「英雄伝説」の残る世界にTS転生した   作:TF最新作待ってます

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#5 調整中。

 

 

 薄暗い部屋の中央。

 私は、ガラス管のような透明な拘束チューブの中、全身を多関節アームに固定されていた。

 

 関節を外されたように、四肢は無防備に広げられている。

 人工皮膚の下に差し込まれた多数のプラグが、コードを通して私の神経に接続されていた。

 周期的に流れる微弱電流が、体の芯をじんじんと震わせる。

 

 ──やめてほしい、本当に。

 

 これは“調整”と呼ばれる作業。身体は痛くない。

 けれど、無力で冷たく、羞恥と支配しか感じないこの拘束──私は何よりこれが嫌いだった。

 

 かつて、私は現代日本の、ごく普通の男だったはずだ。

 靄のかかった記憶の中で、自分がどんな人間だったのか、はっきりとは思い出せない。

 ただ──人生を「退屈でつまらない」と感じていたことだけは、妙に鮮明だった。

 

 それでも、家族がいて、友人がいて。

 平日は仕事、土日は泥のように眠って過ごして。

 連休は気の合う相手と惰性にまかせて時間を潰して……そんな日常があった。

 

 それがどれほど「自由」で「温かい」ものだったか──今になって痛感するなんて、皮肉もいいところだった。

 

 でも。

 そんなことを言えるはずがない。

 

 命令を拒めば、何をされるか分からない。

 “創造主”を名乗る存在に、私は命も身体もすべて握られている。

 

 ──そう。

 

 私は「組織」の所有物で。

 誰かの作った道具で。

 この施設の中では、ただ黙って指示に従うしかなかった。

 

 そんな私の、わずかな慰めが「デュエルモンスターズ」だった。

 

 負ければ重大なペナルティ、勝てば相手のカードが抹消される──私に求められたのは()()()()()()()()()()()()()()()デュエルだ。

 けれどそれは、ようやく手に入れた「自由」だった。

 私は“命”。相手は“今後のデュエリスト生命”。

 互いの賭け金(チップ)は同等と言える。それは逆に、私に「対等に戦おう」と開き直るチャンスを与えてくれた。

 

 ──忖度も、イカサマもない。まっさらな正々堂々の勝負。

 

 負ければきっとそこで終わり。

 でも、こんな末期な世界で死ぬのなら、せめてデュエルで。そう思った。

 

 結果どうなったかは、ここにいる私が示している。

 私は勝ち続けた。組織にとっては、それがすべて。

 再現性のある勝利さえ見せれば、誰も文句を言ってこない。

 

 だから私は、もう少しだけ──この“クソみたいな世界”を楽しめる。

 

 そして、昨日。新たな“喜び”が、たったひとつ増えた。

 

 ジョニーとの、あのデュエルだ。

 

 昨晩繰り広げたばかりの一戦を、記憶の中で何度も繰り返し再生してしまうほどに、彼の姿は鮮やかに色褪せない。

 

 ジョニーは、強がりで、どこか未熟で、でも真っ直ぐだった。

 力だけではない。“意志”と“信頼”で戦う、眩しい存在だった。

 

 ……知っていた。原作知識から、彼がそういう人間だと。

 でも、会えてよかった。

 この世界に、あんなふうにデュエルする人がいたことが、本当に嬉しかった。

 またデュエルしたい。もっと見たい。もっと──

 

 ──カシャン。

 

 音がして、意識が現実に引き戻された。

 スライドドアが開き、空気が入れ替わる。

 

 鼻を突く、人工的な甘い香り。

 調香された高級香料──“奴”がいつも纏っている匂い。

 

 足音が一つ、ゆっくりと近づいてくる。

 

 あの男だ。

 

 

「やあ、お帰り。ご苦労だったね、アナスタシア」

 

 

 この世界で目覚めた私が、最初に出会った人間。

 そして、自らを“私の創造主”と名乗った──組織の「総帥」。

 

 質の良いスーツに身を包み、気品すら漂わせる佇まい。

 整った鼻筋、柔和に笑む口元──だが、瞳の奥には猛毒を孕んだ冷たい光。

 

 その声に、初対面のときの高圧的な雰囲気はない。

 妙に柔らかく、甘やかすようでいて、底に冷たさを忍ばせた、絡みつくような声音。

 ハッキリ言って気味が悪い。

 

