旧都陥落の日・Another   作:IamQRcode

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平和な世界

 

 スラムの街並みが近づくにつれて、徐々に現実の喧騒が耳に戻ってきた。ひび割れたコンクリートの建物、空き缶を転がす風、遠くで響く機械音と罵声。それらはすべて、ナハトにとって“今の世界”を形づくる音だった。

 

 だが、その中に、帰る場所がある。

 

 あの二人が待つ場所が——

 

 住処の扉を開けると、すぐにラプターが反応した。

 

「ンナッ!(お帰り!)」

 

 ラプターが小さく跳ねるようにナハトの足元へ寄ってくる。センサーが瞬時に認識し、目を細めるように光を点滅させた。

 

「ただいま。留守番、ありがとうな」

 

 ナハトが軽くラプターの頭を撫でると、その金属の尾がわずかに揺れた。

 

「お兄さん!」

 

「帰ってきた!」

 

 奥の部屋から儀玄と儀降が飛び出してきた。二人とも、思っていたより落ち着いた表情をしていた。ラプターの護衛が効いていたのだろう。

 

「二人とも、いい子にしてたな」

 

「うん、ラプターがちゃんと見ててくれたよ」

 

「ご飯も一緒に食べたの。すごく、かたいパンだったけど」

 

 ナハトは思わず苦笑する。昨日の残りの非常食だ。味はともかく、命をつなぐには十分。

 

「そっか。じゃあ、今日は少し外に出るぞ」

 

「え? どこに?」

 

「取引所だ。昨日、ホロウから回収した遺物を売らないと金がねぇ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 スラムの細い路地を抜け、取引所へと向かう道すがら、ナハトは周囲に気を配っていた。儀玄と儀降は初めて見る街の奥へと進むにつれて、徐々に口数を減らしていく。

 

 目に入るのは、飢えた大人の目。瓦礫の隙間にしゃがむ薬物中毒者。何をするでもなく壁にもたれている、かつては子どもだった者たち。

 

「お兄さん……⋯⋯そこ、血⋯⋯ついてる」

 

「見なくていい」

 

 ナハトはフードを深く被ったまま、二人を自分の影に庇うように歩く。

 

 やがて、取引所の入り口が見えたそのときだった。

 

 不意に、道の脇から声がかかった。三人の若い男が現れる。全員、顔や腕にエーテル結晶や傷の痕が残っており、その動きからしても、現役のホロウレイダーだとすぐに分かる。

 

「よう、ナハト⋯⋯どうした? 子守かよ?」

 

「関係ないだろ」

 

「おうおう、ずいぶんと冷たいじゃないの」

 

「ガキ連れでホロウ行くとか、命知らずか⋯⋯それとも、裏に何かあるか?」

 

 男の一人が儀降に手を伸ばそうとしたその瞬間——

 

 シュバァッと風を裂く音。

 

 ナハトの背中から、金属の尾が鞭のように伸びる。鋭い破裂音とともに、地面のコンクリートが砕け、男たちの足元にひびが走る。

 

「——関係ないだろ?」

 

 低く、冷たい声。義眼のスコープが赤く光り、機械尾が宙をうねるように揺れていた。

 

 三人は息を呑み、一瞬動きを止めたが、次の瞬間、苦笑いと共に引き下がった。

 

「チッ、やっぱりおっかねぇわ。行こうぜ」

 

「⋯⋯へへ、怖い怖い」

 

 連中が去ったあと、儀玄がそっとナハトの袖を掴んだ。

 

「⋯⋯怖かったけど、お兄さん、かっこよかった」

 

「ん、ありがとな。だが、あんなやつらに関わるな。俺でも、油断すれば殺される」

 

 扉を開けて中に入る。昼頃とあって、他のホロウレイダーはホロウにいるのか人は少ない。カウンターで酒を飲む者や、武器の手入れを頼んでいる者など、いるのは比較的温厚な部類である。

 

「換金頼む」

 

「あいよ」

 

 取引所では、ホロウから回収した遺物が思った以上の価格で取引された。今回は機械のコア部品や、汚染を免れた電子メモリが高く評価されたようだ。

 

「結構稼げたな⋯⋯よし、一旦帰るぞ」

 

