男とも女ともいえない人の体に、ワニの如き頭部、死者を呼び戻す力。
最初の吸血鬼の誕生を書いたオプカルス・ラマエ・バルによれば、彼のものは残酷な陵辱の王であるといい、かつてダンマーの現人神として崇められたヴィヴェクの三十六の教えによれば、恐るべき支配者であると伝えられている。人々の間に絶えず不和の種を撒き、定命の者の魂を刈り集めることを渇望する不死の神は、生と死の円環を司るエイドラ、アーケイの敵対者であり、タムリエルでは悪しきものとして畏れられている。
支配を司るデイドラの大公、モラグ・バルの領域を、人は、コールドハーバーと呼んだ。
第4紀196年 暁星の月19日(1月19日) ウィンターホールド地方
タムリエル各地には街道が張り巡らされている。石畳によって舗装された道は主要な要塞都市や村を巡り、その道なりに宿屋や休憩所が設けられ、たとえ辺境の荒道であろうとも最低限雨風を凌げる建屋が整備されている。これは第三期に大陸統一を成し遂げたセプティム王朝の業績、すなわち彼のタイバー・セプティム、そしてその後に連なる皇帝たちの統治の象徴だった。
その街道、ウィンターホールドの街へと至る道の休憩所に、人影がある。衛兵の軽装を身につけたダンマーの女、鋼鎧のノルドの男、そして返り血で汚れたローブを纏うステンダールの番人が破れ屋に身を寄せている。およそ六百年にわたる時間が経ても、辺境を旅する者たちが少しずつ補修を施してきた無人の休憩所はいまだにその役目を果たしており、北の大地の無慈悲さから人を守る盾となっていた。
火を囲んで軽食を取りながら、ステンダールの番人は、ことの顛末を語った。山賊のなかに見え隠れする魔術師の影を追いかけて、ウィンターホールドまで遥々訪れたこと。そして、山賊のあとを追い闇の垂れ込めるアンソールの山中で、山賊に襲われ、命からがら逃げ出したことを。
強い香料の香りの漂う杯を傾けながら、女衛兵が相槌をうった。
「そのような事情でしたか」
「ああ。 まぁ、 魔術師がいてもいなくても、アンソールの山中は山賊の巣穴になっているのは確かだ。 こうなってしまうと、 ウィンターホルドの首長の力を借り討伐せねばならんだろう」
ショーは内心頭を抱えた。地の利、数の利は相手にある。このまま山中に向かえば無駄死にするのは目に見えている。確実に勝ちを取りにいくのならば、 ウィンターホールドか、男の同胞である番人たちの中からか、とにかく人手を集めるのが確実である。しかし、討伐隊ひとつに、無理やり流れ者に罪を着せるしか術のないウィンターホールドには期待するだけ無駄だ、とショーは思う。
「この地にはどこもかしこも人手がないぞ。 こういうのも業腹だが、 残念なことに俺たち二人がその賊どもの討伐隊だ。 この地の首長どのは能があるとみれば、 身の証は立てずとも気にもしないらしい」
そう自らの身上への皮肉を込めて放つと、ぐいと蜂蜜酒をあおる。
「噂には聞いていたが、 今代の酋長どのがケチだというのは本当だったか」
番人の男は彼の言葉を聞いて、不安を表すどころか呵呵と笑ってみせた。
「そっちの、 番人の助けは得られないのか」
「仲間はいるが……合流は難しかろう」
「他の同胞には?」
「山一つ超えねばならぬ」
無理だ、と番人は言った。
「そもそもだ。 魔術師がいるというのは事実なのか?」
ショーは、難しそうな顔で考え込んでいる衛兵に視線をやった。
女は俯いたまま、自らの杯を覗いて考え込んでいた。女衛兵にとって、今回の仕事はただでさえ問題が多いやっかいな代物だった。たった二人の人員。居場所のつかめない山賊。そこに魔術師まで加わるとなれば、何が仕掛けられているのか分かったものではない。
しかし、魔術師がいなければたんなるの山賊の討伐だ。賞金稼ぎにとっても、これがことの命運を分けるかもしれないとあっては、事実であるのか法螺話なのかは気になるところなのだ。
「さて。 あるのは噂話だけ、 影のように姿はつかめぬ。 が、 いるのならば、 この地だ」
