ありふれた癌 作:Matto
休憩を挟みつつ、のべ四時間の戦闘訓練。あとは、夕食まで自由時間。普段なら、そういうスケジュールになっている。
だが今日は、ひとつの異変があった。騎士団長メルドからの通告である。
「明後日から、実戦訓練の一環として“オルクス大迷宮”へ遠征に行く。必要なものはこちらで用意してあるが、今までの王都外での魔物との実戦訓練とは一線を画すと思ってくれ!
ついては明日、王宮の宝物庫を開放し、各自の実戦装備を用意してもらう! まぁ、要するに気合入れろってことだ! 今日はゆっくり休めよ! では、解散!」
言うだけ言うと、ざわざわとする生徒を置き去りに、メルドは行ってしまった。残された生徒たちの間には、疑問やら不安やらの声が止まない。慧斗もその一人だった。
(どこだっけ)
対魔人戦線の前線にのみ意識が集中していた慧斗は、『オルクス』なる場所に関する記憶を思い出すのに、少々の時間を要した。
――確かこの世界には、“七大迷宮”なるものが存在するらしい。
そのうちのひとつ、“オルクス大迷宮”は全百階層からなり、階層が深くなるにつれ強力な魔物が出現する。その性質から階層による攻略難易度、ひいてはそれに挑戦する自身の強さを測りやすいことから、冒険者や傭兵、新兵の訓練に非常に人気がある。
また、出現する魔物が地上のそれと比べて高品質な“魔石”を体内に抱えていることも、人気の理由の一つだろう。魔石とは、魔物を魔物たらしめる魔力の核であり、強力な魔物ほど良質で大きな核を備えている。魔法の触媒として有用な魔石資源は、日用品の魔法具から特別な魔法武器の鍛造まで広く利用されるため、ハイリヒ王国の経済の一端を担っている重要な資源だった。
一方で、良質な魔石を持つ魔物ほど強力な“固有魔法”を使う。魔物が自らの肉体を触媒とする魔法で、個体ごとに一種類しか使えない代わりに、詠唱も魔法陣もなしに放つことができる。対魔人戦線でも投入可能性の高い敵であり、仮想敵としては最適だ。
確かに、実戦前の能力査定としてはちょうどいいだろう。肩慣らしにも最適である。大した脅威もあるまい――この時の慧斗は、完全に油断しきっていた。
◇ ◇ ◇
夕食後。いつも通り修練場に戻り、走り込みと素振りをする慧斗の後ろから、鈴を転がすような声がした。
「こんばんは。精が出ますね」
「あ、どうも」
聞き覚えのあるその声に振り返れば、そこには案の定、ナイトドレスの上からストールを羽織ったリリアーナがいた。
「また眠れないんですか? ひょっとして、不眠症でも患ってたり?」
「そんなことはありませんよ。ただ、あなたがいないかなーと思って」
すっかり慣れた慧斗の軽口に、リリアーナはふふふと微笑む。その言葉に、慧斗はしかめ面を浮かべた。
「そういう物言いは良くないと思います。男を勘違いさせますよ」
「そうですか? なら、あなたは大丈夫ですね」
「……なんちゅう……魔性の女かよ……」
「ふふ。あなたなら、そうやって線引きをして下さるから」
精一杯の諫言もどこ吹く風。爽やかに微笑むリリアーナと、それに閉口する慧斗。そんな二人の逢引のようなナニカが、ここ最近続いていた。
話していてもしょうがない。慧斗はリリアーナから背を向けると、再び木剣を構えて素振りを再開した。
ぶん、ぶんと風を切る音は、広い修練場を響かせるには足りない。そんな静謐な時間が、しばらく流れた。
「……何が面白いんですか。こんな泥臭い、汗臭い修練を眺めることが」
素振りを続けながら、背後のリリアーナに問う。暇そうにしているわけでもなく、ただ慧斗を見守っているのは明らかだった。
「そんなことはありませんよ。ハイリヒ王国、ひいては人間族を救ってくださる勇者様の努力ですから」
「『測定不能』がねえ」
楽しそうに見つめるリリアーナへ軽口を投げる。その途端、リリアーナが沈痛な雰囲気を帯びたのが伝わってきた。
「……騎士たちから聞いています。プレートの不具合か何かで、ステータスが読めないそうですね」
「おかげさまで、役立たず扱いです」
「そうでもない、とも聞いていますよ。コウキさんに匹敵するほど優秀な戦士だとも」
「成長率トップと比較されても……厳然たる差があるのは、今日思い知ったし……」
リリアーナの褒め言葉に、慧斗は閉口した。相手は剣道の経験があるとはいえ、初期値も成長率もトップの男である。匹敵どころか、これからどんどん引き離されていく可能性も高い。
とはいえ、他人がどうこうなどと気にしている場合ではない。まず自分が生き残る、それが戦場の鉄則だ。
「明日から、オルクスに向かわれるそうですね」