 

「これまでにお前が倒したシンクロモンスターのホルダーの数は……実に22。素晴らしい。目覚ましい活躍だ」

 

 

 機械で組まれたような褒め言葉。

 私は感情を抑え、形だけの礼を述べる。

 

 

「……光栄です、総帥。ご期待に応えられて何よりです」

 

「フフ、ちょうど昨日も、この世界のために戦ってくれたのだろう?」

 

「……はい」

 

 

 ──独善的に押し付けて来ておいて、なーにが「この世界のために」だ。バカタレ。

 

 心の中では中指を立てまくりだが、表情は変えない。

 男は、愉しげに続ける。

 

 

「偶然だが、ネオ・セキュリティが作成したこの報告書──ハッカーチームに保安局のデータベースから抜かせたばかりでね。見てごらん」

 

 

 男がタブレットを操作すると、ホログラムが展開され、冷たい青白いウィンドウが宙に浮かんだ。

 

 

________________________________________

【調査記録:ネオ・セキュリティ 保安局 事件記録 No.5963】

発行者: ネオ童実野シティ保安局 捜査部

分類: 未解決事件(通称『シンクロ狩り』)

機密区分: レベル2(関係者のみ閲覧可)

________________________________________

発生日時: 2XXX年 10月26日 02:12

被害者: プロD・ホイーラー(男性・27歳)

発生地点: ネオ童実野シティ・沿岸部 デュエルレーン R-08

概要:

深夜のテスト走行中に、黒いD・ホイールのデュエリストと接触。

強制的にデュエルへ移行し、敗北。

デュエル終了後、エースシンクロモンスター《宇宙(そら)(とりで)ゴルガー》が消失。

被害者の記憶は混濁状態。事件が発生した時間帯、当該区域にて電波遮断と監視カメラのノイズ発生を確認

________________________________________

 

 

 ──ああ、これか。

 ジョニーと出会う前に“狩った”男の件。

 

 《宇宙砦ゴルガー》。

 消したカードは記憶と一致している。捏造ではない、正真正銘の記録だ。

 

 

「どうだろう? ネオ・セキュリティも、救世主の足跡をこうやって記録してくれている……まったく、正義の味方というのは、つくづく人気者で困ったモノだ」

 

 

 嘲るような言葉と、白々しい賞賛。

 ──だから、こういうところが嫌いなんだよ。

 

 私はうっすらと目を細めながら、黙って男の次の動きを待った。

 

 

「……ところで、アナスタシア」

 

 

 声が変わった。

 先ほどまでの柔らかい調子が消え、張り詰めた静寂を孕む低音へ。

 

 

「この日、お前はもう1人、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 来たか。

 “その話題”。

 

 私は視線を男に向けるが、何も答えない。

 

 

「ネオ・セキュリティのこの日の記録では、『シンクロ狩り』の被害報告は、この1件──ただの1件だけだ」

 

 

 言葉を噛みしめるように、男は言った。

 その奥にある怒りが、表面を突き破ろうとしている。

 

 

()()()()。チーム・ΔのプロD・ホイーラー。あの日、お前はこの男とも戦ったはずだ……だが、その痕跡が、どこにもない。保安局のデータベースにも、非公式な情報網にも、だ」

 

 

 男の表情から、余裕の仮面が剥がれかけていた。

 苛立ち。焦燥。そして、警戒。

 

 

「──彼のシンクロを“消してこなかった”な?」

 

 

 その問いに込められた圧。

 “嘘は許さない”という、露骨な脅し。

 

 私は、静かに息を吐く。

 

 ──さあ、どう切り返す?

 

 ジョニーとのデュエルがこの男に露見しているのは、私のデュエルログを閲覧したからだろう。

 だが、そこに残っているのは棋譜(デュエル展開)だけ──ターンごとの手、カードの処理結果。

 “なぜそう動いたか”までは、誰にも読めない。付け入る隙は、そこにある。

 

 

「──任務内容に明記されていませんでした。彼は昨日のターゲットではなかったため、勝利後に『見逃す』という判断を下してしまいました。貴意に添いかねてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」

 

「ふむ……プログラムされていない事態への対処法を、お前は“持たなかった”。そういう理解でいいのかな?」

 

「はい」

 

「……教育不足というわけだな」

 

 

