「あの子、行かせてよかったの?」
「はい」
――――ビーチバレーとは。
二人対二人でコート中央のネットを挟み、ボールを打ち合う。
ボールを落としてはいけない、持ってもいけない。
三度のボレーで攻撃へと繋ぐスポーツ。
ビーチバレーはその性質上、試合のあらゆる展開を風に大きく左右される。
自然は人間の思う通りにならない。
だからこそ、風に従い、風を味方につける事が大切だ。
リティーとマリアが戦ったビーチバレーの達人たちは、長年の経験から風を読むのが上手だった。ついでに、謎の技術によって分身したり風に逆らってボールを引き寄せたりする事も出来た。そう、何といっても“達人”なので。
それゆえに、リティー達からも1セットを先取することが出来たのだが――。
「そろそろ、我慢も限界かと思っていましたので」
「まぁ、君やモルセが良いというなら問題ないんだろうね」
それでも、風そのものを操る事の出来るマリアが本気を出せば勝てない相手ではない。いや、観光地のスポーツに本気を出さなければいけない状況自体がマリアからすれば理解に苦しむのだが、それはそれとして。
「はい、問題ありません。というよりも、今日この時間にサマー・アクアさんを送り出すのが最良です」
「ふうん?」
気持ちよく一汗掻いた二人は今、リティーの用意したビーチパラソルの下でビーチチェアに横たわり寛いでいた。
傍のミニテーブルには、チュロカンタが用意した特製ドリンクや色鮮やかなカットフルーツが盛り付けられている。大陸中を飛び回るマリアにとって先ほどまでの運動は大した負荷ではないが、運動の後の冷たい飲み物が格別である事には変わりない。
リティーの説明に気のない返事をしながら、マリアはリティーの肢体を上から下まで舐めるように視姦する。
動作としては他者の
そんな、純粋に不純な性的眼差しを受けながら。
リティーはそれに気づかないフリをしつつ、それとなく体勢を変える。両手を頭の後ろで組む事で枕代わりにし、その結果として、豊満な胸が前へと押し出され強調される。
――おおっ!
自身もそれなりのモノを持っているにも関わらず、リティーの胸に興奮を隠せないマリア。思わずビーチチェアから身を乗り出し顔を近づけ、絶景を目に焼き付ける。マリアは小さい女の子が殊更に好きだが、大きい胸も普通に好きだった。
聖国から聖人認定を受け、人命のために日々世界を飛び回っている
多忙を極めた末の、生理的欲求を長期間発散できずにいたが故の悲しい末路だった。
リティー、いや、シンとマリアの付き合いは長い。
シンは六歳の頃、マリアを含めた救助隊の手によってダンジョンから救い出されている。それ以来、シンの姿でもリティーの姿でも、さまざまな機会で顔を合わせる仲だ。
まだ昔は、ここまで露骨ではなかった。道徳や規律を重んじる聖国の、しかも権力者でもあるマリアは自身の
だが、リティーがあまりにもサービス精神旺盛なので。
顔を合わせる度に、本人も気が付かぬうちに徐々にタガが外されていき……。
最終的に、モラルが酒場のオッサン並みのそれに成り下がってしまったというか。親しい相手には、このような態度を見せるようになった。
「流石に見過ぎですよ」
「うおっ……!」
さも今この瞬間に視線に気がついたとでも言うように、リティーがわざとらしく片手で胸元を隠す。腕に押さえつけられた事で胸が形を変え、隠しきれない部分がもにゅんと上下からこぼれ落ちる。勿論、わざとだった。
マリアは興奮し、感嘆のため息と共に更に顔を寄せる。もはや何も見えていないだろ、というくらいに顔を寄せている。実際、彼女の視界は肌と黒ビキニの二色で埋め尽くされていた。
その躊躇いも恥じらいもない行動を取る姿からは、威厳も何も全く感じられない。仮に本国の枢機卿がこの場を目撃すれば、直ちにマリアへ破門を言い渡す事だろう。
仮にも司教の姿か、これが。
「貴女達、何を揃ってバカやってるんですか」
「あぁっ……」
その言葉と共に、リティーの体へと一枚のタオルが投げかけられる。それはリティーの豊満すぎる胸元を隠し、マリアが残念そうに呻き声をあげる。
「モルセ……君はなんてことを……!」
「それはこっちの台詞なんですが」
下手人――マリアと同じ聖人であるモルセ――へと恨みがましい目を向けるマリアと、顔の上半分が布で隠れているにも関わらず呆れているのが分かるモルセ。
マリアへと向けていた軽蔑の視線を、そっくりそのままリティーへと向けて抗議する。
「シン、貴方もマリアさんを揶揄うのはやめてください。この人、最近全く奇行を隠せなくなってきてて大変なんですから。主に、フォローするモルセが」
「ですが……そうしないと世界が滅んでしまうので」
「そうだそうだ! 世界を救うために必要なんだ! 私は正しいことをしているんだ……!」
「嘘おっしゃい! 誤魔化しは卑劣ですよ!!」
今のモルセは聖布によって、その身に宿した奇跡の機能を調整している状態だ。能力でリティーを注視さえしなければ、彼女が
マリアにも息抜きが必要なのは理解しているが、それにしたって
頭を抱えるモルセを嬉しそうに眺めるマリアを見て、モルセが「これさえ無ければなぁ」と思ってしまうのは仕方のない事だった。
