ありふれた癌 作:Matto
「――きゃあぁぁぁぁ!!」
シャンデリアの一つ一つが、人間数人を巻き込んで叩き潰すだけの重量と体積がある。それが一斉に降ってくれば、会場は無事どころではない。どごんと墜落した鉄と真鍮の塊が貴族たち数十人を叩き潰し、跳ね飛んだ蝋燭がテーブルクロスや参加者たちの礼装に延焼を起こし、パーティー会場は薄暗い混乱の渦に包まれた。
「なんだ!? なにが起こった!?」
「いやぁ! なに、なんなのぉ!?」
肉が潰れる音、ガラスと陶器が砕ける音、ぼうぼうと燃え広がる音。会場は一気に混乱に呑まれ、悲鳴と怒号が入り混じる混沌となった。
一方、慧斗は爆砕の瞬間に飛び出し、縮地まがいの機動でリリアーナを庇って駆け抜け、会場の隅の安全地帯に逃げ込んでいた。
「けけけけケイトさん! どどどどど、どういうことですか!? ここここ、これは!? いいい、一体ぃ!?」
「落ち着いてリリアーナ様。本当に落ち着いて」
その腕に抱き締められ、思い切り気が動転しているリリアーナを、慧斗はどうどうと宥めた。この程度で狼狽えられていると、この後起こる事態を受け止められない。
「狼狽えるな! 魔法で光をつく――っがぁ!?」
「どうした――っギャァ!?」
「何が起こってい――っあぐっ!?」
気を取り直した者が灯りを作ろうとするが、その前にくぐもった悲鳴とともに倒れていった。薄暗い会場の隙間を、藍色の影が次々に駆け抜け、その喉を掻き裂いていく。
「いやーそろそろ火事になるなー。“覆水”」
そんな中、慧斗は涼しい顔で会場を睥睨すると、シャンデリアの蝋燭から引火したテーブルクロスなどに、膨大な水を覆い被せた。冷静で安全な行動ではあるのだが、この状況においては最悪の行動と言っていい。
幾多もの犠牲と引き換えに、辛うじて薄明かりを保っていた会場が、完全な暗闇に呑まれた。訳も分からないうちに二転三転する事態に、貴族たちは完全に恐慌に陥った。生き残りが闇雲に走り出し、そこかしこで転倒音や衝突音が聞こえ始める。
「落ち着けぇ! 貴様ら、それでも帝国の軍人かぁ!」
それを破ったのは、皇帝ガハルドの大喝だった。会場中に響き渡る覇気に満ちた大声量が、暗闇と悲鳴の連鎖で気が動転している帝国貴族たちの精神を強制的に立て直す。
しかし、闇の中から放たれた無数の矢が、それを遮った。
「っ!? ちっ! こそこそと鬱陶しい!」
それでも暗闇の中、風切り音だけで矢の方向を捉え、儀礼剣だけで捌いていくのは流石というべきか。皇帝御自らの奮闘に立て直した者たちが、次々に火球を召喚し灯りを照らしていく。
「衛兵、出合え! 曲も――っげぶっ!?」
明るくなっていく会場の陰を縫うように、藍色の影が再び走り、術者の喉を掻き裂いていった。ようやく立て直そうとした隙も与えず、血しぶきとともに希望の灯りが次々に途絶えていった。
「ひっ、ば、化け物ぉ~!」
「し、死にたくないぃ~、誰かぁ!」
貴族令嬢や文官たち、果てには将校の一部さえも腰を抜かして怯えている。その無様さからは、とても『武力至上主義』など見えなかった。
それでも、生き残った将校の一部が立て直し、ガハルドの傍で陣形を整える。警戒範囲が一気に狭まったガハルドに、もう矢による攻撃は通じない。余裕が出来たガハルドは、何十という数の矢を片手間に叩き落としながら、詠唱を始めた。
ぼぼぼ、と十数もの火球が召喚され、一瞬で会場に広がると、無辺の闇を払い散らし始めた。これで反撃開始だ、と息巻いたガハルドたちの前に、ころころと一つの金属管が転がってきた。
「なんだ? これは……」
「――よせ! 近づくなっ!」
