「とうちゃーく! タイムは三秒残してギリギリセーフやね」
渡されたタイマーを目の前でストップしてから相澤先生に放り投げる。
もちろん途中で止めるような小細工はしていない。
相澤先生は「遅かったな」とぶっきらぼうにタイマーをキャッチし、ピクシーボブとマンダレイは驚愕を隠さなかった。
「噓でしょ、私たち四人で三時間というところを二時間かからず……!?」
「一時間五十九分五十七秒やで」
「うぬぬぬぬ……とんでもない金の卵……! 彼女持ちじゃなければ……振られたら私に電話しなさい!」
「三人全員に振られたら電話します」
「ええ、三人に……三人?」
マンダレイはため息をついた。そして相澤先生をからかう。
「ただ移動するだけでも二時間は早いくらいなのに、すごいね……イレイザーヘッドの虎の子ってやつかしら」
「一時間五十九分五十七秒やでー」
「こいつもただの受け持った生徒たちの一人です。少し事情があって先を走っているだけですよ」
「ああ、事前に貰った情報にあったわね。インターン中の大怪我がもとで休学して留年って……どこのヒーローなの? 雄英の生徒が大怪我したら大抵ニュースになると思うんだけれど、聞いたことないわよ」
「色々ありましてね。こいつがインターン先を訪れたのは」
「――なんでお前がいるんだよ!!」
大人たちの会話をぴたりと止めたのは、まだまだ高さを残す幼児の怒鳴り声にもならない叫びだった。
合宿所の入口の陰にいた、帽子をかぶった少年がずんずんとオレの前にやってくる。
その顔には子供に似つかわしくない憎悪が込められていた。
「洸汰! いきなりなんてことを」
「いいんです、マンダレイ」
オレはやんわり手をあげて、マンダレイを制止した。
腰を下ろし、目線をマンダレイの従甥――洸汰くんと目線の高さを合わせた。
「久しぶりやね、洸汰くん。会ってくれて嬉しいで」
洸汰くんの目じりにじわりと涙が浮かんでから、ぎゅっと目が瞑られた。
そして、金切り声のような叫びと共に彼の拳がオレの鼻柱に叩き込まれた。
鈍い音とわずかな痛み。遅れて少しだけ鼻から熱い液体がぼろりと零れ落ちるのがわかった。これより痛い思いは何度もしたことがあるのに、少しだけ、涙が出そうになった。
慌ててマンダレイが洸汰くんの首根っこを掴んでオレから引き剥がした。
「洸汰!? あんた何やってんの! 海原くん、だっけ!? 大丈夫!?」
「ご心配なくマンダレイ。あと、洸汰くんにも怒らないであげてください。これくらいする権利は、彼にあるんで」
「え……どういう……?」
「なんでまだヒーローなんかやろうとしてんだよ! ふざけんなよ! パパと、ママを、助けられなかったのに――見殺しにしたくせに!」
「洸汰!!」
マンダレイは事情を把握できていないが、保護者として洸汰くんを咎めて頬を叩いた。
しかし洸汰くんは目に溜めた涙をこぼさずにオレをにらんでから、赤い頬を抑えて合宿所へ走り出した。
「洸汰、待ちなさい! ごめんね、海原くん……!」
洸汰くんを追って合宿所へ戻るマンダレイと入れ替わるように相澤先生がポケットティッシュを投げて寄越した。
「まさか、さっきの……洸汰くんだったか。あの子は――」
「ええ、ご想像の通りです。まさかあの子がここにいることは予想外でしたが」
鼻血をささっと拭き取る。
本当は一応覚えていたし、ケジメとして殴られて当たり前のつもりでいたが、意外と堪えた。いじめっ子をボコるための殴り方と強い相手と戦うときはキンタマを狙えという戦法を教えたのが悪かったか。
「――あの子は出水洸汰。去年ボクがインターンでお世話になって、そのときにヴィラン相手に殉職したヒーロー……“ウォーターホース”夫妻の一人息子や」