シンだけではなく、モルセにとってもマリアは命の恩人なのだから。いつまでも格好良いままでいて欲しかったというのが、モルセの偽りなき本心だった。
「で、シン……モルセはまだ話があるのですが」
「はい。なんでしょうか」
大きなため息を吐き出してから、モルセはリティーへと向き直る。視界の端で不服そうな表情を作っているマリアの事は、努めて無視する。
大事なことは、当事者が居ないうちに話すほうがいい。アクアが漁場へと向かい不在の今のうちに、モルセはリティーに確認しておきたいことがあった。
「先に前提を確認しましょう、いいですね?」
「はい、お願いします」
「シン、モルセの予測は本来なら絶対ですが……貴方の存在によって乱されます。それは、モルセの奇跡と貴方の権能が干渉しあった結果です。貴方と、貴方に近い存在に関してはモルセの予測は不確実なモノになります。それは、以前検証してお伝えした通りです」
「はい」
「なので、本来なら貴方にはモルセの予測を伝える事はありません。意味がないからです」
シンとモルセの持つ力は、そこから得られる利益は近いものがあるが、実際のところは全くの別物だった。
シンの予知はいうなれば、攻略Wikiと掲示板から情報を得ているだけであり、極論は伝聞に過ぎない。
だが、モルセはあくまで“予測”という形で未来を知る。それは自力で計算して答えを導き出すか、それともカンニングで答えを知るか、というくらいには違いがある。
常人からすれば、どちらも未来という未知を知る行為ではあるが……その実態は大きく異なる。
モルセの計算を狂わせる、変数のうちの一つ。
それが、“魔人”シンギュラリティーだった。
「伝えても意味がない、その筈なのですが……」
「何か、おかしな事でもありましたか?」
リティーの問いかけに対して、モルセは頷いた。
リティーは自分の権能を理解している。
だからこそ、重用すれど過信はしていない。
所詮は、テキスト上で得ただけの知識であり。それを扱うリティー本人も、人間種である以上は全ての行動が必ずしも正しいとは言い切れない。
出来る限り知識と現実のズレを無くすため、全ての場合において同じ態度で過ごすようにはしているが。それはあくまで、実験における制御変数を人力で整えているだけであり。
システムからのサポートはあるが、人為的ミスが起きる事は常に考慮するべきだった。
そんなリティーに対して、モルセはやや躊躇いを見せながらも、伝えるべき事を口にする。モルセの予測によって導き出された未来は、それが“来る”と知っていれば変えることが出来る。
目の前の変数が動く事で未来が好転するのを、予言者は祈っていた。
「アクアさん、あの人は――――」
アクアは戸惑っていた。
観光区のビーチから海に入り、漁場に向かおうとするアクアの進路を遮るように、一匹の魚が行手を阻む。
いや、それは魚だが……普通の魚ではない。
魚の胴体に、人間のような手足が生えた。
いうなれば……そう、魚人と呼ぶべき存在だった。
「ギョギョーギョ! ギョギョーギョギョ!」
魚人はアクアの目の前で両手を広げ、通せんぼの形で進行を阻んでいる。横を通り過ぎようとしても、上を通ろうとしても、勿論下を通ろうとしても。その都度位置を変えて、アクアの目の前を塞ぐ。
あからさまに、邪魔をされていた。
「あの、退いていただけませんか……?」
「ギョッギョギョ……? ギョギョ!?」
当たり前だが、言葉は通じていない。
いや、アクアの言葉は通じている節はある。
だが、魚人の言葉がアクアには分からない。
アクアはソロナ王国生まれの、共通語話者だ。
というより、この大陸で人類が口にする言葉は基本的に共通語だ。それはどの国であっても、どれだけ辺鄙な田舎であっても変わらない。内々でローカルな言語を使う集合体はあるかもしれないが、そういう人々でも共通語自体は使える筈だった。
つまり、共通語を話さない相手と出会うのはアクアにとっても初めての経験だった。言葉が通じても話が通じない人間というのはアクアの身近にも存在しているが、言葉自体が通じないというのは初だ。
そんな相手が、思惑はどうあれアクアの邪魔をしている。
それでも、この珍妙な生物を排除しようという気は起きなかった。あまりにもあんまりな見た目もさる事ながら、その所作もどこかコミカルで憎めない。
一応、魔獣である可能性も考えたが……。
アクアの常識で測るのであれば、魔獣や魔物は他の何をおいても人間を攻撃する事を優先する生き物であり、それは魔法使いであるアクアに対しても変わらない。
見た目だけはどう考えても魔獣や魔物の類だが、通じないながらも意思疎通を試みているのが分かる目の前の生物を、一方的に攻撃しようとは思えなかった。
かといって、泳いで振り切ろうにも――――。
「ギョギョギョギョ!」
魚人はアクアを上回る速度で泳ぎ、進行方向を塞ぐ。
アクアは水の魔法使いであり、その遊泳速度は並みの海洋生物では比較にならないほどの速さを誇る。そのアクアよりも速く泳ぐこの謎生物に、アクアは敗北を与えられていた。
というか、普通に手足を使って泳ぐんじゃあない。
ヒレを使え、ヒレを。
その背鰭と尾鰭は飾りか?