 男はスーツの襟を正しながら、わざとらしくため息をついた。

 どこか芝居がかった所作。いつもの調子が戻ってきたらしい。

 

 

「私は未熟です。正しい指示があれば、今後は従います」

 

「まるでロボットのような回答だ。まあ、ロボットか」

 

 

 軽く笑うその様子には、どこか悦に浸っている気配が滲んでいた。

 

 ──そう思っていろ。今はそれでいい。

 油断してもらった方が私には好都合だ。

 

 そんな考えとは裏腹に、身体は強張っていた。

 男の愉し気な笑みの裏に──私は確かな雲行きの怪しさを感じ取っていた。

 

 

「しかし、理由が何であれお前が独断で動いたのは事実。故に、再発防止の観点から、お前に新たな『枷』をつけることにした。この調整も、そのためのモノなのだよ」

 

「それは一体、どういう──っ!」

 

 

 聞き出すより先に、異変が起きた。

 

 

>REMOTE ACCESS DETECTED(リモートアクセスが検出されました)

 

 

 転がされた四肢から「何か」が私の中に流れ込んでくる。

 

 

> src : DEL_SYS/central/root

> dst : ANASTASIA.exe (locked)

> auth : root_override

 

[SYSTEM]:優先制御を奪取。ユーザー操作を一時停止

 

 

 ──いや。嫌っ。

 

 

> installing SENSE_LOGGER.dll(感覚記録モジュールをインストール中)done(完了)

 

[SYSTEM]:〈SENSE_LOGGER〉有効化。《視覚/聴覚ログ》を定期記録・送信します

[SYSTEM]:ローカル側での記録停止・改竄は不可能です

 

 

 視界がじわ、と白んだ。

 網膜の裏と鼓膜の奥に、新たな回路が焼き付けられるような、微かで不快な感覚があった。

 これが男の言った「枷」だと、直感的に理解した。

 

 

「……私のからだに、何をしたんですか」

 

「そう怖がるな。“君の見る世界を私にも共有してほしい”と思っただけだ」

 

 

 ログを見る。私の独断の対価が、そこには書き記されていた。

 “《視覚/聴覚ログ》の定期記録・送信”──命だけじゃない、私が見聞きするモノさえ、これからは奴の管理対象ということだ。

 ……きっとこうなると、わかっていた。でも、どうして、こんな……。

 

 

「無罪放免という訳にもいかない。それ故の処罰だ。悪く思わないでくれたまえ」

 

 

 俯いたまま、沈黙。何も言い返す気になれなかった。

 

 

「ふむ……よく聞け、アナスタシア。私はお前をただの“兵器”などとは思っていない。

 君は実に優秀だ。他の個体とは出来が違う。私の最高傑作だよ」

 

 

 ──賞賛。私に対する、肯定的な言葉。

 訝りつつも、顔を上げる。

 私へのただの飴か。それとも、罠の序章か。

 

 

「君は“強い意思を持てるように”設計されている。他の個体には不可能な任務が、君ならこなせる」

 

 

 “設計”。

 その言葉が、私の思考に楔を打ち込む。

 

 私の“意思”の源泉──前世の記憶すら、この男の手のひらの上で踊るための、ただのプログラムだというのか。

 「自由になりたい」と願うこの心さえも、初めから“植え付けられた幻想”なのか?

 もしそうなら私が信じる「私」とは、一体──。

 

 いや……今までの奴の素振りからして……きっと、私の前世は関係ない。

 

 落ち着け、そんなことよりも気にすべきことがある。

 この男がここまで言ってくるということは、もう確定だ。

 次の「命令」が、来る。

 

 

「──それでは、本題に入ろうか。お前には新たな指令が下る」

 

 

 案の定だった。男は背後に向き直り、ホログラム操作卓に数ステップ入力した。

 白い光の帯が宙に浮かび、新たな施設の設計図が浮かび上がる。

 

 

「これからの任務に備え、我々はセーフハウスを外に用意した。

 市街地のタワーマンション、その高層階だ。周囲の目に晒されることになる」

 

「……偽装任務ですか? それとも、囮?」

 

「違う。“生活”をしろ、ということだ」

 

 

 命令の意図が掴めず、眉がわずかに動いた。

 自覚して、すぐに抑える。

 

 

「……理由を、伺っても?」

 

「デュエルは、意志のぶつかり合いだ。人間のような『心』が、勝敗に影響を及ぼす。それがデュエル兵士のお前には必要なのだよ」

 

