ありふれた癌   作:Matto

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02:対比されるもの

 ざぶり、と影の濁流を斬り裂き、闇の中から脱出した慧斗の目に映ったのは、無数の維管が形成する薄暗い茂みだった。

 

 

「――ッはあ……はあ……!」

 

 

 すべて殺した。すべて斬り伏せた。この異世界トータスでの――暦の上では半年程度の、しかし濃密な戦闘経験の総てを、彼は力尽くで踏破した。その代償が今にも卒倒しそうな疲労というのは、軽いと言っていいのか、どうか。

 

 

「穂崎!」

「穂崎君! 無事!?」

「見ての……通りだ……!」

 

 

 暗闇のとぐろが内側から破られ、そこから慧斗が飛び出してきた瞬間を見ていた天之河と谷口が、すぐさま駆け寄った。滝のように汗を流し、ぜえはあと肩で息をする慧斗の姿は、二人が初めて見るものだった。

 

 

「か、回復魔法を……!」

「必要、ない! 魔力補給、すれば、何とかなる!」

「じゃ、じゃあ、魔力回復液を……」

「あんな効率悪いもん使えるか!!」

「どんな理屈!?」

 

 

 谷口の気遣いを罵声で返す慧斗に、彼女は思わずツッコんだ。そもそも『魔力補給すれば傷が治る』というのもこのトータスの常識を外れているし、その魔力補給にしたって魔力回復液を使用するのが普通である。まさか『魔石から魔力を直接吸収するのが最高効率』などという非常識は考えられない。

 そんな折、天之河が何かに気付いたかのようにはっと顔を上げた。

 

 

「――っ! 鈴、下がれ!」

「えっ!?」

「生き残りがいたか――!」

 

 

 天之河は素早く聖剣を構え直し、維管の陰から歩み寄るひとつの影に向かって突撃した。

 暗緑色の小柄な体躯に、不釣り合いな大きな頭、肥大化した耳、ぎょろぎょろとした目玉、不揃いな歯列が覗く大きな口――ゴブリンだ。オルクス大迷宮の上層に発生する、単体では雑魚だが集団で現れるのが厄介な魔物。仲間を呼ばれる前に――と剣を振り上げた天之河は、当のゴブリンが一切武装しておらず、敵意を見せるでもなく、ただ天之河を見上げるだけの姿を見過ごした。

 

 

「――っと待った!」

「!?」

 

 

 そこに黒い鉄塊が割り込み、ぎぃんと甲高い音を立てて天之河の剣を止めた。見れば慧斗がグレートソードを差し込み、天之河からゴブリンを守るように剣を止めている。「よっと!」という気合とともにグレートソードを振り上げ、天之河の剣は撥ね上げられた。

 

 

「……穂崎。どういうつもりだ。なぜ邪魔をしたんだ? 下手な言い訳は許さない。魔物を庇うなんて正気を疑う――」

 

 

 鋭く睨む天之河には目もくれず、慧斗はゴブリンと目線を合わせるように屈んだ。何かを探すかのように、じっとその顔を見つめている。そこでようやく、二人は違和感に気付いた。攻撃するでもなく、威嚇するでもなく、ただ穂崎を見つめ返すだけのこの魔物は、いったい何者だ……?

 

 

「――……ユエか?」

「グギャ!」

「は?」

「え?」

 

 

 慧斗の言葉に、天之河と谷口は唖然とした。ゴブリンだけが、嬉しそうに奇声を上げた。

 

 

「えっと……穂崎。本当にユエちゃんなのか? その、俺には魔物にしか見えないんだが……」

「す、鈴も魔物に見えるよ。本当にユエちゃんなの?」

 

 

 おずおずと問い質してみた二人は、しかしうーんと思考に沈む慧斗に無視された。こいつ、正気か。もしかして正気なのか。

 二人は慧斗の顔を見た。思考に沈むその横顔は、己の推測を一切疑っていないようだった。

 二人はゴブリンの顔を見た。醜悪な顔を喜悦に歪め、ギギッと鳴き声を上げていた。

 

 

「これは……転移後に姿を変えられたのか」

「グギャ! ……グゴゴ」

「魔法は? 使えるか?」

「……ギュウウ、ゴゴ」

「駄目そうだな……他の装備は?」

「グギャ……ギャギャ、グギ」

「あっち――入口で落としてきたのか」

「ギギギ、ガギ」

「貴重品はほとんどユエに預けてたからな……仕方ない、一旦戻るか」

 