正体を確かめようとする側近たちに対し、ぞっと悪寒を覚えたガハルドが叫ぶ。しかしその警戒心は、まったく別の形で無効化された。
金属管が爆裂し、強烈な光と音波が周囲を呑み込んだ。
「ぐぁあ!?」
「ぐぅうう!」
「何がァ!?」
目も眩む閃光と鼓膜を麻痺させる音波がガハルドたちを呑み込み、その目と耳を塞いだ。
地球で言う、音響閃光弾。慧斗の思い付きで作らせたそれは、果たして期待通りの効果を発揮し、ガハルドたちの知覚を奪い去った。
藍色の影たちが、それを見逃さない。思わず止んでしまった火球の灯りを駆け抜け、将校たちの手足の腱を斬り裂いていく。さらに口内にナイフを突っ込まれて舌を裂かれ、詠唱まで封じられてしまった。離れた場所で大魔法を行使しようとしていた者は、容赦なく喉笛を裂かれて絶命している。
――その最中、剣戟の音が響いた。
目も耳も潰されたはずのガハルドが、儀礼剣を以て藍色の影――ハウリアたちに反撃してきたのだ。僅かな殺気だけでハウリア二人の位置を特定したガハルドが、横薙ぎの斬撃を繰り出す。遮二無二放たれたはずの一撃は、しかしハウリア二人を正確に狙い、短剣で防御してなお押し退ける威圧を放った。
「散らせぇ! “風壁”!」
飛び退いた二人と入れ替わるように放たれた無数の矢を、風の魔法が払い除ける。まさか正確に防御されると思わなかったハウリアたちは、つい二の矢の備えに遅れた。
「撃ち抜けぇ! “炎弾”!」
反撃のように火炎弾が掃射され、飛来してきた矢の軌道をそっくりなぞるように放たれる。反撃への備えがなかったハウリアたちは、回避を余儀なくされた。
「おぉおおお! 爆ぜろぉ、“炎弾”!」
火炎弾が二階通路を撃ち抜き、爆裂とともに崩落させる。咄嗟に飛び退いたハウリアの一人も躱し切れず、がらがらと崩落する足場に巻き込まれた。
「舞い踊る風よ! 我が意思を疾く運べ、“風音”!」
すい、と風が吹き、会場を満たした。
「らぁああ!!」
「ッ――!!」
斬撃が鞭のようにしなり、変幻自在に振るわれる。ハウリアたちはそれを躱しながら、代わる代わる攻め立てる。正面からの攻撃は不得手だ。あらゆる方向からの攻撃は、しかし全て凌がれた。風が運ぶ僅かな違和を頼りに、躊躇なく踏み込める胆力と殺気。
これが皇帝。これが軍事国家の棟梁。力こそ全てと豪語する戦闘者たちの頂点。――つまり、何を措いても始末すべき怨敵。
「ククク、心地いい殺気を放つじゃねぇか! なぁ、ハウリアぁ!」
漏れ出る殺気を感じ取りながら、四方八方から襲い来る死の刃を凌ぎながら、ガハルドは楽しげに叫んだ。ここまでやれるのは、そしてそれだけの動機を持つのは、ハウリアしかいない。
「――人間族は、無駄が多い」
「っ! はっ、上等ぉ!」
冷酷に吐き捨てるカムの言葉へ、ガハルドは意気も強く返した。
暗闇に火花が舞い散り、嵐の如く激しさを増す剣戟。どちらも決定的な損害を被ることなく、数分の攻防が続いた。手足を、口を斬り裂かれて動けない臣下たちは、一向にやってこない外からの増援に苛立ちながらも、己が皇帝の勝利を確信していた。
しかし、その期待は裏切られた。
「っ! なんだっ? 体が……」
突然、身体が麻痺したようにふらつき始めるガハルド。その機を逃さず、ハウリアたちは一斉に飛び掛かった。辛うじて応戦しようとするガハルドだが、鈍る身体が付いていかない。ついに矢の一本が、ガハルドのふくらはぎを貫いた。
「ぐぁ!」
一気に態勢を崩したガハルドへ、四方八方から刃が迫りくる。手足の腱を斬り裂かれ、隠し持っていた装備や
「ッ――」
それでも悲鳴ひとつ上げない胆力は、賞賛に値すべきか、どうか。少なくとも、この場の窮地を覆す効果はなかった。
