合宿三日目、A組の面々は今日も激しい訓練に励んでいた。
補習を設けられた生徒である芦戸、上鳴、瀬呂は眠そうになってフラフラとしているが、そのたびに相澤先生に檄を飛ばされている。
クラス対抗肝試しで息抜きをするようにピクシーボブが生徒たちを励ます中で、オレはバレない程度に個性の訓練をサボる。大質量と超精密性を意識した昨日とは違い、見た目は派手に、水流を操る。
ラグドールの個性『サーチ』で手抜きがバレるかもしれないので、「今日はとにかく上限突破を目指してみまぁす!」と元気よく宣言して誤魔化しておいた。
「うわぁ、なんだあの水柱……」
「水の竜巻が巻いてるし、近づいたら死ぬじゃん」
B組生徒の悲鳴の声に気持ちよくなりながら、表情は真剣に個性を使う。
今回のコレは暖機運転のようなもの。
本番は夜だ。
(最近ちょっといいとこなかったしな、あとは計画をきっちり成就させんと)
水しぶきの音が、ほかの生徒たちの特訓の音に紛れて消えていく。
特訓を終えて、夜は肉じゃがをみんなで作って腹を満たした。
皿洗いも済めば待ちに待った肝試しの時間だ。残念ながら補習組は引きずられていき、肝試しに参加することはできなかったが、彼らのぶんまで楽しもうということになった。
「ルールは簡単! 道を進んだ先にあるお札をとって戻ってくる! その間の道で個性使用あり直接接触禁止で、驚かす組が控えてるよ!」
「どちらのクラスがより多くの相手を失禁させられるかが勝負だ!」
「やめてください汚い」
「ボクの個性ならいくらでも誤魔化せるで」
「やめろ汚い」
「驚かせる側の最初はB組、A組は頑張って耐えてね!」
耳郎のツッコミにけらけら笑いつつ、順番を決めるクジをラグドールの手から引く。
結果、オレは緑谷とペアで九組目、最後の順番となった。
一組目の常闇・障子のペアが歩き出し、順次スタートしていく。
「ボクの個性やと誰かいるかもくらいはわかるけど、教えたろか?」
「えっ……あー……うーん……よくないのはわかるけど、やっぱり安心が欲しくなる……!」
「嘘の情報教えたるわ」
「そんなぁ!?」
いい反応をする緑谷にけらけら笑っているとき、不意にピクシーボブが鼻をすんすんと鳴らすのが見えた。
オレの鼻にも、焦げ臭い匂いがして――オレはピクシーボブを抱きしめた。一瞬、きょとんとしたピクシーボブの顔がみるみる赤くなっていく。
「えっ、あっ、え!? う、海原キティ!?」
「海原テメェェェェ!!!! オイラの目の前でなにやってんだコラァァァァ!!」
「あ、えと、海原……くん、その、みんな見てる……」
「ヴィランやで!!」
オレの声でプッシーキャッツの虎、マンダレイ、そして両手を虚空に彷徨わせ、恐る恐るオレの背中に回そうとしていたピクシーボブの目つきが変わる。
直後、ピクシーボブの体がわずかに浮き上がった。
「な、なに!? 引っ張られる!?」
「敵の個性か」
オレの踏ん張りでは利かない強さでピクシーボブが引き寄せられるのを感じ取ると、そのまま力に身を任せて二人まとめて跳ぶ。
そして茂みに近づくと、包帯に包まれた身の丈ほどある得物を振りかぶる大男と、ヤモリかトカゲのような見た目の、異形型個性を持つ男がいた。
「まさか読まれるとはね!」
「構わん、贋物は誅殺すべし! ステインの遺志のままに!」
ピクシーボブを庇いながら大男が揮う鉄塊のような得物をかわし、トカゲ男が持つ、大量のナイフを重ねあわせて生み出した大剣をかいくぐると反撃に水流を放つ。