☆☆☆
A組の面々が合宿所に到達したのは、空がオレンジ色に染まり切った頃だった。
誰もが足を引きずり、息を乱し、ふらふらと真っすぐに歩くことすらままならない状態で森の中から姿を続々と現す。
「何が三時間ですか!」
声をあげた瀬呂に対してマンダレイは悪戯が成功した子供のように笑った。
「それ、私たちなら、って意味。悪いね」
「実力差自慢のためか……やらしいな」
「腹減った、死ぬ!」
砂藤がどかっと尻を地面に落とし、切島が悲鳴を漏らす。
「ネコネコネコ……でも正直もっとかかると思ってた。一人、ちょっとイレギュラーな子がいたけれど」
「あぁ、そうだ……パイセンは結局どれくらいで着いたんだ……ウェェ……」
「海原なら二時間だ。お前らももっと焦れよ。到達時間がそのまま実力差を示してるんだから」
「一時間五十九分五十七秒やで!」
「秒数まで主張するあたり自慢じゃないか! 海原くん!」
「ようやくツッコんでもらえたわ。おおきに、委員長」
「というか海原くん、プロより速く到達したんだ……どういうことなの……」
「ボク、天才で最強なんやで。ま、移動に活かせる個性というのもあるんやけど……葉隠ちゃんなら隠れてバスで来れたんちゃう?」
「発想になかった! でもズルはダメだと思うの!」
「ちくしょう、パイセン昼飯食ったのか!?」
「美味かったで。海の幸モリモリのウニ、イクラ、マグロ、ホタテを乗せた海鮮丼。切島くんにも食べさせてあげたかったわ」
「ちくしょー!!」
「食べてないから! 山の中でわざわざ海鮮丼用意しないから! 普通に生姜焼き定食よ!」
「でもめっちゃ美味かったで」
「ちくしょぉぉぉぉ!!」
海原と相澤が並んで姿を現すと、実力差を突きつけられて、俯く者、顔をそむける者、睨みつける者、疲労でそれどころではない者と、様々な反応だった。
「でも私の土魔獣が簡単に攻略されちゃった。いいよ君ら。特に、そこの四人!」
爆豪、轟、緑谷、飯田を指差すピクシーボブ。経験値の豊富さからくる果断さを褒め、そして将来を楽しみにした勢いで四人に唾をつけて煙たがられる。
相澤があんな性格だったかと少し引いていたが、マンダレイに結婚適齢期の話をバラされたが、まだ若いA組の生徒はピンと来ていなかった。
適齢期と言えば、と余計なことを口走った緑谷がピクシーボブにアイアンクローを極められたが、恐れながら不貞腐れて合宿所の柱に背中を預ける男児を指差した。
「その子は誰かのお子さんですか?」
「違う違う。この子は私のいとこの子供だよ。ほら、洸汰。今度はちゃんと挨拶しな」
「……」
「……さっきの件は置いといて。あの子たちは関係ないし、一週間一緒に過ごすんだから」
眉間にしわを寄せて睨む洸汰に対して緑谷はにこやかに近づく。
「僕、雄英高校ヒーロー科の緑谷。よろしくね」
穏やかな自己紹介と共に差し出された手に対する返事は、腰の入った右ストレートだった。
緑谷の股間に拳が突き刺さり、緑谷は一発で昏倒した。
男子生徒たちは全員腰が無意識に引けてしまう惨劇が繰り広げられた。
「緑谷くん!? おのれ従甥! なぜ緑谷くんの陰嚢を!?」
「――ヒーローになりたい連中とつるむ気なんてねえよ」
「つるむ!? 幾つだ君!」
「だいたい……アイツと同じ奴なんて見るだけで虫酸が走るんだよ。さっさと失せろ!」
「虫酸! 難しい言葉を知っているな!?」
飯田がズレたツッコミをするのを他所に、彼に支えられていた緑谷は苦痛に喘ぎながら洸汰が視線を向ける“アイツ”に目を向ける。
(海原……くん?)