ばちん、と天井から光が降り注ぎ、ガハルドの姿が照らされた。音響閃光弾がもたらす知覚麻痺は一時的なものだ。視力と聴力が回復した帝国貴族たちは、その姿に愕然とした。
「ふん、魔物用の麻痺毒を散布してここまで保つとはな」
「くそがっ、最初からそれが狙いだったか……」
鼻と口を覆い、くぐもった声で吐き捨てるカムの声に、ガハルドは悔しげな声を上げた。最初から仕込まれていたのだ。驚くほどに周到な罠だった。
「皇帝陛下! お前たち、いったい――」
「――動くな」
「なっ……!?」
「黙ってて。余計な真似はしないで」
咄嗟にガハルドを助けようと進み出た天之河の背中に、ユエが指先を鋭く突きつけた。裏切りとも思える暴挙に、しかし天之河はそれ以上の反応ができない。ユエの力量は幾度となく見せつけられているからだ。
そんな秘密裏の攻防はさておき、会場の注目はガハルドとそれを抑えつけるハウリアたちに集中していた。
「――さて、ガハルド・D・ヘルシャーよ。今生かされている理由は分かるな?」
「ふん、要求があるんだろ? 言ってみろ、聞いてやる」
「……減点だ。ガハルド。立場を弁えろ」
スポットライトがぐるりと動き、帝国臣下たちに向けられた。後ろ手に拘束された臣下たちが、その喉首を掻き裂かれ、夥しい血を噴き出しながら絶命していく。
「てめぇ!」
「減点」
「ベスタぁ! このっ、調子にのっ――」
「減点」
あっという間に、三人。今後ガハルドが抵抗する度に、臣下がその命を断たれていくことは、容易に理解できた。ぎりぎりと歯を食い縛りながらも、ガハルドができることはなかった。
「そうだ、自分が地を舐めている意味を理解しろ。判断は素早く、言葉は慎重に選べ。今、この会場で生き残っている者たちの命は、お前の言動一つに懸かっている」
まるで容赦のないカムの言葉に、しかし最も閉口しているのは慧斗だった。確かに、このくらい積極的に動かなければ脅しにならないのは事実だろう。だがそれはそれとして、被害を出し過ぎではなかろうか。
(やり過ぎだろあの連中)
(ゴーサイン出したのはお主じゃろ)
(……言うなよ……)
念話越しに突き付けられたティオの言葉に、慧斗は何も言い返せなかった。事前に計画は教えられた。それが叶うように仕込みをした。できることをやっている以上、それを手助けした以上、慧斗に反論できる余地はない。
再び壇上に戻ってきたスポットライトの下で、ガハルドは赤い魔晶石の付いた奴隷用の首輪を嵌められた。ただでさえ屈辱的な姿だが、その真価はここからだ。
「それは『誓約の首輪』。ガハルド、貴様が口にした誓約を、命を以て遵守させる
(いつの間にあんなもん造った!)
(頼まれたから、ついでに。首輪自体は用意してもらったから)
(えげつねえ皮肉考えるな!)
念話越しの慧斗の糾弾に、ユエはさらりと答えた。生殺与奪を握られたうえで、奴隷用の首輪を嵌め、さらに己の血を引く一族の生涯を懸けた誓約をさせられる――首輪を嵌めて亜人奴隷を使役してきた帝国の最高権力者として、これ以上の屈辱はあるまい。
「誓約……だと?」
「誓約の内容は四つだ。一つ、現奴隷の解放、二つ、樹海への不可侵・不干渉の確約、三つ、亜人族の奴隷化・迫害の禁止、四つ、その法定化と法の遵守。
わかったか? わかったのなら、『ヘルシャーを代表してここに誓う』と言え。それで発動する」
「呑まなければ?」
「今日を以て帝室は終わり、帝国が体制を整えるまで将校の首が飛び続け、その後においても泥沼の暗殺劇が延々と繰り返される。我らハウリア氏族が全滅するまで、帝国の夜に安全の二文字はなくなる。帝国の将校たちは、帰宅したとき妻子の首に出迎えられることになるだろう」
(おい馬鹿泥沼にするなって言ったじゃねえか!)
