旧都陥落の日・Another   作:IamQRcode

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雲嶽山へ

 

 次の日、夜が明けきらぬうちに、ナハトは装備を整え終えた。

 

 スラム街の一角にある住処の扉を開けると、朝靄の中、細い通りを冷たい風が吹き抜けていく。空はまだ青白く、どこか物静かな時間だった。

 

「ラプター」

 

 「ンナ」と鳴いて足元に寄ってくる機械の相棒に、ナハトはしゃがんで目線を合わせた。

 

「今日一日、儀玄と儀降の護衛を頼む。俺が戻るまで、この家から出るな。誰が来ても開けなくていい」

 

 ラプターは機械的な電子音で短く鳴いたあと、小さく頷くようにセンサーを点滅させた。

 

「いい子だ」

 

 手早くラプターの頭を撫で、ナハトは立ち上がった。室内からこちらを心配そうに見ている儀玄と儀降に向けて、短く言う。

 

「お兄さん、どこに行くの」

 

「知り合いの所だ。まあ、昼までには帰れる⋯⋯朝食は、そこの棚にある乾パンでも食べておいてくれ」

 

「⋯⋯気をつけて、お兄さん」

 

「無理しないでね」

 

 

 二人の言葉にナハトは小さく手を振ると、フードを深く被り、義眼のスコープを調整しながら歩き出した。背には【炸裂刺突剣】と予備の刃、そして【炸裂トンファー】を装備し、腰の回転式拳銃と義尾がテックウェアの下からちらりと覗いている。

 

 向かうは《雲嶽山》。スラム街の外れに位置し、元々は武僧の修行場だったこの山は、今では孤児や流民を保護する施設も兼ねた拠点となっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 午前中のうちに、ナハトは山の麓に辿り着いた。木々は深く、冷たい霧が立ち込める。だが、道ははっきりと整備されており、迷うことはない。誰かが、絶えずこの場所を整えている証だ。

 

 雲嶽山は俗世と隔絶された静寂の中にあり、スラムの喧騒とはまるで別世界だった。

 

 石畳の中庭を歩いていくと、縁側に一人の老人が座っていた。淡い茶色の僧衣を纏い、白髪と長い眉が柔らかな表情に風格を添えている。年老いたその姿には威圧感はなく、ただ、長く人を見守り続けた者にだけ宿る穏やかさがあった。

 

「⋯⋯お主の足音は、昔から変わらんな」

 

 低く、どこか懐かしさを滲ませた声が霧の中に響いた。

 

「黄嶺さん⋯⋯半年ぶりか」

 

「そうか、もうそんなになるか。わしも歳を取るわけだ⋯⋯さ、せっかくだ。中に入っていけ。茶でも淹れよう」

 

 微笑みを浮かべた黄嶺は、縁側からゆっくりと立ち上がると、本堂の中へとナハトを招いた。

 

 静寂に包まれた本堂の一室。畳の上に置かれた卓には、湯気を立てる白磁の茶碗が二つ置かれていた。窓の外では、風が竹林を揺らしている。

 

 ナハトは正座などせず、足を崩したまま茶碗を受け取る。

 

「ここの茶は、相変わらず香りが深いな」

 

「手入れの行き届いた土と、静かな空気が育ててくれるのさ。お前のような騒がしい奴が飲むには、少し落ち着きすぎておるかもしれんがな」

 

「⋯⋯冗談も変わらないな、あんたは」

 

 互いに少しだけ笑い合い、それから、短い沈黙が落ちた。

 

 ナハトは静かに茶を一口啜り、やがて真剣な眼差しで黄嶺を見つめた。

 

「——今日は、頼みがあって来た」

 

「うむ。言ってみよ」

 

「儀玄と儀降って子どもがいる。多分、姉妹だ。昨日、スラムで拾った」

 

 ナハトは言葉を選びながら、語り始めた。

 

「親もいない、まともな大人にも巡り合ってない。⋯⋯だから、あいつら、俺と同じ道を歩くしかないような顔をしてた。戦って、傷ついて、捨てられて、それでも生き残るために何かを諦めていく、そういう生き方だ」

 

「⋯⋯」

 

「俺はそれでも構わない。だが、あの子たちには、もう少し⋯⋯マシな人生を歩いてほしい」

 

 ナハトは視線を落とした。茶碗の湯気が揺れ、静かに彼の胸の内を映し出していた。

 

「ここなら、生きられる。教えてくれたのはあんたじゃないか」

 

 黄嶺は静かに頷いた。

 

「分かった。引き受けよう。その二人、きっと不安でいっぱいだろう。だが、ここなら時間をかけて心を整えられる。——お前がそうだったようにな」

 

「⋯⋯ありがとう」

 

 深く頭を下げるナハトに、黄嶺は静かな口調で尋ねる。

 

「では、お主自身はどうする?」

 

「は? 俺?」

 

「そうだ、お主は門下生にならんのか?」

 

 ナハトは、短く息を吐いた。

 

「俺は、戻れない。⋯⋯五年もホロウレイダーを続けて、もう『門下生』なんて肩書きは似合わない」

 

