それは、あまりにも王道すぎた   作:親指ゴリラ

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 アクアは自分が夢を見ていることを自覚した。

 明晰夢というやつだった。

 

 アクアの目の前を、たくさんの風景が流れ去っていく。

 それらは全てがアクア自身の過去であり、これまで歩んできた人生そのものだった。

 

 

 気がつくと、アクアは年季の入った木造の部屋の中に立っていた。そこはアクアの一番古い記憶の中にしか存在しない、アクアにとって唯一にして無二の心の拠り所。

 

 アクアのたった一人の肉親である、祖母の家だった。

 

『アクア……』

 

 自分の名前を呼ぶ声に視線を向ければ、そこには一人の老婆が小さな赤子を抱きしめて座っていた。老婆が一般的なソルーナ大陸人の毛色である銀の頭髪をしているのに対して、赤子のまだ短い髪の毛は水色であり。一見して、その容姿から血縁を感じ取ることは難しい。

 

 それは紛れもなく、幼き日のアクアと祖母だった。

 かつての自分と肉親を客観的に眺めて、今のアクアの口から言葉がこぼれ落ちる。

 

「おばあちゃん……」

 

 手を伸ばしたい、抱きしめて欲しい。

 そんな気持ちが溢れ出るも、所詮は夢の中。

 

 視線の先の祖母は、アクアの言葉に反応することはない。

 

 

 アクアの産まれた場所は、ソロナ王国の中でも王都に近い土地の大きな街だった。魔法使いである貴族がソロナ王国を統治してから、既に数百年が経過している以上、直接的な婚姻を結ぶことはなくても魔法使いと平民の混血は進んでいる。ソルーナ大陸人の特徴である金と銀の頭髪に、薄らと魔法使いの色が混ざっている平民も少なくはない。

 

 アクアの祖母も、よく見れば白髪混じりの毛先に薄らと青色が混ざっている。それは光の加減によって認識できるかどうかといった些細な特徴ではあったが、ソロナ王国の平民としてはありふれた容姿だった。

 

 だが、アクアは違う。

 

 平民の両親から産まれた、特筆するべき所もない平凡な血筋。それにも関わらず、その頭髪は混じり気のない水色であり。どこの誰が見ても、一目で魔法使いの血を思わせる色をしていた。

 

 そして見た目通り、アクアは魔法使いとしての人間離れした才能を身に宿していた。

 それがアクアにとってどれだけの不幸であったのか。

 その心境を真の意味で理解してくれる相手は、この世界に存在していない。

 

 アクアが産まれてすぐに、アクアの母は父方の家族から不貞を疑われた。母方にも父方にも、魔法使いの濃い血が流れていない以上は、疑われるのも仕方のないことだった。そして何よりも、アクアの見た目は赤子ながらに既に平民とは違って整っているのが分かる作りになっていた。

 

 髪の色が違う上に、顔の作りも似ていない。

 そんなアクアを自分の子だと思えなかった父とその親族は、アクアの母を疑い、責めて、殆ど一方的に離縁を突きつけた。

 

 実際、支配者層である魔法使いが市井の女に無体を働くという話はそこまで珍しくもない。どこかの名もしれない貴族か何かが、街の女を無理やり手籠めにしたというのはいかにも筋が通った話だった。

 

 アクアが産まれるまで良好だった二つの家系は、赤子の誕生を契機にして永遠に別たれた。

 

 そんな父と違って、母はアクアが自分の子供だというのは理解していた。自分の腹から産まれたのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

 

 だが、頭で理解するのと実際に受け入れるのでは全く意味が違う。

 

 誰にとっても救いのないことに、アクアの母はアクアを自分の子供だと思うことすら出来なかった。人間離れしたその容姿と、ただそこに居るだけで感じられる魔法使いの力が。ただの力無き一般人であるアクアの母の目を曇らせ、その胸の内の愛情を失わせていた。

 

 ただ、間違いないことに。

 