思わず“小さな共鳴石”を掴み、小声で制止する慧斗の言葉は、しかしハウリアの誰からも返答を得られなかった。慧斗は彼らの執念を見誤った。
もう止まらない。亜人族が散々舐めさせられてきた苦渋は――その矢面に立たされてきた兎人族の怨恨は、もはや止められない。彼らを衝き動かすのは、理性を超えた憎悪だ。
「帝国を舐めるなよ。俺たちが死んでも、そう簡単に瓦解などするものか。確実に万軍を率いて樹海へ侵攻し、今度こそフェアベルゲンを滅ぼすだろう。
わかっているはずだ。奴隷を使えば樹海の霧を抜けることは難しくない。戦闘は難しいが、それも数で押すか、樹海そのものを端から潰して行けば問題ない。今まで、フェアベルゲンを落とさなかったのは……」
「畑を潰しては、収穫ができなくなるからか」
「わかってるじゃねぇか」
あくまでも譲らないガハルドは、抵抗の言葉を続けた。
「今なら、まだ間に合う。大方
「論外だ。貴様らが今まで亜人にしてきた所業を思えば、信じるに値しない。それこそ『誓約』してもらわねばな」
「だったら、戦争だな。俺は絶対、誓約など口にしない」
「そうか。……減点だ、ガハルド」
カムの機械的な言葉とともに、スポットライトが移動した。そこにいたのは、すでに首輪を嵌められ、後ろ手に拘束された皇太子バイアスだった。
「離せェ! 俺を誰だと思ってやがる! この薄汚い獣風情がァ! 皆殺しだァ! お前ら全員殺してやる! 一人一人、家族の目の前で拷問して殺し尽くしてやるぞ! 女は全員、ぶっ壊れるまでぇ――ぐぇっ、がぼっ、ごぼぉっ」
喚き散らすバイアスは、二階通路から垂らされた縄にぐいと吊るし上げられ、宙に浮かされた。喉が締め上げられ、苦しそうにじたばたと藻掻くが、やがて窒息し力尽きたのか、だらりと脱力した。
その首輪がちかちかと光り、ぼんと爆裂した。夥しい肉片と血を撒き散らし、皇太子バイアス
「これが次期皇帝、お前の後釜か……見るに堪えん、聞くに堪えん、全く酷いものだ」
「……言ったはずだ。皆殺しにされても、誓約などしねぇ。怒り狂った帝国に押し潰されろ」
「息子が死んでもその態度か。まぁ、元より、貴様に子への愛情などないのだろうな。何が怒り狂った帝国だ」
「わかってんなら、無駄なことは止めるんだな」
殊更に煽るカムに対し、ガハルドも吐き捨てた。
兎人族と皇帝一族は決して分かり合えない。皇帝の座すら実力で決め、ために身内同士の殺し合いを推奨するくらいだ。誰あろうバイアスが、側室の子でありながら決闘で候補者を殺して皇太子の地位を勝ち取った者だった。そんな我が子、我が後嗣が殺されても、ガハルドの表情に変化はない。血族に対してさえ愛情を持ち合わせない皇帝の価値観を、同族のために戦うハウリア氏族には生涯理解できまい。
「そう焦るな。どうしても誓約はしないか? これからも亜人を苦しめ続けるか? 我らハウリア氏族を追い続けるか?」
「くどい」
「そうか……『デルタワン、こちらアルファワン。やれ』」
どうしても譲らないガハルドに見切りをつけると、カムは耳元の“小さな共鳴石”を取り出し、命令を下した。
次は何だ、と身構える群衆は、しかし何も起こらないことに不審を抱いた。ガハルドでさえ、不審げに周囲を見回した。
遠くから、地響きのように響いてくる爆砕の轟音が聞こえるまでは。
「っ。なんだ、今のは!」
「なに、大したことではない。奴隷の監視用兵舎を爆破しただけだ」
「爆破だと? まさか……」
「ふむ、中には何人いたか……ひとまず、数百単位の兵士が死んだ。ガハルド、お前のせいでな」
「貴様のやったことだろうが!」
「いいや、お前が殺ったのだ、ガハルド。お前の決断が兵士の命を奪った。そして……『デルタツー、こちらアルファワン、やれ』」
「おい! ハウリアっ」
愕然とするガハルドを置き去りに、再び爆発音が轟いた。遠隔で施設を爆発できるなど、冗談ではない。亜人族の所業どころか、魔人族でさえ困難なはずだ。
「……どこを爆破した?」
「治療院だ」
「なっ、てめぇ!」
「安心しろ。爆破したのは軍の治療院だ。死んだのは兵士と軍医たちだけ……もっとも、一般の治療院、宿、娼館、住宅街、先の魔人族襲撃で住宅を失った者たちの仮設住宅区にも仕掛けはしてあるが――リクエストはあるか?」
嘲笑うようなカムの言葉に、ガハルドはついに激した。