「海原キティそのまま! あわせるわ!」
体勢を立て直したピクシーボブの土流が水流に重なり、土石流のようにヴィラン二名を包む。しかし、辛うじて距離をとられてしまいかわされた。
オレたちは深追いせず、虎やマンダレイがいる地点まで後退した。
峰田が大男とトカゲ男を見て、悲鳴を上げた。
「なんで……なんでヴィランがいるんだよ! 万全を期したはずじゃないのかよ!?」
トカゲ男は悲鳴を聞いて、愉快そうに両手を広げる。
「我らはヴィラン連合開闢行動隊! 我が名はスピナー、ステインの遺志を継ぎし者!」
「ステイン……奴の思想にあてられた連中か!」
「スピナー、貴方悠長に語っているけどね、初動に失敗してるのよ? さっさと潰したかったピクシーボブを庇われちゃったんだから危機感持ちなさいな」
「早まるなマグ姉! まずはステインのおっしゃる主張に沿うか否か――」
スピナーと名乗ったトカゲ男の顔面にオレの拳が肉薄する。
遅れて驚愕と恐怖に目を剥くスピナー。確実に避けられないタイミング。しかし拳はスピナーの顔面を捉える直前で、まるで空気が彼を押し出すように、滑らかに距離をとらせ、空ぶった。
「――!」
「っぶねえ!??」
追撃する前に大男――マグ姉と呼ばれた大男が持つ鉄塊と、拳打がオレを阻む。
それをいなし、蹴りを打ち込むが有効打にならず距離をとられた。
「仮にもヒーローの卵でありながら高潔なる宣誓を無視するとは! やはり贋物だな海原大海! しょせんはマスコミが金儲けのために人気を作り上げただけの虚像だ」
「スピナー、演説はいいけど私が助けなかったら死んでたわよ!? ちゃんとしなさい!」
「すまんなぁ。雑魚の主張を聞く気なんてボクにないねん」
(あのスピナーとかいうトカゲを殴ろうとしたらかわされた。口ぶりからするに、オカマ口調のマグ姉とかいう奴の個性か。トカゲの方はわざわざ武装しているあたり、見たままの異形型個性だな)
やっぱり十数年以上前に一回読んだきりの漫画の細かい内容を記憶するのは無理だ。
ツラ見てもどういう個性でどういう敵かも全然思い出せない。
オレが立ちふさがっていると脳裏に届くマンダレイの声。すべての生徒に向けているのだろう、交戦せずに合宿施設に退避するよう指示が入る。
周囲では少しずつ火が上がり、森が山火事になりつつあった。
「海原キティ! ここは私たちに任せて貴方も施設に戻りなさい!」
ピクシーボブの声を聞いて、背後に視線を向けるとマンダレイが焦りを見せていた。その直後、緑谷が「僕知っています!」と言うと、飯田が引率して施設へ退避するクラスメイトから離れていく。
おそらく洸汰のことか――と、気づいた瞬間に体が何かに引き寄せられた。
「逃がさないわ、特にいい男は!」
「見る目あるなぁキミ!」
体勢を崩されながらも鉄塊をかわし、水流を放つ。
しかしマグ姉とかいう大男は巧みに距離をとって水流をかわした。
追撃を――足を踏み込んだ直後。
「なにこれっ!?」
「海原キティ避けて!」
背後から届くマンダレイとピクシーボブの声。二人が宙に浮いて、オレに引っ張られるように突っ込んでくる。最初のときと同じ現象。
二人を放置するわけにもいかず、受け止める。いくら軽いといえど相当な速度で飛んでくる女二人を受け止めるのは簡単ではなかった。
彼女たちを抱き止めたと同時に背後から迫るスピナーの大剣とマグ姉の鉄塊。
「利己的なヒーローは粛清対象!」
