ありふれた癌 作:Matto
オルクス大迷宮に隣接する宿場町ホルアド。フューレン支部長イルワの依頼通り、この町の支部に訪ねるべく、慧斗たちはやってきた。
慧斗にとっては二度目の来訪――それも、数ヶ月も前の話だ。ここから人外魔境に叩き落とされ、地獄巡りを始めるきっかけとなった始端の町でもある。
「……ここが、ケイトの……私たちの、始まり……」
町の様子、そしてその向こうに見えるオルクス大迷宮を見つめながら、ユエがぽつりと呟いた。
三百年前、彼女が封印された時はどんな景色が広がっていたのだろうか。その時から、どれだけ変わったのだろうか。遥かな過去に思いを馳せるユエの横顔からは、それを探ることができなかった。
一つだけ分かるのは、彼女はもう、あそこから解き放たれたということだ。
「どうだ、少しは感慨でも湧いたか?」
「……うん」
隣に立つ慧斗の言葉に、ユエはしみじみと答えた。
「お前は、もう自由だ。ここに囚われる必要はない。これから自由に羽搏いて、好きなように生きていいんだぜ」
「……ありがとう」
「ま、その前にクソ邪神とやり合う必要がありそうだけどな。頼りにしてるぜ、ユエ」
「ん。頑張る」
慧斗の激励に、ユエは再び気力を漲らせて応えた。最も長く、共に戦った仲間への信頼に、彼女は全身全霊で応えることにした。
――その前に、今は些事を片付けよう。慧斗たちは門を潜り、冒険者ギルドへと歩き出した。
「たしか、ここにも大迷宮があるんですよね。オルクスでしたっけ? もう一度攻略してみますか?」
シアの提言に、慧斗とユエは一度だけ目を合わせた。
「めんどい」
「もういい」
「そんなに嫌な顔をしなくても……」
あからさまに厭そうな顔をする二人に、シアは思わず閉口した。
「ほほぅ、お主らがそこまで嫌そうな顔をするとは――どんな困難が待ち受けているのじゃ? ぜひとも堪能したいのぅ」
「真性のマゾに付き合うつもりはねえ」
その後ろから、ティオが期待の眼差しを向けてくる。あの長丁場を知らないから勝手なことが言えるのだ。どいつもこいつも簡単に言いやがって……と慧斗とユエは不機嫌になった。
そうこうしているうちに、冒険者ギルドの建物に着いた。ブルックのそれとは異なり、重厚な金属扉となっている。がたりと開く重い音が、来訪者の合図となるらしい。
壁や床のところどころが補修されている薄汚い様子は、ブルックともフューレンとも様子が異なる。正面カウンターの横に広がる食事処には、目のぎらついた冒険者たちがたむろしていた。大迷宮に隣接しているということもあり、野心に溢れた冒険者や傭兵が多いせいかもしれない――いや、それを差し引いても剣呑な雰囲気で満ちている。この町で何があった?
慧斗たちが足を踏み入れた途端、冒険者たちの視線が一気に集中した。美女たちを舐め回すような下卑た視線、彼女たちを従える慧斗への嫉妬の視線――シアなどはそれに怯み、思わず慧斗の背に隠れた。慧斗はそれらを無視し、泰然と正面カウンターに突き進んだ。
「支部長はいるか? フューレンのギルド支部長から手紙を預かっている。本人に直接渡せと言われてるんだが」
緊張に顔を強張らせる受付嬢に、慧斗はイルワから預かった手紙とステータスプレートを差し出した。
「は、はい。お預かりします。え、えっと、フューレン支部のギルド支部長様からの依頼……ですか?」
受付嬢は怪訝そうな顔をしながら受け取った。支部長からの依頼など、一介の冒険者では滅多に聞かない話だ。念のためステータスプレートを検めた受付嬢は――
「ぎ……『銀』ランク!?」
思わず上ずった声を上げた。冒険者たちの視線が、驚愕のそれに変わった。
冒険者総勢の一割にも満たない『金』ほどではないが、実質的な最高峰に値する『黒』より高い『銀』も、かなり希少な上位者だ。この少年がそんな強者に値するとは思っていなかった冒険者たちは、にわかにざわついた。
一方、受付嬢は迂闊に個人情報を明かしてしまったことに気づき、慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 本当に、申し訳ありません!」
「ガタガタうるせえ早く処理しろ」
「は、はい! 少々お待ちください!」
ジト目で睨む慧斗に委縮したまま、受付嬢は奥へと駆けて行った。
そのまま待っていると、ギルドの奥からずざざざと何かが転がる音がしてきた。慧斗たちの現れたのは、黒い塊。
「……なんだ、急に」
カウンターに身体を預けていた慧斗は、それをじろりと眺めていた。どうやら、黒い装束に身を包んだ少年らしい。少年はばっと起き上がると、慧斗の姿を見て驚愕の表情を浮かべた。
「――! も、もしかして、穂崎!? い、生きてたのか!?」
「……誰だっけ?」
「遠藤だ!
