オープニング
「“
その一言によって、アクアの体内を流れる魔力が急速に運動を始める。その身に刻まれた回路を魔力が駆け巡り、魔法使いとしての肉体が戦闘準備を完了する。
かつて初代国王ソロナが大陸中から集めたとされる四つの災厄の内の一つ、全てを押し流す濁流の如き水の力の化身たる水魔法使いの力が、ダンジョンという戦場にて解き放たれる。
しかし、その言葉自体に術的な意味はないのだろう。
術師の言葉には力が宿るが、アクアのそれからは特にこれといった圧力を感じない。儀式というよりは習慣のようなものであり、自己暗示として力を呼び出すキッカケにしているのかもしれない。
いや、あるいは。魔法使いにしか分からぬ力が込められていて、リティーがそれを感じ取れていない可能性もあるが――――。
「“
アクアの言葉に合わせて、何もないはずの空間から綺麗な水が大量に湧き出でる。
それは大気中の水分を利用したものではなく、魔法によって無から生み出された真の意味での“創造”による産物だった。
重力に反して空中を揺蕩う水は、アクアの体を囲うような大きな球状の膜となり、敵対する者達の攻撃から守り覆い隠す。
その大きな球体よりも二回りほど小さい複数の水球が、まるで衛星のようにアクアを中心として周囲を公転する。
この状態になるまでの所要時間は、およそ一秒未満。
魔法によって完全制御された膜が敵の攻撃から本体を守り、周囲の水球が半自動的に敵を迎撃・殲滅する。
それこそが水魔法使いアクアの、最も一対多に特化した構えだった。
「“
この階層に姿を見せた瞬間から、魔物達はアクアへと向かって走り出していた。ダンジョンへと侵入してきた哀れな獲物を、物言わぬ死体へと変えるために。
だが、その攻撃が届くよりも遥かに早く。
アクアによって制御された水球から、高圧縮された水流が何本も解き放たれる。
それは如何なる原理か、空気の抵抗を受けても一切の減速を見せず。実存する以上は物理法則に縛られているはずなのに、それを全く感じさせない加速を以て敵対者へと襲いかかる。
魔物達が、痛みを感じる事はなかった。
アクアの解き放った水の斬撃が一瞬にしてその身を切り刻み、魔物達は自身が傷つけられた事を自覚する事なく、肉体を構成していた幾つものパーツが、走っていた時の姿勢と勢いを保ったまま空中へと投げ出される。
一瞬で細切れにされたその体が散布され、血と肉が地面を汚す。
それはアクアから二十メートルほど離れた先の光景であり、どんな奇跡が起きたとしても、指一本分の害意すらアクアへ届く可能性が無いという事実の証明だった。
ある意味での惨状を生み出したアクアだが、自らの所業に対して一切の動揺を見せる事はなかった。むしろ、魔物を倒すという魔法使いにとっての本能が満たされた事で充足感に浸ってすらいた。
掌を広げて、ぐっと握る。その動作を何回か繰り返して、実感を経験として全身に馴染ませる。胸の内から湧き出る感情を十分に処理したところで、ホッと小さく息を吐いた。
その顔には腑に落ちない、納得できないといった何とも言葉にし難い表情が浮かんでいた。
その微妙な表情のまま、気持ちを吐き出した。
「また強くなってる……」
『水の無い所でこれ程の水遁を……
流石は魔法使いといったところですね』
「あの、水遁ってなんなんですか……?」
アクアの問いかけに対する回答は無かった。
リティーはアクアが魔法を使った時に、一日に一度はこの台詞で褒めてくる。その度に意味を問いかけるが、解説が返ってきた試しがない。何処から聞こえてきたのか分からない平坦な声も相まって、何とも微妙に褒められている気がしなかった。
アクアは返事を諦め、自身に掛けられた賞賛の言葉の出所を探すも、全く見つからない。アクアは魔法で生み出した水をかなりの広範囲に霧として展開していたが、それにも関わらず、感知範囲に生命と呼べるモノを見つけ出す事は出来なかった。
それに何とも言えない悔しさを感じつつも表面に出す事はなく、アクアはリティーに呼びかける。
「あの、リティーさん……? どこに居るんですか?」
『ちゃんと後ろにいますよ』
「後ろ……? ……見つけられないんですけど?」
『まぁ、隠れていますからね』
アクアが振り返っても、リティーの姿は見えない。
先ほどから聞こえているリティーの声も、周囲のどの場所から発せられたモノなのかすら判別できない。
リティーは彼女が云う所の“スキル”を使って本気で隠密しているらしく、アクアの魔法による優れた感知能力でも尻尾すら掴むことが出来ない。
アクアがリティーと出会ってから、約一ヶ月。
その間に何度も思ったことだが、リティーのこの謎の技術の方がアクアの魔法よりも余程魔法じみている。
アクアは活性させたままの魔力を巡らせ、魔法だけではなく向上した身体能力も使って本気で索敵した。だが、結果は変わらない。