 アクアの母は真実、不貞など働いていなかった。

 アクアという魔法使いが生まれたのは単に、隔世遺伝――――世代を超えて先祖の特徴が体に現れる先祖返りによるものであり。だけど、ただの平民である彼ら彼女らにそんな知識などあるはずもなく。

 

 つまり、アクアの母は単純に運が無かった。

 

 大きな街とはいえ、噂話が広まるのは一瞬。

 不貞を働いた女として扱われるようになったアクアの母は、それから程なくしてアクアを置いて街から姿を消した。

 

 噂通り魔法使いに乱暴を働かれたのであれば、アクアの母は被害者だ。だが、そんな理屈は大衆の悪意の前には無力だった。何より、父方の家系が街でも大きい商家に連なっていたのも良くなかった。アクアの母は不義を働いた女として扱われ、街から居なくなるまでその扱いが改善することはなかった。

 

 

 アクアは魔法使いとして産まれたというだけで、両親から与えられるはずだった全てを失っていた。

 その代わりの愛情を与えたのが、母方の祖母だった。

 アクアの祖母は、アクアが自らの血を濃く受け継いだ子孫であると理解していた。

 

 アクアの祖母も、その親も、そのまた親も。

 決して魔法使いとしての力を扱えるような家系ではなかったが、確かに水の魔法使いの血を引いていると言い伝えられていた。

 

 先祖返りに関する知識がなかったため、なぜアクアが魔法使いの才能に恵まれたのかは理解できなかったが……。

 娘婿の家系を説得する事も、娘の心を十分に慰める事も出来なかった彼女は、己の罪悪感を誤魔化すかのようにアクアへと愛情を注いだ。

 

 それは、見方によればただの免罪符に過ぎないが。

 実際に育ててもらったアクアからすれば、間違いなく唯一無二の肉親の情だった。アクアという名前も、祖母が先祖から肖って与えたものだった。

 

 アクアの幼少期は、側から見れば悲惨なものなのだろう。

 両親は居らず、多くのものを与えられず、貧しくてひもじい。

 

 それでも生きていけたのは、アクアが魔法使いとしての強靭で頑丈な肉体を持っていたから。

 そして……働き手のいないアクアの家に対して、最低限の、本当に最低限の援助を父方の商家がしていたから。それは魔法使いとして成長したアクアによる報復を恐れたが故のものだったかもしれないが、間違いなくアクアが成長するためには必要不可欠な要素だった。

 

 余人がアクアの生い立ちを知れば、きっと哀れみを抱くだろう。もし他人がそういう人生を歩んできたと知ったのなら、アクア自身がその人を可哀想に思うだろう。

 

 だけどアクアにとっては。

 この時の記憶こそが一番幸せな時期の記憶だった。

 

 祖母と二人で、ボロい家で、貧しい生活で。

 街に出れば恐怖と侮蔑の視線を向けられ、同い年の子供達から省かれて、その親からは無視されて。

 

 それでも、愛する祖母が隣にいてくれただけで幸せだった。

 

 二人の生活は、アクアが五歳になるまで続いた。

 

 

 これはアクアの見ている夢だが、その全てがアクアの思い通りに動くわけではない。

 アクアの周囲の景色が引き延ばされ、祖母と幼き日の自分が彼方へと消え去っていくのを、アクアは手を伸ばしながら見送った。

 

 そうしてたどり着いた先は、石造りの建物の中だった。

 そこが何処なのか、アクアはすぐに理解した。

 

 一人でアクアを育ててくれた祖母が亡くなり、身寄りのなくなったアクアを迎えにきた王都の魔法使いによって与えられた住処。

 

 平民出の魔法使いの子供が管理し易いという理由によって建設された、王都直営の孤児院だった。

 

 そこでアクアは、人生で初めての“孤独”な日々を過ごした。

 決して一人だった訳ではない。

 孤児院にはアクアと同じような境遇の、あるいはアクアよりも遥かに悲惨な過去を持つ魔法使いの卵が何人も居た。

 

