ありふれた癌 作:Matto
勇者一行、その中心人物であった穂崎慧斗の戦死――その知らせは、メルド率いる勇者一行が帰還し次第、真っ先に報告された。
「そんな……!? どうして……!?」
愕然としたのが、王女リリアーナ姫である。個人的な親交のあった彼女の脳裏に、がつんと重い衝撃を与えるには、余りある凶報だった。
そんな動揺を知ってか知らずか、騎士団長メルドは深く深く項垂れた。
「全て、私の落ち度です。この上は、いかなる罰をも受ける覚悟であります」
「……そこまでのことは――」
沈痛な面持ちで処分を待つメルドに、国王エリヒドは何と言葉を掛ければいいか分からなかった。
ただでさえ、優秀な戦士だった。その脱落は、今後の勇者一行の士気――ひいては、対魔人戦線にも深い影を落とす。しかし、切羽詰まっているのも事実だ。このメルド団長に処分を与え、騎士団全体の士気を落とすようなことがあれば、それこそ目も当てられない。
「その必要はありますまい」
「猊下?」
そこに割り込んだのは、同じように報告を聞いていた教皇イシュタルだった。
「残った方々にも、有望な戦士はいましょう。彼らに託せばいいだけのこと。
――慧斗殿も、一人二人の犠牲は織り込み済みでした。それが、彼自身だったというだけのこと」
まるで慧斗の犠牲を容認するかのような冷たい一言に、しかし一同は逆らえなかった。
◇ ◇ ◇
「……あの……」
メルドの報告が終わり、玉座の間を辞したリリアーナに、声を掛ける者があった。
装備は着の身着のまま、気まずそうに俯く、相川だった。
「あなたは……たしか……?」
「あの、相川昇、です。その……王女様が、穂崎と親しくされてるって、知ってて……」
「そう……ですか……」
改めて自己紹介をし――それきり、重い沈黙が流れた。話し掛けたはずの相川自身が、語るべき言葉を見つけられないようだった。
リリアーナの脳裏に、数日前の光景が蘇った。ただ走り込みをして、素振りを重ねる。そんな姿を、後ろから眺める。静謐で、穏やかな時間。それは、決して戻って来ないのだ。
「――ごめんなさい……!」
「……え……?」
沈黙に耐えられず、相川はがばりと頭を下げた。目をぱちくりとさせたのはリリアーナの方だ。
「あいつは……俺たちの殿を買って出て――ひとりで頑張って――なのに……俺たち、全然、役に立たなくて……!
……俺たちの……俺のせいなんです……!」
絞り出すような悔恨と贖罪の言葉に、リリアーナはかけるべき言葉を見つからなかった。目の前で級友の死を目撃したのだ、その衝撃はリリアーナの比ではない。
「顔を上げてください、ノボルさん」
それでも、リリアーナは優しげに声を掛けた。顔を上げた相川には、明らかに不満が浮かんでいた。――いや、違うだろう。助けられなかった悲嘆、悔恨が、未だ彼の心を支配している。
「あなたの責任ではありません。彼が奮闘したのなら――それであなたたちが救われたのなら、それで充分なのです。これ以上、あなたが気に病む必要はありません」
「でも……!」
リリアーナは、ただ優しい言葉を重ねた。それに意味があるかどうか、相川の心を励ますには充分なのか、どうか。未だ釈然としない相川に、リリアーナは静かに言葉を重ねた。
「それでも、あなたが罪の意識を感じているのなら――あなたなりに、頑張ってください。あなたができることを、彼の分まで」
相川は、今度こそ口を閉ざした。リリアーナが同じように悲嘆の念を抱いていることは、ひしひしと感じられた。
――無力な自分ができることを、あの剛毅な穂崎の分まで。その言葉は、相川の心に深い影を落とした。
◇ ◇ ◇
「……私は、教師失格です」
穂崎の訃報を聞き、悲嘆に暮れたのは王国関係者だけではなかった。生徒たちの中で唯一の大人、子供たちを護るはずだった教師、畑山である。
「大事な生徒が大変な目にあって、犠牲まで生んでしまったのに、私は一人離れたところでのんびりやってきただけで……
……親御さんに、どう説明したらいいんでしょうか……!」
「……愛子先生……」
顔を覆い絞り出すような声を上げる畑山に、八重樫はどう声を掛けたらいいか分からなかった。
全体的なステータスが低く、しかし“作農師”という希少さゆえに各地の農地改善及び開拓に引き回されていた畑山がいたところで、何かが変わっていたとは思えない。こと直接戦闘において無力な畑山がいたところで、穂崎の犠牲が止められたとは思えない。それでも、彼女は教師だ。子供たちを護るべき存在だ。そんな責任感が、穂崎の死によって、重い後悔に変わった。
