表街へ行った次の日、ナハトは装備を整え、儀玄と儀降を連れて雲嶽山へと向かう準備を進めていた。
背中に炸裂剣とトンファー、小型の拳銃に加えて、今回は軽量の防護装備とスキャン用の携帯端末も用意している。ラプターも出発前にフル充電を済ませ、尻尾を軽く揺らしながら待機していた。
「じゃ、行くか」
ナハトが玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは予想外の人物たちだった。
「⋯⋯おい」
ナハトは思わず目を細めた。扉の向こう、スラム街の陽炎の立ち昇る中に、ゼーレとアテネが立っていた。ゼーレは背に重十字ライフルと鉄柱を担ぎながら、相変わらずの無表情だ。アテネは、穏やかな笑みを浮かべている。
「なんで、お前らがここにいる?」
ナハトの問いに、ゼーレは無言で肩をすくめた。そして、代わりにアテネが口を開く。
「へへ、いやー昨日、兄貴が雲嶽山へ向かってる所を見たって聞いてさ。どうせ、兄貴のことだからこの二人を雲嶽山に預けるんだろうと思って」
「兄者⋯⋯優しい」
「⋯⋯読まれてたか」
ナハトは軽くため息をついたが、それは呆れでも怒りでもない。
「だから、ついでに俺らも行くよ。その後、すぐにホロウに潜るなら合流時間の節約にもなるし」
アテネはそう言いながら、軽く肩を回す。腰に装備している電熱斧が金属音を立てて軋んだ。ゼーレも頷きながら、ナハトにガスマスク越しに眼差しを向ける。
「ンナナ(みんなで行くの? たのもしい〜)」
ラプターが嬉しそうに跳ねる。儀玄と儀降も、少し不安げだった表情を和らげてナハトの背に隠れながらも、ちらりとゼーレたちを見上げた。二人はまだ、ゼーレとアテネが怖いのだろう。まあ、無理もない。肉まんを盗んだとはいえ、この二人に追いかけられたのだから。
「なーに、安心しろ。もう、追いかけることはしねえよ」
「兄者と⋯⋯約束した」
二人はナハトを見る。
「ああ、安心しろ。もう傷つけることはしない」
ナハトは苦笑してそう答えると、荷物の再確認を済ませ、住処のロックをかけた。
「よし、行くか」
スラム街を抜けて雲嶽山へと向かう道中、風景は徐々に変わっていった。
ごちゃついた瓦礫の路地は姿を消し、乾いた砂ぼこりの匂いも、廃棄された鉄屑の臭気も、徐々に遠ざかっていく。代わりに足元には土が増え、両脇には緑が広がっていく。木々の間を吹き抜ける風はひんやりとして心地よく、葉擦れの音と小鳥のさえずりが耳をくすぐる。
「⋯⋯ねぇ、お兄さん」
儀降が、ふとナハトの袖を引いた。
「空が、すごく綺麗」
ナハトが視線を上げると、頭上にはくっきりとした青空が広がっていた。スラムではいつも煤煙や排気ガスに覆われ、空の色など曖昧だったのに、ここでは違う。
「風もきれい。緑の匂いがするね」
儀玄もまた、足を止めて深呼吸していた。頬には自然と笑みが浮かび、少しだけ、年相応の少女のように見えた。
「このあたりは、空気が澄んでるからな⋯⋯おっ、もうすぐ着くぞ」
ナハトが言うと、ラプターが「ンナナ」と鳴きながら少し前を跳ねるように進んでいく。
やがて、山道の先に、広々とした石畳の道と、それに続く木造の門が現れた。左右には灯籠が並び、奥にはいくつかの古い建物の屋根が木々の隙間から見える。
「おお、来たか」
門の前には、すでにひとりの男が待っていた。
白い法衣に身を包み、髪を一つに束ねた老人——雲嶽山の宗主、黄嶺だった。
「朝から準備しておいたぞ」
「ありがとう、黄嶺さん」
黄嶺は目を細めながら、ナハトとその後ろに続く一行を見渡す。そして儀玄と儀降の姿を確認すると、穏やかな微笑を浮かべた。
「なるほど⋯⋯良い目をしておる。心の奥に傷はあれど、まだ折れてはおらん。よう来たな」
二人は少し緊張した面持ちで小さく頭を下げた。
「ここが、雲嶽山?」
儀玄がぽつりと呟いた。
「ああ。ここでは、身寄りのない子どもたちに衣食住を与え、勉学と術法を教えている。戦う術だけでなく、心と生きる力もな」
そう言いながら、黄嶺は一行を案内するように奥へと進んでいく。
