ありふれた癌 作:Matto
月下に銀翼がはためいた。
それは飛翔のためではない。殺意の棘として放散し、目の前の剣士を串刺しにするために輝く。無数の銀の魔弾が、高度二千メートルの夜闇を切り裂き、数多の閃光となって標的に殺到した。
対する剣士こと慧斗は、空中でグレートソードを構え、ぎりぎりまで引きつけると――
「ずぇいッ!」
二連の回転斬りで応じた。
初段で銀弾を振り払いその魔力を吸い上げ、続く二段目でその魔力を放出し、残る銀弾を全て相殺した。一瞬でも遅れれば、蜂の巣間違いなしの超絶技巧だ。
「はぁッ!」
それにとどまらず、空を蹴ってノイントに突撃する。月光に照らされたグレートソードが大上段からまっすぐに振り下ろされ、白の双剣と衝突し甲高い音を響かせた。激突の衝撃で、両者は再び引き剥がされた。
能面のようなノイントの顔に対し、しかし慧斗は怯むことなくグレートソードを構え直した。
(浅知恵が)
二メートルの大剣を片手で振るう剛力、それ自体は賞賛に値するものだろう。だがそんな大物を両手それぞれに握っていては、重心が安定しない。こうして力いっぱいの一撃を与えれば、防御すら不安定になる。そして、その安定性を手放してまで得た二刀という手数も、まるで活かし切れていない。油断は禁物だが、特段不利な相手ではない。所詮は
一方、どれだけ攻めても一向に傷を負わず、まるで臆する様子のない慧斗に向かって、ノイントが口を開いた。
「……やはり、あなたは強すぎる。主の駒としては相応しくない」
「一人チェスごっこやってる馬鹿の評価もらってもなあ」
「……私を怒らせる策なら無駄です。私に感情はありません」
「え、その策効果あんの? 先に言えよ馬鹿」
「…………」
慧斗の大真面目な言葉に、ノイントは沈黙した。
問答の意義を失っただけなのか、それとも真実癪に障ったのか。ノイントは一方的に会話を切り上げると、再び銀翼を展開した。今度は魔弾として射出するのではなく、円陣を基本に複雑な紋様を描く。
「“劫火浪”」
言霊とともに巨大な炎の津波が顕現し、慧斗へ殺到した。
夜空を覆わんばかりの大火を前に、逃げ場などない。神山の空を真昼に書き換えるかのような灼熱を前に、しかし慧斗は慌てなかった。もとより、逃げたところ勝ち目はない。慧斗の勝ち筋は、前にしかない。
「“豪嵐”!」
慧斗の手掌から渦巻く風が吹き出した。それは大火を前にあまりに細い一撃だったが、しかし高速で旋回する空気の凝縮は、確かに大火の一部を巻き上げ、橙の空洞となり、その灼熱に一点の穴を空けた。
「ぬぅんッ!」
すかさず突っ込んだ慧斗のグレートソードが、ノイントの真芯を捉え――ぎぃん、と甲高い音とともに双剣に止められた。
「今まで手抜きだったの? 連れないねえ。駒なら駒らしく、真面目に戦ったら?」
「あなたの評価を上方修正しただけです」
「あらやだ嬉しい。
ぎりぎりと鍔迫り合いをしながらの問答。重く分厚い双剣の防御は
百人からなる司祭と侍祭が腕を組んで祈りを捧げ、聖歌を斉唱をしている。その歌声が上空に響いた途端、慧斗は強い虚脱感に襲われた。
「――っああ……ッ!?」
全身の魔力が停滞する。身体中から力が抜ける。さらにぎちぎちと光の粒子が纏いつき、四肢の動きを阻害する。
――聖教教会の秘儀“覇堕の聖歌”。敵対者を弱体化させつつ動きを拘束するという強烈な魔法は、司祭たちが斉唱する間にのみ発動する。
「イシュタルですか。……あれは自分の役割というものをよく理解している。よい駒です」
その様子を眺めながら、ノイントはそんな感想を零した。真なる“神の使徒”、その使命を補佐し、神敵の撃滅に貢献しているという事実が、彼らに絶頂寸前の高揚感を与えている。それを形だけ褒めると、ノイントはを翻し、慧斗へと斬りかかった。
「っの……!」
重厚な大剣の連撃を、慧斗は紙一重で躱していった。膂力で劣る今、重心だの安定性だのといった術理は何の意味もない。片方の剣だけでも受け止めきれない現状、軽々と振り回される大剣二刀流は致死の脅威を以て慧斗を襲った。
そしてついに、ノイントが双大剣を振り下ろし、慧斗のグレートソードと衝突した。
「――――」
「ぐぎぎぎぎ……!」
中空で踏ん張りがきかない。『空歩』が巧く機能しない。慧斗は苦悶の声を上げつつ、押されるがままに高度を落としていった。ノイントがいよいよ双大剣を押し込み、慧斗の脳天をかち割ろうとしたその時――
『ゴアアアアァァァァッッ!!』