「らしいです。肩慣らしにちょうどいいとか、何とか」
話題を変えたリリアーナに、慧斗は何気なく返した。その眼差しが真剣なものになっているとは露知らず。
「……どうか、お気をつけ下さいね」
ぽつりと呟いたリリアーナに、慧斗はようやく木剣を下ろして振り向いた。
「そこまで深く潜らないって聞いてますよ。とりあえずの実戦訓練とか」
「ですが、あの“七大迷宮”のひとつです。何が起こるか分かりません。どうか慎重に――もしもの時は、ご自分の身を最優先してください。
あなたの苦難はこれからです。どうか、命を落とすことがないように……私も、この王宮から祈っています」
真剣な眼差しで言葉を紡いだリリアーナに、慧斗は再び閉口した。このお姫さまは、どうして男を惑わせるような物言いが巧いのか。
「だから駄目ですって。そういう言い方が男を勘違いさせるんですよ」
「ふふ。あなたなら、きちんと躱してくれますから」
「駄目だこの人話聞いてねえ」
◇ ◇ ◇
「さあ、宝物庫の開放だ! 喜んでくれよ、勇者ご一行!」
翌日。その言葉と共に、メルドは豪奢な扉をがちゃりと開けた。
その奥には、金銀煌びやかな剣に槍、斧に弓、盾に各種甲冑と、目が痛くなるような豪華な装備がずらりと並んでいる。
「好きな装備を選んでくれ! 決まったら、その内容を伝えること! 帳簿に記録しないといけないからな!」
メルドの言葉と共に、生徒一同は恐る恐る入室した。
ちなみに、畑山はいない。“作農師”という稀少な技能ゆえに、王国の穀倉地帯のあちこちへ引っ張りだこにされているらしい。
「うわぁ……」
「すっげぇ……」
「困ったことがあったら近くの騎士に相談してくれ! 相性のいい装備を選ばせてやる!」
見たこともない煌びやかな装備――それらが、自分のものとなる。滅多にない体験に興奮する生徒たちをよそに、慧斗は無言で装備を見て回った。
黄金の全身甲冑――重そうだ。武器を決めてから考えよう。向こうの黒鎧も後回しで。
バスタードソード――扱いやすい。だが華美な装飾が余計だ。特殊な能力などあっても、使いこなせるか、どうか。
ハルバード――いいかもしれない。しかし扱いが難しいという。一旦槍使いに譲ろう。
ツヴァイヘンダー――これもアリだ。だが面倒臭い特殊能力があるらしい。候補にだけ入れておこう。
そして、目に留まったのは――
興奮しながら装備を見て回る生徒たちをよそに、慧斗はメルドのもとに戻ってきた。その手にあるのは、黒鉄の重厚なグレートソード。
両手持ちの太く長い柄に、最低限の鍔。そこから延びる漆黒の刀身は、柄の倍ほどの太さがある。太さも厚さも並みの直剣の三倍以上、両手にはずしりとした重みがかかる。魔力の類は、特に感じない。しかし無骨で頑丈な造りは、握り込むその手によく馴染んだ。
「これで」
「……それでいいのか? 耐性向上の魔法が付与されているだけで、大した武器ではないが……」
「このくらいがちょうどいいです。あと、剣鉈とかありますか」
「こんなところに無いに決まってるだろう……職人を呼んでくる。ちょっと待っていろ」
どこまでも泰然とした慧斗の要望に、メルドはため息を吐きながら
ややあって、作業着の中年男性が現れた。煤けた作業着と額に光る汗からして、作業中だったらしい。その手には、慧斗の要望通り剣鉈とその鞘を持っている。
「剣鉈なら、こいつがいいだろう」
「助かります。あと、鎖分銅とか、投げナイフとかありますか」
「いくつ要る?」
「鎖分銅は一対。投げナイフは、とりあえずあるだけ全部」
鈍色の刀身を検めながら要求を重ねる慧斗に、職人は「変わった奴だ」と肩を竦めると、工房から鎖分銅と投げナイフを持ってきた。投げナイフは、全部で二十本。
シャツとズボンの上から、投げナイフの鞘を仕込んだベルトを全身に装着し、その上からジャケット風の上着を羽織る。さらに手甲と足甲を装着し、両腕に鎖分銅を仕込むと、慧斗はぶんぶんと四肢を振りながら感触を確かめた。思った以上に重量感がある。四肢も振り回され、体幹がぶれそうだ。立ち稽古や試合ならともかく、長期的な運動を含めた連戦では疲労が響くかもしれない。腰の後ろに剣鉈を仕舞い、肩からグレートソードを担ぐと、重量感はさらに増した。
「ちょっと走り込みしてきます!」
「お、おい!」
そう言うと、慧斗はメルドの制止も聞かずに宝物庫を飛び出し、修練場まで全力疾走していった。
その三十分後。
「――死ぬほど疲れました!」
「だろうな」
「筋肉痛で明日休んでいいですか!」
「駄目に決まっているだろう」
倒れるように突っ伏した慧斗の頭上から、メルドの冷めた声が降ってきた。
