ありふれた癌 作:Matto
01:再生の樹
大樹“ウーア・アルト”。フェアベルゲンの樹海の奥底に屹立する巨樹。
「これが……大樹……」
「すごく……大きいね……」
日本は鹿児島の屋久杉を遥かに超え、北欧神話に謳われる
根元から見上げても尚全貌を収められないこの巨樹は、しかし
理由は至極単純、枯れている。周囲を青々とした樹々に取り囲まれる大樹は、しかし灰色に枯死している。枯葉の一つさえ残っていない。でありながら腐食せず、ただ死したまま仁王立ちするその姿が、万物に等しく訪れる『終わり』を視覚的に突き付け、その一方で、永遠の磔刑を象徴しているかのような印象を、見る者に与えるのか、どうか。
ともあれ、見るのが初めてではない慧斗たちにとって、ただ枯死しているだけの樹に圧倒される理由はない。むしろ慧斗の意識は、この樹がどうやって大迷宮に変貌するのか、という疑問に向いていた。
「――ちょっと厭な予想言っていい?」
「……なに?」
「この樹、丸ごと再生しろって話じゃねえよな?」
「…………」
「…………」
「が、頑張ってください……」
むっつりと顔をしかめたまま見上げる慧斗の言葉に、再生魔法行使の担当になるであろうユエとティオは閉口し、シアは苦し紛れの労いを口にすることしかできなかった。
そう、再生魔法。このハルツィナ樹海の大迷宮を攻略するための鍵として、事前に提示された魔法。この大樹の有様と比較するならば、「大樹を再生させるために使え」という暗示だと考えるのが自然だろう。この、百人がかりでも囲めるかどうか怪しい周長の樹を、丸ごと再生しろと言われても
ともあれ、まずは調査。慧斗たちは根元に鎮座する石板に集まった。前回と変わりなく、裏側に四つの紋章を嵌める窪みがある。慧斗はユエから全ての紋章を受け取ると、まずオルクス大迷宮の指輪を嵌めた。その瞬間を待ち侘びていたかのように、石版が淡く輝き出し文字列が浮き出る。『四つの証』『再生の力』『紡がれた絆の道標』――まずは最初の手掛かりからだ。慧斗は残る三ヶ所に、順番に紋章を嵌めていった。
変化はたちどころに顕れた。紋章を嵌めた石板がぱあああと輝きを放つと、その輝きが地を這い、大樹に刻まれていった。ひときわ強い輝きを放つのは、石板の表面と同じ七つ紋様。
「む、大樹にも紋様が出たの」
「あそこに、再生の力……?」
ユエとティオは紋章の前に立ち、息を合わせて魔力を流し込んだ。久方ぶりに水を得たかのように、大樹は見る見るうちに二人の魔力を吸収し、その輝きが波紋のように広がり、その幹に瑞々しさを取り戻していった。
「あ、葉が……」
一同が呆然と見上げる中、大樹の枝の先から明るい色の若芽が生え、次々に芽吹き、鮮やかな緑で世界を彩った。風に揺られてざわざわと葉鳴りを轟かせる大樹は、やがてその幹をめきめきと隆起させると、ぱっくりとその身を裂いて巨大な洞を形成した。
「俺たちも入れそうだな」
「み、みたいだね……」
その様子を窺っていた天之河の言葉に、谷口が緊張を浮かべながら応答した。オルクス以外では、ほとんど初の大迷宮挑戦――硬い表情で入口を見つめる二人に、慧斗が口を開いた。
「帰りたいなら帰ってもいいぞ。最悪、俺とユエが獲得できればいいわけだし」
「行くに決まってるだろ? 俺は“勇者”だ」
「いや谷口の護衛だよ?」
「それがどうした」
「『どうした』じゃねえよ馬鹿。そいつ巻き込む気?」
「えっ」
当然のように挑戦する心積もりだった天之河は、ジト目で谷口を指差す慧斗の言葉に、思わず思考が止まった。
「お前には谷口の護衛を頼んでるのであって、別に“勇者”とかいう胡散臭い肩書に、何か期待してるわけじゃないんだけど。
お前がここに突っ込んでいったら、谷口が置き去りか強制参加の二択になんだろ。そこまで配慮して喋ってる?」
「それは……」
「け、喧嘩はよくないですよ。ね、ね」
容赦なく捲し立てる慧斗の言葉に、思わずむっとなる天之河。仲間同士の諍いを嫌うシアが割り込んでいなければ、どうなっていたことか。
「い――行くよ!」
「鈴……いいのか?」
その言い合いを見ていた谷口が、声を震わせながらも、意を決したように叫んだ。
「この先で、あの神山と同じ、すごい魔法が使えるようになるんだよね? だったら……私も行く! 行って、その魔法を手に入れる!