夜闇よりも暗い黒の閃光が、ノイントへと衝突した。咄嗟に銀翼を展開して防御するも、先手を取られた勢いは止められない。黒と銀の魔力が夜空に放散しながら、ノイントは教会の尖塔の一つに叩き落された。
思わぬ横槍によって剣圧から解放された慧斗は、思わずたたらを踏んで墜落しかけた。元より魔力を阻害されている状態だ、咄嗟の踏ん張りが利かない。それを受け止めたのは、月光に照らされた黒い鱗だった。
『ケイトよ、無事かの?』
「馬鹿こっち来んな――とも言い難いとこだった! 助かる!」
『間に合ったようで何よりじゃ。後で
「センセと相川の保護まで終わったらな!」
『本当か! その言葉忘れるでないぞ!』
良くも悪くも相変わらずのティオに、慧斗は少しだけ気力が回復した。
尖塔が轟音とともに吹き飛んだ。そこにいたのは、多少の埃で汚れただけの、無傷のノイント。銀翼をはためかせ、わざわざ埃を払っている。神の駒の分際で、随分と風体に気を遣っている。
ティオのブレスでも通用しなかったのは意外だったが、もとより大したダメージは期待していない。それよりも問題は、勝つための策を講じる必要性だ。この妨害魔法を何とかしなければ、逆転の目がない。慧斗はティオの背中を叩くと、短く言い放った。
「――教会から妨害電波が来てる。ついでに潰しといてくれ」
『応』
それきり、慧斗はティオの背を飛び立ち、ティオもまた教会へと旋回した。
◇ ◇ ◇
一方、教会内を逃げ惑う相川と畑山。実質戦えない畑山を庇いながら、相川は必死に走っていた。慣れない剣鉈を振るい、時に巡回中の教会騎士を斃し、時に身を隠してやり過ごす。異世界で会得した魔力と戦闘技能が、不幸にも教会騎士たちを容易く殺戮しうる力を与えた。そしてその事実が、『生き延びるために殺す』という現実が、彼に実働以上の疲労を強いた。
「はぁ……! はぁ……!」
「あ、相川君……!」
「だ、大丈夫です!」
息を荒く吐きながら走る相川を気遣う畑山だが、彼女にもできることはない。魔力しか突出したものがなく、まして“作農師”としての運用しか求められなかった彼女は、後方援護すら叶わない。恐怖と緊張で、剣鉈を握る手がぶるぶると震える相川を見つめながら、ただその後姿を負うことしかできなかった。
やがて二人は、教会の正面門に辿り着いた。
「――あった、ここ……!」
「ここは――!」
柵に囲まれた円形の大きな白い台座。かつて召喚された時に一度だけ使用した、神山を降りて王宮に戻るための装置だ。
確か、発動の際には魔法を使っていたはず。もう数ヶ月も前の言霊を、相川は必死になって思い起こした。
「えーとえーと何だっけ……て、“天道”!」
相川はとりあえず叫んだ。台座はぴくりとも動かなかった。
「ちくしょうこういう時穂崎なら巧くやるのにぃぃぃー!」
「ほ、穂崎君もそこまでやれないと思います……」
膝から崩れ落ちた相川に、畑山がかけられる言葉はそれだけだった。慧斗は実戦的な魔法の運用が強いだけで、何でもかんでも使えるわけではない。純粋な魔法技能で言えば、天之河や白崎よりも遥かに劣る。
そこに、ごおと大きな風が吹き、どすんと黒い塊が落ちてきた。
「ぎゃーっ!?」
「わーっ!?」
巨大な皮翼。黒い鱗に覆われた巨躯。鋭い金目。大きく恐ろしい牙と爪――ティオである。着地の衝撃と予想外の登場に、二人は腰を抜かしそうなほど驚愕した。
一方、ティオはその金目で二人を捉え、ばさりと皮翼を畳んだ。
『おぉ、先生殿にアイカワよ。無事じゃったか』
「あ、あの時の……!」
「たしか、ティオさん……?」
『うむ、二人を助けに来た。さ、早く妾の背に乗れ』
そう言って身を伏せるティオに対し、しかし相川が待ったをかけた。
「あ――あのさ!」
『どうした』
「ティオさん。今から私たちを地上に降ろして、また戻って来るとすれば、かなりの時間がかかるのではありませんか? ここは標高二千メートルです。往復するのも大変なはず……」
『確かに、その通りじゃが……まさか、先生殿よ』
「はい。ティオさんが穂崎君のために戦うというのなら、私たちにも手伝わせて下さい。早急にイシュタルさんたちをどうにかしておかないと、穂崎君も危ないはずです。私たちを下に送り届ける時間が勿体ないです」
畑山の言葉に、ティオは金目を細めた。確かに理屈は通っている。が、ここで二人が加勢したところで、正直なところ何の役にも立たない。
『じゃが――言っては悪いが、お主らに何ができる? 戦闘経験もほとんどなかろう? 司祭たちや神殿騎士たちを相手に、戦えるのかの?』
「私、こう見えて魔力だけなら天之河君並みなんです。戦闘経験はないけれど……ティオさんの援護くらいはしてみせます!
