第一話 ハッピー星人と少年少女
子どもたちにとって、授業というものはつまらないと考えてしまうのが多数だろう。木製の硬い座席に尻を落ち着かせ、黒板に書かれた板書をノートに写す。色チョークを使えば、みんなはならって色ペンをノートに書く。そんなありふれた学校生活。
そうして、子どもにとっては長い授業時間が終わり、下校という名の開放が始まる。
友だちと下駄箱で駄弁りながらゲームの話や最近あった少し笑える話。
まばらでありながら誰もが家へと帰るとき、ルートから外れる少年少女が公園へと足を運んだ。
なにかに呼ばれるように、少女が積まれた土管に近寄ると、
「来翔くん……」
「なんだよ」
「そこに、誰かいるの……」
木陰に汚れた青のランドセルを置く少年に、震え声の少女が土管の中を指差す。
駆け寄り、思わず乗りすぎたスピードを滑り気味に止めた少年は膝を地面につけて、少女と肩を並べた。
「──ピ」
「ぁ、なに……?」
少女の怯え声に呼応するように、土管の中にいるソレの気配が強まる。
じめっとした空気が肌を包み、蝉の音がぴたりと息をつまらせたように止まったとき、それは出た。
「────」
ピンク色の、ボールのように丸い生き物が。
小さいつぶらな瞳と目が合い、沈黙が三者の間で風として通り過ぎる。横へ吹かれ、飛ばされる青い草が肌を撫で、伝う汗がひんやりと涼んだことで時計の針が押された。
なんなのか。唇を噤む少年が口を開けたとき、
く〜〜
目の前のソレから、気抜けするような可愛らしい腹の音がたった。
「おなかがすいたっピ……」
*
*
ペかー
僕の名前はハッピー星人!
宇宙にハッピーを広めるため、旅をしてるっピ!
故郷ハッピー星に別れを告げて今日、この緑と青の惑星に降り立ったっピが……
捕獲されそうになるし、
食べ物もないしで大変だったっピ。
──そんなとき、
「じゃあ、本当に宇宙人なんだ……」
「ちっちゃいんだ」
しずかちゃんと来翔くんが助けてくれたんだっピ!
「ありがとうだっピ、パンおいしっピ!」
パクパクと空きっ腹にパンを食べるハッピー星人は涙した。
よほど空いていたのかあっという間に食べ尽されたパン。すると、
ピ? 来翔くんがぼくを見てるんだっピ。
「はいこれ。ラムネだよ!」
笑って、ぼくとは違う手の先についた五本の触手を広げてあったのは、白い玉っピ!
「はむはむ……ラムネおいしっピ! ありがとうだっピね!」
パンも美味しかったピが、来翔くんのくれた白い玉──ラムネもとっても甘くて美味しいんだっピ!
緑色の容器を傾け、中身をコロコロと手のひらに落とす来翔もラムネを口に含んだ。一緒になってラムネを食べる来翔は、土管に腰掛けるしずかに目を向け、
「ん」
「ぇ……?」
「しずかちゃんの分。あげる」
「く、くれるの? ぁ、ありがとう……」
コロコロと来翔の手のひらからしずかの手のひらに移るラムネ。それを目の当たりにしたピンク玉は目を輝かせていた。
来翔くんがしずかちゃんに『ハッピー』を分けてるんだっピ! 二人はとっても仲良しなんだっピね!
一粒、また一粒と、遅ばせながらラムネを口に入れるしずか。表情の掴みどころのなさげだったついさっきとは異なり、その口の端には僅かに上へと登っていた。
「名前はなんていうの?」
「んうぇいぬkf、っていうっピ」
「……え?」「へぇー」
おそらくはハッピー星人の名前だろう。聞きなれない発音のそれに、しずかは眉を曲げて、来翔は感嘆といったふうに息を吐いた。
「んうぇいぬkfっていうんだね」
「そうなんだっピよ。呼んでくれて、ぼくはうれしいっピ!」
「……え? 来翔くん、わかったの……?」
受け入れというか、飲み込みの早い来翔の言ったそれに、しずかは全くといっていいくらい聞き取れなかった。
「んうぇいぬkf」「んうぇいぬkf」
「…………? ……??」
ヒィ!? しずかちゃんが困ってるっピ!?
「あ、ででも、でも……好きなように呼んでくれて構わないっピ!」
「……ふーん。じゃあ」
土管の傍に置かれた赤い背負い鞄──ランドセルに手を伸ばすしずか。つまみを回し、しおれた何冊もの本の一つを取り出したのは、分厚い青い本。
「──タコピー」
パラパラと本をめくり、めぼしいものを見つけたしずかが指をさす。それは八つの触手があり、色は赤。ふっくらとしたその姿はタコピーに似ている。触手の本数は違うけれども。
……んぅ? しずかちゃんが言うなら、似てるのもかもしれないっピ。
困惑したように本を覗き込むハッピー星人、改め──タコピー。
「ちょっと似てる。でもいいじゃん。んうぇいぬkfもいいけど、タコピーも」
膝に手を置いて図鑑に顔を覗き込む来翔はそう呟く。
どう頑張っても上からしか声のかからないタコピーは来翔と、そしてしずかを見上げ、真っ黒で点のような目に映し込んだ。
しずかちゃんと来翔くんは同じ『よねんせい』という種類の『にんげん』らしいっピ。
『いきもの』に詳しくて、二人とも優しくて……二人を見ているとなんだか……
「ぁ……し、しずかちゃん、来翔くん!」
小さい体を跳ねさせるタコピーが図鑑をポトリと落とした。
「ぜひともお礼をさせてほしいっピー!」
「…………」「お礼?」
*
*
テッテレー
「パタパタつばさ!」
「おー」
「これはハッピー道具の一つで……んしょっ。こんなふうに使うと空を自由に飛べるんだっピ!」
謎の効果音とタコピーが共に取り出したるは、黄色の輪っかに小さい白い翼のついた『ハッピー道具』。その名もパタパタつばさ。
輪っかに絞まって丸いボディが崩れるも、一瞬で消える。その代わりに、背中には白い翼が生えた。
「見てほしいんだっピ!」
「おー!」
そう言うと、ふわふわと、まるで重力から解き放たれたように宙を浮かび始めるタコピー
来翔くんが大きな声をして飛ぶぼくを見てるんだっピ! でもこれだけじゃないんだっピよ!