大きなため息が漏れた。
「降参します、姿を見せてくれませんか?」
『別に競っているわけではないのですが』
「あぁ、はい、まぁ、そうでしょうね。私が勝手に負けた気になっているだけです。落ち着かないので、出てきてくださいよ」
『そういうことなら、まぁ』
スッ、と。
嘆願を受け入れたリティーの言葉と共に、アクアの知覚範囲に生命反応が一つ現れる。それも、リティーが宣言していた通り――――アクアの、真後ろから発生していた。
アクアの背筋に、冷たいものが走る。
そのあまりの気持ち悪さに、思わず「うひー」と気の抜けた声が漏れた。リティーがこれまでアクアに吹っかけてきた数々の無茶苦茶よりも、遥かに強く命の危険を感じていた。
ここに至って、アクアは確信する。
この人は、本気になった人間の魔法使いを殺せるのだと。
振り返った先で、アクアへ向けられたぼんやりとした瞳が、不思議なモノを見るように瞬かれる。その姿は間違いなくリティーのものだったが、身に纏う装備は今日初めて見たものだった。
全身を覆う黒の装束は、金属のような光沢を放っており、どんな服にでもあるはずの繋ぎ目が確認できない。
両手両足のみを護る金属鎧は所々肉抜きされていて、防御よりも機動力による回避を重視しているのが見て取れる。
全身に紋様のように浮かび上がる線は時折青色の光を放っていて、どうしてこれを今まで見逃していたのか分からないほどに強く印象に残る。
片手には、絡繰細工で出来た金属の弓が。
もう片手には、猫のような鉤爪が。
そして何より、その豊満な胸と尻を強調するように縛り付けられている何本ものベルトが異彩を放つ。こんなのと夜中に出会ったら、誰だって悲鳴をあげて警邏を呼ぶだろう。
彼女はナイトチェイサー、リティー。
闇夜に紛れる追跡者にして、痴女だ。
「なんですか、変な声を出して」
「いやぁ……なんというか、急に服の中に冷たい手を突っ込まれたみたいな……ええ、ちょっとした命の危機を感じまして」
「失礼ですね。僕がアクアさんに危害を加えた事がありましたか?」
「逆に、今まであれだけ滅茶苦茶しておいて心当たりがないんですか? 本当に? これっぽっちも!? まだ出会って一月なのに、散々な目にあった記憶しか無いんですけど……!?」
突然の命の危機判定に不服を感じたリティーが抗議するも、その何倍もの勢いでアクアが問い返す。その叫び声には彼女が積み重ねてきた苦労が実感として籠っていて、聞くものに対して憐憫の情を抱かせる。
しかし、リティーには通じない。
なぜなら、痛むほどの人の心を持ち合わせていないから。彼女、あるいは彼は“人の心”を都合のいい時にパワーアップするための手軽な外付けブースターくらいにしか思っていない。
配慮や同情といったものを、期待するだけ無駄だった。
「それはともかく」
「それはともかくしないでください」
「アクアさんもだいぶ仕上がってきましたね。レベル72、間違いなく当代の英雄クラスです。元からかなり強かったのもありますけどね。ここまでくれば経験値による強化も、かなり実感できるのではないでしょうか」
「あぁ〜〜……はい、そうですね。アルファーに到着した日を基準にすると、一割から二割程度でしょうか、出力が上がっている気がしますね。あと、魔力消費量も減って全体的に持久力が増してます」
「ふむ、概ねステータス通りですね」
二人は出会ってから一ヶ月間、順調にダンジョンを攻略していた。流石に初日のように一日で10階層、というわけにはいかないが。今では24階層まで二人で到達している。
今日アクアが連れてこられたのは、その24階層だった。低層と比べると出現する魔物の数こそ少ないが種類が増えており、その強さも階層の数字が大きくなるごとに増しているのは明白だった。リティーの攻撃でも初撃だけでは討ち漏らす事が多くなり、アクアの魔法の出番が増えてきている。
アクアは、リティーが説明していた通りの成長を実感していた。
アクアは元々、魔法学校で多くの戦闘経験を積んでいる。実習として国内各地の魔獣を討伐してきたし、国を出てからも訪れた村々を襲う魔獣の駆除を請け負っていた。
24階層の魔物は低層より強いとはいえ、まだまだ余裕で対処できる範囲だ。それこそ、経験値を得てレベルが上がる前のアクアでも一人で倒せる。
リティーが攻略を進める前の最高到達点が32階層というのは、アクアが並外れて優秀な人間の魔法使いだとしても、どうにも拍子抜けという感想になる。
「あの、リティーさん。一つ聞いていいですか?」
「はい、どうしましたか」
「その、私がリティーさんのサポートとか……に、日課のおかげで楽に、ら、楽……? 楽、に、強くなっているのは分かるんですけど」
「はい」