足手まといには……なりたくないから……!」
心配そうに見守る天之河の視線を受けつつ、谷口は、勇気を振り絞って宣言した。
片や自力で人間の限界を超え、神代魔法のひとつに手を掛けてみせた中村。片や攻撃も回復も味方頼みの谷口。対等とは、確かに言い難い。
一方、慧斗とユエはそれを見守りながら、横目で互いを見合わせた。
「どう思う」
「止めはしない」
「それは間接的に『勝手に死ね』と言っておらんかの?」
「配慮!!」
およそ旅の仲間に向けているとは思えない、冷酷な物言いをティオが見抜き、シアがツッコんだ。
とにかく、方針は決まった。全員で挑戦し神代魔法を手に入れる――一同は揃って大樹の洞に踏み込んだ。石板に刻まれた内容はあくまで入口を開けるための条件で、迷宮への挑戦権を選別するものではないらしい。
洞に入り込んだ一同は、その周囲を見回した。薄い暗がりが広がっているだけで、罠はおろか、通路らしいものも存在しない。
「行き止まり……なのか?」
「そんなわきゃないと思うね」
思わず呟いた天之河の言葉に反応したかのように、入口がめきめきと鳴動し、自ら閉じていった。ぎょっとする天之河の反応を待たず、入口はあっという間にぴっちりと閉じ、洞の中は闇で満たされた。
ユエが魔法で光を灯そうとするが、その隙は与えられなかった。一同の足元が煌々と光を放ち、魔法陣を形成したのだ。
「なになに! なんなのっ!?」
「これは――転移系の魔法陣だ!」
思わず悲鳴を上げる谷口と、見覚えのある模様を看破する天之河。全員がそれぞれに警戒心を深める中、慧斗だけはにぃと悪辣な笑みを深めた。
「――さあ、地獄巡りの始まりだぜ」
その言葉を合図とするかのように、一同は眩い光に呑まれた。
◇ ◇ ◇
ブブブブブ――と耳障りな羽音が、無数の維管の隙間を縫って迫りくる。
「うぅ~、キモイよぉ~、“天絶”ぅ!」
「くっ、素早い! “天翔剣”!」
人間サイズの巨大な蜂の群れが迫りくるという、地獄の一角に紛れ込んだかのような光景に、谷口は悲鳴を上げながら結界を張った。光の壁に堰き止められた巨大蜂が、天之河の異界剣技によって次々に両断されていく。
「くそぉ、こいつら、まるで魔人族の魔物みたいだ!」
一向に終わらない巨大蜂の攻勢、そして群知能がもたらす巧みな連携を前に、天之河は思わず歯噛みした。一体一体が強力でありながら、それが群れを成し連携攻撃を仕掛けてくる理不尽。たった二人で凌ぐには、あまりに多勢に無勢だった。
ここにいるのは、天之河と谷口の二人だけ。慧斗たちは、いない。その心細さが、巨大蜂の攻勢をいっそう恐ろしく映し出しているのか、どうか。
「“天絶”ぅ――“天絶”ぅ! もう、ダメだよっ。押し切られちゃう!」
巨大蜂の大きな顎と毒針が、谷口の結界を次々に破壊していく。仮にも“結界術師”である谷口の防御結界を、たった一撃で粉砕していく巨大蜂の攻撃を前に、彼女は障壁の連続展開を余儀なくされた。間断なき攻勢は、彼女の防衛ラインをじりじりと下げていくばかりで、一向に状況を好転させない。視覚的な嫌悪感も相まって、真綿で首を絞められているような気分だ。
「刃の如き意志よ、光に宿りて敵を切り裂け! “光刃”!」
天之河が手にする聖剣が煌々と輝き、巨大な光の刃を形成した。必滅の輝きが迸り、幾匹もの巨大蜂を薙ぎ払っていく。しかし、大振りな一撃は天之河本人の体幹を大きく揺らし、彼は残心の暇もなく巨大蜂の群れに集られた。
「くっ、このっ!」
「光輝君!」
ぎちぎちと顎を鳴らして押し寄せる巨大蜂。苦悶の声を上げる天之河に、しかし谷口ができることはない。自衛すら精一杯の彼女は、見るも悍ましい光景に身を竦ませることしかできなかった。
巨大蜂が次々に腹を突き出し、毒針を突き立てようとする。だがその一撃は、天之河が纏う聖なる鎧に阻まれ、ぎぎぎと不快な金属音を響かせた。
「――っ、“天翔剣・震”ッ!」
ぶわりと溢れ出した聖光が、巨大蜂の群れを呑み込んだ。光が晴れた後に残ったのは、ようやく起き上がった天之河と、胴を両断された巨大蜂の群れ。
「光輝君! 大丈夫!?」
「あぁ、問題ない!」