 ディニーを手に入れたナハトは、一度住処へ戻り、装備の一部を置いた。武器は必要最低限に留め、背中の炸裂剣やトンファーは外す。ただ、小型の回転式拳銃はそのまま。何が起こるか分からないため、警戒は解かない。

 

「これから、どこ行くの?」

 

 儀玄が訊くと、ナハトは少しだけ口角を上げた。

 

「“外の世界”を見せてやる。まっ、表街の中でもさらに治安の良い場所に行くってことだ」

 

「え⋯⋯そんなとこ、行っていいの?」

 

「今日は特別だ。俺がついてる」

 

 ナハトは二人の手を軽く引きながら、再びスラムの外れへと向かう。

 

 そこにあるのは、鉄とガラスの建築が立ち並ぶ「表街」。セキュリティの高さと物資の充実から、貧民には縁のないエリアだ。

 

 高層のモール、整備された歩道、真新しい自動車。空気すらも違って感じる。人々の服も表情も、スラムとはまるで別の世界の住人だった。

 

「すごい⋯⋯」

 

「キラキラしてる⋯⋯」

 

 儀玄と儀降が、まるで夢の中にいるような声を漏らす。どこを見ても、彼女たちの知っている“生きるだけで精一杯の街”とは違う光景が広がっていた。

 

 儀玄と儀降は歩道のタイルを踏みしめるたびにきょろきょろと辺りを見回し、まるで異国を旅しているかのようだった。自動で走る清掃ロボット、制服姿の学生たち、洒落たカフェの看板。どれもが、スラムで暮らしていた彼女たちには夢のように見えた。

 

「お兄さん、あれ何? 白くて人の形をしたあれ!」

 

「あれは案内ロボだな。道とか店のこと、教えてくれる奴だ」

 

「すごいなあ⋯⋯」

 

 やがて三人は、大きなショッピングモールの前に立ち止まった。正面のガラスドアの先には、色とりどりの看板とまばゆい光、買い物袋を持った人々が行き交っていた

 

「中、入ってみたい」

 

「⋯⋯いいぞ。ただし、静かにな」

 

 ナハトが警戒するのも無理はなかった。ここは、ホロウレイダーやスラムの住人が歓迎される場所ではない。悪さをして目立てば、すぐに治安官が飛んでくる。

 

(最近の治安官は優秀だからなぁ)

 

「ンナナ(ナハト、あの治安官めっちゃこっちを見てるよ)」

 

「あまり警戒しすぎるな。普段通りな」

 

 だが、今のナハトは“身分証明証”を持っている。目立ちすぎなければ、弾かれることはない。

 

 館内に入ると、すぐに冷房の効いた空気と、合成香料の甘い匂いが迎えてくれた。まるで別世界の空気だ。儀玄と儀降は息を飲みながら、視線を上下に泳がせていた。

 

「お兄さん、お兄さん、見て! あれ、ぜんぶ人が描いたの?」

 

 デジタルアートのギャラリー展示、フロア中央の噴水、ガラス張りの書店。

 

 まっすぐ歩けないほど、二人は好奇心を抑えきれず、けれども騒がず、ちゃんとナハトの傍を離れなかった。

 

 そうしてひとしきり館内を見て回った後、ナハトは最上階のフードコートに彼女たちを案内した。パステルカラーのテーブル席、アンドロイドが運ぶトレイ、肉の焼ける匂いとスパイスの香り。

 

「——選んでいいぞ。なんでも」

 

「ほんとに? 好きなの食べていいの?」

 

「ああ。ただし、持ちきれるだけだ」

 

 二人は大喜びで、慣れない注文パネルをナハトと一緒に操作し、数分後にはホットドッグ、フライドポテト、焼き菓子、そして甘い炭酸飲料を手に席へと戻った。

 

 初めての食事に、二人は目を輝かせて笑った。ナハトは彼女たちの向かいで、控えめにハムと卵のサンドを食べながら、静かにその様子を眺めていた。

 

 ふと——

 

「あー、食事中にすまんな」

 

 背後から、落ち着いた男の声がした。

 

 ナハトが振り返ると、そこにいたのは、暗い青色の制服に身を包んだ若い治安官だった。鋭い目つき、短く整えた黒髪、左胸には「上級射撃戦闘」の徽章。

 

「⋯⋯どうも、お疲れ様です」

 

「おう、お疲れ様だ。俺はシュヴァルツ、見てのとおり治安官だ」

 