そんな畑山に向かって、さらに悪い事態を伝えるのに、八重樫は多大な勇気を要した。
「その……悪い知らせがあるんですけど……」
「どうしましたか?」
沈痛な面持ちで語り出す八重樫に、畑山が嫌な予感を覚える。それがいささか外れていたのは、僥倖というべきか、どうか。
「一部の生徒が、自室に引き籠ってます。戦闘訓練にも、座学にも出てきません」
「――まさか……!」
「多分……穂崎君が死んでしまったのが、よほどショックだったんだと思います」
当たらずとも遠からず。穂崎の死を、それを間近で見せつけられた生徒たちの恐怖。それは、どこか浮ついていた気分の生徒たちに、絶望を与えるには充分だった。
愕然とする畑山の横で、扉がぎぎぃと開いた。
「ちょうど良うございましたな。その件で、すこしお話が」
狙い澄ましたようなタイミングで現れたのは、ハイリヒ王国国王エリヒドだった。二人の許へ悠然と歩み寄り、空いた椅子に腰かける。
「愛子様。あなたは、彼らの教師だそうですな」
「ええ……それが?」
「彼らを、何とか説得できませんか。再び立ち上がり、戦場に行けるように」
「……何ですって?」
エリヒドの言葉に、畑山は目を剥いた。八重樫も、不快げな視線を隠さない。
「王国も、貴族諸侯も、皆様には多大な期待を寄せております。
その大半が『戦えない』などと仰られると――王国としても、いささか立場が苦しいところでして」
つまり、こうだ。「多大な予算を掛けているから、それに見合う成果を出せ」と。脱落者が現れ、絶望する生徒たちを、再び戦わせろと。新たな犠牲が生じる危地に飛び込ませろと。
あまりに心無い言葉に――畑山の堪忍袋の緒が切れた。
「――認めません」
「はい?」
普段とはまるで異なる雰囲気に、八重樫もエリヒドも戸惑いを見せる。畑山はかっと目を見開くと、勢いよく立ち上がった。
「ええ、認めませんとも! あなた方の勝手な都合で連れ込んでおいて! 大事なクラスメイトの死を間近で見せつけられて! それでも戦えと仰るんですか!?」
「愛子様、しかしですな……」
「私は絶対に譲りません! いいんですか!? 私、“作農師”ですよ!? あなた方ハイリヒ王国の兵站だけでない、民衆の経済をも左右する存在ですよ!? そんな私が使命を放棄したら、あなた方は本当に潰れてしまいますよ!!」
「そ、それは……しかし……」
痛いところを突かれ、エリヒドは思わず反論の言葉を失った。まさしくストライキである。ここで畑山の稀少技能まで失ってしまうと、ハイリヒ王国は本当に詰んでしまう。それこそ対魔人戦線ではなく、経済の衰退と糧食の不足による、内部崩壊によって。
「――まだ、います」
そこに滑り込むように、八重樫が口を開いた。
「戦おうとしている生徒は、まだいます。私たちの努力だけで、あなた方に貢献できます。それで成果を挙げれば、費用対効果は釣り合うでしょう?」
それは、八重樫なりの決意表明だった。
自分たちは、まだ戦える。穂崎が命がけで助けたこの命を、無駄に費やすわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
狼は基本的に、群れで活動する。それは奈落の二尾狼にも言えることだった。
この時、二尾狼は四頭の群れを形成していた。周囲を警戒しながら岩壁に隠れつつ、絶好の狩場を探す。普通の狼と違い、二尾狼の狩りは待ち伏せが基本だ。岩陰に潜んだまま、二尾狼たちはふんふんと匂いを嗅いだ。――獲物が近くにいる。それは二尾狼たちを飛び出させるのに充分な動機だった。
ひとつの誤算は、その獲物が
「グルゥア!?」
黒鉄のグレートソードが、まず先頭の一匹を薙ぎ払った。横薙ぎに頭蓋を砕かれ、ぼんと首から上が吹き飛んでいく。いきなりの仲間の死に、二尾狼たちは思わず立ち止まった。
「ガウガウ、ガァァッ!」
威嚇するように吼えると、二匹が同時に襲い掛かってきた。慧斗は振り向きざまにグレートソードを振るい、その二匹をまとめて薙ぎ払った。
「キャウン」
あと一匹。仲間がやられて動揺している個体目掛けて、思い切りグレートソードを振り下ろす。
――これで、この群れは始末した。残心も休息もなく、慧斗は手近な死体を掴み上げると、脱兎のごとく駆け出した。
(走れ走れ走れ走れ急げ急げ! 血の匂いで寄ってくるぞ!)
