「行っちゃったっピね、来翔くん」
「うん……」
悠々と夜の道を歩いて家へと帰る来翔の背を見送るしずかとタコピー。
夜中の風は涼しくても夏であるため、肌を撫でるのは随分と過ごしやすい時間帯だ。そんな時間をチャッピーにつけたリードを持つしずかに、タコピーが着いていってしばらく。
散歩ルートの中途に位置する公園。タコピーが居候する公園へとついた。
ここにくる間、特にこれといった会話はない。緑と青の惑星──地球の自然をタコピーは充分感じた、貴重な時間と言えよう。
ここまで、しずかちゃんがハッピー道具を見たいって言わなかったっピ……。
『決して掟を破ってはなりません』
ママ。掟どころか、僕はまだ満足に使ってもらうこともできないっピ。
でも……
脳裏に映る、しずかと来翔の笑み。
でもその後にあったのは、どこか消えちゃいそうな来翔と、見上げると見えるしずかの疲れたような表情。
二人には……来翔くんとしずかちゃんに、もっと笑ってほしいっピ!
「しずかちゃん! 今度ぼくが二人をハッピー星に招待するっピよ!」
振り返ったタコピーはピンクの短い触手を振る。
しずかの目にはタコピーが懸命に話しているように見えても、聞いて半分くらいな感じだ。
「……」
「ハッピー道具もたくさんあるっピし、それでそれで……」
「だから、そういう魔法とか──」
「──それできっと!」
いつものようなタコピーの言葉にしずかは肩を落とそうとした。だが、遮られた。
ない胸を張り上げてキュッと目を瞑るタコピーが動じないから。
月夜。星々がだんだんとしずかになっていくこの惑星に瞬く中、タコピーは望みを乗せる。
「──しずかちゃんを! 二人をものすごーい笑顔にして見せるっピ!」
「…………!」
目を見開いて、今度は黒い双眸にタコピーをしずかは写し込んだ。
見てくれた。そのことに真っ黒のつぶらな瞳を動揺して揺らすタコピーは歩道の上を右往左往する。
「あ……ハッピー星は、訳あってぼくがしばらく星に帰れないっピから今すぐには行けないけど……でも、でもいつかきっと!」
「タコピー」
小さい体で一生懸命に伝えようとするタコピーにそっと好相を崩すしずかは歩み寄る。屈んで、タコピーのそばに寄り添うしずかは鼻先をタコピーのピンク色の体に近づけた。
「タコピーは無臭だね」
「……。ピっ!?」
「じゃあもう帰るね」
「ピ!?」
そのまま、狼狽えるタコピーに背を見せてチャッピーのリードを取るしずか。
今日はいつもと時間は違うものの、ここでお別れ。でも大丈夫なのだ。明日があれば、また会えるのだから。
「しずかちゃん?」
歩んでいた足を止めるしずかが振り返り、タコピーは語尾を上げて見上げた。
様相を和らげるしずか。夜空に溶けるような黒い髪が夜風に遊ばれ、舞う様はベールのよう。幅の綺麗な二重をするその目には、確かにタコピーが入り込んでいた。
「──また明日」
しずかの声は、ささやきよりは大きく、それでいて静かだった。でも確かにそこにいた。空を覆っていた雲に穴が空いて、わずかに光が入り込むような、そんな声を。
瞳にはわずかな光を宿し、温かな温度をふれる目を向けて、明日へと──
明日へと……
あし──
*
*
日の始まりは騒がしいものだ。
鳥は歌い、木々に止まる蝉たちはラブレターを夏の湿った空気に乗せる。
早朝であっても夜明けから全身を包み込む温度は健在で、太陽の視線は路面を焦がし大気を揺らした。
ここは町立南町公園。太陽を背にし、入り口に小さな影を作る少女が、そこにいた。
「…………」
さんさんと降り注ぐ光を飲み込むほど深い黒の髪。嵌め込まれた二つの瞳の色も同じ──光を呑む黒。何も宿らない黒の瞳。温度も、想いもナニモカモ。
「しずかちゃーん」
その少女の名を──しずかの名を呼ぶのは会うのを待ち侘びていたのだろうタコピー。