「それにしても……こう……24階層までくるのが簡単すぎるというか、そこまで苦戦するような場所では無いと思うんですけど」
それは、聞くものによっては憤死ものの言葉だった。
魔法使いという、生まれながらの強者でありながら。
その中でも極めて優秀な能力を持ち、強くなる努力も欠かさないアクアだからこそ出た言葉でもあったが。それまでのアルファーの歴史に対して、ある意味では泥を塗るような行いだった。
だが、その言葉を聞いた相手も例外中の例外。
アクアへ一つ頷いて、口を開く。
「アクアさんには“巨人の剣”の特徴をお伝えしましたね」
「……挑戦者はパーティ単位で別次元に送られる、でしたよね? 正直最初は別次元とか言われてもピンとこなかったんですけど、これまで他の冒険者さんと出会ったことないですし、そこは納得しました」
「はい。“巨人の剣”は最大六人まででパーティを組み、それ以上の戦力を拒む『隔離型』のダンジョンです。そして、入るたびに内部構造が変化するランダム生成型のダンジョンでもあります。次の階層に進むためには、あるいは、ダンジョンから脱出するためには。その階層の最奥にあるダンジョン・コアを使用する必要があります」
それはアクアも知っている。
これまでのダンジョン探索において、リティーが何度もダンジョン・コアを操作しているのを見ていたからだ。それだけではなく、アクア自身も何度か操作した経験はある。リティー曰く、コアには個人単位で情報が登録されていて、当人が一度突破した階層までをスルーして次の階層に飛べるようになっているのだという。
なんというか、明らかに周辺国家の人類の技術力を超えているのにも関わらず人造物である事を隠す気がない仕組みだった。
「そして、コアにたどり着くためにはその階層のボスを倒す必要があります。僕もアクアさんもこの階層では負けることはありませんが、レベルの低い、初心者から中級にかけての冒険者はそうではありません。必ずボスを倒さないと、その階層からは出る事ができない。この構造によって、自分達の適正レベルを超えて深く探索した冒険者達は痛い目を見る羽目になります。慎重にならざるを得ません」
「んぅ……それは、なんというか。リティーさんがあまりにも普通に倒すから考えた事がなかったですね……」
「さらにいうと、この“巨人の剣”は全部で百階層ありますが……実は、全部で四つの段階に区切られているんです」
「区切られている、ですか?」
「はい。25階層ごとにギミック……階層クリアのための項目が追加されていくのです。そのため、25階層からは一気に難易度が上がります」
その説明を聞いて、アクアの羞恥心が刺激される。
要するに、アクアはまだダンジョン探索のチュートリアルを終えていない段階でダンジョンを知った気になっていたのだ。
嗜められた訳ですらないが、無意識のうちに傲慢になっていた事を自覚させられた。実際にダンジョンを侮るだけの実力は備えているが、かといってアクアが一番強い人間という訳ではない。今のアクアより高い階層を突破した冒険者は少なく無いのだから。一番上の景色を見た訳でも無いくせに、全てを知った気になるのはアクアとしては恥ずかしい事だった。
そう自省するアクアだが、リティーはむしろ簡単に感じるのは当然だと思っていた。何せ、アクアはレベル70越えの魔法使い。むしろ、ここで躓くようではダンジョン制覇など夢のまた夢だ。仮に躓くような設計になっているなら、それは普通に難易度調整が間違っていると思う。
アクアは間違いなく、強者の側の人間だ。
そこらの冒険者ではどれだけ研鑽を積んだとしても敵わない、リティーが認識できる数少ない存在だ。そういう人間が仲間になることを、心待ちにしていた。
だから連れて行くのだ、次のステージへ。
「というわけで、25階層の攻略についてなのですが」
「……はい」
「ここから先は特に危険なため、挑戦する場合はパーティのうち一人が金等級以上、全員が銀等級以上である必要があります」
「……はい?」
「ダンジョン由来の素材を納品した事でアクアさんは銅等級になっていますが、もう一つ等級を上げる必要があります。なので……」
「……なので?」
「依頼を受けましょう。護衛依頼や討伐依頼を受けて、実績を積む事で探索の許可をいただきます」
アクアは知らなかった。
まさか、この一言から始まった冒険が。
決して忘れられない、大きな戦いに繋がるなど。
「ギルドに戻りましょう
────良い依頼がある気がします」
訪れたのは
全ての魚が集まりし、海の恵みの中心点。
依頼を受けた彼女達は
沖で目撃された巨大な影の謎を追う。
減りゆく魚、襲われる漁師達。
戦い傷つく少女の目の前に
意外な加勢が現れる。
次回! シナリオイベント
「アウトラートを覆う影」
ご期待ください。