「――……あー……?」
「そんなぁ!?」
薄ぼんやりとした記憶を浮かべる慧斗に、遠藤は悲しげな叫びを上げた。この少年、本人の意思に反して段違いに影が薄く、同級生から『影の薄さランキング生涯世界一位』などという不名誉な仇名を貰っているらしい。慧斗が思い出せないのもむべなるかな、と言っていいのか、どうか。
「迷宮で奈落に落ちてったのに、いったいどうやって……!?」
「……まあ、色々あって」
「もしかして、自力で這い上がってきたのか!?」
「…………ウン。ソンナ感ジ」
遠藤の怒涛の質問に、慧斗は中途半端に言葉を濁した。存外頭が回るのか、遠藤が勝手に自己完結してくれたおかげで、カバーストーリーの手間が省けた。
(ケイトさんって嘘ヘタクソですよねぇ)
(そこもかわいい)
「聞こえてんぞそこ」
微笑ましい顔でひそひそ話をするシアとユエをじろりと睨む慧斗に対し、遠藤はその肩をがっと掴むと、ゆさゆさと必死に揺らした。
「ならお願いだ、一緒に迷宮に潜ってくれ! 早くしないと皆死んじまう! 一人でも多くの戦力が必要なんだ! 健太郎も重吾も死んじまうかもしれない! 頼むよぉ!」
「待て待て、まずは落ち着け。天之河とか八重樫とかいんだろ、何とでもなるだろ? メルド団長もいるはずだ」
何とか抑えつけようとした慧斗の言葉に、遠藤の表情から感情が剥がれ落ちた。そのまま頽れると、顔を覆い絞り出すように呟く。
「……んだよ」
「あ? 聞こえねえよ、もっと大きな声で喋れ」
「……死んだんだ! メルド団長もアランさんも他の皆も! 迷宮に潜ってた騎士は皆死んだ! 俺を逃がすために! 俺のせいで! 死んだんだ! 死んだんだよぉ!」
「……なんだと……!?」
驚愕に顔を染めた慧斗の前に、一人の男が立った。見れば、大柄な初老の男だ。これが、ここの支部長だろうか。
「話の続きは、奥でしてもらおうか。そっちは、俺の客らしいしな」
端的に言うと、支部長ロア・バワビスは憔悴して力の入らない遠藤をやや強引に立ち上がらせ、慧斗たちを無言で奥に促した。ただの些事が、思いのほか大事になりそうだ。
◇ ◇ ◇
「……オルクスに魔人族、ねえ」
遠藤から一通り話を聞いた慧斗は、うーんと頬杖を突きながら呟いた。
どうやらオルクス大迷宮の攻略中に魔人族と遭遇し、生徒たちが窮地に陥っているらしい。地上に救援を求めるため一人地上に送り出された遠藤は、冒険者ギルドで大騒ぎを起こしたのだ。表の剣呑な空気はそれが原因だったようだ。
「疑っているのか?」
「本当なんだよぉ!」
「突っ込みどころは多い」
眉をひそめるロア、悲鳴じみた叫びを上げる遠藤、あくまで疑う慧斗。ユエたち三人は、その様子を静かに見守るばかりだった。
「さて、ホザキケイト。イルワからの手紙でお前の事は大体分かっている。随分と大暴れしたようだな」
「成り行きでな」
「手紙には、お前たちの『金』ランクへの昇格に対する賛同要請と、できる限り便宜を図ってやって欲しいという内容が書かれていた。一応、事の概要くらいは俺も掴んではいるんだがな……」
「何それ聞いてないんだけど」
ロアの言葉に、慧斗はじろりと目を剥いた。せっかく『銀』に留めたというのに、あの男ときたらとんだ食わせ者だ。
「たった数人で六万近い魔物の殲滅……いくらあの『勇者一行』の一人と言えど、にわかには信じられんことだが……イルワの奴が、適当なことをわざわざ手紙まで寄越して伝えるとは思えん。実は魔王だと言われても、俺は不思議に思わんぞ」
「その称号は新しいな。不愉快だから要らねえ」
ロアの不敵な笑みに、慧斗はヘンと鼻を鳴らした。トータスの人間は、無駄に大仰な称号を与えるのが好きなのだろうか。
「ふん、まあいい。だがそれが本当なら、俺からの、冒険者ギルド:ホルアド支部長からの指名依頼を受けて欲しい」
「……勇者たちの救出か?」
「そ、そうだ! 穂崎! 一緒に助けに行こう! お前がそんなに強いなら、きっとみんな助けられる!」
勇者の危機は、すなわち人間族の危機だ。ロアの言葉とともに一縷の希望に縋る遠藤に、しかし慧斗は芳しくない反応を返した。
「――そもそも、何で未だにオルクスに潜ってる?」
「え?」
「俺たちに与えられた
「それは……メルド団長の、方針で――」
「意外と使えねえな、あの人」
慧斗の指摘に、遠藤は口ごもった。どうやら騎士として優秀なメルドも、将として教育者としては不足があるらしい。落胆を覚えながらも、慧斗はよっと立ち上がった。
「ま、いいぜ。行こうか」
「ほ、本当か!」