名を呼ばれたことで、半ば反射のように瞼を跳ねさせるしずかは足元に寄ってくるタコピーを見た。
ゆったりとした視線を受けるタコピーは全身を地面に落ちる少女の影に入り込む。
「さっそく来てくれたっピか? 待ってたっピ! 来翔くんはまだ来ていないんだっピね」
「…………」
「じゃあ、今日はとっておきの道具を……ってあれ?」
道具を取り出そうとする触手を止め、タコピーは足元しか見えていなかったしずかを見上げた。
全身がどこかくすんだような色に変わっていて、どことなく萎んだ印象を感じさせる。それは足にとどまらず、夏に涼しさを与える水色の半ズボンも、風に吹かれれば草木のように柔らかく靡く白の半袖シャツも、どれも模様が入ったように滲み込んでいた。
空に浮かぶような雲を感じさせる晴れ晴れな肌も、同じだった。
「何か顔に模様が──」
それだけではなく、タコピーは視界の端に映り込んだものに声を止める。
タコピーが顔を上げしずかの顔をのぞいたとき、少女の左手に握りられるものが目に入ったのだ。
それは──
「それはチャッピーの首のやつだっピね!」
「…………」
覚えたてのものだが、嬉々とするタコピーにとってはどれも大切な記憶なのだろう。
ボールのような体を揺らすタコピーに落とす影。しずかが、地面に倒れ込む自身の影を揺らした。
「……ケンカしたの、友達と」
「あー!」
細々と、喉に入り組むじめっぽい空気へ吐息混じりにしずかが呟く。タコピーは対照的で、カンカン日照りの高揚で返した。
「ケンカしたお友達は……もしかして来翔くんだっピか? 人間はケンカすると、顔の色が変わるんだっピね!」
「……」
「ぼくも照れると真っ赤になっちゃうっピ!」
「……」
「来翔くんがいないのも、きっとしずかちゃんのハッピー紙を隠してるんだっピね。なら、それならおすすめのハッピー道具があるっピ!」
テッテレー!
「仲直りリボン!」
しずかを後ろにどんどんと走り出していくようなタコピーは懐から取り出したものを掲げた。
柔らかなピンク色のリボンが、結び目できゅっと形を作っている。その中心には星型に押し込まれた金色の丸い飾りが日光の光を受けて煌めいた。
まるで誰かと誰かを結ぶ。そんな可憐で優しい気持ちを包んだような道具。
「これを、しずかちゃんと来翔くんの小指をこのリボンで繋げば、すぐに仲直りができちゃうっピ! あ、しかも」
言葉を止め、タコピーが触手に収めてたリボンを宙へ投げ出す。すると、リボンの紐は大気を泳ぐようにするすると伸びていって、日の光で桃色を艶やかにした。
「これは丈夫で無限に伸ばすことができるから、遠くにいるお友達とも安心っピ! 来翔くんのお家はここから遠いんだっピか?」
頭を斜めにするタコピーがしずかにそう尋ねる。
そのとき、しずかの目にずっと、まだまだ伸びる気配のするピンク色の──丈夫な紐が目に飛び込んだ。
「──いいね。それ使いたい……」
「ほんとだっピか!?」
今度こそ、パタパタつばさのように途中で終わってしまうことはないだろう。それに二人ともハッピー道具を使えて笑顔満点になること間違いなし。
思えば思うほど、タコピーの目が光に照らされる水面のように嬉々としたものとなった。
それなら、
「じゃあ早速、来翔くんの……」
「自分でゆっくりやってみたいから──貸してくれる?」
「……小指に、リボンを結んで──え?」
『ハッピー道具の掟──。
道具を使うときは、必ずハッピー星人の目の届く範囲で使うのです。決して──
異星人の手に、道具を委ねてはなりません。』
「お願い、タコピー」
長く伸びてしまったリボンの終着がわからなくなり、出るのに戸惑うタコピーは迷った。
どちらを取るべきか。ママから言われた言いつけ──掟か。目の前で手を伸ばして求めるしずかの──願いか。
それは──、
それでも、しずかちゃんの頼みだっピ──!!