幸か不幸か、血濡れになり、仲間を見失ってまでも、ステンダールの番人が魔術師にこだわる理由に、賞金稼ぎは思い当たることがある。番人たちが、南の黄金の森から北の辺境まで追走劇を繰り広げたように、彼もとある魔術師を追って、わざわざ雪と氷しかない辺境の地を訪れたのだ。
同じく魔術師を追うものが二人、この広大なタムリエルで出会うという偶然は、もはや偶然とはいえない。彼の胸中には魔術師がこの山中に潜んでいるという、根拠のない確信が生まれつつあった。
「その噂の魔術師、 召還術に長けているのか」
「風の便りにはそのように伝え聞く」
「容姿は」
「長身の人物らしい。 おぬし、 もしや心当たりがあるのか」
「俺は達人級の召還術を扱うハイエルフを探している。 モラグ・バルの信者だ」
ショーは剣の柄を掴む。握り締めた篭手がきしんだ。
「シロディールからここまでその召喚術師を追ってきた。 この山にいるかもしれない魔術師と、 俺の獲物は同じ人物ではないか?」
「その心は」
「魔術の、 しかも召喚術の達人などスカイリムにはそういるものではない」
女が顔を上げた。
「筋が通っています……ならば急がねばなりません。 今宵はマジカの神秘の力が高まるときです」
ようやく口を開いた女衛兵の唐突な話題の転換に、ショーは怪訝に眉を寄せ、灰髪の大男はおもしろそうに目をきらめかせた。
「魔術師であればこの機会を逃すのはありえません。 生け贄を用いる儀式であるというなら、 なおさらこの好機を我が物とするはず」
「確かに、近くの村から少女が連れ去られたという」
「神秘の儀式座。 その司る期間は召喚に向くと言われています。 そして、 今宵は儀式座最後の夜なのです。 その魔術師は必ずやことを起こすでしょう」
ダークエルフ、ダンメリと自称する彼らは、炎を操り、祖霊の力を借りるという。
それは魔法の業だ。
この女衛兵の魔術の知は武器一辺倒に生きてきたノルドの男たち以上にであることに違いない。
「もはや、時間すら味方ではないか」
不思議なことに、魔術師などいないのではないかという疑惑は、その場の人間の心の中から消え去っていた。
ところが誰もが、いる、と断言することができずにいた。できれば魔術師などいてほしくはないと臆病風と理性との葛藤の狭間にいた。勇敢さひとつで、山賊をなぎ払えるのならば、いますぐにでも立ち上がって、アンソールの山中に身を投げただろう。しかし、現実はそうも優しくはない。多勢の敵に対して、三人でいったい何が出来るのいうのか。
風が轟々と響いて建屋を揺らした。
どこからも援護は得られない。だが、山中の賊は討伐しなければならない。魔術師の儀式も止めなければならない。如何にして成し遂げればよいというのか。
ステンダールの番人は、飲みかけのハチミツ酒の瓶を雪の上に転がして、荷を持って立ち上がった。
「お待ちを」
男を女衛兵が呼び止めた。
「征かれるのですか」
「そうだ」
「番人よ――」
彼に対してなにごとかを語ろうとした衛兵の言葉を遮ってショーは口を開いた。しかし言葉が出ない。
もとはといえば、弱きもののためにあれと鍛えた剣技である。始めに立つべきは己だったのだ。常に身の安全をはかりながら、薄闇の中を歩いていた。そのうちに身についていた卑怯さをショーは恥じた。
零れおちる黄金の酒が白い雪を濡らしていく。
「元より覚悟の上だ」
無言のままの賞金稼ぎに番人が笑った。
「もとより、戦いに死ぬはノルドの本懐である」
聴いてショーは立ち上がった。
「行こう」
立場も信仰も違う三人は立ち上がり、はっきりと顔を顔を突き合わせた。
その身に負った責任を果たすという、その一念だけが共通していた。
「……まるで、 よき神々の導きのようですね」
ふと、ダンマーの女から言葉が零れた。
その言葉は三人に稲妻のように衝撃を落とした。
悪しきデイドラを狩る一の神の番人に、デイドラの信者を追う賞金稼ぎ。ノルドの土地には珍しい、詳細な魔術の知識を持つ衛兵。何かに集められたように、この場に集う三人。
