帝国退魔鬼譚 ~我が宿敵に口付けを~   作:裃 左右

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第7話 露天風呂、湯煙の戯れ

 豪勢な夕餉を終え、ほろ酔い気分の壱武と千弥。任務中に酒を飲んだ二人に呆れる真弥、追従する贄川と、客室に続く廊下を歩いていた。

 庭の池から響く、澄んだ鹿威しの音。夜の静けさに心地よい。

 

「あー、食った食った! もう腹一杯だ! このまま布団にダイブしてぇ~!」

「兄貴、すこしは落ち着きなさいよ。それじゃただの子供でしょ」

「いいじゃんか、子供で!なあ、壱武。この後はいよいよ、温泉だろ? 楽しみだな!」

「ああ、まあそうだな。汗かいたしな」

 

 千弥は、これから待つ極楽に思いを馳せ、そわそわと落ち着きがない。

 

「あたしは報告書のまとめをしてるから。カズくん、兄貴のことよろしくね。温泉でのぼせて、溺れないように見張っててよ」

「……となると、私は真弥様を守るのが最善か。では、壱武殿。くれぐれも、千弥様に粗相なきように」

「俺に命令するな、腰巾着」

 

 再び散る火花に、真弥はやれやれと肩をすくめ、伴を連れて自室へ消える。残された男二人は、貸切の露天風呂へ足を向けた。

 

 辿り着いたのは、源泉かけ流しの、檜の香りが満ちる露天風呂。

 夜空には皓々たる月、湯面は銀色の波紋をきらめかせている。風がそよぐ音と、湯が岩肌を滑り落ちる感覚に身を委ねた。

 

「ふはぁ~生き返るぅ、疲れが取れるぜ」

 

 湯船に浸かり、千弥は浄土にでもいるかのような心地だ。隣で、壱武も岩に背を預け、長い息を吐いた。

 

「確かに。ここ最近はハードワークだったからな」

 

 湯気で、互いの輪郭が柔らかく滲む。しなやかな筋肉を持つ壱武の身体と、鍛えてはいてもやや華奢で白い千弥の身体。

 対照的な二人の肌は、湯の反射を受けて輝いていた。

 

「なあ、壱武」

「なんだ」

「おれ、ここに来てよかったかも。美味しいもの食えたし~、温泉も入れて。任務じゃなければ最高だったのにな~♪」

「お前はいつでも能天気だな」

 

 他愛もない会話。千弥がふと片割れへ近づいた。

 ぱちゃぱちゃ、と湯が跳ねる。

 

「うわー。やっぱすげーな、壱武の身体。おれも鍛えてるんだけどな」

「お前のなど、鍛えているうちに入らん」

「いや、おれだって頑張ってるって」

 

 まじまじと眺める千弥。

 鍛え上げられた筋肉は、ある種の芸術品にすら思う。浮き出た腹筋、膨らんだ胸筋はせりあがり、陰影を形作る。

 が、その完璧な肉体に違和感。

 

「あれ? 壱武、その首んとこ、どうしたの。虫に刺され? かぶれ?」

 

 千弥が指さしたのは、首筋から鎖骨にかけて残る、生々しい噛み跡だった。一度ならず、何度も噛まれた痕は、腫れているようにも見える。

 

「はあ。虫、かぶれ。……まあ、そんなところだ」

 

 壱武は短く答え、視線から隠すように、さっと湯船へと身を沈めた。

 脳裏には、己の皮膚にぷつりと牙を刺し、体液を啜ったあの魔性の愉悦する貌が蘇える。

 この無垢な男に、どう説明すればいいというのか。言えるはずもない。

 

「でも、すっげー変な虫だな。なんか、歯形みたいに見えね? 大丈夫かよ、それ。ちゃんと消毒したか?」

「うるせぇ。もう治りかけだ」

「だって、なんかすごい色してるぜ? 痕になったら大変だろ。あ、そうだ。おれにちょっと見せてみろって」

 

 心配そうに覗き込んでくる、純粋な瞳。言うが早いか、千弥はにじり寄ってきた。

 

「おい、千弥」

「いいから、じっとしてろって。こういうのは、おれのが得意なんだから!」

 

 治癒術の施し。温まった指先が、濡れた首筋にそっと触れた。

 だが、壱武に広がったのは、ぞわりとした悪寒にも似た感覚。背筋を駆け抜けて、屈服させられた夜を思い出させる。

 

「くっ……!」

 

 癒しのための行為が、皮肉にも、屈辱と快感を鮮明に呼び起こさせた。

 

「え。もしかして、痛むか? ごめんな、まだ未熟で」

「……いや、ちがっ」

 

 違う、そうではない。痛むのではない。

 千弥の指が傷痕に触れるたびに、疼くのだ。身体中の血が熱を帯び、もっと触れて欲しいと叫び出す。

 

(違うっ。こいつは……あの時のアイツじゃない!)

 

 同じ顔をしながらも、まるで違う表情を見せる男に、なにも知らないまま癒され慰められる。翻弄されそうになるのを、壱武は堪えた。

 

「治りが悪い。やっぱり、ただの虫刺されじゃなさそうだな。呪傷とか霊障? いや、でも害意はなくて。どっちかっていうと聖痕や御印みたいな――」

 

 千弥は真剣な顔で、痕を見つめた。知識と感覚を総動員する。普段は鈍い未熟な相棒が見せる、専門家としての顔つき。

 眼に宿る知性が、己の肌に注がれることに、壱武は慣れぬ気分にさせられた。

 

「おい、もういいだろ」

「んー。まあ、害がないならいいのか」

 

 出た結論は、それ。

 さて、なにを思ったか。千弥は傷跡に顔を近づけると、唇を近づけた。

 

「ふーっ。痛いの痛いの、飛んでけー」

 

 そのあまりにも無邪気な行為。生温かい吐息が首筋にかかった瞬間、全身が毛が立つほどぞわついて、壱武の中で何かがブチンと切れた

 

「……てめぇは」

 

 ドスの利いた声。湯の中で千弥の腕を掴み、力任せに引き寄せる。

 

「うわっ!? なんだよ、壱武!」

「てめぇは、本当に、何もわかってねぇんだなっ!」

「わかってないって、何がだよ!?」

「こうなったら、ちったぁわからせやる! ふざけやがってっ!」

 

 バチャバチャそのまま、湯船の中で取っ組み合い。エネルギー有り余る若いパワーによる戦いは終わることがなく。

 

 結局、二人とも湯あたりして、客間に脱力する羽目になった。

 差し込む客間の縁側。二人揃って畳の上に大の字、火照った体から立ち上る湯気を夜風にさらしていた。

 先ほどまでの取っ組み合いから一転、もはや精根尽き果てた魚だ。

 

「はぁ、マジで死ぬかと思った」

「……てめぇが、仕掛けてきたんだろうが」

 

 二人を見下して仁王立ち、真弥は力を込めて言った。

 

「バッカじゃないの? のぼせないように見守れって言ったのに、なんで二人してこんなんなってんのよ。なんで男って、こうもバカなの?」

 

 返す言葉もない、男二人。

 贄川が団扇で、パタパタと仰いでいるがさすがに視線が冷たい。

 

「あたしがアンタたちの分も書類やってあげてんのに、ぎゃーすか遊んでダウンしてるとか、さすがにムカつくんですけど。で、始めたのはどっち?」

 

 力尽きながらも、二人は互いを指さした。

 

「「こいつです」」

 

 結局どちらも譲らなかったので、二倍怒られた。

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