「貸すっピ!!」
紐が縮まり、元のこじんまりとした長さに戻ったリボンをタコピーが乾いた土色の模様のあるしずかの右手へ渡した。
「もしわからないことがあったら、いつでも聞きに来てっピ!」
「……わかった」
「来翔くんと仲直りできるといいっピね!」
「……。…………。……ぅん」
じっくりと考えるように、右手に渡されたリボンを見つめるしずかは力を落として相槌を落とした。
ふ……と来た道へ戻るしずか。背中にも同じような土色の模様が織り込まれていて、そのせいで小さな背中がより小さく見える。
「ばいばい……」
別れを力を抜いて吐息するしずか。歩くたびにリボンを持つ腕は揺れ、首もまた揺れる。
日照りの中、枯れ草が転がっていくように、しずかもまた来た道を戻って歩いていく。
歩いて。歩いて。歩く。
その後ろ姿を見送ったタコピーはまた公園の積まれた土管へと戻るも、気になる。
しずかちゃんのことだから、心配ないと思うっピが──
土管の上。まだ誰も来る気配のない道を気にしては、タコピーは視線を下げ、足元の暖かい土管をふみふみする。
……思うっピが。
しずかや来翔のような姿をした子どもたちの声も遠ざかった頃。タコピーは土管の影から顔を出す。
途端──見覚えのある人影が通った気もするけれど、タコピーは気にも止めずに物思いに耽っていた。
夕日が差し、かなかなと小刻みな音色を奏でる時間。騒がしくも楽しげな子どもたちは通学路を遡り、帰るべき場所へと帰る。
そこからだいぶ遅れて、また──見覚えのある人物が血相を変えて通った気もするけれど、タコピーは気にも止めずに──、
「ちょっとだけ!」
ちょっとだけ、心配になってしまったっピ!
短い触手。くねくねと力の定まらない足で、タコピーは公園を抜け出した。
風に攫われたにしては遅いピンク玉が道路の真ん中を通り過ぎる。それはタコピー。
はやる気持ちが背中を押して転けそうになるものの、タコピーは負けん気で足を前へ出して道を進む。
「ちょっとだけ……っ!」
*
見覚えのある景色。見覚えのある道。見覚えのある家。
日本家屋のしずかの家まで、タコピーはもう目の前までさしかかっていた。
ちょっとだけ、仲直りできたか気になるとかじゃないっピよ?
リボンが無限に伸びるぶん、からまっちゃうこともあるっピし……。そしたら、一人じゃ解くの大変だっピからね。
地を這い、門を越えるタコピー。
地を這い、空となっているチャッピーのお家も過ぎて、地面に放り出される青のランドセルも過ぎていくタコピー。
「手伝ってあげないとっ」
タコピーの体にしては登るのは難しい縁側。独り呟きながら苦しげに登りきったタコピーは木の廊下を跨いで、あたりを見渡した。
ぽたっ……
「しずかちゃーん。──あ!」
そこにいたのは、
ぽたっ……
「こんなところでお昼寝だっピか? 風邪ひくっピよ、来翔くん」
机のそばで腕を広げて寝そべる来翔だった。
仲直り無事済んだらしいっピね。
でも、こんなとこで寝ていたら体に悪いっピし、起こしてあげないと。
「来翔くん、こんなとこで寝たらダメだっピよ。あと、ぼく二人が今最高にハッピーになれたか聞きたいっピ!」
灰色の半袖パーカーに白のハーフパンツの来翔。その首に下がる紐は見当たらない。
触手を伸ばしてその来翔の右手に手を伸ばすタコピー。
赤らんだ来翔の手をタコピーがつつき、揺れる。けれども力なく揺れるだけで、来翔の瞳が開かれることも、返事が返ることもなかった。
「来翔くん?」
来翔くんが動かなくなっちゃったっピ?