姿を現すことのないエイドラ、あるいは伝え聞く善良な神の導きは目に見えないという。あるいは、予知をもたらすというアズラが女に囁いたのか。月影の娘の神託は、人の運命に大いなるうねりをもたらしていく神官のひとこと、あるいは預言書の一節のように、その場の人間を運命の糸に絡め取った。
「いるのか」
「いるのでしょう」
「この三人が、 悪しき魔術師の企てを阻む最後の頼りということか」
矢筒の位置を淡々と調節する衛兵に対して、魔術師の存在を確信した番人の声は震え、高揚が浮かび上がっている。賞金稼ぎは剣を地に突きたて、その柄を握り締めた。
わずかに傾いた薄い陽光が、屋根の下に差し込み、舞い上がった埃が海の水面のように不規則に輝く。古いだけのなんの変哲もない道端の休憩所で、女は微笑んで弓を掲げた。
「私、 アドラシルはこの弓と、 月と星の女神アズラに賭けて、 この地を脅かす賊どもを討ち取り、民に安寧をもたらしましょう」
よいな、と呟いた灰髪のノルドは獣のように笑うと、右腕にメイスを握り、両腕を天に掲げる。
「グスル・グレイヘアはこのメイスと我が神ステンダールに誓おう。 必ずや、 悪しきデイドラの信徒を狩らん」
この父祖の地で、伝承に詠われるものたちは己の運命を自覚したのだろうか。
北方の偉大なる竜王たち、イスミールよ。
亡霊海の岸、アンソール山の麓で、ショーはかつての偉大なるノルドの王たちを想った。
「――ウェストウィールドのショーは我が剣と九大神に宣誓する。 我が命を賭けて魔術師の野望を阻もう」
吐息と共に宣誓の言葉をはき出し、瞑目して顔前に剣をかざした。
小さなノルドの戦士の中に、かつての偉大な戦士たちにも劣らない北の氷のように溶けず業火のように熱いものが秘められていることは分かっていた。遥かな昔、北の大陸アトモーラより海を越えてタムリエルに訪れた人間たちの祖ネディック。荒海を航海する巧みな技術と自らの体一つを頼りに、いかなる敵にも打勝った戦士たちの心に宿っていた砕けぬ決意。新天地に石の都を築きあげ、彼ら自身の王国を打ち立てた彼らの、心のうちの業火。
だからこそ少年の言葉はオイアヴァールの想像の埒外にあった。
「ここからは、 ひとりで行く。 オイアヴァールはグスルたちのところに行ってくれ」
その決意が男の想像の外にあっても、少年の言っていることに不都合はない。少年のいう通り、別れて行くべきだという保身の囁きが聞こえる。
昨夜の野営場までは後一足というところまで来ている。このまま連中と遭遇するより、一度山を降りて仲間と合流するほうが確実に生き残ることができる。
だが、撤退をよしとする理性とは別に、ここで少年を見棄てるのか、という自らの内から沸きあがってきたとは思えない、良心のかけらが、応と口を開きかけた男を制止した。
オイアヴァールは別段ステンダールを信仰しているわけではない。本当に信仰する神は別にいる。ゆえに、ステンダールのいう、慈悲というものを心の底から良かれ、と思い施したことはない。すべては己の居場所のためだ。そしてもうひとつ、グスルへの恩を返すため以外の何物でもなかった。
そのはずだが、少年の内に燃え上がる炎に中てられたのか、どうしても放ってはおけないのだ。
「ステンダール曰く、 優しさと寛大さをもってタムリエルの人々に接すること、 弱者を守り、 病人を癒し、 貧民に施しをすること、か」
哀れみか、同情か、判然としない想いを抱えたまま、わずかな高揚と共に彼はステンダールの訓戒をつぶやく。
そして彼は未熟な戦士に残酷な言葉を叩きつけるに至った。
「お前に、 少女を助けられると思うのか」
お前は弱いと言われたことに、当然ルークはかっとなって怒鳴った。一度は仲間だと感じていたことは頭から吹き飛んでいた。
「やってみなくちゃ分からないだろ! もう行けよ! オイアヴァールは関係ないだろ!」
オイアヴァールは下から睨み上げてくる小さな戦士と目を合わせるために長身をかがませる。
「あるとも。 利害が一致している。 私はステンダールの番人として門が開かれることだけは避けなければならない。 お前は贄にされる少女を助けたい。 贄にされる少女を助け出せば儀式は成り立たないからな。 連中から少女を奪い返せばすべて丸く収まる」