だらだらと血を流しながら引き摺られる狼の死体を掴みながら、慧斗は落盤した大穴に飛び込んだ。
「ひい、ひい、ひい……」
ごろごろと半ば転げ落ちるように降りていく。最低限、瓦礫が崩れて足を踏み外さないように“固着”の魔法をかけているが、元々下級魔法しか使えない慧斗では、付け焼き刃が関の山だ。そのまま狼の死体を引き摺ると、慧斗は魔力の溢れる神結晶の前に戻り、その肉を捌き始めた。
剣鉈を貰っておいて助かった。本来は戦闘補助用に調達したものだったが、こうして野営作業に使えるのは大きい。皮を剥ぎ、肉を削ぎ落し、内臓を掻き出す。ついでに、その奥にある魔石を摘出する。これで、最低限の支度は整った。あとは、これをどう食すか。
「…………一応、焼くか」
燃焼剤なら、毛皮で何とかなるだろう。匂いや一酸化炭素中毒が恐ろしいが、背に腹は代えられない。
「“火よ”」
剥いだ皮を細切れに刻み、念のため毛の方を上に向け、ぽつりと一言唱えると、その白い毛にぽつりと火が灯った。見る見るうちに周囲を巻き込み、小さな焚火が出来上がる。慧斗は削いだ肉片に投げナイフの先端を突き刺すと、その肉片を火にかざした。
しばらく、待った。少ない脂がじゅうじゅうと零れ、火に降りかかってめらめらと燃え盛る。焼き色的に、そろそろだろうか。火から離して少し冷ますと、慧斗はまず左手で神水を一掬いし、右手の肉と並べて見比べた。
――神水がぽたぽたと零れる。迷っている暇はない。慧斗は神水を一気に啜ると、呑み込む前に肉を口に突っ込んだ。
(――まっず)
単純に固い。あと臭みがすごい。神水のせいで中途半端に冷めた肉が、肉汁と混ざり何とも言えない味となって慧斗を襲う。それらすべてをぐっと我慢し、一通り咀嚼しきると、慧斗は一気に嚥下した。
(……どうだ)
食えたか。胃には下った。溶解して腸に入るまでは、少しかかる。慧斗は辛抱強く待った。この一歩が、慧斗の明日を決める。
しばらくしたのち――
「――……っぐ――あぁぁ……っ!?」
胸から込み上げる不快感に、慧斗は思わず蹲った。燃焼剤を焼き尽くした火がぶすぶすと焦げていく横で、慧斗はじたばたとのたうち回った。
不快感は激痛となって全身を襲った。意識が飛びそうになった。身体中が内側から捻じ曲げられる錯覚に陥った。全身がぼこぼこと沸騰する感覚に襲われた。慧斗は本能のままに神水に手を浸し、舐めるように飲んだ。激痛はちっとも収まらなかった。
「あがっ……がぁぁぁっ……!」
身体の内側から捲れ上がるような激痛に、慧斗はいつまでも理性を保っていられなかった。込み上げる苦しみに、ただ身体を抑えつけることしかできなかった。
不快感が急激に襲ったように、激痛は急激に引いていった。荒い息を吐き、何とか起き上がった慧斗は、辛うじて動けることを確認した。
(――……とりあえず――成功、か……?)