確かに、ケンカは疲れちゃうっピからね! おやすみしちゃうのもわかるっピ。
けど……
「来翔くんの頭にある──なんか赤いのって、なんだっピか?」
目を閉じて眠る来翔の頬に、来翔の手より少し小さい赤い手形が付いているのだ。
それに、床につける来翔の後頭部からジクジクと赤い液体が染みている。
怪訝そうにタコピーが手を伸ばしてみれば、それは少し黒っぽい赤いもので、わずかにねっとりとした感触。
ギィ……
「来翔くん」
ギィ……
「来翔くん」
ギィ……
なら、と。今度は土で汚れた靴を揺すって呼んでみるタコピー。だが、返事はない。
帰ってくるのは、カナカナと涼しげな空気と共に吹き抜けた部屋へと入り込む鳴き声。それと、頭上から聞こえる──軋み。
「しずかちゃん?」
音の正体と言えば、それくらいしか覚えがないタコピー。
触手の先に赤をつけたまま、タコピーは机の、赤い液体で角を濡らす机を通り過ぎて暗い天井を見上げた。その途上、見覚えのある足が目に入る。
しずかの足だ。
「しずかちゃん? 何やってるんだっピ?」
見上げた先、宙に浮くしずかちゃんが来翔を見下ろすようにそこにいた。いや、見てはいない。わからない。しずかの顔は夕日がによって影のコントラストを強めさせて包み隠していたから。
力なく、四肢をだらけさせるしずか。首を支点とする揺れは残っていて、動くたびに柱に結びつけられたもの──ピンク色のリボンは呻き声を上げた。
「そのリボンは、柱に結びつけてもしょうがないっピよ?」
そっと、タコピーは空中に揺れるしずかへ諭す。だが、来翔と同じように返事は返ってこない。ただただ、空虚な沈黙が漂い続けた。
「もう一度使い方を説明するっピ。大丈夫、降りてきていいっピよ?」
近場にあったダンボールを運び、登ったタコピーは床へと下がる足をつついた。
「しずかちゃん」
ギィ……
揺れるだけで、何もない。
「しずかちゃん」
ギ、ギ……
今度は足首まで触手を巻きつけ、下へとタコピーは少し引っ張ってみせる。
リボンは下にかかる力に合わせて喚き、もう少しで解けそうだ。
「しずかちゃん」
ギ──
「しず──」
ヒモが柱から解け落ち、床へ落とされるしずかの鈍い音でタコピーの声がかき消される。
叩き落とされるように床へ投げ出され四肢を広げるしずかを、タコピーは目で追って黙り込む。黙り込んだ。
落ちたしずか。床で寝そべる来翔。二人は顔を見合わせて、タコピーの触った赤と同じように濡れたしずかの右手が、寂れた来翔の左手と重なっている。
でも、二人は動かない。気配が薄い。ただ、動かない。ずっと、ずっと。
「……。っ? ──!」
強張らせて、ダンボールの上から後ずさるタコピーが落ちかけたとき時間が動き出した。
後ろへと引っ張られるように縁側の柱まで顔色を変えるタコピーの目は動揺でわなわなとする。追いつき難いものが理解として追いついた。
二人は、二人は──、
死んだ?
顔を覗き込むタコピーは何度も二人を見比べた。
なんで? なんでなんで? なんで死んだ?
二人が寝転がる部屋。昨晩とは打って変わって散らばった部屋。赤いカバンは無造作に投げ出されていて、教科書に至ってはてんてんとしていた。強いてわかるのは、それが来翔のいる方へ集中していること。
しずかちゃんが……来翔くんが……死んだっピ。頭には赤いのと、しずかちゃんの首にはリボンが巻いてあって……
泳ぐ目が夕日を反射して来翔としずかの間で煌めく金色に集まった。リボンだ。今朝タコピーがしずかへと渡した、仲良しリボン。
ぼくの紐っピ。仲直りに使うための──