オイアヴァールは肩で大きく息をし、覚悟を決めた。
言ってしまえば、もう逃げ道はない。この先には栄光か死しかない。
「――それに、」
だいぶノルドに感化されていると内心自嘲する。いや、この少年にだろうか。
「それに、お前はステンダールの番人たる我らと道を同じくするものになった。 あのとき、 ステンダールからお前が加護を賜ったときに。 先達としてお前を捨て置くことは、 私の沽券にかかわる」
誇りにこだわるきらいのあるノルドという種族には、こういう言い方が一番だということを男は知っている。
だから、と彼は続けた。
「私も、 お前と行こう」
大小二人の探索はそうして静かに始まった。敵を追跡する術を持つルークを先頭に、岩陰に身を潜めるようにして山頂を目指して歩きとおした。再度の戦闘を避けるために、昨夜襲ってきた連中の足跡をそのまま辿るわけにはいかない。相手の通った経路を遠目に、人の気配のないことを確認しながら山中を進む。
昨夜の敵は上から おそってきた。ならば、そちらに敵がいるのだろう、というなかば自棄のような賭けであった。
「おれが何をしようとしているのか、 分かってるのか」
「あやつらの根城に殴りこもうというのだろう?」
「だったら、 なんでついて来るんだ」
先程は売り言葉に買い言葉、ついかっとなってしまったが、冷たい風にさらされて少し冷静になった頭で、会話を誘導されていたのだとルークは気がついた。 叶いそうにないが願いだが、ルークはこの男をステンダールの仲間の元へ返したかったのに。
男を振り返ると、一瞬フードの中が見えた。懐古の表情を描く白い目元が村の老人たちに似ている。
「お前を見棄てることが出来そうにない」
子ども扱いをされているような気がして、少年はむっと眉を寄せる。
「あんたはもっと慎重な人間だと思ってたのに。 あれだけ魔法が使えるんだ。 もっとオイアヴァールを必要としている人がいるはずだろ。 番人たちには、 きっとあんたの力がもっと必要だよ」
「たまには、 勇猛なノルドのように熊の巣穴に飛び込んでみようという気になっただけだ。 よい獲物を得るためにはそれなりの危険を冒さなければならないのだろう?」
男はスカイリムの狩人の言いまわしで返した。
「あの魔法を見たときからノルドじゃないのはなんとなく分かってたけど。 オイアヴァールはエルフなんだろ」
その問いに長身のローブを被った彼は答えず、かすかな笑い声をもらしただけだった。
見事な魔法、そしてけっして外そうとしないローブ。ルークは出会ってからの短い間に、何度もその中を覗いてみたいという誘惑に駆られていたが、昨夜からすっかりその気が失せてしまっていた。恩人の隠したがっているものをわざわざ暴き立てるほど、恩知らずにはなれなかったのだ。
「それなのに……変わってる」
「褒め言葉だな。 そういうお前もノルドとしてはずいぶん変わり者だが」
ルークは顔をしかめた。眉のあいだの皺がさらに深くなる。
そんなに眉間に力を入れていては、将来強面になってしまうぞ、と男は笑う。
「最近のノルドは、 エルフと分かればもっと警戒をあらわにする。 そのエルフに背中を預けようというのだ。 大層変わっている」
確かに、ルークが聞かされた大人たちの戦自慢では、たいていエルフは敵役だった。だがそれがオイアヴァールを警戒する理由にはならないと思う。
そのことを端的にルークは表した。
「昨日、 おれを助けたのはオイアヴァールだ」
「まったく、 屈強な番人のノルドでさえ私がエルフと知れば嫌悪を示すのに」
「そいつはそいつだろ。それよりも、 急ごう」
「では、 変わり者同士、 酔狂なことに挑もうではないか」
凍てついた風の吹きつける最北の山で、二人は星空の下の旅人になった。
ナダは暗がりを歩いていた。
外は満天の天蓋美しい山上だった。
村を襲った男たちに目隠しをされて運ばれてはいても、村から大人の足で一日か二日でたどり着ける距離ではあるはずである。だが、ウィンターホルドの南に広がる広大な山脈の、どのあたりかは分からない。