谷口の叫びに、天之河は怒鳴るように応えた。巨大蜂はまだまだ現れる。気を抜いてはいられない。
一分経ったか、十分経ったか、それとも一時間経ったか――二人にとっては、永遠に思える時間が流れた。
「……はぁ……はぁ……」
「……お……終わっ、た……?」
体力も魔力も消耗し、肩で息をする二人は、限界を迎えつつあった。幸いなのは、ずっと耳に聞かされてきた不快な羽音がなくなったことだ。ひとまず、巨大蜂の攻勢は終わったらしい。
「他の皆は、大丈夫かな……」
「どうだろうな……簡単には、やられない人たちみたいだが……」
びくびくと痙攣する巨大蜂の死体に慄きながら、谷口が呟いたが、天之河は明朗な答えを返すことができなかった。七大迷宮の半数を攻略してきたという強者らしいが、その人となりはあまり知らない。分断されて孤立したところに、強い魔物の群れに襲われて死亡してしまう――というのは、決して突飛な想像とは言えないだろう。少なくとも、自分たちはその危機に晒された。
そんな折、二人はある異変を見つけた。
「……あれ……なんだろう……?」
「あの魔力は――」
くろぐろと渦巻く魔力の塊。黒い大蛇がとぐろを巻くかのようにゆっくりとうごめくそれは、そのまま収束し形を成すでもなく、周囲を汚染し拡大していくでもなく、ただその場に滞留し続けている。見覚えのあるような、ないような――言葉にできない違和感に、二人はただ立ち竦むことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
渦巻く魔力、影の濁流の内側。
(――ああ、くそ!)
足元の汚泥を振り払いながら、慧斗はグレートソードを振るって無数の影を薙ぎ払っていた。狼を象った黒い幻影が両断され、滞留する汚泥に溶けていき、今度は蜘蛛の幻影を象って再び突撃してくる。
『ガルゥゥアアァァァッ!!』
『キシャアアァァァァ!!』
『グオオオォォォォォ!!』
無論、それだけではない。猿の影が、蛾の影が、熊の影が、慧斗の命を貪らんと迫ってくる。終わりなき怪物の軍勢に対し、彼はグレートソード一本での応戦を余儀なくされていた。
“ブラックパレード”は使えない――正確には、もう使っている。
(こんな形で、自分の罪と向き合わされるとはな!)
迫りくる無数の虚影――その全てに、彼は見覚えがある。敵として戦い、その果てに殺してきた命だ。真正面から向き合い、死闘の果てに打倒したものもあれば、正対すらせずに片手間で焼き払ってきたものもある。決して対等ではなかった命の選別が、しかしもれなく慧斗の敵として、再び立ちはだかってきた。
猪の魔物の群れをなます切りにしながら、迫りくる次の黒い津波を睨む慧斗の視界に、ある影が映った。
『たスけてクレぇ』
「――――」
虚ろに反響する声。影の濁流に投げ出され、頼りなく流されていくその声は、しかしはっきりと慧斗の耳に届いた。
――清水幸利。この異世界で、慧斗の人生で、はじめて殺した顔見知り。
『イやだァ。死ニたクナいぃ』
『ウそつキ。うソつキィぃぃぃ』
清水の声に呼応するように、じわじわと死人の残滓が浮かび上がり、さながら
『殺さナいデぇ。こロサないデェぇ』
南雲の命乞いが慧斗の腕に纏わりつき、グレートソードを振るう力を鈍らせる。その隙を逃さず、百足の影が、蛇の影が、蟷螂の影が慧斗目掛けて殺到する。あっという間に総身を締め上げられ、彼は身じろぎひとつできなくなった。
『グゥガガガァァァァアアアア!!』
そこにトドメを刺すように、双頭竜が咆哮を上げながら立ち上がる。雁字搦めになった慧斗を噛み潰そうと、両翼からその
ざぶり、と影の濁流が撥ねた。魔物の虚影も、
――ぎぎぎぎぎ……と軋むような音が、
「――んな、虫のいい話なんかねえよなあ!」
その中心に立つのは、全身の力を総動員して
これが罪で、これが罰だとして――ここで終わっていいはずがない。
理由があって、目的があって、それをやり通すために、命を奪ってきたのだ。果たされないまま、道半ばで諦めるわけにはいかない。
『キシャアアァァァァ!!』
「上等! 全部まとめてかかって来い!!」
耳を劈く虚影の木霊に、慧斗はグレートソードを構えて相対した。