 

 ゴブリンとの会話(?)をひとしきり終えた慧斗は、よっと立ち上がった。付いていけない天之河と谷口を置き去りに、ゴブリンの先導に従って歩き始める。

 

 

「いやいやいやいや、待て待て待て待て」

「あ、なに?」

「いや何で通じてるの? 今の何語だった!?」

 

 

 慌てて止めに入った二人に対し、慧斗は胡乱げな視線を向けるだけだった。いやどうしてそんな顔をされなければいけないんだ。(おか)しいのはお前の方だろうが。

 

 

「鈴にはグギャ! としか聞こえないよ! 何語なの!? 何で理解できるの!?」

「いや、何となく。見てたら大体分かるだろ」

「分かんないよ!? 全然分かんないよ!?」

「向こうが分かってんだから充分だろ。それに、こっちはごく簡単な質問しかしてない」

「それで分かる!? 本当に分かるの!?」

 

 

 谷口はツッコミ疲れでそろそろ声を枯らしそうになった。我が道を行くと言わんばかりの慧斗に振り回されるのは今に始まったことではないが、ここまで理不尽なことはかつてない。直前までの戦闘の疲労が消し飛び、その上で脳がオーバーヒートを起こしそうになっていた。

 そこに、もう一匹小さな影が現れた。丸腰のゴブリンが、慧斗の無防備な背後へと飛びかかる――

 

 

「グギャー――!」

「うるさい」

「ギャウッ!?」

 

 

 それを、振り向きもしない慧斗の裏拳が叩き落とした。顔面をしたたかに打ち付けられたゴブリンは、ぼとりと墜落し激痛に悶絶した。敵意もへったくれもない無様なその姿を見下ろしながら、慧斗は大きくため息を吐いた。

 

 

「……そっちは大方シアだろ。まったく面倒なことを……」

「ギャギャ! ギャギャギャ!」

「うるさい。お前も装備取りに戻るから、大人しくしてろ」

 

 

 こっちはシアらしい――どうやら。姿を変えられても騒がしい兎耳少女もといゴブリンを、慧斗はただ冷たい視線で見下ろすだけだった。

 ギィギィギャギャと騒がしい様子で歩き出す慧斗とゴブリン二匹を見て、谷口は呆気に取られるばかりだった。もうかける言葉が見つからなかった。

 

 

「――……何で……???」

「やめよう、鈴。あいつはもう、俺たちの理解を超えている」

 

 

 辛うじて『はぐれないよう後を付いていく』という理性的判断ができたのは、彼らの賢明さを証明すると言っていい。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ユエとシア(と称されるゴブリンたち)に連れられた先は、見覚えのあるぴっちりと閉ざされた樹壁だった。ユエの“宝物庫”やシアの鉄槌などが、無造作に転がっている。二人に偽装(?)した魔物の罠とかそんなことはなく、警戒していた天之河と谷口はどっと疲労感を覚えた。

 ちなみに、慧斗による再生魔法は却下された。慧斗の腕前では大した効果が見込めないし、中途半端に巻き戻ってキメラ状態になるのも困る。当面は出番がないだろうと、シアの鉄槌は“宝物庫”に仕舞われ、一同は再び維管の茂みに足を向けた。

 ユエとシアが合流(?)し、残るはティオ一人。慧斗たちのように無事ならばそれでいいのだが、ユエたちのように姿を変えられていると厄介だ。見落とさないよう慎重に進もう、と方針を定めて歩くこと三十分後――

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 目の前の光景に、慧斗たちは絶句した。なんかもう、本当にかける言葉が見つからなかった。

 三人と二匹の視線の先には、ゴブリンの集団がいた。といってもこちらに敵意を向けてくる様子はなく、一匹の大柄なゴブリンに対し、寄ってたかって殴る蹴るの暴行を重ねている。

 

 

「――……あ、あれは……?」

「仲間に、いじめられてる……?」

「お前ら目ェ腐ってんのか」

 

 