「私はアンドロイドです。感情も意思も──」

 

「それはついさっき言っただろう? 『君は“強い意思を持てるように”設計されている』」

 

 

 男が、私の方へ一歩近づく。

 香料の甘い香りが鼻を突いた。

 

 

「この世界を知れ。守るべきものが、何なのか。理解しろ。そしてそれを壊す覚悟も、同時に身につけろ」

 

 

 沈黙が落ちた。

 鼻腔をかすめるのは、かすかに甘く湿った香り。

 視線を落とした睫毛が、微かに揺れた。

 

 

「……承知いたしました。指令に従います」

 

 

 自分の声が、わずかに震えていた。

 

 ──不安、か?

 違う。もっと曖昧で、名前のつけられない感情が、胸の底にゆっくりと沈殿していた。

 

 男はその返答に満足げに頷き、ホログラムを切った。

 

 

「部屋の内装や家具は既に整っている。必要な生活物資も定期的に補充される。お前はただ、“そこで暮らせば”いい」

 

「具体的な任務は?」

 

「今はまだ、ない。だが“時”が来れば連絡する。──お前にはその“時”を自分で察知してもらいたいと思っているが、ね」

 

 

 その言い回しには、またしても含みがあった。

 明示的な命令ではなく、曖昧な期待。

 まるで私の反応を観察しているかのように。

 

 ──それを「自律性のテスト」と呼ぶべきか、それともただの“監視”か。

 

 男は私の収まったガラスチューブにそっと手を添えた。

 まるで、優しさを演出するかのような仕草で。

 

 

「君ならできると、私は信じているよ。アナスタシア」

 

 

 その声色の端に、作り物めいた温度を感じた。

 だが、疑問は胸の奥に押し込めた。今はそれを問いただす時ではない。

 

 ──生活。

 

 “兵器”に与えられたには、あまりに奇妙で、人間的すぎる命令。

 けれど、そこには確かに微かな“自由”の匂いがあった。

 

 全てが記録されると知っていても、なお。

 誰かのシナリオの外で、不確定な日常に触れる、ほんの短い時間。

 もしこの手触りを“自由”と呼ぶのなら──

 

 私は、きっとそれを知りたいと、強く思っている。

 

 

「──ああ、そうだ。新たな任務に先立って、紹介しておこう……入って来たまえ」

 

 

 スーツの男が思い出したように声をかけると、背後のスライドドアが開いた。

 姿を現したのは、長身の青年だった。

 

 トゲのように逆立った前髪と長いもみあげは青紫色、後ろ髪はきれいな光沢のブロンドで、ポニーテールにまとめられている。

 そして、厚いレンズの瓶底眼鏡。

 

 ──随分と個性的な風貌だ。

 だが、こうした外見の人物が“紛れている”のがこの世界の常識でもある。

 前世の感覚で考えてはならないと、改めて自分に言い聞かせる。

 

 

「『職員ID-01204』……彼はお前の外部での生活のサポーターであり、“監視員”だ。今後の付き合いも長くなるだろう。仲良くするように」

 

 

 青年──職員ID-01204は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、静かに、ほんの一瞬だけ会釈した。

 

 ──たったそれだけ。

 

 眼鏡の奥にある感情は、光の反射にかき消されていた。

 だが、目が合った気がした。

 

 その視線に、ごく僅かな熱量──不思議な重さを感じた。

 

 ()()()、と背筋をなぞる感覚。

 

 名前も、所属も語られない。

 それでも、なぜかその眼差しには、“他の誰とも違う何か”が宿っているように思えた。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 新しい生活が始まって、今日でちょうど2週間。

 

 けれど、“生活”という言葉を使うたびに、強烈な違和感を覚える。

 これは本当に「生きる」と言えるのだろうか?

