ありふれた癌   作:Matto

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09:囚われの魔人

 案の定、下層は暗闇で満たされていた。いくら暗視が可能とはいえ、真っ暗闇ではさすがに機能しようがない。慧斗は仕方なく、“光球”を唱えて光源を確保した。

 慧斗の警戒心に反して、光に吸い寄せられる魔物は一向に現れなかった。かつん、かつんと慧斗の足音だけが響き渡る。分かれ道に出くわすと、慧斗はまず左側を通ることにした。これなら、引き返すときに来た道が分かる。

 注意深く進む慧斗の視線の先に、やがて光が見えてきた。何があるか、油断はならない。慧斗は慎重に進みつつ、それが扉であることに気付くと、ようやく“光球”を消失させた。

 

 

(ここは、なんだ……?)

 

 

 ほとんど天然の洞窟であるオルクス大迷宮にあって、重厚な鉄扉など見たことがない。両隣に、剣を携えた巨人が彫られている。表面には二つの四角錘状の窪みと、それらを取り巻く巨大な魔法陣が描かれていた。下級魔法がせいぜいの慧斗の知識では、見たこともない魔術式だ。その擦れや汚れ具合から察して、相当古いものであるらしいことしか判別がつかない。

 慧斗は扉をぐっと押してみた。ぴくりとも動かなかった。こんこんと叩いてみた反響からして、さして分厚い感じではなさそうだが、ここまで手応えがないのは不審がある。さてどうしようか、と思案していた時、

 

 

「おっと」

 

 

 ごろごろと重い音を鳴らし、両隣の巨人が動き出した。慧斗はさっと距離を取った。周辺の壁をばきばきと砕きながら、その頭蓋に一つの光が宿った。

 重厚な剣を携えた一つ目の巨人――伝承に言う、サイクロプスというやつだろうか。その手に持つ重厚な剣は、目算で四メートルはある。まともに当たれば一撃死、掠るだけでも危険だろう。

 

 

「ほいっ!」

 

 

 先手必勝。慧斗は籠手に据えた大爪熊の爪を振るい、片割れに向けて風の刃を飛ばした。かきん、と甲高い音が鳴り、それきりだった。サイクロプスたちはまるで気にした様子もなく、ゆっくりと慧斗に近寄った。

 

 

(傷ひとつ付かない。硬化の特性か?)

 

 

 遠距離からちまちま、という横着はできないらしい。あの巨大な剣を掻い潜り、急所に致命的なダメージを与えなければならない。

 サイクロプスが、緩慢な動きで剣を振り上げた。そのまま待っていれば、圧死待ったなしだろう。

 

 

「その手の大振りはもう経験済みでね!」

 

 

 勿論、そんな無様な死に方をする気はない。慧斗はまっすぐに吶喊し、巨剣をすり抜けてサイクロプスの足元に滑り込んだ。振り向きざま、その膝裏にグレートソードを叩き込んだ。

 がくり、とサイクロプスが体勢を崩した。当たりだ。硬化の特性は、柔軟に動かすべき関節には適用できない。血を噴き出すこともなく、膝裏を砕かれたサイクロプスはがっくりと膝をついた。

 その横から、もう一体のサイクロプスが剣を突き込んできた。

 

 

「そういう連携も知ってる!」

 

 

 慧斗はひらりと跳んで躱すと、その平突きの上に飛び乗った。そのままだんだんと力強く踏みしめながら駆け上がり、鈍いサイクロプス目掛けて吶喊する。あっという間に到達した肩で、慧斗はぐっとグレートソードを構えると、

 

 

「――ふぅッ!」

 

 

 その頸を刎ね飛ばした。

 大きく弧を描いて吹き飛んでいく頭蓋は、相変わらず血の一滴も噴かないままころりと転がり落ちた。がくり、と力を失ったサイクロプスが、両膝をついたまま動かなくなる。なんとか立ち上がろうとしたもう一方の肩目掛けて、慧斗は思い切り跳躍した。

 だんと着地した慧斗のグレートソードが、その頸を刎ね飛ばしたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 さて、扉に触れた途端起動し、侵入者を追い払うかのように襲撃してきたサイクロプス。この扉の守護者であることは、容易に想像がつく。

 

 

(人造物っぽいよなぁ、これ……)

 

 