「ぐぬぬぬ……!」
そんな事を考えながらも、アクアは屈辱に呻き声を上げる。水の魔法使いとしてのプライドが、ジクジクと痛むのを感じる。
アクアは優秀な魔法使いだが、決して頂点というわけではない。ソロナ王国には、祖の血を深く受け継いだ“貴種”たる怪物がいる。水の魔法に限っても、アクアの上には何人かの魔法使いが立ち塞がっている。
だが、これは……。
別に、差別心がある訳ではないが……。
“これ”に負けるのは、何か違うだろ……!
「いいでしょう、貴方がその気なら……勝負です!」
「ギョッ!?」
何言ってんだコイツ!? と言わんばかりの反応を示す魚人からは、共通語への理解が伺える。やはりというか、アクアの言葉は通じているようだった。
だが、そんな事はもう関係ない。
アクアは水の魔法使い……平民の魔法使いの頂点としてのプライドを賭けて、この魚人を討ち果たす覚悟だった。
「私はソロナ王国立魔法学校史上初の平民出身の成績優秀者、アクア! 貴方に尋常な勝負を挑みます!」
「ギョギョッ……!?」
「――見せてあげますよ。
ただの人間の魔法使い、その最高到達点の力を」
水の魔法使いは海に近づくと、やたらとテンションが上がる事で知られている。これは彼らのルーツに関わる話であり、火の魔法使いが火山に、風の魔法使いが嵐に、土の魔法使いが地震に反応するのと同じくらいには、魔法使いにとって一般的な特性だった。
それは、成績優秀者であるアクアも変わらない。
むしろ、魔法使いとしての才能が優れている故に。
アクアは自覚がないまま、テンションが最高潮に達していた。
有り体にいえば、ハイになっていた。
「勝負です。私と貴方……どちらが最後まで泳いでいられるか! ――“
「ギョッギョッ!? ギョギョギョ!?!?」
「もはや……問答無用!!」
水中での活動に適した形に変化した魔法を衣のように纏い、アクアは魚人へと宣戦布告する。アクアから溢れ出す魔力が海中を波のように伝わり、その威圧感に魚人が身構える。
「うおおおおおおおお!!」
美少女らしからぬ雄叫びを上げるアクアに対し、魚人は呆気に取られて動けない。その隙を突き、アクアはスルリと魚人の横をすり抜けて漁場へ目掛けて進む。
一瞬の戸惑いがそのまま、魚人とアクアの間の距離となる。どんどん小さくなっていくアクアを見た魚人は我を取り戻し、彼女を追って本気で泳ぎ始める。
それ以上遠くはならないが、近くもならない。
アクアと魚人の実力は、殆ど拮抗していた。
二人の旅は短くも濃密なものとなった。
並いる海洋生物を置き去りにし――――。
漁師達の張っていた網を突き破り――――。
十メートルほどの謎の生物を轢き飛ばし――――。
「貴方、やりますね」
「ギョギョ……!」
殆ど同時に元いた地点に戻ってきた頃には、二人の間には固い友情が芽生えていた。尋常な決闘を通じて、アクアは魚人の言葉がなんとなく分かるようになっていた。お互いの健闘を讃え合いながら、二人はゆったりと浜辺に向かって並泳していた。
一時間に満たない、短い付き合い。
だが、それはお互いを知るには十分な時間だった。
少なくとも、この二人にとっては。
「よければ、一緒に来ませんか? 宿を取っているんですけど、そこの料理が美味しいんですよ」
「ギョ……ギョギョ……?」
「当たり前じゃないですか。私と貴方はもう友達……いえ、
「ギョギョ……!」
二人の間には、言語の壁など存在しないも同然だった。闘いを通じて互いへのリスペクトを得た彼女達は、言語でなく心で相手の言葉を理解する段階へと至っていた。
料理の支払いがチュロカンタ持ちという事になっているのを完全に忘れているが、この友情の前には些細な事だった。実際、料金はリティー持ちだからなんの問題もない。
「……あれ? 何か忘れているような……?」
「ギョ?」
新しい出会いを経て、アクアは一皮剥けた。
それが良いことなのかは、誰にも分からない。
夏は人を狂わせる。
それは、魔法使いも変わらない。
イベスト前半終了となります。
1話だけ間話を挟み、後半に続きます。
ちなみにアクアは全力だと水中限定で時速120キロ程の速さです。