 ソロナ王国の上層部は、如何なる手段をもってか一定以上の魔法の才能がある子供の存在を察知する事が出来る。

 その魔法の才を見出された子供達の中でも、市井で過ごす事が困難な者だけを集めたのがこの孤児院だった。

 

 一人ではない。

 魔法使いの卵が、同じ才能を持った子供が何人もいる。

 

 だけど、アクアは孤独だった。

 

 アクアはあまりにも“貴種”に近過ぎた。

 それこそ、アクアの母が疑われたように“貴族との不貞”によって生まれた子供を遥かに凌駕する程の才能と魔力を身に宿していた。

 

 平民ではなく、魔法使いだからこそ。

 あるいは、同じ子供であったからこそ。

 

 アクア以外の子供達にとって、アクアという存在はまさに異物だった。

 

 比較的血の薄い子供からは妬まれ、あるいは平民が貴族に抱いている怒りと同等の視線を向けられ。

 アクアの異質さを理解できる程度には優秀な子供達からは、その力のあまりに恐れられる。

 

『バケモノ』

 

 孤児院で一番多くアクアに投げかけられた言葉が、それだった。

 子供達だけではない。施設を管理している平民出の大人の魔法使い達からすら、アクアはそう呼ばれていた。

 

 とてもじゃないが、五歳を越えたばかりの子供に対して投げかけるべき言葉ではない。それがどれだけアクアの心を傷つけたか……といえば。

 

 アクア自身にとっても意外な事に、それらがアクアの心に響く事はなかった。

 

 アクアは本当に、人よりも“魔法使い”に。

 それも、最も純粋な“それ”に近い生き物だった。

 

 ソロナ王国で最も尊い物語、初代国王が辿った建国譚。

 そこでは魔法使いの起源をこう語っている。

 

“初代国王ソロは大陸を回り、四つの現象を砕いてその力を簒奪した”

“『噴火』からは火の力を”

“『津波』からは水の力を”

“『地震』からは土の力を”

“『暴風』からは風の力を”

“人々を襲う四つの災いから力を奪い、自らに付き従う従者へと魔法として分け与えた”

“従者は貴族へと姿を変え、王の手足として大陸を治める責務を授かった”

 

 ソロナ王国が各国を侵略する際の正当性の根拠とされる事も多く、あくまで伝承のため何処までが真実であるかは誰にも分からない。少なくとも、貴族の全員がそれを信じている訳でもない。

 

 だが、アクアはそこにある程度の信憑性を感じていた。

 

 あまりにも強すぎる魔法使いの才能は、それを手にした者は。どちらかというと、人間というより自然に近い存在なのだと。

 

 他でもないアクア自身が、それを実感していた。

 

 他の魔法使い達はアクアを恐れたが。

 アクアもまた、魔法使い達を見下していた。

 

 いや、アクアもそうしようと思って見下していた訳ではない。

 だが、祖母から与えられていた愛情を失い。

 心に空いた隙間から、少しずつ情という熱が溢れていくに従って。

 

 知らず知らずのうちに、自分以外への興味が薄れていったのだ。

 

 その証拠に、孤児院で過ごすようになって一年が経つころには。アクアはあれだけ好きだった祖母が死んだ現実を、遥か遠くの出来事のように認識するようになっていた。

 

 愛おしいと思う事も、寂しいと思う事もある。

 ただ、ふと気がつけばそんな感傷を冷めた目で見つめている自分がいる。

 

 その変転に、恐怖を抱く事もない。

 自然はそういった細かい事象に何かを思う事もない。

 

 そういう態度というのは、周囲の反感を買う。

 敏感な年頃の、不遇な立場の子供であるなら尚更。

 

 そして孤児院の中で七年弱の年月を過ごして。

 魔法学校に入学する頃には、アクアはすっかり心身ともに“貴種”らしい魔法使いへと変わっていた。

 

 あるいはそのまま成長したのであれば、それはそれで幸せだったのかもしれない。

 

 世俗の殆どに感情を動かさず、自分の内面のみで世を捉え、国が命じるままに戦争で命を奪って土地を得る。そんな魔法使いらしい魔法使いとして、何処かに領地を持って平民を支配していた未来もあったのかもしれない。