広い中庭には修行中の子どもたちの姿があり、読経を唱える者、山水を使って瞑想する者、木刀を持って型を学ぶ者たちの姿が見えた。年齢も性別も様々だが、皆、目が生きていた。
儀玄と儀降は、その光景に目を奪われていた。彼女たちの知っていた「生きるだけの場所」とは、まるで別世界だったからだ。
「ここで、暮らすの?」
儀降が少し不安そうにナハトを見上げた。ナハトは立ち止まり、しゃがみ込んで彼女たちの目線に合わせた。
「ああ。だが、お前たちの意志が一番大事だ。嫌なら、無理にとは言わない」
二人は互いに顔を見合わせると、小さく頷いた。
「⋯⋯大丈夫。だって、ここ⋯⋯温かいから」
儀玄の言葉に、黄嶺は微笑み、二人の頭にそっと手を置いた。
「安心せい。ここでの生活は厳しいが、決して苦しめるものではない。心を育てる場じゃ」
そして、別れの時が近づいた。
儀降がナハトの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「お兄さん、いっちゃうの?」
二人がナハトと共にいた時間は少ない。それでも、二人からすれば、ナハトは自分たちを地獄から救い出してくれた、大切な存在なのだ。
ナハトは一瞬、言葉に詰まった。掴まれた服の感触が、まるで何か大きな決断を問うているようだった。
彼は、儀降の小さな手に自分の手を重ねてから、優しく語りかけた。
「行くさ。でも、ずっとじゃない」
儀玄が涙をこらえながら顔を上げる。
「安心しろ。俺はまた来る。週に一度は、必ずお前たちに会いに来る⋯⋯約束だ」
「ほんとに?」
「ああ」
ナハトはそう言って立ち上がると、今度は儀降に向き直った。彼女はナハトの視線をしっかりと受け止めていた。
「お前は強い。だから無理をするな。困ったら、助けを呼べ。俺でも、黄嶺でも、誰でもいい。わかったな?」
儀降は頷き、短く言葉を返した。
「うん⋯⋯でも、私も強くなる。兄さんが来たとき、“ここに預けてよかった”って思ってもらえるように」
その言葉に、ナハトは思わず微笑んだ。胸の奥に、静かだが確かな感情が灯った。
「⋯⋯そうか。なら、楽しみにしてる」
ラプターが「ンナッ」と鳴いきながらジャンプして、二人に笑顔を浮かべる。
「ラプターも⋯⋯来てくれる?」
「もちろん。一緒だ。なあ、ラプター」
「ワタンナナ!(もちろん!)」
儀降が笑い、儀玄もまた、穏やかな表情を浮かべる。
そのとき、黄嶺が一歩前に出た。
「さて、そろそろ案内しようか。生活の場や、学び舎、眠る部屋まで。徐々に慣れていけばよい」
ナハトは一歩後ろに下がり、黄嶺に二人を託すように視線を送った。黄嶺はうなずき、二人に手を差し伸べた。
「さあ、こちらへ。なあに、おぬしらはきっと大丈夫じゃよ」
儀玄と儀降は、それぞれ少し名残惜しそうにナハトを振り返りながらも、静かに黄嶺の手を取った。
そして、木漏れ日の差し込む道を、彼と共に奥へと進んでいく。
見送るナハトの隣に、アテネが静かに立つ。
「⋯⋯兄貴、ああやって、ちゃんと別れを告げて離れられる相手がいるって、幸せなことだよね」
「⋯⋯ああ」
ゼーレは黙ったまま、門の奥を見つめていた。
ナハトは背中に炸裂剣と炸裂トンファーの重みを感じながら、一歩踏み出す。
「さて⋯⋯天使の時間は終わりだ」
ラプターが「ンナナッ」と声を上げ、跳ねるように動く。ナハトの目が、優しい兄だったものから、血も涙もないホロウレイダーのものへと変わる。
「へへ、仕事の時間か」
「ホロウ探索⋯⋯」
アテネも目を狩猟者のものに変え、ゼーレは35㍉重十字架ライフルをコッキングする。
「行くぞ、ゼーレ、アテネ。今日の目的地は決まってる」
振り返ることなく、ナハトは静かに山を下り始めた。
その背は、かつてより少しだけ軽く、けれど確かに強くなっていた。
ホロウレイダー編は終わりです。次回からは旧都陥落編になります
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
-
シルバー小隊を率いる若き指揮官の話
-
アストラの幼馴染でイヴと共に彼女を守る話
-
時間をかけてもいい。どっちも書け