緑谷は、海原が少し寂しそうな表情を浮かべていることに気が付いた。
直後に相澤が荷物を下ろし、入浴と夕食の支度をするように指示を出す。
明日から本格的な訓練が始まることを告げて、その場はお開きということになった。
夕食はマンダレイやピクシーボブによる料理をかきこみ、腹を満たしてから、入浴によって一息つく、はずだったが、事件は起こる。
「緑谷クンちん〇ん殴られて大丈夫――でかいなァ!」
「う、海原くん!? いきなり何言ってんの!?」
そこから始まる緑谷のチ〇コが大きいトークから男子高校生ならするであろう下ネタを交えた話で、笑い合っていたときだった。
「まぁまぁ、飯とかはね、いいんすよね。大切なのはね、青春の一ページなんすよね」
「峰田、女湯の方を見ながら何言ってんだ?」
「修学旅行の青春の一ページというのはね、めくるもんなんすよ。スカートしかり、浴衣しかり……めくるもんなんすよ」
「峰田お前まさか……!」
腰にタオルを巻き、仁王立ちして女湯の壁を見上げる峰田の背中に、瀬呂と上鳴が反応した。
峰田は小さな背中を向けたまま、少しだけ振り向いた。
「――ついてこれるか、って言ってんだよオイラは……既にめくられているんすよ、壁の向こうでは……!」
「つまり峰田クンはやろうとしとるわけやね。覗きを」
「
「やめたまえ峰田くん! 覗きは立派な犯罪行為であり、君も女性陣も貶める卑劣な行為だ!」
「うるせぇオイラのリトル峰田はとっくにバンザイ行為なんだよ! 壁は越えるためにある!
「校訓を汚すなよ!」
「キメ台詞をここで消化したらアカンやろ」
もぎもぎを利用して壁を流石の機動力で登っていく峰田。閉所での機動力はクラス随一で、小柄な体格が誇る小回りの良さもあって、面目躍如という素早さだった。
壁を上り切ったところで、峰田が見たのはA組女子たちのあられもない裸体――と思いきや。ゴミにたかる得体の知れない虫を見るような目をした、洸汰だった。
「ヒーロー以前にヒトとしてのアレコレを学び直せ」
ドン、と押すという、生易しい仕草ですらなかった。
木の棒を使い、洸汰が鋭い突きを放つ。目標は峰田のリトル峰田。灰は灰に、塵は塵に、そしてキンタマの報いはキンタマに。
両手両足を壁を登るのに使った峰田に防ぐ術はなく、木の棒が
「おおおおぉぉぉぉッ!!!???」
「はい回収」
「がぼがぼがぼごぼごぼごぼッ」
魂が震える絶叫と共に峰田は床に落ちる直前で、海原が操作する水流に絡めとられ、大浴場の湯の中に沈んだ。
ちょうどそのとき、A組女子たちからの感謝の声で思わず振り向いた洸汰が、その年齢にはまだ早い刺激に驚き、背後――男湯の方へバランスを崩した。
「危ない!」
落ちてきたところを緑谷が受け止める。
落下の恐怖で意識を失った洸汰を、緑谷は介抱するためにマンダレイのもとへ連れて行った。
「爆豪クン、緑谷クンってガキのときからチン〇ンおっきかったん?」
「知るかボケ!!」
緑谷はマンダレイのもとへ洸汰を連れて行き、マンダレイは洸汰をソファに寝かせた。
「落下の恐怖で失神しただけだね。大丈夫、ありがとう」
「あっ、いえ……何事もなくてよかったです」
「よっぽど慌ててくれたんだね」
腰にタオルを巻いただけの緑谷の姿が物語っていた。
緑谷はマンダレイの視線に気づくことなく、洸汰の言葉を思い出していた。
『ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねえよ!』
緑谷の周囲は、同年代の誰もがヒーローに憧れ、尊敬を向けていた。
だから、ヒーロー絡みの負の感情を持つ子供と接する経験はなかった。
「洸汰くんは、ヒーローに否定的なんですね。この歳くらいの子はみんなヒーローに憧れてて……あ、僕もですけど……珍しいなって」