 

 朝、目覚ましで起きて、外出し、人々の中に紛れ、決められたルーチンに従って行動し、夕方にはセーフハウスに戻る──

 それだけの繰り返しを、私はただ淡々とこなしている。

 

 与えられた拠点。定められた移動経路。接触対象との自然な会話、すなわち「演技」。

 全ては記録され、提出しなければならず、後から評価される。

 

 組織の施設外部での行動を命じられて以降、追加マニュアルが共有された。

 意識しておくべき新項目は、2つ。

 

 【逸脱行動の記録と対処】──そして、【視聴・聴取した全データの提出義務】。

 

 ジョニーの一件での独断専行の代償だ。

 彼を見逃したことに後悔なんてないが、──それでも、気が重くなる。

 

 

【逸脱行動の記録と対処】

■ 対象の処遇における情動の優先は禁止。命令は絶対であり、例外は認められない。

■ ただし、例外が“発生する可能性”は常に考慮すべきであり、その兆候を記録し、報告すること。

 

【視聴・聴取した全データの提出義務】

■ 外部環境での活動に関して、視覚・聴覚機能によって得た記録を、ビデオ形式で定期的に提出すること。

■ 思考・感情は、生データとしての取り扱いが技術的に困難であるため、これを提出義務対象に含まない。ただし、自己認識向上のため、何らかの媒体への記録・提出を推奨する。

 

 

 “感情は想定されている”と同時に、私は今後、自分の“耳”と“口”にまで組織の目を意識しなければならなくなった。

 

 ──これは私への監視強化であると同時に、私に監視者としての任務が与えられたということでもある。

 まるで私自身が「カメラ」となって、日常という名のフィールドを記録しているかのようだった。

 

 私は、モールの2階通路を歩いていた。

 アトリウムには自然光を模した照明が降り注ぎ、人工の木々とベンチが並ぶ。

 通行人の会話、子どもの笑い声、フードコートから立ち上る香り。

 

 ──香り。

 

 それは、ほんのわずかに、私の“中枢”を揺らす。

 

 ……そういえば、私はこちらの世界に来てから、まだ一度も何も口にしたことがない。

 摂取機能は確かに存在している──この身体の設計図からも、それはわかっていた。

 だが、何を、どれを、どう摂るのか。そもそも摂っていいのか──。

 

 起動後にそれを“教えられた”ことは、一度もなかった。

 つまり、それは「不要」と見なされていた、ということだ。

 

 この肉体は、戦闘維持のために調整されている。

 “空腹”という感覚はない。

 でも──この香りは、なぜか私の中に「反応」を起こした。

 

 少しだけ足を止める。

 フードコートに並ぶ屋台型の店舗。スパイスの利いたスープの匂いが、私の中の何かをざわめかせる。

 

 ……いや、やめておこう。今は、必要のない感情だ。

 

 それよりも、人間として社会に紛れるには、「所属」が必要だった。

 買い物ひとつ、通話ひとつにも、出所の明確さが求められる社会。

 戸籍はある──組織が用意した、偽造された“少女”の人生。

 だが、実体のない学籍番号や保護者の欄では、今の私はどこにも属していないのと同じだった。

 

 だから私は、“労働”を選んだ。

 

 最初に検討したのは、飲食業。だが、真っ先に除外した。

 

 ──理由は単純。先ほど言ったとおり、私は摂食しない。

 仮に店のまかないを「良かったら、どう?」と聞かれた場合、それだけで詰みかねない。

 その場しのぎで“食べる”手もあるだろう。

 でも、身体に異常が出るかもしれないという、漠然とした恐怖があった。

 

 色々と考えて、カードショップのバイトに落ち着いた。

 自然な帰結だったと思う。

 この世界を支配するカードゲーム──デュエルモンスターズ。私の生き甲斐。

 私の前世と今を繋ぐ、唯一の“それ”を扱う店。やりたくないわけがなかった。

 

 このモール2階のショップに、私は週4日、午後から閉店まで勤務している。

 店長は、私の“外見”と“()()()()()()”をすんなり受け入れてくれた。

 

 ──制服の着用は宗教上NGです。

 そう告げると、彼は苦笑しながらも、「個性がある方が客ウケはいい」と言って許可をくれた。

 

 ──黒いエプロンと、ワンピーススカート。

 ──ヘアバンド付きの、レースのヴェール。

 さながら、“シスター”のような格好を、今の私はしている。

 

 この外部での生活において、総帥は「まだ具体的な任務を下さない」と言った。

 しかし、いつその“時”が来てもおかしくない。

 丸腰だろうと私の戦闘力は十二分だが、備えておくに越したことはないはず。

 

 この服は、その点において非常に都合が良かった。

 「宗教上の理由」という建前を使えば、身体の自由を奪う画一的な“制服”の着用を避けられる。

 そして何よりも、これなら暗器を忍ばせるのも容易い。

 