 戸惑う天之河と谷口にツッコみつつ、慧斗は正面に視線を戻――すかどうか真剣に迷った。

 『ゴブリンの集団が仲間の一匹をいじめている』程度ならば、奇妙だが単純明快な光景だ。だが、当の暴行を受けているゴブリンが、恍惚とした表情を浮かべながら殴打を受け入れているのだから、もう気色悪い以外の何物とも形容できない。心なしか、暴行している側のゴブリンたちも困惑しているように見える。これも迷宮の罠の内と言われたらワンチャン信じる。

 

 

「――……見た目って大事なんだな……」

「グギャ……」

「ギギ……」

 

 

 閉口する慧斗に、ユエとシアはかける言葉が見つからなかった。(そもそも碌に発声できないことは脇に置いておく。)

 こんな仕打ちを甘受できる者がいるとしたら、ティオしかいない――というかそうであってくれ。『他にもたくさんいる』という前提を想像させないでくれ――のだが、あまりに醜悪な絵面を受け入れるのに、三人は多大な勇気を要した。いやそもそも被虐性愛嗜好(マゾヒズム)とは倒錯的な嗜好であり、誰がどんな姿をしていようと決して美しくはないのだが……ティオ自身が類まれな美女であるがゆえに、その絵面にも妙な艶めかしさがあり、それで多少中和されていたという現実を、三人は改めて自覚した。

 

 

「グ? ギャギャ!」

 

 

 と、そんな時、ゴブリンの一匹が慧斗たちに気付いた。粗末な木の棍棒を構え、一斉に襲い掛かる――よりも速く、

 

 

「グギャギャギャ!!」

「寄るなせめてその姿で!!」

「ギャフゥ!!」

 

 

 暴行を受けていた推定ティオが、真っ先に慧斗に飛びかかり、咄嗟に構えられたグレートソードの腹にぶち当たって遮られた。ずるり、と涎を垂らしながらずり落ちていく推定ティオは、相変わらず熱に浮かされたような気色悪い笑みを浮かべていた。

 その姿を、死んだ魚のような目で見届けた慧斗は、あらゆる感情を削ぎ落ちした声音で天之河に言った。

 

 

「ハイ揃ったんで残り殲滅。行け」

「お、俺たちか!?」

「ケツ蹴飛ばされるのと物理的に火点けられるのどっちがいい」

「分かった! 分かったよ!」

 

 

 今にも殲滅魔法を展開しかねない雰囲気の慧斗に気圧され、仕方なく天之河と谷口はゴブリンたちへ相対した。といっても、谷口は守りを旨とする結界術師なので、主要な役目は天之河一人である。先の巨大蜂ほど脅威的でなかったのは幸いと言っていいか、どうか。

 一方、慧斗は推定ティオを冷たく見下ろしていた。もしもの時は、コレを守って戦わなければいけないことになる。

 

 

「ギャウゥゥ……」

「こっち見んな」

「グギャァ……」

「無敵かこいつ」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ともあれ、これではぐれた面子は揃った。三人が戦闘不能になったのは痛手だが、ないものねだりをしていても始まらない。あとはまっすぐ進み、この迷宮を踏破するだけだ。

 歩み始めて一時間ほど経ったか、維管の茂みが終わり、一行は巨大な洞の前に立った。ようやく見つけた次なる区画への通り道を、体高三十メートルはありそうな樹の魔物(トレント)が塞いでいる。

 

 

「さて、大物が出たか」

 

 

 丸太のような枝を腕のようにしならせ、がさがさと葉をざわつかせるトレント。ただでは通させないとばかりに暴れるそれを前に、慧斗と天之河は揃って剣を構えた。

 

 

「みんなは戦えない――俺たち二人で!」

「んなこたァ(わー)ってら、さっさと斬り伏せるぞ。谷口、そいつらの護衛頼任せた」

「う、うん! ここは聖域なりて、神敵を通さず! “聖絶”!」

 

 

 谷口が結界を張り、非戦闘員三人の安全が担保されたのを見届けると、まず天之河が突っ込んだ。輝く聖剣を構え、大上段から振り下ろす。

 

 

「食らえっ、“光翔斬”!」

 

 

 黄金の軌跡が迸り、トレントの腕枝を斬り裂いた。一本一本が重厚なそれが、しかし束となって天之河に襲い掛かる。彼は咄嗟に盾で防御したが、衝撃を殺し切れず受け身を強制された。

 

 

「ぐぅううっ。攻撃が重い!」

(めんどくさい。長引かせるわけにもいかんか)

 

 