『決して異星人に──』
「ぁっ……」
『──道具を委ねてはならない』
思考の湖に落ちてくるたった一つの言葉。『掟』が波紋を作って、タコピーの目を白黒させる。
掟。ぼくが……破ったから。
掟。掟。掟。
かき乱される思考の水面は落ち着くどころかどんどん波打っていく。
胸中に渦巻く罪悪感が、タコピーの足を前へ前へと動かせた。逃してはならないと言っているように、タコピーを来翔としずかの前に進ませる。
その日はずっとじめついた日だった。太陽はさんさんと地面を焼いて、鳥たちは曇りなき大空に翼を広げて家へと帰る。虫たちが乙女へと送る恋文を歌いあげている、いつもの夏。
「ごめんね……」
床へ落ちる、タコピーの言葉。声はか細く、喉の奥で言葉が掠れている。
俯いたまま、二人の重なる手に触手を伸ばすタコピーの顔は影となっていてわからない。
声と閑散とした小さな後ろ姿は、震えていた。
「ごめんなさい……」
*
*
あまねく宇宙において、死は等しく平等に定められ、覆す手段は存在しない。
いついかなる叡智の道具であっても、死者を蘇らせることは叶わない。
でも……
『──これで写真を撮るっピと……』
『──スマホの方が良くない?』
『──だって、ハッピーカメラだから』
「そうなんだっピ」
脳裏に響く思い出の声にタコピーは一人、しずかと来翔であった公園で返した。返せなかった言葉を。
「このカメラには、特別な機能があるんだっピ」
積まれた土管の上で、タコピーは瞳に溜まって落ちるものをそのままに震え声で紡いだ。
カメラを持ち、タコピーが紙面に収まった『思い出』を取り出す。
この写真にはいても、もう『ここ』にはいない、二人の写った記憶。
「タイムカメラ機能。保存できる写真は一枚だけだっピが、それをカメラに読み込ませると──」
風に飛ばされてしまいそうな綺麗な記憶。それをタコピーはカメラ上部のスリットに──切り取った思い出を吐き出す場所に差し込んだ。
「その写真を撮った瞬間に──戻ることができる」
迷いなく、ピンク色のカメラの横にあるボタンがタコピーによって押される。その瞬間、『思い出』がカメラの中に戻っていき、小さい時計の針もまた巻き戻っていく。
記憶の中にあるものを媒介とするそれは、虹色の極光を生み出して大空を漂い始めた。
──ハッピー星より着陸七日。
太陽系第三惑星『地球』
知的生命体『人間』
君たちの言葉で、自ら命を断つことを『自殺』というらしい。
そして、誰かの手で命が奪われることを『殺される』というらしい。
なぜそんな行為が存在するのか。なぜきみたちは喧嘩をし、自らを殺してしまったのか、ぼくにはわからない。
でも。だからこそ──、
「わからないから……聞きたいっピ」
流れる熱を持った感情が灰色の土管にシミを作る中、タコピーは流れ出る記憶の破片を見つめた。
喉が擦れて、目が痛くても、タコピーは決して目を逸らさない。
「たくさんお話しして、もっときみたちを知って……」
枷が外れ、思い出は鮮烈な光となってタコピーを包み込んだ。
その奥。いつも並んで返っていく二人の背中。赤と青の鞄を並ばせて、ただまっすぐと歩いている。
ただまっすぐと、終わりのない地平線の奥へと。
──差し込む虹の黎明。
照らされる二人の横顔。
天弓の世界に包み込まれる中、まっすぐと見つめるタコピーに、記憶の中の二人が振り返る。
「死んじゃわなくて済む未来を、一緒に考えたいっピ」
──しずかちゃん。
驚いたように眉を上げる二人。
──来翔くん。
息を吐いて、顔を緩める二人。
──二人に、明日こそ笑ってもらえるように──!