「一般人に手を出してんじゃねぇぞ! 堕ちるところまで堕ちたかハウリア!」
「
カムの蹴りがだんとガハルドの頭頂に落ち、彼は床に叩き伏せられた。鼻血を流しながらぎりぎりと歯を食い縛るガハルドに対し、しかしそれ以上に憎悪を燃やすカムが、その頭を踏み躙りながら言い放った。
「亜人族というだけで迫害してきた貴様らが、『人間族でない』というだけで奴隷扱いしてきた貴様らが、立場が変わった途端被害者面か? とうの昔に堕落しきった人間族が、何の妄言を吐いている。
聞くに堪えない。見るに堪えない。
「まてっ!」
ガハルドの制止も虚しく、三度爆発音が轟いた。ガハルドも、帝国武官たちも、己の無力に歯ぎしりをした。
実際に爆破したのは、帝城に続く跳ね橋だ。そもそも“爆晄石”自体、そこまで数が用意できていない。いくらユエ謹製といえど発破には数を要する以上、軍施設の他はわずか数ヶ所が限度だ。だがその気になれば、帝国臣民など何百人でも殺してやれる。それだけの憎悪を、彼らは積み上げてきている。
「貴様が誓約しないというのなら、仕方あるまい。帝都に仕掛けた全ての爆弾を発動させ、貴様ら帝室とこの場の重鎮たちへの手向けとしてやろう。
――数千人規模の民が死出の旅に付き合うのだ。悪くない最期だろう?」
まるで恫喝のような、いや恫喝以外の何物でもない要求に、即断できず沈黙するガハルド。その頭の中ではこの状況を打開する方法を必死に探っているのだろうが、妙案は一向に出てこない。苦みばしった表情と流れる冷や汗が、追い詰められていることを如実に物語っていた。
「『デルタへ、こちらアルファワン。や――』」
「まてっ!」
痺れを切らしたように唱えるカムに、ガハルドが慌てて制止の声をかける。苛立ちと悔しさを発散するように頭を数度地面に打ち付けると、吹っ切ったように顔を上げた。
「――かぁーー、ちくしょうが!
「それは重畳。では、誓約の言葉を」
淡々と促すだけのカムに、ガハルドももはや苦笑い気味だ。はぁと脱力すると、ガハルドは会場の生き残りに向けて口を開いた。
「はぁ、くそ、お前ら、すまんな。今回ばかりはしてやられた。……帝国は強さこそが至上。こいつら兎人族ハウリアは、それを『帝城を落とす』ことで示した。民の命も握られている。
故に――『ヘルシャーを代表してここに誓う! 全ての亜人奴隷を解放する! ハルツィナ樹海には一切干渉しない! 今、この時より亜人に対する奴隷化と迫害を禁止する! これを破った者には帝国が厳罰に処す! その旨を帝国の新たな法として制定する!』
――文句がある奴は、俺の所に来い! 俺に勝てば、あとは好きにしろ!」
この宣誓を覆すには、これまで通り亜人奴隷を使っていくには、ヘルシャーの血を絶やすしかない。もとより武力至上主義、勝てばその瞬間から官軍だ。挑発でも何でもなく、ガハルドは言い切った。
「ふむ、正しく発動したようだ」
カムの言葉と共に、皇帝の一族たちにスポットライトが降り注いだ。本来なら会場にいないはずのまだ幼い皇太孫もおり、一様に赤い石の首輪を嵌められている。
「ヘルシャーの血を絶やしたくなければ、誓約は違えないことだ」
「わかっている」
「明日には誓約の内容を公表し、少なくとも帝都にいる奴隷は明日中に全て解放しろ」
「明日中だと? 一体、帝都にどれだけの奴隷がいると思って……」
「やれ」
「――くそったれ! やりゃあいいんだろう、やりゃあ!」
ついでとばかりに突き付けられた無茶振りに、ガハルドは頭を掻くこともできなかった。
「解放した奴隷は樹海へ向かわせる。ガハルド、貴様はフェアベルゲンまで同行しろ。そして、長老衆の眼前にて誓約を復唱しろ」
「一人でか? 普通に殺されるんじゃねぇのか?」
「我らが無事に送り返す。貴様が死んでは色々と面倒だろう?」
「はぁ~、わかったよ。お前らが脱獄したときから、何となく嫌な予感はしてたんだ。それが、ここまでいいようにやられるとはな。
――なぁ、俺に、あるいは帝国に、何か恨みでもあったのかよ、ホザキケイト」
(勘の鋭い男だ。ただの蛮族じゃないらしい)
闇の中を探るようなガハルドの言葉に、慧斗は無言を貫いた。
恨みはない。ただ、シンプルな侮蔑はある。蛮族国家の靴をただで舐めることができるほど、慧斗は殊勝ではない。
「下らん。赤の他人に責任転嫁か?」