「ここはどこなの」
返事がないものと分かっていても途方に暮れて少女は思わずつぶやいた。
赤いマッサーが沈みかけている夜空に方角を判断し、山麓へ下る道を探した。しかし岩の間へと消えていくいくつもの小道の雪面は、どれもが踏み荒らされている。どこに見張りがいるかも分からず、気が休まる暇もない。静かに、気配を殺しながら、少女は進んだ。
どうすれば誰にも見つからずにこの場から逃れられるのだろう。見つかってしまえばおしまいである。ナダにとって、あるいはニルンの大地にとって。そうと頭で分かっていても、脱走が露見したとき大人の足から逃げきれる自信はもはやなかった。希望を抱くには少女は疲れ果てていた。彼女自身も知らないうちに寒さと疲労が少女を蝕んでいたのだ。
更に、カジートやアルゴニアンなどと比べるとノルドは種族総じて気配を殺すのが下手だといわれている。ナダもその例に漏れない。隠蔽の術は苦手としていた。
ともかく、どの道を選んでも同じだとするならば、少しでも助けに来ているはずの少年の近くへ行きたい、とナダは思った。
東の道にゆけばウィンドヘルムへ通じる。南東はウィンターホルドだ。そして南西にはスノーコーストがある。
三叉に分かれる道のうち、少女は南西に下る道を選んだ。
幾ばくかして月が沈み、本当の闇が訪れた。
星が照らす薄明かりの中でナダは凍える手足を必死に動かして、少しでも魔法使いから遠くへ逃れようとしていた。
遠くで怒号が上がる。にわかに来し方が騒がしくなり、ナダは思わず黒い山脈を振り返った。山賊の連中のいる方向だ。逃げ出したことがばれたのだ。少女の胸に唐突に恐怖がおとずれた。
近くまで来ているというルークはどこにいるのか。衛兵でも、旅人でもいい。早く人のいる場所にたどりつきたいとはやる気持ちが体を突き動かした。
少女は斜面を転がり落ちるように駆け出した。
ナダは夜の闇の中を必死になって駆けた。
それでも、互いをがなりたてる怒声と、こすれて甲高い金属の音を響かせる鎧の音とともに、雪を踏みしめる音が近づいてくる。
走ってもむしろゆっくりと距離を詰められて、とうとう切羽詰まってしまった。ナダは岩の窪みにうずくまり身を隠した。
顔の下半分を手で押さえつけることで自然と速く荒くなる呼吸の音をころした。それでもがちがちと歯なりがして、左手の親指に噛みつき、必死に自分を落ちつけようとする。山賊のもつ松明で雪面が赤く照らしだされているところを見たくなくて俯く。そうして、山賊が大声で罵声を喚き散らしながらすぐそばを通り過ぎていくのををまった。むっとした熱気が体をなでて、思わず身じろぎしようとした体を押さえつける。
しばらくそのままやり過ごすと、辺りがふたたび静寂と闇に包まれ、ナダは岩陰からそっと顔をのぞかせた。山頂のみ方向と、そして山麓の方向と、とりあえず視界に明かりがないことに肩の力を抜く。そして歩き出そうとした。
「子供はあそこだぁ!」
大声がした。
ぎょっとしてその声の出元を探してしまった。弓を背負った背の低い人影が岩の上に見える。
その一瞬が致命的だった。松明を掲げる人影が次々にナダを指差す。
すぐにナダは隠れ場から飛び出した。後ろからがしゃがしゃと音を立てながら、ならず者たちが追ってくる。
逃がすなぁ、止まれぇ、というしゃがれた叫びが山にこだまし、その大声にさらに人が集まる。
右も左もわからず、分かれ道のたびに照らし出された人影に引き返しながら、白く凍りついた岩の間を雪豹から逃げる子鹿のように迷走する。
彼女の視界から両側の岩がなくなり、やっと麓が見えたか、と一面に広がる闇に思わず安堵する。一歩、さらに遠くへ逃げなければとふみだした。
その瞬間、衝撃。
青い光が視界を覆った。
ナダは足元から吹き上がった凍てついた暴風に吹き飛ばされた。
頭のなかで剣と剣が叩きつけられたときのような衝撃がする。ぐらつく視界に立ち上がることが出来ずにナダはその場で這いつくばった。
魔法だ。