「魔人が何でオルクスに現れたのかを知りたい。事によっては、緊急事態かも知れんな」
慧斗の返答に、遠藤が顔を輝かせるが、慧斗はあくまでも冷淡に続けた。天之河たちのことなど二の次、と言わんばかりの台詞に、遠藤は思わず瞠目する。
「ケイトが決めること。私は、ケイトについてく」
「私も同感ですぅ」
「往くとあらば、拒む理由はないのぅ」
とはいえ、自動的に天之河たちの救援に繋がるだろう。慧斗の言葉に、ユエたちも立ち上がった。
「準備は要るか?」
「
ロアの質問に、慧斗はすげなく返した。対魔人戦闘――初のぶつかり合いだ。道中はなるべく消耗を抑え、駆け足で進まなければならない。
◇ ◇ ◇
「……まいったね……あの状況で逆転なんて……まるで、三文芝居でも見てる気分だ」
オルクス大迷宮、九十層。複数頭の魔物を従え、メルドの自爆特攻すら凌いでみせ、天之河たちの絶体絶命の状況を作り上げたはずの魔人カトレアは、それをただ気力だけでひっくり返してみせた天之河の力量に呆れるしかなかった。
“限界突破”の極致“覇潰”――多大な負荷と引き換えに甚大なステータス強化をもたらすそれが、目の前でメルドを失った激情で発動したのだ。それで馬頭の魔物アハトドを吹き飛ばし、カトレアの傍に控えさせていた複数頭の魔物を薙ぎ倒すと、彼女をまっすぐに斬り裂き、背後の壁に突き飛ばした。
深い裂傷と衝撃で意識の飛びかけたカトレアは、辛うじて懐からひとつのロケットを取り出した。まだ奥の手が、とさらに踏み込み聖剣を振り上げた天之河は、
「ごめん……先に逝く……愛してるよ、ミハイル……」
「――っ!」
呟かれた末期の言葉に、思わず剣を制止させてしまった。
一向に訪れないトドメの一撃に、カトレアはようやく気付き、動揺する天之河の顔を見、そしてその正体を看破した。
「……呆れたね……まさか、今になってようやく気がついたのかい?
カトレアの言葉に、天之河は愕然とした。
『残忍で卑劣な知恵の回る、上位の魔物』『おぞましき魔物が進化した存在』――そう教えられた。人に仇なす魔物と同じように、倒すべき怪物だと思っていた。
その認識が、根底から覆されてしまった。自分たちと同じように、誰かを愛し、誰かに愛され、何かの為に必死に生きている『人』だと、欠片も思っていなかったのだ。
「まさか、あたしたちを『人』とすら認めていなかったとは……随分と傲慢なことだね」
「ち、ちが……俺は、知らなくて……」
「ハッ、『知ろうとしなかった』の間違いだろ?」
「お、俺は……」
ここぞとばかりに畳みかけるカトレアの言葉に、天之河は動揺しながら後ずさりした。
「ほら、どうした? 所詮は戦いですらなく、唯の狩りなのだろ? 目の前に死に体の
「……は、話し合おう……は、話せばきっと……」
ついに聖剣を下ろしてしまった天之河に対し――
「――アハトド! 剣士の女を狙え! 全隊、攻撃せよ!」
カトレアはアハトドに命じ、さらに控えさせていた魔物たちを突撃させた。先のやり取りで、八重樫が頭が回るのは知っている。彼女の力量を大きく上回るアハトドに加え、その周囲の生徒たちへ襲い掛かる魔物たち。
すべては挑発だ。唯一この魔物たちを凌駕しうる天之河を、味方の護衛で手一杯にさせ、そのまま擂り潰すための。
「な――どうして!」
「自覚のない坊ちゃんだ! 私たちは『戦争』をしてるんだよ! 未熟な精神に巨大な力――あんたは危険過ぎる! 何が何でもここで死んでもらう!
ほら、お仲間を助けに行かないと、全滅するよ!」
カトレアの言葉に、反射的に振り返った天之河が目撃したのは、八重樫が地面に叩きつけられる姿だった。ほぼ本能的に動いた天之河は、アハトドの正面に割り込み“魔衝波”の一撃を食い止める。そして返す刀でその片腕を斬り飛ばした。
しかし、それが彼の限界だった。“限界突破”、さらに重ねての“覇潰”。その反動は、がっくりと彼の膝を折り、身動きが取れないほどの重い負荷となって襲った。
「こ、こんなときに!」
「光輝!」
八重樫はとっさにアハトドの傷を抉り、大きくのけ反った隙に天之河を引っ張ると、仲間たちの方に放り投げた。そのまま、今度はカトレアに対峙する。
「……へぇ。あんたは、殺し合いの自覚があるようだね。むしろ、あんたの方が勇者と呼ばれるにふさわしいんじゃないかい?」
「……そんな事どうでもいいわ。光輝に自覚がなかったのは私たちの落ち度でもある。そのツケは私が払わせてもらうわ!」
白鴉の固有魔法で傷を癒したカトレアに対し、八重樫はぎりぎりと唇を噛みながら吶喊した。