全てが真っ白に塗りつぶされる中、来翔としずかが、確かに──
笑って──
*
*
オレンジ色に染まりつつある夏色の空。
熱烈なまでの歌唱を響かせる蝉の音を背景に、来翔としずかが首を傾げる。
「タコピー?」「タコピー?」
二人の肩の上。カメラを持ったまま、タコピーが柔らかい体を固めて止まってしまっているのだ。
カメラを持ったまま、点のようにつぶらな瞳を虚空に向けたまま。
反応のないタコピーに首を傾げる来翔は落ちそうになるタコピーを肩から拾い上げて腿へ落ち着かせる。
「急にどうしたの? カメラ持って固まっちゃって」
「……」
「ねぇ……」
呼びかけても反応のないタコピーに痺れを切らすしずかが、人差し指を立てる。そのまま来翔の腿で置物用に固まるタコピーの頬に吸い込まれるように突いた。
一度ならず二度。チョンチョンと頬に押され、痕を残したまま首をそっぽ向かせるタコピー。
びーっ
「……ピ」
駆動音を鳴らすカメラの上から写真が吐き出されるのと同時に、タコピーが反応を示して頬に残っていたしずかの突いた後が膨らむ。
「……あ、そうそう。カメラだっピね。できたっピ写真が」
ひらひらと空気に阻まれながら舞い降りてくる一枚の紙。──写真。
吸い込まれるようにタコピーの触手へと、その写真が収まった。
「へー、いい感じに撮れたじゃん」
「……そうっピね」
頭上から写真を覗き込む来翔に、タコピーが力無く呟いた。
タコピーは、よく見てみる。
左にいる、控えめな笑みを浮かべてタコピーに頭を預ける来翔。
右にいる、ぎこちない表情を浮かべながらも身を任せているようなしずか。
真ん中にいる、窮屈そうにしながら溌剌とするタコピー。
二人がいる。こうして話ができている。それだけで、タコピーはえもいえない波に襲われた。
「……。……っ……っ」
「タコピー?」
返事のないタコピーに訝しげな面持ちになるしずかが小首を傾げた。
その声に瞼がはじけると、タコピーは顔を左右に思い切り振って来翔の太ももから飛び降りる。
「な、なんでもないっピ」
「そう……」
タコピーの返事は歯切れの悪いものであったが、しずかはそれ以上踏み込まず、土管から腰を離す。
ランドセルを背負い直して、しずかの足先は公園の出口へと向いた。
「そろそろ下じき買いに行かなきゃ」
「ピ! しずかちゃん!」
どんどんと離れていくしずかに、ない肩を跳ねさせるタコピーが声を張った。
耳に飛び込んだ、何か必死そうなタコピーの声にしずかは眉を寄せて振り返る。
「あ、えっと……そのっピね?」
「しずかちゃん。ちょっとだけ……タコピー待ってあげて」
「…………? ……ちょっと、だけね」
言い出すはいいものの、理解が口で滑ってどもってしまうタコピー。そこに、土管から降りて尻を払う来翔がソワソワするしずかに待ったをかける。
後ろからの追いついた言葉にタコピーは後ろへ振り返ると、来翔がひざまづいて見ていた。透き通るような、見透かすような濃色の瞳で。
「──タコピー。困ってる?」
「ピ……!」
予想だにしない来翔の一言に、体をわずかに跳ねるタコピーは息を呑んだ。
ただ、気づいてももう遅い。タコピーが取り繕うよりも先に、態度を目に留めた来翔は動いていた。
両手を伸ばされ、タコピーは体をこわばらせて目を固く瞑った。だが、あるのは少しの浮遊感の後に来る包み込まれる優しい感触。
「──大丈夫。タコピーは、一人じゃないよ」
「ピ」
タコピーを両手で包み込んだ来翔が、胸元へ抱き寄せていた。頬をつけて、寄り添うようにして。
時を駆けたことでか、タコピーはどこか閑散とした寒さを感じていた。しかしそれが、一人の生命の温もりによって抱きしめられて、温められる。
来翔くんは……ぼくが戻ってきたのを、知ってるんだっピ……?
「タコピーのこと、ぼくはまだ全然わからない。けど……きみの後ろ姿が、なんだかさみしそうだったから」
囁くように、ゆりかごを揺らすように囁くタコピーに来翔。
タコピーは当然、来翔の行動に疑問を抱いた。だが、心中で響いた言葉はあっさりと落とされてしまう。
来翔はただ、タコピーの気配がどこか寂しかったからを抱きしめて撫でたのだ。ただ、それだけだったのだ。
「来翔くん……もう、大丈夫だっピ」
「そっか……」
少し名残惜しげに息を吐いた来翔は腕を解いてタコピーをゆっくりと地面へ降ろした。
仕方なさそうな目つきで口元を緩ませる来翔は、もう空元気のようなタコピーがそこにいないことにそっと安堵する。
「ねぇ……それでタコピーは何を言いたかったの?」
「ピ!? そうだったっピ! しずかちゃん、来翔くん!」
待ちくたびれたとばかりにへの字に口を曲げるしずかに、タコピーが冷や汗を浮かべて本題へ飛び込んだ。
「……ぼくを明日から、いっしょに学校に連れて行ってほしいっピ!」