人と戦うのは……正直怖いですが、やるしかないんです。これから先、皆で生き残って日本に帰るためには、誰よりも私が逃げちゃダメなんです!」
「お、俺も手伝います! ――何ができるか、分かんないけど……」
あくまで譲らない二人に、ふむ、とティオは鼻を鳴らした。その意思に叶う働きができるとは思えないが――最悪、自分が何とかするしかない。もとより、そう頼まれてやってきたのだ。
『既に決めたなら是非もない。ケイトも、二人の意志だというなら文句は言うまい。
よかろう。共に愚か者共を蹴散らすとしようか!』
「はい!」
◇ ◇ ◇
先ほどと打って変わって、慧斗はひたすら逃げに徹していた。グレートソードこそ握っているが、もしものための保険である。
とにかく、上を取る。ただでさえ驚異的な双大剣の威力に加え、位置エネルギーまで加算されるとなると、とても受け止めてはいられない。ノイントの側もそれを理解しているのか、魔法や銀翼で攻撃しつつ高度を上げ、慧斗の頭上を取ろうとする。
「“炎界”!」
飛来する無数の銀弾を、慧斗はぶわりと溢れ出す炎の海で遮った。それすら貫通するいくつかを躱しつつ、残るいくつかをグレートソードで吸収する。魔力を吸い上げたグレートソードが銀光に煌めいた。
「――っああッ!!」
炎の海が消えたその瞬間を狙って突進してくるノイントに向かって、慧斗は思い切りグレートソードを振るった。先ほど吸収した魔力が銀光となってぶわりと溢れ出し、当のノイントに迫る。己の魔力による反撃に、ノイントは回避を強要された。
その隙に、慧斗は再び宙を蹴って高度を上げた。何度目かの繰り返しだが、他にできることはない。ティオが教会勢力をどうにかするまで、凌ぎ続けるしかない。
――それはそれとして、気になることがひとつある。
「ところでおたくら、
「……何のことです?」
魔人族の襲撃によって、火の海と化しつつある城下町を指して、慧斗は問いを投げてみた。
「このままだと王国は滅びる。次の狙いは当然、この神山だ。俺なんぞに構ってないで、魔人族と戦った方がいいんじゃねえの?」
教皇イシュタルの行動にしてもそうだ。自分たちの戦いへの干渉より、教会あるいは王国の防衛に専心した方がいいはず。しかしノイントは、そんな慧斗の問いを切って捨てた。
「そうなったのなら、それがこの時代の結末という事になるのでしょう」
「――ふーん、やっぱそういう遊び方なわけ」
諸行無常、といえば聞こえはいい。しかしノイントの言葉にはそんな感情すら乗せられていない。つまり、どういう末路になろうと興味がない――まさに“主”の意向がそうである、と言いたいわけだ。
「今回はたまたま『人間の側』に付いて、『魔人との戦争』を煽ってきたわけだ。『魔人族の神』って奴とも、どうせ裏で繋がってんだろ。
で? 全滅したら新しい駒作って、また一人チェスごっこやるわけ。はあー、暇でいいねえ、貴様の神」
「……だったら何だというのです?」
「いや、“解放者”共の話を確認しとこうと思って。もし本当なら、馬鹿の
殊更に悪辣な言葉選びに、ノイントの片眉がぴくりと動いた。こういう無感情気取りの奴ほど、情動が分かりやすい。その姿を慧斗はせせら笑った。
「っていうか、俺が邪魔なら元の世界に送り返せばいいだけじゃん? なに、そういうところも融通利かないわけ? 使えねーな貴様の神。
勇者共だって同じだよ。滅ぼす想定なら、さっさと盤上から除ければいいだろ」
これ見よがしに捲し立てる慧斗。送り返してくれるなら儲けもの、などと期待してはいない。「その程度もできない無能」と煽るのが主目的である。
「却下です、イレギュラー」
「ははあ。理由聞かなきゃいけない流れ?」
その言葉に対し、ノイントはあくまでも冷静に答えた。慧斗は面倒臭そうに問いを重ねた。
「主がそれをお望みだからです。イレギュラー、主はあなたの死をお望みです。あらゆる困難を撥ね退け、巨大な力と心強い仲間を手に入れて……