 二体のサイクロプスの亡骸(?)を見つめながら、慧斗はうーんと唸った。洞窟の迷宮に似合わない頑丈な鉄扉と、それを守る人造魔物。ここには、何があるのだろうか。

 ――厄ネタの匂いがする。『君子危うきに寄らず』、見なかったことにして立ち去る方がいいかも知れない。

 そう思いつつも、しかし慧斗はサイクロプスの装甲の隙間にグレートソードを突き立て、ぐりぐりと剥がしていた。どのみちどん詰まりだ、ここで博打に出てみるのもアリかも知れない。

 ばきり、と重厚な音を立てながら剥がれた装甲の下、比較的柔らかい内側を抉ると――案の定、立方八面体の魔石が出てきた。もう一体も同じである。明らかに天然ものではないそれを握ったまま、慧斗は扉の方へ振り向いた。――やはりだ。鉄扉の中心、二つの窪みにちょうど嵌る大きさだ。

 鉄扉の窪みに二つの魔石を押し込むと、ばり、と音を立てながら赤黒い魔力が迸った。それは魔法陣を駆け巡るように広がっていくと、ごろごろと轟音を立てながら鉄扉が奥に開いていった。

 

 

「――BINGO」

 

 

 慧斗はグレートソードを構え直し、その奥へ足を踏み入れた。

 部屋の中は灯りひとつない真っ暗だった。何も見えない。仕方なく“光球”を焚こうとしたその時、

 

 

「……だれ……?」

「え」

 

 

 暗闇の奥底から、声が響いた。

 声質からして幼い。少女のものだろうか。慧斗は“光球”を焚き、声の主を探した。

 それは少女だった。黄金の立方体に両手と下半身を埋め込まれ、磔のような状態になっている。歳のほどは十二、三歳くらいだろうか。項垂れた顔にかかる長い金髪の隙間から、血のように赤い瞳が覗いている。その双眸が、“光球”を頭上に浮かべる慧斗を捉えた。

 

 

「……まもの……?」

「あっやっぱりそういう見た目になっちゃったんだ……」

 

 

 少女の言葉に、慧斗はがっくりと脱力しそうになった。確かに容貌に気を遣っている余裕はなかったが、初見の人間(?)にはっきり言われるような状態だと、さすがに傷付く。

 ちなみに慧斗の今の姿、髪が白く逆立ち、全身に赤黒い線が走り、白目と赤目が反転した異様な容貌をしている。見る者全員が魔物と判断する、異常な姿をしていた。

 

 

「……だれ、でも、いい……お願い……助けて……」

 

 

 掠れ声で懇願する少女に、慧斗は眉をひそめた。この扉は、この少女を封印していたのだろうか。

 ――ここで、慧斗の脳裏に違和感がよぎった。ただ封印するだけなら、扉を完全に埋めてしまえばいい。解錠の魔術式など用意せず、その鍵となる魔石を用意せず、まして扉の守護者の核に用いる必要などない。()()を封じた者は、何を企んだ?

 慧斗は少女に向かってつかつかと歩み寄ると、その首筋十数センチ横、ぎりぎり髪を切り落とさない位置にグレートソードを突き立てた。

 

 

「ひぅ……!」

「黙って質問に答えろ。こんな迷宮の奥底で、雁字搦めのまま首刎ねられたくなかったらな」

 

 

 思わず怯んだ少女に向かって、慧斗は容赦なく言った。

 

 

「まず、お前は誰だ」

「……わたし、は……わたしの、なまえ……」

 

 

 少女は俯いたまま、しばらく沈黙した。必死に思い出しているかのような素振りに見えた。

 わざと誤魔化しているのか、それとも真実思い出せないのか。慧斗には、判断できなかった。

 

 

「――もういい、次。何でここにいる」

 

 

 慧斗はため息を吐くと、次の質問に移った。

 

 

「……私、先祖返りの吸血鬼……すごい力持ってる……だから、国の皆のために、頑張った……

 でも……ある日……家臣の皆……お前はもう必要ないって……おじ様……これからは、自分が王だって……

 私……それでもよかった……でも、私、すごい力あるから、危険だって……殺せないから……封印するって……それで、ここに……」

 

 

 まるで喋るのも数百年ぶりとでもいうような、たどたどしい物言い。慧斗は、いまひとつ要領を得られなかった。

 

 

「つまり――お前は吸血鬼族の生き残りで、家臣に裏切られてここに封印されたってことか。……『殺せない』ってのは?」

「……勝手に治る。怪我しても……首、落とされても、その内に、治る……」

「…………マジかよ」

 

 

 少女の言葉に、慧斗は愕然とした。それはまるで、正真正銘の不老不死ではないか。

 

 