「生け捕りが理想だったけどその余裕はなさそうね!」
「やっぱりボク、モテモテやなぁ!!」
さすがにかわせない。水流を放って防ごうとしたところで、虎が間に割って入った。
「何度もやらせるかッ!」
虎がマグ姉を阻み、オレはスピナーの攻撃に対して水流を放って吹き飛ばす。
それなりの勢いで放たれたがスピナーを地面に転がす程度で決め手にはなりえない。
だがひとまずは態勢を立て直す猶予はできた。
「ありがとう海原くん!」
「海原キティはもう退避して!」
マンダレイとピクシーボブがスピナーに向き直り、虎はマグ姉に攻撃を重ねて個性を使う暇を与えない。
「本名、引石健磁。ヴィラン名『マグネ』! 強盗致傷9件、殺人3件、殺人未遂29件!」
「やだ私……有名人?」
めちゃめちゃ極悪人だな。さっさとシバいたほうがよさそうだ。
しかし決め手になるような技を放つには虎とマグ姉こと、マグネの距離が近すぎる。
(トカゲのスピナーは見たところシロート同然。武装してるからマンダレイ一人なら危ないだろうがピクシーボブがいるから封殺できるだろ。問題はあのオカマのマグネか)
虎と打ち合うマグネ。
近接格闘で防戦一方に見えるが、悉く有効打を避けている。
明らかな手練れで、場数の違いがわかる。
(マグネの個性……ピクシーボブやマンダレイが引き寄せられた力。そしてオレがスピナーを殴ろうとしたときに押し出されるように距離をとられたときの力。近づく力と遠ざける力か……正体はイマイチわからんがとりあえずこの力以外はないだろ。
虎と殴りあえる能力と所々垣間見える判断力が面倒くさそうな奴だが。それに……)
「洸汰クンも心配やな」
「他者の心配か、海原大海!!」
スピナーの大剣が振り下ろされる。
難なく避けて肉薄し、水をまとわせた拳をガラ空きの鳩尾に打ち込んだ。
「ぐ、はぁッ!?」
「まず一匹」
ついでに起きて何かされたら面倒だ。
倒れる前にスピナーの頭を鷲掴みし、個性を発動する。他人の脳の水分を操るのは結構複雑だが、一時的にスパークさせる程度なら掴めば問題ない。流石にぶっ壊すとオレが逮捕されかねないのでほどほどに。
「ぎがごごあがあああッ!!!???」
スピナーを失神させ投げ捨てる。
「マグネって言ったか? 次はお前だ」
「あら……優男かと思ったら、ワイルドな顔もするじゃない」
マグネの笑みが引きつる。
「ピクシーボブを最初に叩けなかったのが痛かったわね」
「違ぇよ。オレを相手にした時点で負けなんだよ」
おっと、口調が乱れてしまった。クラスメイトたちに見られてなくてよかった。
――計画開始の時間だ。
☆☆☆
「く、ぐああっ!?」
「なんだ、速さはあるが力が足りねえなぁ」
秘密基地にいた洸汰の前に現れたヴィラン、『血狂いマスキュラー』から間一髪助け出した緑谷。
合宿で鍛え、10%まで出力が上がったワン・フォー・オール・フルカウルで対抗するが、筋肉増強という個性を持つマスキュラーの圧倒的なパワーとスピードに太刀打ちできないでいた。
洸汰の前で、緑谷は今もまた、蹴り飛ばされ、血を吐いて蹲っていた。初撃を受け止めた左腕はひしゃげ、骨が砕けている。
マスキュラーは腕を回しながら既に満身創痍の緑谷に近づく。
「俺の個性は筋肉増強。皮下におさまらないほど筋線維を増やし固めることができる。そこから底上げされるパワー! スピード! なにが言いたいかわかるか?」
「う、くっ!?」
