付けたおかげで、仲間の何人かが生きてその場を脱することができた。無謀だが、勇敢だった」

 

 

 木刀と石をひとつ。文字通り決死の戦いは、さぞ恐ろしかったことだろう。その報いは、仲間たちの生存という糧となった。

 

 

「ハムは、パルを庇って傷を負った。魔物共に囲まれ、手当する余裕がなかった。出血多量で死んだ。最期まで懸命だった」

 

 

 兎人族の愛情が、幼い男児を生かし、そして目の前で絶命する凄惨な光景を見せた。仲間たちは、助けられなかったことを生涯後悔するだろう。

 

 

「ずっと、見ていたんですか」

「ああ」

「だったら! どうして!」

「騒ぐな。今日ぐらいゆっくり休ませてやれ」

 

 

 思わずいきり立つシアを、慧斗は静かに制した。十日間、いつ死が迫るか分からない緊張感は、彼らを疲弊させたはずだ。その睡眠が邪魔されるのは忍びない。

 

 

「どうして、助けてくれなかったんですか」

 

 

 座りなおしたシアは、しかし憤懣を隠せなかった。慧斗はそれを否定しなかった。

 

 

「仮に、俺がその場で助けてやったとして――『きっと誰かが助けてくれる』という甘えが生まれる。『次もきっと慧斗さんが助けてくれる』『これからもずっと慧斗さんが守ってくれる』――そんな甘えが、いつまでも続く。お前たちという種は、いつまで経っても自立できない。

 誰かの死を目撃しなければ――それが自分に近しいものでなければ――その甘えは毒となる。『次は自分だ』という覚悟がなければ、()()()()()()()()()()()の時に、生き延びることができない」

 

 

 慧斗は、本物の戦争を知らない。歴史の授業を通して、紙のインク越しでしか知らない。オルクスでの訓練の向こう側にあるはずだった、本当の戦線を知らない。だが奈落での経験が、誰も助けてくれない状況が、彼を崖っぷちの心理に追い立てた。慧斗がハウリアたちに教えられるのは、それだけだった。

 

 

「自立できないことは、悪いことですか」

「今回、この場合、お前たちに限って言えば」

 

 

 シアの問いに、慧斗は限定的に答えた。故郷を追い出され、何者にも縋れない以上、自分たちの力で生きていくしかない。それが自立であり、彼らが強制されているものだ。

 

 

「誰かに、何かに縋ることは、悪ではない。寄り添い、支え合うのが『家族』ってやつだろう。

 だが、縋るものは選ばなければならない。その見極めを放棄することは、悪だ」

「ケイトさんは、悪ですか」

「違うものに見えるか」

 

 

 シアの問いを、慧斗は事実上肯定で答えた。いずれこの地を去るだけの、酷薄な殺戮者――慧斗は、己をそのように規定している。それに縋るのは、間違いなく悪だろう。

 

 

「どうして、耐えられるんですか」

 

 

 だがシアの納得は得られなかった。

 

 

「縋ることが悪じゃないなら――ケイトさんは何に縋るんですか。縋るものを選ばないのが悪なら――ケイトさんは一人で生きていくんですか。そんな生き方、間違ってます」

「お前に俺の何が分かる」

「分かりません」

 

 

 慧斗の言葉を、シアはきっぱりと否定した。この奇妙な人間の事を、その過去十七年と未来数十年を、シアはほとんど知らない。シアの過去十六年を、この人は知らない。

 

 

「それでも、分かりたいって、思います。分かってほしいって、思います。縋って、縋られて――寄り添い合いながら生きていきたいって思います。そういうのを、きっと『好き』って言うんです」

 

 

 それでも傍にいたい。分かり合える『家族』として生きていきたい。支えられたいし、支えたい。

 

 

「止められないんです、この気持ちが。神様なんて、知りません」

 

 

 シアの真剣な瞳を、慧斗はしばらく見つめ返した。先に折れたのは、慧斗の方だった。

 

 

「…………(たで)食う虫も好き好きってか」

「え、何です?」

「お前みたいな奴のことだよ」

 

 

 そう言ったきり、しばらく沈黙が続いた。

 

 

「――これから先は、地獄巡りだ」

「え?」

 

 

 ぱちぱちと爆ぜる火を見つめながら、慧斗はぽつりと呟いた。

 

 

「これからは誰も頼れない。家族とも離れ離れだ。いつ、どこで息絶えるか分かったもんじゃない。――それでもいいなら、付いてきな」

「……は、はい!」

 

 

 こうして、シア=ハウリアの将来は決まった。初恋の人、穂崎慧斗とともにある将来だ。

 

 

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