「いやそれじゃさっきの反応なんだよ! 別に怖くも何ともねえってことじゃねえか!」

「……再生、しても、いたいものは、いたい……」

「そりゃそうだよな説得力ある説明ありがとう!」

 

 

 思わずツッコんだ慧斗に対し、少女は至極真っ当に言い返した。流石の慧斗も、何も言い返せなかった。

 

 

「……話を戻す。すごい力ってのは、その治癒力のことか」

「これもだけど……魔力、直接操れる……陣も、いらない」

「……ごめん微妙にすごさ分かんない。やっぱ特別なの?」

「……魔人も、人それぞれ……私くらいは、たぶんいないと思う……」

 

 

 一応、すごいものではあるらしい。下級魔法しか扱えない魔法素人の慧斗では、残念ながらそのすごさが分からなかった。

 

 

「……お前は、これからどうしたい。俺に、どうしてほしい」

「……助けて、ほしい」

 

 

 最後の質問。慧斗の問いに、少女は掠れ声で、しかしはっきりと答えた。

 慧斗は大きくため息を吐いた。助けるも助けないも、慧斗の一存だ。つまり、他に判断材料がない。

 

 

「……とても残念なお知らせだが、俺は人間族だ。少なくとも『元』な。

 で、お前たち吸血鬼――魔人族とは敵対している。それを承知の上で、助けを乞うのか?」

「構わない……ここから、出してほしい」

 

 

 慧斗の確認に、少女は縋るように答えた。

 

 

「一人は、もういや」

 

 

 泣きそうな声で、はっきりと言う。その言葉は、慧斗の胸を貫いた。

 

 

「――……だろうよ」

 

 

 そんなことを言われてしまっては逆らえない。慧斗はため息を吐くと、立方体からグレートソードを引き抜いた。

 

 

「――ふぅッ!」

 

 

 瞬間、慧斗は少女の横を通り過ぎるように振り下ろした。魔力結界による抵抗を、ごりごりと力ずくで砕いていく。

 

 

「ぐぎぎぎぎ……!」

 

 

 全体重をかけて、無理矢理に砕きながら押し込んでいく。やがてぱきりと音がすると、結界は両断された。

 その瞬間、どろりと魔力が溶け出すように溢れ出た。結界を構成する魔力が崩壊し、少女は糸が切れたように頽れた。ぜえはあと荒い息を吐く慧斗に向かって、少女が顔を上げた。

 

 

「……ありがとう」

「うるさい」

 

 

 少女の虚飾なき感謝の言葉に、慧斗は思わず顔を背けた。ついでに両手の装甲を外すと、その下に着ていたジャケットを脱ぎ、少女に向けて放る。

 

 

「えい、しょっと。――とりあえず、これ着とけ。いろいろやりづらいし」

 

 

 装甲を付け直しながら言い放ったそれは、あくまでも慧斗の考える紳士的な対応だった。決して丈の長いジャケットではないが、全裸の少女をそのままで放置できるほど無神経ではない。ところが、少女はジャケットを抱えたまま、しばらく慧斗を見上げていた。

 

 

「……何だよ」

「……えっち」

 

 

 ずどん、と黒鉄が振り下ろされた。それは少女の眼前を掠め、股の間に重く深く沈み込んだ。少女の長い金糸が、はらりと数本揺れた。

 

 

「貴様、ジョークのセンスがないな。どこで習った」

 

 

 深紅の眼窩に虚無を宿した慧斗が、グレートソードを引き抜きながら言い放った。――次に余計なことを言ったら殺す。言外の命令に、少女はこくこくと涙目でうなずいた。

 封印の間にアンモニア臭が漂わなかったのは、ひとえに彼女の精神力のおかげと言っていい。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

「……で、歩けんのか、お前」

「……ん……」

「……駄目そうだな。しゃーねえ、担いでやる」

 

 

 慧斗の問いに、少女は何とか立ち上がろうとするも、腰に力が入らないようだった。ああもう仕方ない、とため息を吐きながら腰を下ろしたその時、それは起こった。

 がしゃんと硝子を割るような音が響き渡り、頭上からナニカが降ってきた。

 体長五メートルを超える大蠍だ。四本の長い腕にそれぞれ巨大な鋏を持ち、八本の足をわしゃわしゃと動かしている。二股の尻尾には当然、鋭い針が生えていた。

 

 

「きゃ……っ」

「くそっ、また大物だな!」

 

 

 大物の出現に、慧斗は悪態をついた。気配探知で気付くことができなかった以上、おそらくこれが、少女を逃がさないための最後の仕掛けなのだろう。

 

 