 シュヴァルツは警戒を隠さず、ナハトの機械義眼と体格を一瞥する。スラム出身者というのはもちろん、その中でも明らかに“異物”であると見抜いている目だった。

 

「悪いな。平日の真昼間に、子ども三人でフードコートにいるんだ。心配して声をかけちまった」

 

「そうか」

 

 ナハトは二人よりは年上と言えど、年齢は十代半ばである。普通の家庭の子どもであれば、本来なら学校に行っている時間帯であるはずだ。

 

 そしてその時、儀降がナハトの服の袖を引っ張りながら、首を傾げて言った。

 

「この人、お兄さんのお友達?」

 

 その声に、シュヴァルツの目がわずかに揺らぐ。表情が一瞬だけ、鋭さを失った。

 

「いや、違う。ただの治安官だ。気にするな」

 

 ナハトの言葉に儀降は「あ、そうなんだ」と笑って頷き、またホットドッグにかぶりついた。

 

 その笑顔に、シュヴァルツはしばらく目を奪われていた。

 

 ナハトがどんな存在であれ、彼の隣にいる子どもたちは、明らかに“守られている”。それは見間違えようのない事実だった。

 

 沈黙の後、シュヴァルツはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「⋯⋯あんたが今どこから来たのかは知らないし、どんな過去があるかも詮索しない」

 

 そう言いながらも、その視線はナハトの左目――機械義眼にほんの一瞬だけ留まる。そこに刻まれた、戦いと修羅の年月。シュヴァルツはそれを見逃していなかった。

 

「でもな、俺はこの街の治安官だ。子どもが泣いてりゃ助けるし、泣かされたのなら泣かせた奴を追いかける。誰かが倒れてりゃ手を差し伸べる。それが俺の“役目”なんだ」

 

 ナハトは、手元の紙カップに視線を落とした。中の炭酸は少し気が抜けて、泡がゆっくりと沈んでいく。静かなその動きのように、自分の中でも、どこか張っていた神経が緩んでいく感覚があった。

 

「⋯⋯今の俺はただの保護者だ。こいつらを守るってだけのな」

 

 ナハトの言葉に、儀玄と儀降が顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。

 

 その笑顔を見て、シュヴァルツはふっと小さく息をつく。

 

「⋯⋯なら、文句はねぇ」

 

 そう言って、シュヴァルツは腰に下げたデバイスのスキャンボタンをさりげなく切った。身分照合の追跡記録を消す――つまり、今日ここで“何もなかった”ことにする、という意思表示だった。

 

「名前は?」

 

「ナハトだ」

 

「⋯⋯そうか。まっ、覚えとくよ。俺は、まだ若ぇからな。これからもっと、強くなる。強くなって、もっと多くのものを守れるようにする」

 

 その言葉に、ナハトは少し目を細める。

 

「⋯⋯正義の味方ってやつか」

 

「おう。ダサくて馬鹿だろう。だが、それでもいい。誰かのために動けるなら、それでいい」

 

「応援してるよ。あんたが倒れると、困る奴も多いだろうからな」

 

「お互い様だな」

 

 そう言って、シュヴァルツは軽く片手を挙げて去っていった。制服の背中が、騒がしいフードコートの喧騒に紛れていく。

 

 ナハトはその背を見送りながら、小さく息を吐いた。

 

「⋯⋯ああいう正義漢は苦手だ」

 

「でも、お兄さんと少し似てるよ?」

 

「どこがだよ」

 

 儀玄の無邪気な言葉にナハトは眉をひそめたが、完全には否定できなかった。守るものがある。それだけで、人は変われる。変わってしまう。

 

 だからこそ――

 

(例え何があっても、あの治安官とは争わないようにしないとな)

 

 そんな思いが、ナハトの胸に一瞬だけよぎった。

 

 だが今はまだ、平穏な時間がある。

 

「ほら、冷めちまうぞ。フライドポテト、な」

 

「うんっ!」

 

 ふたたび笑顔で食べ始める二人を見ながら、ナハトは黙ってその時間を噛みしめた。

 

 

 

 

「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?

  • シルバー小隊を率いる若き指揮官の話
  • アストラの幼馴染でイヴと共に彼女を守る話
  • 時間をかけてもいい。どっちも書け
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