 回転する鋭利な葉が刃のように飛来し、実が砲弾のように撃ち込まれ、地面の隙間から鋭い木の根を生やしてくる。元来維管束に水分が通っている樹木は、半端な炎では焼き切れない。戦闘員が自分と天之河しかいない上に、守護対象がいる現状で、長期戦は不利――葉の刃を躱しながら思案を重ねる慧斗は、手っ取り早く片付けることにした。

 

 

『謐ゥ縺倅シ上○繧阪?』

 

 

 ぶわりと黒い魔力が津波のように溢れ、トレントを取り囲んだ。

 すなわち、“ブラックパレード”による蹂躙だ。魔力はたちまち雑多な兵士や魔物の姿に変生し、トレントに向かって集中攻撃をかける。その渦中で、ぎゅるりと魔力を練り上げる慧斗に警戒心を覚えたのか、トレントががさがさと葉をざわつかせ、その身を輝かせた。途端、ぎちぎちと周囲の樹壁がうごめき、無数の樹が生えてきた。

 

 

「樹が!」

「固有魔法……!」

 

 

 あっという間に分厚い城壁と化したそれに、谷口は絶望の表情を、天之河もまた苦悶の表情を浮かべた。一本一本が天之河の斬撃を凌ぐ防御力を有しているというのに、それが組み合わさって防壁をなしてしまっては、攻撃が届かない――

 

 

『縺薙§髢九¢繧阪?』

 

 

 だが慧斗は揺らがなかった。

 黒い亡者兵士たちが塊のように身を寄せ合うと、巨大な屍の腕が一対生じた。無数の亡者たちの体躯が支える、地獄の悪鬼のような巨腕だ。屍の巨腕は樹の城壁に取り着くと、ごりごりと軋みながらその間隙に入り込み、城壁を押し流すようにこじ開けた。

 そうはさせじとトレントがうごめき、樹の城壁を新たに作り上げる。慧斗はそれに構わなかった。元より、完全な突破は期待していない。()()()()()()()()()()

 

 

『――“緋槍”!』

 

 

 慧斗は左手に緋炎の槍を構え、トレント目掛けて投擲した。灼熱に輝く大槍の一撃が、樹の城壁を蹂躙し、トレントの眼前に迫る。ばちばちと燃え盛る拮抗が生じるその先端に、慧斗は魔力を捻じ込んだ。

 

 

『雋ォ縺代?』

 

 

 慧斗の呪言を叶えるように、火焔の槍がいっそう激しく燃え上がった。ごうごうと樹の城壁が熔解し、ついにトレントへと送り込まれた。

 瞬時に身を焦がす灼熱に、トレントがぎしぎしと悲鳴を上げた。強引に捻じ込まれた慧斗の魔力が、いっそうトレントを燃え上がらせ、苦悶の鳴動すらも薪に爆裂した。

 ばぁん、とトレントは身を弾けさせた。固有魔法で召喚された樹の城壁が、ぼろぼろと焼け落ちていく。

 

 

「……ふう……」

 

 

 それを見届けてようやく、慧斗は屍の巨腕を仕舞い、魔力を封じて“ブラックパレード”を解いた。あとに残されたのは、唖然として見上げる天之河と谷口、そしていつも通りといった様子で見守る三人(ゴブリンのすがた)。

 しかし、それだけでは終わらなかった。めきめきと樹壁がうごめくと、洞全体を元通りに復元し始めたのだ。

 

 

「再生した……!?」

 

 

 それだけで、谷口はいよいよ絶望に支配された。天之河でも攻撃は容易ではない、慧斗が“ブラックパレード”を使ってようやく――そんな難敵を、何度も相手にしなければならないのか。

 幸運にも、彼女の絶望は杞憂で済んだ。めきめきと鳴動する樹壁は、焼け焦げて崩落した洞を再生し、元の空洞を復元した。

 

 

「通り道……だったんだね」

「よし、通るぞ」

 

 

 ほっと安堵した谷口をよそに、慧斗はグレートソードを担ぎ直し、さっさと歩き出した。それに遅れないよう、谷口たちも慌てて付いていく。

 天之河だけが、しばらく取り残された。

 

 

「――……穂崎」

「なんだ」

「……俺は……――いや、何でもない……」

 

 

 目線だけで急かした慧斗は、天之河の沈んだ表情の正体に気付かなかった。

 

 

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