筋線維で膨れ上がった剛腕が緑谷の頭蓋を砕くために突き刺さる。緑谷は転がるようにかわすが、地面に突き刺さった腕を軸に大地が蜘蛛の巣状にひび割れ、瓦礫が吹き飛び、風圧で飛ばされる。
転がった緑谷をサッカーボールのように蹴飛ばし、マスキュラーは獰猛に笑った。
「“自慢”だよ! 俺のこの個性に対して、お前は完全な劣等型だ! 楽しいね、雑魚を嬲って、力を気持ちよく振るうのは。笑えて仕方ねえよ!」
玩具のように吹き飛ばされ、叩きつけられる緑谷。既に戦いと呼べる様相を呈していなかった。
時折、ふらつきながら立ち上がった緑谷の拳が突き刺さるが、分厚い筋線維の鎧に防がれ、ダメージをまるで与えられない。むしろ、攻撃後の隙に拳を、脚を叩き込まれ、かえって傷を増やすばかりだった。
「さっきなんつったか? あのガキを必ず助けるとか抜かしてたな。どうやって? 実現不可の綺麗事言ってんじゃねえよ雑魚の分際でよォ! 力がねえと何も出来ねえ。
そして俺は力を持っている! 自分に正直に、欲望のまま生きようぜ!」
倒れて動けない緑谷に向けてマスキュラーが拳を振り上げる。
これまでの打撃は、凄まじい威力を誇りながらも彼にとっては猫がネズミをいたぶる、遊びでしかなかった。
だが振り下ろされる拳は緑谷の頭蓋を砕き、血潮と脳漿を地面のシミにする幕引きの拳だ。
死ぬ――緑谷の脳裏に浮かぶ言葉。終わりだと、次なる遊び相手へ思いを馳せるマスキュラー。
その最中に、こつんと音がした。
「あ……?」
マスキュラーは後頭部に小石をぶつけられたのだと気づいた。少し痛いが、意識を揺らすでもない、ガキが泣きわめく程度の衝撃。
振り返ると、恐怖で涙をぼろぼろと流しながら、洸汰がそれでも睨んでいた。
「ウォーターホース――パパも、ママも……そんなふうに、いたぶって殺したのか!」
暴力の化身を前に叫べたのは、恐怖を上回る怒りだった。
それを前にしてマスキュラーは眉を上げた。
「おいおいマジかよ……お前まさか、あのときのヒーローの子供かよ! 運命的だな! おっと、こう見えて運命とかロマンとか信じるタチだぜ俺は」
緑谷は立ち上がろうと腕に力を込める。右腕はまだ無事だが、度重なる攻撃のせいで至る所に痣ができ、あちこちの筋肉が痛む。
洸汰の両親、ウォーターホースはヴィランから市民を庇い、殉職した。
そのときのヴィランがこの血狂いマスキュラーだと気づいた。
「ウォーターホース……この俺の左目を義眼にした二人だ。弱かったがあの技にはびっくりしたぜ。水を放つだけの個性であれだけの威力を出すんだからなぁ。死ぬかと思ったぜ」
「お前のせいで……お前みたいなやつのせいで、いつも、いつも! こうなるんだ!」
「ガキはすぐ責任転嫁する。そういうのよくないぜ。俺だって左目を潰されたけどよ、恨んじゃいないぜ。
俺は人を殺したかった。てめぇのパパとママは俺を止めたかった。お互いにやりたいようにやった結果、弱い方が死んだ。
悪いのは誰だ? 当然――できもしねえことをやりたがったてめぇのパパとママさ!」
マスキュラーの拳が振り上げられる。
洸汰が体を竦ませた刹那、割り込むのは緑谷出久。
「悪いの――お前だろ!!」
「なんだぁ、そのへなちょこパンチで殴るのか? この俺を!」
(ワン・フォー・オール――100%!!)
右腕に紫電が迸り、満ち溢れるエネルギーでシャツが裂けた。
「できるできないじゃないんだ! ヒーローは――綺麗事を命がけで実践するお仕事だ!!」
(なんだ、様子がさっきまでと違う――やられる!!)