マンダイレはソファにもたれかかったまま、目を閉じた。
そして、額に氷嚢を乗せられた洸汰を見下ろす。
「当然、世間じゃヒーローをよく思わない人もいるけれど、多分、普通に育っていれば、この子もヒーローに憧れてたんじゃないかな」
「普通……?」
「マンダレイのいとこ……洸汰の両親ね。ヒーローだったんだけど――殉職しちゃったんだよ」
水を持って、部屋を訪れたピクシーボブが話に混ざる。
殉職、という言葉に緑谷は反応する。当然、凶悪犯罪者のヴィランとの戦闘や事故・災害現場に飛び込むため、痛ましいが殉職するヒーローはいる。
しかしいざ生々しい話を聞くと、生唾を飲み込むくらいの緊張が走った。
マンダレイが目を伏せる。
「去年*1、ヴィランから市民を守ってね」
言葉には、親類が命を落としたという悲しみと、幼い洸汰が両親を喪ったことへの哀れみがこめられていた。
「ヒーローとしてはこれ以上ないほど立派な最期だったし、名誉ある死だった。でも……物心ついたばかりの子供にはそんなことはわからない。親が世界のすべてだもんね。
“両親は僕を置いて逝ってしまった”――なのに世間はヒーローとしていいこと、素晴らしいこととして褒めたたえ続けた。
同じヒーローである私たちのこともよく思ってないみたい。けれどほかに身寄りもないから従っているって感じ。
洸汰にとってヒーローというのは、理解できない気持ちの悪い人種なんだよ。
そういうのもあって、海原くんや、貴方にもあんなことをしてしまったの。許してあげてとは言わないけど、少しだけ……わかって欲しいの」
「それで……海原くんも?」
「先に到着したときに、洸汰が彼を殴っちゃってね」
マンダレイはさらに言葉を重ねた。
「……これは私も今日まで知らなかったんだけどね。海原くん……大怪我を負っていると聞いてるんだけど」
「あ、はい。今は個性を使って解消しているみたいですけど、後遺症があって」
「そうなんだ……彼が、インターンで大怪我したらしいけれど。彼のインターン先のヒーローが、洸汰の両親である……ウォーターホースだったの」
「え……!?」
ヒーローに関する知識が豊富な緑谷はすぐにニュースのことを思い出した。
ウォーターホースは夫妻でヒーローをしているコンビヒーローで、去年に凶悪ヴィランとの戦闘で殉職していたことは知っている。彼らが洸汰の両親だったのだと、納得するとともに違和感を覚えた。
ニュースでは市民などほかに負傷者はいなかったと報道されていたはずだ。
雄英高校のインターン生が怪我したことも聞いたことがない。
思考に耽る緑谷の意識を、マンダレイの声が引き戻す。
「海原くんから聞いたんだけれどね。洸汰の両親を守れなかったことを謝りたかったんですって。大怪我を負って、会う余裕もなくて、私に引き取られてからは連絡先も知らなかったから会えなかったらしいけど。
洸汰からすれば、パパとママを守ってくれなかった奴がなんで笑ってヒーロー目指してるんだ、って気持ちもあるみたいで」
思わぬ因縁に、緑谷はなんて話せばいいかわからなかった。
洸汰が言った『アイツ』という言葉と恨みが籠った視線の正体に納得はいったものの、根深い、感情が入り混じった関係に軽率に首を突っ込む気は湧かない。
「……もしも海原くんに話す機会があったら伝えておいて。『あくまで貴方は学生で、まだ誰かを守るために命を張る必要はなかった。気に病まないで』って……彼には、気休めにもならないかもしれないけど」
「あ、はい……わかり……ました……」
緑谷は、自分とはまるで違う価値観と、そして悲劇に対して、何も言えず、自分の中で答えを出すこともできなかった。
デクのち〇ちんはたぶん大きいですよね