◇ ◇ ◇
翌日。生徒たちはメルド率いる騎士団員複数名と共に、オルクス大迷宮へ挑戦する冒険者たちのための宿場町、ホルアドに到着した。新兵訓練にもよく利用するようで、王国直営の宿屋があり、そこに泊まる。オルクスへの挑戦はまた明日という予定だ。豪奢な個室に目が痛くなっていた慧斗は、久々に飾り気のない部屋に押し込まれ、どこか懐かしさを覚えていた。
「――じゃあ俺、走り込み行ってくるから。何か呼ばれたらそう言っといて」
「あ、あぁ」
荷物を下ろし、さっそく運動着に着替えた慧斗は、相部屋の
「……なぁ、穂崎」
「なに」
「え、えっと……」
「急ぎじゃないなら後にしろ。俺もそこまで暇じゃない」
口ごもる相川に対し、慧斗はつっけんどんに言う。せっつかれたように口を開いた相川は、思い切って言葉を放った。
「俺たち……大丈夫かな……」
相川の漠然とした言葉を、慧斗は嗤わなかった。「ちゃんと戦えるのだろうか」という不安だろう。
「それを確認するための明日だ。今もだもだ考えてても仕方ない」
「でも……実戦だろ? 魔物と戦うことになるわけだし……」
慧斗の冷淡な言葉に、相川は不安げな言葉を重ねる。少しはましな認識を持つ奴がいたらしい、と慧斗は感心した。
が、それとこれとは別だ。不安は思考を鈍らせ、武器を握る手を怯ませる。
「厭なら引っ込んでれば? 少なくとも、それを想定するように交渉したわけだし」
「で、でも……皆は行くのに」
「『一人だけイモ引くのが恥ずかしいから』って? そういう奴が一番迷惑。お前が一人で死ぬならともかく、周りの足を引っ張ることになったら目も当てられない」
「それは……でも……」
敢えて容赦ない言葉を浴びせる。しかしいつまでも煮え切らない相川に、慧斗は大きくため息を吐いた。
「――俺たちだけじゃなく、戦慣れしてる騎士たちも同行する。怖い、進みたくないって思ったら、そういうベテランに頼れ。お前一人を下がらせるくらい、大した負担じゃない。
怖いと思うのは恥ずかしいことじゃない。それを呑み込んで前に進めるか、分を弁えて後ろに下がれるかだ」
「そ……そうだな……」
それは、相川を励ます言葉になっただろうか。少なくとも、確信のない言葉で誤魔化すよりはいい――慧斗に言えるのは、それだけだった。
ベッドに座り込んだまま俯く相川を置き去りに、慧斗はさっそうと部屋を出た。
◇ ◇ ◇
町を守る堀の内側を一周し、宿に戻ってきたその時。
「南雲くん、起きてる? 白崎です。ちょっと、いいかな?」
純白のネグリジェの上からカーディガンを羽織った白崎が、こんこんと一室の扉を叩いていた。どうやら南雲に用があるらしい。
(……何あれ逢引? 暇なの、あの連中)
女が夜中に男の部屋を訪ねるとは……異世界もへったくれもない、無防備にも程がある愚行だ。南雲にそんな勇気があるかどうかは別として。そもそも、二人にどんな末路が待っていようと慧斗の知ったことではな――
ぞわり、と背筋が粟立った。
(なんだ)
――強い殺気。不良共との喧嘩騒ぎで似たようなものを浴びせられたことはあるが、これほど濃密なものは覚えがない。
慧斗は咄嗟に視界を巡らせ、出処を探した。――見えない。自分相手ではない殺気に対し、慧斗の気配探知は上手く活かされなかった。どうする。もっと探した方がいいのか。誰かに伝えるべきか。しかし、殺気という曖昧な情報など――
しばらくそうしていると、やがてぎぎぃと扉が軋み、白崎が出てきた。慧斗は反射的に隠れた。その行動に意味があったのか、どうか。
白崎は気持ち楽しそうな様子で南雲の部屋を辞した。朝までしっぽりお楽しみ、という様子ではないらしい。慧斗の存在にも、正体の知れない殺気にも気付いた様子はなく、るんるんと足取り軽やかに自室に戻っていく。
しばらくして、潮が引いていくように殺気が消えた。――ちがう。
ぎぎぃ、と慧斗は板張りの足元を軋ませた。弾かれたように気付いた何者かが、どたどたと音を立てながら姿を晦ませる。
(――……素人……?)
殺気の強さに反比例するかのような、気配の乱雑さ。そのあべこべに、慧斗はただ首を捻ることしかできなかった。
――あるいはこの時、その正体を確かめなかったことが、彼の行く末を変えていたかもしれない。
装備:
黒鉄のグレートソード
特別な効果のない、ただ頑丈な大剣。耐性向上の魔法のみ付与されている。
鈍色の剣鉈
普通の剣鉈。グレートソードを扱うには狭い戦場や、単純な野営作業に用いることができる。
鎖分銅
先端に錘が付いた鎖。鉤縄代わりに使ったり、巻き付けて拘束することができる。
接近して直接攻撃したくない敵にも有効。