緑谷の拳がマスキュラーへ放たれる――
「――うあっ!?」
緑谷は演習場の地面に転がり、砂まみれになった。
顔を上げると、海原大海が余裕を見せつけるようにアクビをしていた。
放課後の日課となった、個性無しの海原に対して、緑谷は個性ありで組み手を行うトレーニングの最中のことだ。
「これでボクの五十五連勝やなぁ。なんで勝てへんのやろな、緑谷クン」
「今の動き――僕が蹴りに潜り込むことは想定外だったはず、それでもこちらの攻撃はいなされてしまった……見てから動いた反射神経? それならさっきのパンチはわざわざ受け止めないで避けてもよかったはずで何か別の攻撃を想定していた動きで――」
「ブツブツタイム始まった。おーい緑谷クン。戻っておいで」
「あっ、ご、ごめん!」
「休憩しよか」
「あ……うん」
海原が地面に腰を下ろし、緑谷は端に置いた水筒を手に取り、喉を潤した。
「海原くんはすごいね。個性もなしにそんなに戦えて……格闘術とか、武術とか習ってたの?」
「知識としてかじった程度でほぼ我流や。基礎は学んだけどな」
「うぅ……参考にならない……」
「立ち回りを鍛えるのもあるんやけど、このトレーニングはあくまで超パワーの個性を馴染ませるためのもんやで。まずはそこが先や。けど……個性を使わないボクに勝てないのは、技術よりも気持ちの問題やね」
「気持ち……手は抜いてないよ? 本気で勝とうと思って……」
「勝つ、ってなんや?」
「え……有効打を入れて……」
「それは組み手の勝ちやろ。戦いの勝ちって、なんやと思う?」
海原は緑谷の前に立ちはだかった。
190cmを超える長身、そして伸びた紺色の髪が影を作り、彼の表情を隠す。その佇まいからくる威圧感に、緑谷は生唾を飲み込んだ。
「敵を倒す、こと」
「せやな。敵が戦えなくなるくらいボコボコにすれば、とりあえず勝ちやな。で、緑谷クンはボクをボコボコにして、ぶち殺してやろうと思っとる?」
「いや……そこまでは……組み手だし」
「仮に組手じゃない殺し合いとしても、キミはボクにそうは思えんやろ」
緑谷は答えに窮した。
それに対して海原は相好を崩す。
「爆豪クンはわかりやすいなぁ。ぶっ殺すっていつも言うとるもん。素行やヒーローとしての振る舞いは良くないけどな、戦いの場においては結構正しいと思っとるで」
「かっちゃんが……」
「もちろんヒーローの仕事は戦いがすべてとちゃう。けど、ヴィラン退治に関しては、ヒーローとしての活動や規範がどうの言っても、最終的には戦いでしかないのは確かや。敵を絶対ぶちのめす――その思いがないとアカン。
緑谷クン。キミ……優しすぎるねん。いいことやけどな」
海原が緑谷の右手首を掴むと拳を握らせた。
「その超パワーを全力で撃てば相手を殺してしまうかもしれない――その恐怖や心配はあって当然や。むしろ気にせずバカスカ打つほうが危険だよなぁ」
「うん……」
「そして、その不安や恐怖はあることの裏返しでもある。『100%の力なら、どんな敵でも倒せる』ってな」
「あ……」
「超パワーの個性でよく似とるオールマイト……緑谷クンが体育祭で見せた100%の力ならそれに比肩する出力があると思うねん。でもな、オールマイトがすごいのは、緑谷クンが自損しながら放つ100%を牽制のパンチで撃てるってことやん」
「そう、だね……オールマイトは僕の全力を普通に撃ってる……なんなら何百発も」
「せやから気をつけなアカンで。自損覚悟のその全力が通じない相手――そういう個性を持つ相手もおるからな。必殺技ブッパを過信したらアカンで――」
――拳を放つ寸前に思い出したのは、雄英高校での日常の一幕だった。
そして瞬間、義憤で燃えていた脳がふと冷える。
(――顔を筋線維で覆い始めている! 有効打にならない!)