――そして、志半ばで潰える。主は、あなたのそういう死をお望みなのです。ですから、なるべく苦しんで、嘆いて、後悔と絶望を味わいながら果てて下さい。あなたが主に対してできる、最大の楽しませ方はそれだけです。
ああ、それと勇者たちは……中々面白い趣向を凝らしているとのことで、主は大変興味を持たれております。故に、まだまだ主を楽しませる駒として踊って頂きます」
「あっそ。期待以下だね、自動人形」
聞く気にもなれない妄言の数々に、慧斗は吐き捨てた。
言いたいことも、聞きたいことも終わった。――次の瞬間、両者は空中で激突した。
「――ぁああッ!!」
「はぁああッ!!」
虚脱感を振り払って無理矢理に魔力を放出し、ノイントの双大剣と激突する。ぎちぎちと火花を散らしながら、魔力の衝突に双方の剣が白熱を起こしながら、二人は斬り結んだ。
百を、いや千を超える斬撃の嵐。一手一瞬でも違えれば致命傷。振り払う。叩き落す。受け流す。身を捻る。
白銀の刃が繰り出す重く鋭い連撃を、慧斗は紙一重で撥ね退け続けた。防戦一方だった。何しろ向こうは無尽蔵に等しい魔力を総動員するのに対し、こちらは魔力を制限され動きも拘束され続けている。総身に裂傷を刻まれながら、筋骨が未だ無事なのは奇跡としか言いようがない。
「素晴らしいです、イレギュラー」
全身に刻まれた傷という傷から血を流し、ぼたぼたと赤い雨を降らせながら、荒い息を吐く慧斗に、ノイントが賞賛の言葉を投げた。
「勝てないと知ってて諦めない。負けると分かっていて認めない。その足掻きこそが、それを打ち砕かれた時の絶望が、主にとって最上の楽しみです」
「そりゃどうも。生憎、生き汚さだけが唯一の取り柄でね」
“糸”すら張ることができない。正確には、そこまでして集中を割いている余裕がない。憎まれ口の裏には、しかし焦燥だけが渦巻いていた。
「惜しいとさえ感じます。もっともっと苦しませることが主の喜びと分かっていながら、あなたをこれ以上生かすことができない。これ以上手加減し、苦痛と後悔を与えることができない。
――終わりです。さようなら、イレギュラー」
そしてノイントが銀翼を広げ、慧斗に放とうとしたその瞬間――
夜を裂く爆音が轟いた。
「――!?」
ノイントは反射的に音の方向を見やった。そこには、神山の上に聳え立っていたはずの大神殿がない。ぱちぱちと爆炎を残したまま、跡形もなく消失している。それは同時に、司祭たちの聖歌の消失を意味していた。
好機。慧斗は全身から流れる血をグレートソードに纏わせると、ノイントに向けて一気に突っ込んだ。
「ずぇいッ!」
もはや制限するもののない全力の一撃は、咄嗟にノイントを怯ませ、ぐぐと双大剣を押し込んだ。その衝撃で、グレートソードに纏っていた流血が飛散し、展開していた銀翼に纏わりついた。
「“紅椿”!」
「くっ……!」
慧斗の言霊とともに、その血が爆裂を起こし、ノイント自身を巻き込んで銀翼を破裂させた。
軽く吹き飛んだノイントは、空中でひらりと受け身を取った。もとより、翼ありきの飛翔ではない。この程度で終わると思ったら――
「――そうそう。色々言ったけど、こっちも手ェ抜いてて悪かったね」
「……何です?」
にぃと不敵に笑う慧斗に対し、ノイントは眉をひそめた。まさにその情動を待っていたかのように、慧斗はあくどい笑みを深めた。
「いや実は、こっちも一手隠してて。そのまま煽り散らかすのも失礼かなーって、
いつの間にか、慧斗の出血は止まっていた。代わりに溢れ出ているのは、星の光すら飲み込むどす黒い魔力。
「お待たせ――縺昴@縺ヲ豁サ縺ュ」
瞳を血赤色に爛々と輝かせ、どす黒い魔力を溢れさせ、慧斗は冷たく死を宣告する。底冷えするような声音が、ノイントの奥底に理解できない感情を抱かせた。
『――
ぶわりと闇が溢れ出た。
月夜を覆い尽くす黒々とした闇が夜天を覆い、慧斗とノイントを諸共に呑み込む。ノイントはその中に、無数の冷たい光の点を見た。