身体の動きを確認した慧斗は、ひとまず無事なことを確認した。ふとその腕を見下ろすと、
「え、なにコレ。気持ち悪」
血管を思わせる赤黒い線が、二の腕を這い回るように走っていた。まるで、今しがた食っていた二尾狼のようだ。
(まさか――魔物を食ったから、魔物になったって理屈? 何それ意味わからん)
意味不明な異常現象に、慧斗はむっつりと顔をしかめた。ともあれ、食って生き延びられるならそれに越したことはない。この際、容貌の美醜など気にしてはいられない。
あとは――この膨大な肉の残りを、文字通り死闘を繰り広げながら食らい尽くすしかない、ということだ。
◇ ◇ ◇
全身をぐちゃぐちゃと這いまわる激痛と引き換えに、何とか二尾狼の肉を平らげる。体力を取り戻したら、再び這い上がり、また狩ってその肉を食べる。それを繰り返すこと数日。
ふとステータスプレートのことを思い出した慧斗は、懐からがさがさと銀色のプレートを取り出し、その内容を見てみた。
穂崎慧斗 17歳 男 レベル:16
天職:計測不能
筋力:計測不能 体力:計測不能
耐性:計測不能 敏捷:計測不能
魔力:計測不能 魔耐:計測不能
技能:
異界言語
トータスで使用される言語が自動翻訳される。
気配探知
生物/無生物が発する気配や魔力を探知することができる。
詠唱破棄[下級]
下級魔法の詠唱を省略することができる。
暗視
自動発動。暗闇での視覚能力低下が抑制される。
悪食
魔力に侵された肉や植物への耐性。
それらを食すことができるが、苦痛は抑制できない。あとすごく不味い。
魔力継承:雷纏
二尾狼より継承。全身に雷を纏うことができる。
(――……なんか増えてる……)
現れた新しい技能に、慧斗は閉口した。『暗視』と『悪食』はまだいい。どちらも、生きていくために必要な能力だ。
問題は『魔力継承:雷纏』とやら。二尾狼の肉こそ食えど、その力の核たる魔石には手を出していない。まさか、その肉に宿る魔力を取り込んだということだろうか? 魔物を食ったから魔物になり、その固有魔法さえ継承するとは、もはや人ならざる怪物の域だ。己はもう、人間の世界に戻ることはできないのかも知れない。
「――とりあえず、行くか」
慧斗は思考放棄した。訪れるかどうかも分からない未来より、今を生き抜くしかない。今を生き抜くには、狩るしかない。そう自分に言い聞かせ、慧斗は瓦礫を這い上がった。
物陰に隠れながら、しばらく歩いた。二尾狼の気配はない。慎重に歩いていた慧斗は――
「キュウ!」
「っと!」
背後から迫りくる蹴り兎に対し、咄嗟にグレートソードで防御した。
完全に背後を獲ったと確信していた蹴り兎は、その力強い足で跳ねると、慧斗から距離を取った。
「キュウゥゥゥゥ……」
「お前さんのおっかなさは知ってるよ、お生憎様」
低い唸り声をあげて威嚇する蹴り兎に対し、慧斗は軽口を投げた。特に意味のない行動だった。
焦るな。先手を取っても、必ず対応してくる。隙はある。後手を狙え――
先に痺れを切らしたのは、蹴り兎の方だった。勢いよく跳躍し、無力な禿猿を蹴り殺さんと飛び掛かる。それに対し、慧斗は剣鉈を振るった。中空で無防備なはずの蹴り兎は、しかし空中を跳んで避けるはずだ。
「キュ!」
「“風波”!」
「キュ!?」
狙い通り。ぼんと跳んだ瞬間を狙って、慧斗は衝撃波で突き飛ばした。予想外の反撃に、蹴り兎が思わず動揺する。それが決定的な隙だった。
「ずぇいッ!」
慧斗は素早く吶喊し、剣鉈を翻して振り払った。それは過たず蹴り兎の喉首を裂き、夥しい血を撒き散らして絶命させた。
(……勝っちゃった)
思ったより呆気ない勝利に、慧斗はしばらく沈黙した。あれだけ必死になって追い回された蹴り兎も、正面から挑めばこの程度か。それはともかく、と慧斗は蹴り兎の亡骸を急いで掴み上げ、大穴に転がり落ちていった。そして二尾狼と同じように毛皮と肉を捌き、焼いてその肉を食らう。
それは当然、
「――うごぁぁぁぁ……っ!」
魔物の毒素に冒されて苦しむことを意味する。