「キィィィィ……」

「よう、サソリ野郎。一丁前に威嚇か?」

 

 

 慧斗は軽口を叩きつつ、やや強引に少女を担ぎ上げると、グレートソードを構え直した。

 

 

「とにかく掴まれ、走り回るぞ!」

 

 

 その言葉を合図とするかのように、大蠍が襲い掛かってきた。

 

 

「キシャァァァァア!!!」

 

 

 力いっぱい大跳躍し、慧斗はその突進から逃げた。自分でも驚くことに、“風波”を使うことなく空中を踏みしめることができている。魔物化したゆえの超常能力なのか、それとも蹴り兎あたりから継承した魔力ゆえか。ともかく、使いようがあるというのは便利だ。

 

 

「――っ“風波”!」

 

 

 振り向いた大蠍の尻尾から、大量の針が飛来した。慧斗は咄嗟に衝撃波で相殺しつつ、残りを跳躍で躱していった。

 

 

「キィィィィィイイ!!」

 

 

 着地した慧斗の隙を狙い、大蠍の大叫喚が響いた。拙い、と直感するよりも早く、大蠍の周囲の地面が波打ち、そこから棘が無数に溢れ出した。

 慧斗は再び跳躍した。棘は次々に地面を覆い、やがて壁からも生えてくる。その一つが少女に刺さりそうになり、慧斗は咄嗟に身を翻した。

 そこに、大蠍が再び針を射出した。この状態では避けられない。

 

 

「ぐうううう……っ! んなろっ!」

 

 

 慧斗は咄嗟にグレートソードを構え、可能な限り針を凌いだ。防ぎきれなかった針の幾本かが慧斗の胴に突き刺さり、無数の痛苦を与える。毒がなかったのが幸いと言っていいか、どうか。

 

 

「……どうして、逃げないの?」

「ちょっと後にしてくんない!?」

「どうして」

 

 

 背後の少女の問いを、慧斗は一旦振り払おうとした。しかし少女は慧斗の想像以上に頑固で、問いかけを止める気がないらしい。

 地面の棘を避けるように着地すると、慧斗はすうと深呼吸をした。

 

 

「……お前を見捨てる理由はいろいろある。守る理由も、いろいろある。逃げない理由なら――」

 

 

 ――師である祖父より、「お前に求めているのは『武道』なのだ」と、言われたことがある。

 単純な暴力ではない。技術を指し示す『武術』ではない。それを習得することで精神を修養し、暴力に頼らない高潔な精神を会得するのが目的なのだと。

 だが、今この場では関係ない。目の前の暴力に対し、なすべきことを自ら定め、そのために技能を揮うことこそ、正しき道だろう。

 

 

「救うと決めたお前さんを、見捨てて逃げるような卑怯者になりたくねえだけだよ!」

 

 

 そう叫んだ慧斗は、大蠍に向かって手を掲げ、詠唱を始めた。

 

 

「暗き炎渦巻いて、敵の尽く焼き払わん、灰となりて大地へ帰れ――“螺炎”!」

 

 

 三節による中級魔法。螺旋状に迸る魔炎が大蠍に突撃し、キシャァァと悲鳴を上げさせるが――

 

 

「くそったれ、全然足りねえ……!」

 

 

 表面の甲殻を薄く焼いただけで、本体へのダメージはほとんどない。所詮は魔法素人の付け焼き刃か……!

 その様子を見ていた少女は、ひとつの決心をした。

 

 

「――お願い。私を信じて」

 

 

 そう言うと、少女は慧斗の右腕に飛びついた。

 

 

「!?」

 

 

 突然の行動に、慧斗は気が動転しかけた。間髪入れずに走る、鋭い痛み。それとともに、右腕から虚脱感が広がっていく。これは――まさか、血を吸っている?

 

 

「……ごちそうさま」

 

 

 ごくりと呑み込み、満足そうに離れた少女の口から、僅かに血が垂れていた。

 少女はおもむろに立ち上がると、ゆらりと魔力を解き放った。その華奢な姿からは想像もできない膨大な魔力が、漆黒の闇を振り払い、黄金の光で包んでいく。

 

 

「“蒼天”」

 

 

 少女が紡いだ言葉は、たった一言。――ただそれだけで、大蠍の頭上に、巨大な蒼炎の塊が現出した。

 

 

「ホェア!?」

 

 

 さしもの慧斗も、驚愕に思わず目を見開く。その異様に本能的な恐怖を覚えたのか、大蠍はここにきて逃走を図った。多脚を器用に動かして後退し、反転の隙すら見せないまま部屋の出口へと走る。