「こんなふうに、こんなふうに!」
空へ向かうタコピーが空中を鳥よりも変幻自在に、自由に飛び回る。
「どうだったっピか?」
区切りのついたようで、タコピーは来翔としずかの足元へ舞い降りる。
顔のついてない後ろの方。多分、背中に触手を伸ばすと翼が取れ、元の姿へと戻った道具を二人に差し出した。
「はいどうぞ。次はしずかちゃんと来翔くんがやってみるっピ」
「いいの!」
来翔くんはすごい食いつきなんだっピ! しずかちゃんにも試してほしいんだっピが、見てるだけでもハッピーになるんだっピ!
パタパタつばさをつまむピンクの触手がシュルシュルと、期待に満ちた来翔の眼前へ伸びる。
恐る恐るといったふうに受け取る来翔はタコピーにならって輪っかを伸ばし、
「んー……とっ。どう? ついた?」
「ついたっピ! あとは飛びたいって思うと、来翔は空を飛べるんだっピよ」
「おー! じゃあ飛ぶね? しずかちゃんもタコピーも見てて見てて!」
背中にひよこのようなちっちゃなつばさが生えた来翔は頬を上気させて、抑えられない衝動を地面に伝わらせる。
深呼吸。一つ置いた来翔は瞳を開けて、手を上げる。
「飛びますっ」
小気味よく軽重に言い放った来翔は勢いよく屈んだ体を伸ばし、
「とりゃ!」
跳び上がった。
「おー! 飛んで──あれ」
パタパタパタパタ
「あれ……?」
パタパタ
「タコピー、これ飛べてない──」
パタ……
ぴたりと空中で止まってそれっきり。前後左右、上下にも動けない来翔がタコピーを見やった。しかし、タコピーは首を傾げて目の前のことで困惑している様子。
おかしいんだっピ……。ぼくが使えば自由に飛べるっピのに、どうして?
『重量オーバー、重量オーバー。バッテリー切れです』
そうしている間にも、来翔の背中に生える小さな翼が警告を鳴らし始める。
刹那、公園の時計ほどの高さまで飛んでいた来翔の体が重力を思い出したかのように──、
「ぁ」
── 落ち始めた。
「落ちて……る」「大変っピ!」
急激に来翔が地面へと迫る。
子どもにとって、4、5メートルの高さから落ちるのは危険極まりない。
呆然と、誰の叫びも来翔の落下には間に合わない。
が、
「っと! ……つぅ」
ドンっ、と濁った音が響くのと同時に、手を地面について四点着地する来翔。膝と肘に伝わる勢いを殺しきれなかったためか、軋みを上げる関節に来翔は口を歪めて立ち上がった。
「来翔くんっ……だ、だいじょうぶ……だよね?」
「うん、ぜんぜんへーき」
声が掠れ、震え声で顔を覗き込むしずかだったが、手についた土埃を払う来翔を見ると力を伴わない息が漏れる。
「来翔くんが落ちたときはひやっとしたっピ……。でも、大変な事実が発覚してしまったっピ……」
「僕たちじゃ、体が重いんだ」
「そうだっピよ。しずかちゃん……ごめんっピ。これじゃあ空飛んで、楽しめないっピね……」
「べつにいいよ……期待してなかったし」
「そうだっピか!? でも、なんでだっピ? 飛ぶのは楽しいっピのに──」
気を落とし、来翔から返されたハッピー道具を地面につけてしまうタコピー。もともとすぼんだ口をそのままにランドセルを拾い上げるしずかを、タコピーはただ丸い粒の目で見るしかできない。
「だって」
「────」「────」
その瞬間、あれだけうるさく騒いでいた虫たちの演奏が収まる。
まるで、照りつける太陽の暑さを忘れて地面に立つ来翔とタコピーに振り返るしずかの道を、開けるように。
「空なんて飛べたって、どうせ何も変わらないし。……また、明日」
言ったきり、模様の入ったくすみがかった赤いランドセルを背負い直すしずか。振り返らず、一人で帰路に乗っていく。
「……ぁ。ちょ、ちょっとしずかちゃん、待ってよ!」
だんだんと離れていく距離。文字の刻まれた背負い鞄が小さくなっていくとき、ハッとする来翔は燻んだ青のランドセルを拾い上げて駆け出す。
「それと──」
「ピ?」
足が地面を蹴るたびにカバンの中をガシャガシャと忙しない音を途端に止める来翔。
見上げると、タコピーの前には──表情を消した来翔が、濃い紫の色をした二つ眼でソレを捉えていた。
「ねぇ、タコピー。聞いてもいい?」
「い、いいっピよ? ぼくにできることなら、なんでも言っていいっピ!」
あれ。なんでぼくは、来翔くんの目が──
「空って、自由なのかな……」
──怖いっピ……?
さっきまで楽しそうだった来翔くんの目が……ぼくを映してないっピ。
まるで、誰か別の、もっと遠くにいるナニカを見てるような……そんな目をしてたっピ。