慧斗に向けられたその言葉を、カムが再びガハルドの頭を踏みつけながら否定した。慧斗を庇おうという意志は、ないだろう。しかし、この状況が『ハウリアの力によるもの』と強調できなければ、せっかく成功させたこの作戦が意味を無くしてしまう。
「やろうと思えば、我らはいつでも帝城内の情報を探れるし侵入もできる。寝首を掻くことなど容易い。
法の網を掻い潜ろうものなら、我らの刃が貴様らの首を刈ると思え」
「そうかい。よーくわかったよ。だから、いい加減解放しやがれ。明日中なんて無茶な要求してくれたんだ。直ぐにでも動かなきゃ間に合わねぇだろうが」
「……いいだろう。我らハウリア氏族は、いつでも貴様らを見ている。そのことをゆめゆめ忘れるな」
できるはずがない、とは誰も言えなかった。ここまで実践してみせた以上、次はどんな被害をもたらすか分からない。
その言葉を最後に、スポットライトが消え、会場を暗闇と静寂が包み込んだ。慧斗の耳には、ハウリアたちの撤退の号令が流れていた。中にはせっかく用意した“爆晄石”の回収を惜しむ者もいたが、誰一人逆らうことなく、カムの指示に従っていった。
「くそっ、アイツら、放置して行きやがったな。……誰か、光を……あぁ、そうだ誰もいねぇ……
ゴラァ! ホザキケイト! てめぇ、いつまで知らんふりしてやがる! どうせ、無傷なんだろうが! この状況、何とかしやがれ!」
「け、ケイトさん……!」
ガハルドの怒号に、リリアーナがおろおろと慧斗を見つめる。慧斗はあくまで素知らぬ顔で、“光球”を唱えた。
つい数十分まで華やかだった会場は、いまや凄惨な光景に変貌していた。落下したシャンデリアに潰され、その下から血を流す残骸。首を斬り裂かれ、だくだくと血を溢れさせる遺骸。辛うじて一命を取り留めた者たちも、無事な者は誰一人いない。鉄と饐えた臭いが満たす地獄のような光景で、慧斗だけが涼しい顔で立っていた。
「これで結構ですか?」
「あくまでしらを切るつもりか? てめぇがグルなのは分かり切ってんだよ」
「さあ。ここまでやったのは、彼らの腕前でしょう。見事なもんだ」
実際、慧斗が舌を巻くほどの練兵ぶりだった。少々の情報収集とトラップ破壊、そしてユエの作った触媒と
「いけしゃあしゃあと……とにかく、無傷であることに変わりねぇだろ。お前らに帝国に対する害意がないってんなら、治療するなり、人を呼ぶなりしてくれてもいいんじゃねぇか?」
「傷が治った途端、目の色変えて襲ってきそうな連中ばかりですが……
「いいわけねぇだろ! おい、お前ら! そこの化物には絶対手を出すなよ! たとえ、クソ生意気で、確実にハウリア氏族とグルで、いい女ばっか侍らせてるいけすかねぇクソガキでも、無駄死には許さねぇぞ!」
どうでもいいことまで付け足される辺り、よほど不興を買っているらしい。相変わらず俗っぽい連中だ、と慧斗は冷ややかな視線で睥睨するだけだった。
「ほれ、お前のことを殺したくても、実際に化物の顎に飛び込むような馬鹿は、ここにはいねぇ。俺がさせねぇ。そろそろ出血がヤバイ奴もいるんだ。頼むぜ、ホザキケイト」
「だそうな。ユエ、ティオ、任せた」
ただ残念ながら、慧斗は回復魔法の適性がない。ユエとティオに任せると、二人は揃って詠唱を始めた。
『――“聖典”』
見る見るうちに光が会場を満たし、傷付いた者たちの怪我が癒えていく。回復魔法すら最上クラスの集団に、一同は愕然とするしかなかった。
しかし戦闘可能な武官たちは即時にガハルドの周囲に集まると、警戒心と敵意を向けて慧斗を睨んだ。怯えるリリアーナを背に隠した慧斗は、しかしそれを涼しい顔で見返すだけだった。
「だから、よせっての。殺気なんか叩きつけて反撃くらったらマジで全滅すんぞ」
「しかし、陛下! 奴らは明らかに手引きを!」
「そうです! 皇太子殿下まで……放ってはおけません!」
「このままでは帝国の威信は地に落ちますぞ!」
何とか宥めるガハルドに対し、武官たちが次々に抗議の声を上げる。その醜態にはあとため息を吐いた慧斗は、少し後押ししてやることにした。
「
「……何だと……?」
慧斗のその言葉に、武官たちは不審げな表情を浮かべた。
「リリアーナ様が
そしてその牙は、すでにあなた方帝国へも向けられている。たかが一冒険者だの、亜人族だのに気を取られている場合ですか?