◇ ◇ ◇
――そろそろ、出よう。そう思った。
きっかけは、よく分からない。蹴り兎の肉を食らい、その耐性が付いたことで、気が大きくなったのかも知れない。あるいは、ただ狩りに出て戻り、のたうち回りながら肉を食らう、そんなことを繰り返すだけの無聊に飽いたのかも知れない。いずれにせよ、いつまでもここに居つき、奈落の底の魔物の一角として生きていくわけにはいかない。そんな焦燥感が形となり、慧斗はついに脱出を決意した。
慧斗は改めて装備を確かめると、瓦礫をよじ登り大穴を出た。ここにいる魔物の特性は大体分かっている。慧斗は死角ができない程度に、堂々と通路を歩いていった。
「ガァァッ!」
「邪魔」
「キュウ!」
「退け」
迫りくる魔物たちを、慧斗は片手間に捌いていった。二尾狼も、蹴り兎も、もはや敵ではない。
やがて広間のようなエリアに出た。そこにいたのは、二足歩行で屹立する白い巨熊。この辺りは、この大爪熊の縄張りらしい。
「グルルルル……」
「ま、そうなるよな。ここを踏破するとなったら、お前が関門だ」
獲物を見定めて唸り声を上げる大爪熊を相手に軽口を叩きつつ、慧斗はグレートソードを構えた。恐れはない、今なら勝てる。だが油断してはいけない。
「グオオオッ!」
「“風波”!」
大爪熊が飛ばしてくる風の刃を、慧斗は衝撃波で相殺した。
その手はもう知っている。種さえ分かれば、恐れる必要はない。慧斗は一気に踏み込んだ。それに対して両腕を振るい、握り潰そうとした大爪熊に向かって、
「“爆導策”!」
「グゥルアアア!!」
慧斗は指先を振るい、火焔の連鎖爆発を浴びせた。至近距離の灼熱に、大爪熊が思わず仰け反る。その隙を逃さず、慧斗はグレートソードを振り下ろした。
「ぬぅんッ!!」
まず左腕。返す刀で右腕も刎ね飛ばす。痛みに悶える大爪熊の脳天に向けて、慧斗は渾身の力でグレートソードを振り上げ、大爪熊の脳天に叩き込んだ。
「ガァァァ……ッ」
両腕からの夥しい出血、さらに脳天を深々と抉る一撃に、大爪熊は断末魔を上げながらどうと倒れた。残心で剣鉈を構え、大爪熊が起き上がらないことを確認すると、慧斗はグレートソードをずぶりと引き抜いた。
強敵だった。一歩間違えば、一手でも遅れれば、死んでいたのは慧斗だろう。だが、勝ちは勝ちだ。
(――でこういう時こそ)
慧斗は振り向きざまに指を突き出し、
「ガァァッ!」
「“閃涛”!」
背後から襲撃する二尾狼を撃ち抜いた。
◇ ◇ ◇
魔物の肉を食らい、その魔力を受け止めることができれば、それは自身の力となる。その摂理によって急速に力を増した慧斗にとって、もはやこの階層の魔物は敵ではない。あとは上層への道を見つけ、地上に戻ればいいだけの話だった。
ところが、その上層への道がない。
「……これは、どうなってるんだ……?」
「……奈落の底が、オルクス大迷宮の最深部なんじゃねえの……?」
さらに下、というのはどういうことだろうか。ここはあくまで最深部ではない? この先、さらに深層が待ち構えているのか? 全部で百階層のうち、ここは何処に当たる?
(――いや、ちょっと待て)
慧斗は慌てて記憶を浚った。過去の最高到達点は六十五階層。以降は完全に未知の領域で、この奈落の底を含め、誰も辿り着いたことがない。なのに『全部で百階層である』と判明しているのは、根本的におかしいのではないか?
(『全部で百階層である』と語ったのは、いったい誰だ?)
慧斗の心中で、不信感が加速する。王国なのか、教会なのか、それともどちらでもない故人か。いずれにせよ、胡散臭い思惑を感じずにはいられなかった。
慧斗は改めて下層に視線を遣った。緑光石のない暗闇は、この慧斗をして僅かな恐怖を煽る。躊躇いを呑み込んで踏み出すには、勇気が要った。
いずれにせよ、ここ以外に道がない。鬼が出るか蛇が出るか、一つ降りてみるしかない。
装備:
大熊の爪
大爪熊の皮を剥ぎ、その爪を籠手に据えたもの。大爪熊の固有魔法を宿し、風の刃を飛ばすことができる。