 ――最強の吸血姫が、それを許さない。ぴんと伸ばした指を指揮棒(タクト)のように振るうと、蒼炎は逃げる大蠍目掛けて疾走した。

 

 

「グゥギィヤァァァアアア!?」

 

 

 青白い光が封印の間を満たし、大蠍の絶叫が響いた。やがて光が消えたころには、甲殻を赤黒く焼き焦がされ、満身創痍の大蠍がいるだけだった。

 その隙を逃さず、踏み込んだ戦士が一人。

 

 

「――ずぇぇぇいッ!」

 

 

 渾身の力で薙ぎ払ったグレートソードが、大蠍の首を刎ね飛ばした。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 大蠍に止めを刺し、全身の針を引き抜きながら戻ってきた慧斗に向かって、少女が手を翳した。

 

 

「“快気”」

 

 

 見る見るうちに、全身の怪我が癒えていく。こりゃすげえ、と感心した慧斗の目の前で、少女は糸が切れたようにへたり込んだ。

 

 

「おい、大丈夫か」

「ん……最上級……疲れる」

 

 

 どうやら魔力の消耗だけで、致命傷を負ったわけではないらしい。慧斗はひとまず安堵した。

 

 

「さっきのは、俺の血を吸ったのか?」

「ん。血に宿る……魔力と生命力を、分けてもらった」

「あっそ」

 

 

 慧斗の確認に、少女はあっさりと答えた。何はともあれ、無事に窮地を切り抜けることができたのだから、結果オーライというべきだろう。

 

 

「――ほんで? お前、ちゃんと名乗る勇気はできた?」

「……え……?」

 

 

 慧斗の問いに、少女は首を傾げた。

 

 

「吸血鬼ならありがちだろ。本名を知られると力を封じられる、とか何とか」

「……そうなの……?」

「いやいいよもう。お前が知らないなら、関係ないんだろ」

 

 

 首を捻る少女の反応に、慧斗は馬鹿馬鹿しくなった。どうやら取り越し苦労だったらしい。

 

 

「……私を、疑ってた……?」

「まあ、うん。ここ、割と何があってもおかしくないし」

 

 

 封じられた被害者のように見せかけて、その実獲物を捕える罠だった――などというものは、創作現実ともによくある話である。というか大蠍が出てきた時点で、そういう罠だったと判断してもしょうがない。

 

 

「で、名前は?」

「……言いたくない……」

「あ?」

「『囚われた私』の名前なんか、もういや」

「アホか何だその我儘は! 史上稀に見るタイプだよ馬鹿!」

 

 

 あからさまに顔をしかめ、嫌そうな表情を見せる少女に、慧斗は大声でツッコんだ。過去に何があったか知らないが、そんな理由で名前を捨てられる神経が理解できない!

 

 

「あなたが、つけて」

「んでどんな理屈!? 自分で好きな名前名乗りゃいいじゃん!」

「あなたが、私を助けた。だから、あなたが責任、取って」

「ブッ飛ばすぞバカタレ! ああちくしょうブッ飛ばしても再生するんだった!」

 

 

 ああもう! と慧斗は地団駄を踏んだ。どうあっても譲る気はないらしい。ぐぐぐとお互いに睨み合う中、先に折れたのは慧斗だった。

 

 

「えーっと……名前……なまえ……ナマエ……」

 

 

 ぶつぶつと頭を悩ませながら、慧斗は少女を見つめた。

 

 

「……えっち」

「殴り倒すぞクソチビ」

 

 

 上目遣いで睨む少女に、慧斗は低い声で罵倒した。二次性徴も迎えていない少女体型などお呼びじゃない。

 ともかく、名前だ。何かしら捻り出さないといけない。女の子の名前で――金髪で――ある程度呼びやすい発音で――

 

 

「――……じゃ、『ユエ』とか、どうだ」

「ユエ?」

「地球の――俺の故郷の言語のひとつで、『月』を表す。これでどうだ」

「ユエ……月……」

 

 

 慧斗の提言に、少女はしばらく考え込んだ。自らに刷り込むべき記号として、確かめているような様子だった。

 

 

「――……ユエ。私は、ユエ」

 

 

 やがて納得したのか、少女は無表情で、しかし心なしか嬉しそうに名前を唱えた。

 少女ことユエは、再び慧斗を見上げた。そういえば、自分も特に名乗っていなかった。

 

 

「それで……あなたは? あなたの、名前は?」

「――穂崎慧斗。慧斗(ケイト)が、名前。呼び方は好きにしな」

 

 

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