曰く、『怒りとは短い狂気である』――とのことですが、その下らない狂気のために、帝国全体を滅ぼさせますか?」
その言葉に、武官たちは押し黙った。そもそも今回、フェアベルゲンに大規模な侵攻をかけたのは、魔人族の襲撃で帝都が大損害を受けたからだ。
「あれは
それでも納得いかないのなら――」
涼しい顔のまま、慧斗はどす黒い魔力を解き放った。
『繧ゅ≧荳?蠎ヲ縲∬。?縺ォ譟薙a繧九?繧ゅd縺カ縺輔°縺ァ縺ッ縺ェ縺』
狗が、猪が、鳥が、蜥蜴が、兵士が――無数の影が、どす黒い津波となって会場を満たす。その異様に、会場は騒然となった。
「こ……これは……!」
「ひぃぃぃっ!」
「助けて! 助けてぇっ!」
会場は再び恐慌に陥った。暗闇の中で訳も分からず襲われた先とは異なり、可視化された暴虐が見せつけられている。その発生源にいるのは、白い髪を逆立て、赤い眼窩を反転させた人型の怪物。分かりやすく提示された恐怖の具現に、誰もが文字通り呑まれた。
「お、おい、穂崎!」
咄嗟に天之河が止めようとするが、その津波が未だ誰も傷付けていないことに気付くのに、少々の時間を要した。これはただ、見せつけているだけ。示しているだけ。
――何が勇者だ、何が英雄だ、何が“破軍の主”だ。こんなものが、夜空の希望を照らす綺羅星であるはずがない。これは、暗闇に死を
「チッ……分かってんな、お前ら! 相手は万軍を蹴散らした“破軍の主”だ! お前らじゃ手が出せねぇ!
奴に従えとは言わねぇ! だが力こそ至上と掲げる帝国人なら、実力差に駄々を捏ねるような無様は晒すな!」
そんな慧斗の姿を前に、ガハルドができることは、部下を押し止めることだけだった。
『力こそすべて』――それを自らの傲慢の拠り所としていた帝国軍人たちは、今やその摂理によって自らの去就を強制されていた。
「それはハウリア氏族に対しても同じだ。最弱のはずの奴らが力をつけて、帝国の本丸に挑みやがったんだ。いいようにしてやられたのは、それだけ俺たちが弱く間抜けだったってだけの話だろう? このままで済ますつもりはねぇし、奴らもそうは思っていないだろうが……まずは認めろ。俺たちは敗けたんだ。
敗者は勝者に従う。それが帝国のルールだ! それでもまだ、文句があるなら俺に言え! 力で俺を屈服させ、従わせてみろ! 奴らがそうしたようにな!」
言い切ったガハルドに、武官たちはしばらくの逡巡の後、苦々しい表情で引き下がった。自分たちが早々にやられた中で、最後まで戦い抜いたのはガハルドだ。主君として、帝国の威信として――それ以上に重い言葉が、彼らの膝を折った。
それを見届けた慧斗は、ずるずるとどす黒い魔力の津波を仕舞い、あっという間に元の姿に戻った。何食わぬ顔をして膨大な魔力を仕舞うその姿こそ、余人には怪物的に映った。
「『弱肉強食』――傲慢ですが、いいルールですね。弱さを認めて従うのも、正しい強さだと思いますよ」
涼しい顔で語る慧斗へと殺到した殺意を、しかし誰も形にできなかったのは言うまでもない。