咄嗟に拳を寸止めした。
ワン・フォー・オールは不発。代わりに、右腕を10%の力で薙ぎ払うようにしならせた。直後に放たれる暴風。
砂塵が巻き上がった。
「うわああっ!?」
風圧に煽られて洸汰の小柄な体が崖下へ投げ出される。
落ちる恐怖に叫ぶより早く、緑谷は洸汰を空中で抱えると、フルカウルを使用して瞬く間に距離をとる。
「逃げるよ洸汰くん!」
「あ、はぁっ!?」
「掴まって、早く」
マスキュラーは自ら視界を閉ざし、さらに余波の暴風で巻きあがった砂塵により、緑谷と洸汰を見失っている。
崖下に着地した緑谷は洸汰を背負い走り出した。
(合宿所まで行けば相澤先生がいる! 抹消してもらえば倒せる! パワーとスピードで負けていても、木々が生い茂った森の中なら僕の方が機動力がある!)
「ワン・フォー・オール・フルカウル……10%!」
木の枝、幹、そして岩を飛び移り、獣道ではなく、森の中へ飛び込む。
時に上、時に下、線の動きではなくより三次元的な動きで敵に姿を見せないように跳び――轟音がすべてを吹き飛ばした。
「ぐああっ!?」
洸汰を離さずに着地できたのは偶然と、咄嗟の反応というほかなかった。
地面に転がりながらも洸汰が傷つかないように抱きかかえて庇う緑谷が目にしたのは、絶望の光景だった。
「嘘……だろ……!」
木々がなぎ倒され、広場が一瞬で作られていた。その中心に蹲る赤黒い塊。
まぎれもなく筋肉――過去の凶行で流れた血を表すかのような赤黒い繊維の塊の中から現れたのは、マスキュラーその人。
「遊びって言ったよなぁ。やめるよ、遊び」
マスキュラーは左目の義眼を付け替えた。
緑谷にとってその行為が意味するところはわからないが、先ほどまでの嬉々とした笑いは消え失せ、真顔で歩み寄る姿に恐怖した。
「お前、さっきのパンチ……フェイクってよりは咄嗟に引っ込めたんだろ。けどあのまま無防備に食らってたらヤバかったぜ多分。無くなった左目の直感だ」
「く、来るな!」
「やだね。近寄らないとお前らの血、見れないだろうが」
木々にまぎれて撤退するプランはマスキュラーの破壊力によって瓦解した。
今の突進で、これまでのパワーやスピードが文字通り遊びでしかなかったと緑谷は嫌でも理解した。
既に薙ぎ倒された木々を越えて森に再び逃げ込むには、圧倒的な速度差から不可能だ。
(合宿の疲労、折れた左腕……そして本気になったアイツのパワーとスピード。逃げる……無理だ……!)
「ひっ……」
「洸汰くん、大丈夫だからね」
背中越しに笑みを向けてから、緑谷は腰を落とす。
(逃げられないなら、戦うしかない。洸汰くんを助けるために!)
「洸汰くん。僕がぶつかったら、全力で走って。止まらずに、振り返らずに」
100%の一撃を放つ余裕が右腕には残されている。そして、視界を塞ぐリスクを冒してでも防御に回った判断を見るに、敵はこの一撃を無視はできない。
冷静に判断を重ね、緑谷は息を吐いた。
「逃げるって……お前、無理だ! さっきも攻撃は通じなかったじゃんか! 逃げよう!」
「大丈夫……! 必ず……助けるから……!」
「――よく言った。それでこそ、俺のヒーローだ」
「あっ!?」
「あ?」
「え……?」
夜の闇から静かな足音が不気味なほど響き渡っていた。
洸汰も、マスキュラーも、緑谷も、三人が同じような反応で闇の中を見つめる。
焦るでもなく、急ぐでもなく、淡々と。
現れたのは――
「――こういうことを言うのは良くない気もするが、敢えて言おう」
そして彼は立ち止まる。普段の飄々とした笑みは、消え失せていた。
「もう大丈夫だ――オレが来た」
――海原大海が、明るい蒼い瞳にマスキュラーを映していた。
マスキュラー好きなんですよね。親近感がわきます