 

 だが、そんな未来が訪れることはなかった。

 

 結果だけをいえば、アクアは戦争を拒否して国から逃げ出してアルファーへとたどり着いている。アクアがそうした理由は単純であり、戦争で人を殺したくなかったからだ。

 その選択をするまでには複雑な経緯があり、幾つもの出会いと心境の変化が原因となっている。

 

 

 アクアの視線の先で、今よりも背の低いアクアが冷たい目で他の子供達を眺めている。

 そこにどんな感情を抱いているのかは、もはや思い出す事も出来ないけれど。人間性を取り戻した今のアクアは、その幼い自分の後ろ姿がより小さく見えた。

 

 思わず、話しかけそうになって。

 また周囲の景色が引き延ばされ、孤児院が遠くへと消えていく。

 

 

 次にアクアが立っていたのは、ソロナ王国での最後の五年間を過ごした場所だった。

 少なくない出会いがあり、人生の多くを過ごして数々の学びを得た場所。

 

 

『やぁ、よくきたね』

 

 今のアクアの視線の先で――――。

 

 魔法学校のローブに身を包んだアクアが、本物の“貴種(エレメンタル)”を前にして震えていた。その顔には冷や汗が浮かび、口元は恐怖に引き攣っている。

 

 入学間もない頃に学園を統制する『生徒会』の面々に呼び出された時の、アクアにとっても苦々しい記憶だった。

 

 ある意味で調子に乗っていたアクアが、その鼻っ柱を折られることになった経験。

 並いる貴族出身の魔法使いよりも優秀で、より強い力を持っていたアクアが。絶対に勝てないと思わされた本当の“バケモノ”達が、アクアを見下ろしている。

 

 

『貴殿の噂は聞いている。確かに()()なようだな?』

 

『……本当に、貴種(ぼくたち)に近いんだね』

 

『不思議じゃ、まっこと不思議じゃ(のう)

 

 ある者は無機質に、ある者は憐憫を抱いて、ある者は好奇心に満ちた目で。

 

 恐怖で口を開く事も出来ないアクアを眺めて、貴種(バケモノ)達が口々に感想を言い合う。

 その視線はアクアに向いてはいるものの、決してアクアという個人を見ていない。あくまでも、その身に宿した魔法使いとしての力を見透かしていた。

 

 その一方で、アクアも相手の姿を見ていなかった。

 不幸なことに、人間の身に余る力を持って生まれたアクアは。多くの魔法使い達が気が付かないであろう、貴種(エレメンタル)の本当の姿をその目に映していた。

 

 その体から立ち昇る魔力の色を、その真実を。

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 思わずそう考えてしまうような、圧倒的な暴力。

 貴族(ウィザード)ではなく、貴種(エレメンタル)

 

 圧倒的な同族嫌悪によって、アクアは人の心を取り戻した。

 

 

 

 その過去を夢で見ながら、アクアは気がついた。

 そもそも自分は、なぜ夢を見ているのか。

 

 夢を見ているという事は、当然、現実のアクアは寝ているという事になる。

 

 夢だから……といえばそこまでだが。

 アクアは寝た自覚がない。

 

 明晰夢という事もあってか、寝ている今でも比較的頭は回っている。直前の記憶を思い出そうとすれば、やれない事もない。

 

 人生の岐路になった過去の出来事をぼんやりと眺めつつ、どうして寝ているのかを思い出そうとして――――。

 

 

『ギ、ギョギョーーー!?』

 

『ぎゃーーーーーーー!?』

 

 何度も何度も轟く雷鳴と、その度に体を走る激痛と痺れ。仲良くなった魚人と共に泳いでいたところを突如襲った、おびただしい数の落雷。

 

 水中を駆け巡っても減衰する事のないそれを、何度も肉体に受けた記憶を取り戻して――――。

 

 

 

「えっ? ……もしかして、これって走馬灯ですか?」

 

 アクアは愕然と、夢の中で呟いた。

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