「ふむ⋯⋯ゼーレとアテネ、という仲間がいるのだったな?」

 

「ああ。あいつらがいる限り、俺は⋯⋯いや、言い訳だな。俺はもう、普通の人間として生きていけないよ」

 

 黄嶺は目を細め、茶を啜る。その顔には、老僧としての静かな達観と、ひとりの老人としての優しさが同居していた。

 

「それでも——儀玄と儀降のため、一週間に一度はこの山へ来い」

 

「⋯⋯は?」

 

「言葉の通りだ。何があっても、週に一度は顔を見せろ。お主はもう彼女らの親なのだ」

 

「俺はまだ十代半ばくらいだぞ」

 

「関係ない。あの子らからすれば、お主は自分たちを助けてくれた父の如き存在なのだ」

 

 ナハトは思わず黙ってしまう。

 

「子どもは突然姿を消した大人を信じなくなる。お前はもう、あの子たちに“背中”を見せてしまった。ならば、最後まで見せてやれ」

 

 ナハトは手の中の茶碗を見つめながら、しばらく無言を貫いた。白磁の縁に沿って、湯気がゆるやかに上がる。その揺らめきに、ゼーレに掴まれて、震えていた姉妹の姿が、脳裏に浮かぶ。

 

 そういや⋯⋯俺も親に捨てられたな。

 

「⋯⋯ったく。厄介なことばかり言いやがる」

 

  吐き捨てるような言い方だったが、声には怒気も皮肉もなく、ただほんの少し嬉しそうな感情があった。

 

 黄嶺は静かに笑った。

 

「言っただろう、お前の足音は変わらんと。人の縁を断ち切れぬ歩き方をしておる。そういう奴は、どこまでも関わっていくしかない」

 

「⋯⋯週一、か。わかったよ。約束する。俺が生きているうちは、ちゃんと来る」

 

 そう言って、ナハトは茶を飲み干した。少し苦味のある渋味が、喉をすべって胃に落ちていく。その温かさは、どこか懐かしいものだった。

 

「それでいい。子どもたちも、きっと待っておる」

 

 茶碗を卓に戻すと、ナハトはゆっくりと立ち上がった。義尾の金属が畳の上でわずかに軋む音を立てる。

 

「じゃあ、俺は行く。⋯⋯ラプターをあまり放っておくと、帰ったときにスネるからな」

 

「ふむ、あのボンプは律儀で面白い」

 

 黄嶺も立ち上がり、縁側までナハトを見送る。外の霧はすっかり晴れて、朝の光が竹林を優しく照らしていた。鳥のさえずりが、遠くからかすかに聞こえてくる。

 

「黄嶺さん」

 

 ナハトは足を止めて、振り返った。その顔に、ほんのわずかな迷いが滲んでいる。

 

「⋯⋯もし、万が一、俺に何かあったら。あの子たちには、俺が“遠くへ行った”とだけ伝えてくれ」

 

「⋯⋯うむ、約束しよう」

 

 黄嶺は静かに頷いた。その眼差しは、全てを受け入れる者のそれだった。

 

「だが、できることなら⋯⋯お主自身の言葉で、最後まで語ってやれ。子どもたちは、大人が思うよりもずっと、強い」

 

「それは⋯⋯その時が来たら考える」

 

 ナハトは再び歩き出した。石畳を踏みしめる足音が、霧の晴れた山に吸い込まれていく。

 

 その背中を、黄嶺はしばらく見つめ続けていた。

 

 やがてその姿が完全に見えなくなったとき、老僧はゆっくりと目を閉じ、胸の前で静かに掌を合わせた。

 

「願わくば、あの者の歩む道に⋯⋯安らぎの光が一筋でも、差し込まんことを」

 

 竹林の間を風が抜け、枝葉を揺らす。その音は、まるで誰かの祈りのように、山の静寂の中へと溶けていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ナハトは山を下りながら、義眼のスコープを操作し、スラム街に残してきたラプターの位置を確認する。

 

 表示される位置は、依然として住処の範囲内。どうやら問題は起きていないらしい。

 

 ——よし。

 

 肩の力を抜き、少しだけ足取りを軽くする。空はすでに青く澄み渡り、街の喧騒が再び近づいてくる気配がする。

 

 けれど、胸の内はどこか静かだった。黄嶺の言葉、茶の温かさ、そして儀玄と儀降の笑顔。それらが重なり、ナハトの中に、一つの決意を形作っていた。

 

 これからも、俺はホロウレイダーとして生きていく。

 

 けれど——それだけじゃない。

 

 背中を見せた者として、あの子たちの“道”だけは、守ってやりたい。

 

 たとえ、そのためにまた血を流すことになったとしても。

 

 ナハトは顔を上げた。風が髪をかすかに揺らす。

 

 スラムの街が見えてきた。

 

 そこに、守るべき者たちが待っている。

 

 

 

 

 

 

「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?

  • シルバー小隊を率いる若き指揮官の話
  • アストラの幼馴染でイヴと共に彼女を守る話
  • 時間をかけてもいい。どっちも書け
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