暗闇の中に、わずかに青いマジカの光が見える。
ナダはやっと気がついた。足元にいくつも魔法が仕掛けられていたのだ。
もはや一歩も前に踏み出せない。ひどくなる目眩に耐えかねた少女の意識は、そこで暗転した。
揺れている。
ナダは腹に回された何かで支えられて何処かへと運ばれていた。柔らかな腹に自分自身の体重がすべてかかって呼吸が苦しい。ぐらつく視界に映るの灰色のなにか。なにもかもがぼやけていて周囲の様子がよく分からない。
「逃げられるとでも思ってたのかい。お嬢ちゃん」
「甘く見てもらっちゃぁ、困るな」
「ほら、どやされないうちにさっさと連れてくよ」
酒と寒さで枯れた声が頭上から聞こえてきて少女は跳ね起きようとした。が、少女を担ぐ男の腕にすぐにしっかりと押さえ込まれてしまう。
少女の口からくぐもった呻き声がもれた。
「おっと」
「おい、逃がすなよ。俺ぁこれ以上面倒なのはごめんだ」
「わかってらぁ」
せっかくの機会をふいにしてしまった。朦朧としながらもそれだけは分かった。
少女は祭壇の前まで引き立てられた。
白い肌をあらわにしてぐったりとした女が運ばれてくる。
「あ……」
「そいつも、お前も、もうおしまいさ。俺たちに目を付けられちまったんだから」
少女は雪の上に投げ出された。周り一帯に人が集まって、冬山に湯気を立てている。もはや逃げ出せない状況で、動けなくない少女の耳にあの長身のハイエルフの囁きがよみがえった。
――従え、という魅惑の囁きが。
篝火が消され辺りに闇が満ちる。
山麓に心の澱みを抉りだす声が響いた。
――O MOLAGBAL, GHM MONAARKHE!
TR, APKLPM UDHNDR AEDRUM TH
O KHAAPLE, SOEEIS A PROOTIS!
PRKLM, SYS THNM ANT UPRNSS
ANKHT OBLVNM PLM, B KTHSDGS GHM SS
APSRNT PROSPRM MN, N YPRLNS PRGGLM ――
二つの月は地平の彼方に、地上を見守るのはマジカを降らせる数多の星のみ。かつての湾口を臨む崖の上で、祭壇に横たわる女の肌とその前に立つ少女の貫頭衣がほの白く浮かび上がる。
――PTTM SKD, MRM PSKH, TRTPM SM, ELSM KRD
D SOOEESEM P PROOTEM,
D PROOTEM P SOOEESEM,
ALLGT A ANTSTRPSS KTHTM ――
ようやく報われるのだ。
魔術師の万感の想いは、どこまでも暗く、暗く、夜を染めていく。主の目に留まるために、気の向くままに尊厳を貪り、欲望のままに人の魂を縛り上げ、死後を陵辱し、支配してきた。その旅路の果てに、凍りついた港への門が開かれる。
かつて、オブリビオンを旅した者のように。
――ANKHT OBLVNM PLM, B KTHSDGS GHM SS
TR, PRKHRS EDPRSM SS TH! ――
魔術師が最期の呪文を叫んだ瞬間、少女は、女の胸に短剣を振り下ろした。
時同じくして、その場に声が響いた。
「――……やめろ! いますぐそれをやめろ!」
儀式座 補足1
「大いなる天空」参照のこと。
地球の黄道十二星座に照らし合わせれば、山羊座に相当する。
街道
TES作品に帝国、王国は数あれど、タムリエルを初統一したのはタイバー・セプティム。ただ、タムリエルの街道がセプティム王朝によって敷かれたというのは作者の妄想。
モラク・バル
デイドラ大公。キング・オブ・○○○
書物では、(性的な意味で)恐るべき支配者という描かれ方をしている。
スカイリムの地理
作中ではマルカルスーリフテン間の直線距離をおよそ500kmに設定している。日本人の地理感覚に翻訳すると、だいたい東京ー京都間と同程度、徒歩で半月の旅路になる。
Uwe>今回の儀式座とスカイリムの地理設定に関するネタが後書きに突っ込むには多すぎたので、割烹のほうに上げました。興味のある方は割烹をどうぞ。
skyrimがじわじわ増えてて嬉しい。