 けれど、そんな理屈とは裏腹に──

 この格好をしている自分を、“少しだけ気に入っている”と気づいたのは、つい昨日のことだった。

 

 

「……ん、店長。今からシフト入ります」

 

 

 自動ドアをくぐってすぐ、私は一言だけ店長へ声をかける。

 

 奥のカウンターにいたTシャツ姿の中年男性──店長は、私の姿を認めると破顔し、軽く手を上げた。

 

 

「あいよ。()()()()()、今日もレジ番お願いね」

 

「了解です」

 

 

 出会ってまだそんなに経ってもいないのに、随分と気に入られたモノだ。

 私がシフトに入るようになったここ数日の客の入りが“結構良い感じ”らしいからだろうか。彼としては幸運を呼ぶ招き猫を拾った感覚なのかもしれない。

 

 私としても、人に好意的に見てもらえるのは、素直に嬉しかった。

 

 レジカウンターの中へ入り、ヘアバンドを整えながら店内を一瞥する。

 空調はやや強め。テーブル席には学生たちが何人か座っており、パックの開封で盛り上がっていた。

 バインダーに収める子。デッキ構築に勤しむ子。カードをスマホで撮影している子。

 誰も私を気に留めない。ただの風景の一部として、私はそこに溶け込んでいた。

 

 ──演技は、うまくいっている。

 

 だが、ほんのわずかに、自分の表情筋がゆるんでいるのを、私は自覚していた。

 この「仕事」は、たしかに私の中で、“任務”ではない何かになりつつある。

 

 それが感情なのか、それとも錯覚か。

 判断はまだ保留にしておく。

 

 私はキャッシュドロワーを開き、釣銭の準備をしながら、静かに呼吸を整えた。

 

 ──今日も、何も起きないといい。

 

 そう思った直後だった。

 

 ふと、入り口のセンサー音が鳴る。

 

 私の顔に、強い影が差した。

 

 ──大きい。

 

 無意識に顔を上げる。

 

 そこにいたのは、青年だった。

 身長はおそらく2メートル近く。全体的にがっしりとした体格。

 Tシャツの上に羽織ったジャケットとジーンズ。肩口まで下ろした青髪。

 

 

「あの! 新弾のカードパックって、入荷してあり……ま…………」

 

 

 灰の瞳と目が合った。

 

 

「あ」

 

 

 押し殺したつもりの声が、意図せず口を突いた。

 その音の主が私と彼のどちらだったのか、判然としない。けれど──

 

 少なくとも「彼」の考えていることは、その表情がありありと物語っていた。

 

 ──どうしてキミ(シンクロ狩り)が、ここに?

 

 ()()()()()()()()

 この取り立てて語ることもないカードショップに。

 

 ラフな格好は、アニメ5D’sの登場人物「ブルーノ」で知られる姿と相違ない。

 きっと、今この世界を生きている彼の“オフの日”あるいは“お忍び”の姿……なのだろう。

 

 心の奥底に沈めていた何かが、ふっと跳ねた。

 また会いたいと思っていた。ひょっとしたら会えるかもって、期待していた。

 

 けれど、これは──まずい。かなり、まずい。

 今の私は「ただの少女」としてここにいる。

 組織からの不可思議な命令に従って、ここに立っている。

 

 ──だが、あの日の夜。彼とのデュエルの最中……飛び石事故が起きた。

 私のバイザーが砕け散った。私は、()()()()()()()()()()()()()()

 その事実が、非常に良くない。

 

 組織の命で「ただの少女」でなければならない私が、もしも「シンクロ狩り」であると民間人に露見してしまったら……どうなってしまうのか想像に難くない。

 

 総帥に誤魔化しは、きっともう効かない。

 今の私には【視聴・聴取した全データの提出義務】が課せられている。

 私が見聞きしたジョニーの「表情」が、「声」が、私の失敗の何よりの証拠になるだろう。

 

 この状況はピンチだ。

 私はジョニーを相手に、「何も知らないただの店員」を、完璧に演じ切らなければならなくなった。

 

 ──いずれにせよ、言葉を交わすしかない。

 レジ越しに、私は微かに口元を引き締めた。

 

 

「いらっしゃいませ……カードパックのご購入、ですね?」

 

 




某キャラは原作での経歴がほとんど不明なので、拙作では捏造で盛りに盛ることにしました。
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