その後、何とかエーテリアスたちを迎撃したナハトたちはホロウを脱出した。その足で取引所へと向かい、血に塗れたナハトとラプター以外がエーテル結晶まみれという状況に、他のホロウレイダーたちは驚きの表情を浮かべていた。
「おいおい⋯⋯何があったよ」
一人のホロウレイダーがナハトに話しかける。
比較的年齢も近く、何度か共にホロウに潜ったことのあるレイダーだ。
「油断しただけだ」
ナハトは淡々とそう答えるが、彼の肩から流れていた血は完全に乾いておらず、強化繊維のスーツに深い裂傷を刻んでいた。
「嘘つけ。お前の“油断”で、そんなになるかよ⋯⋯」
知り合いのホロウレイダーは苦笑まじりにそう呟くが、それ以上は深く聞こうとはしなかった。仲間同士であっても、それぞれの“ホロウ”は個人の戦場なのだ。
取引所の奥でアテネが応急手当を施してくれる間、ラプターはせっせとエーテル結晶を精製機に運び、ゼーレは静かに周囲を警戒していた。
ナハトはいつもと変わらぬ表情で、アテネが手当てを施すのを静かに受けながら、精製機の前でラプターの作業を眺めていた。
そんな中、ふとポケット端末の画面が光り、ナハトの目にある通知が映る。
──【雲嶽山・面会予定:本日】
「⋯⋯あー、しまった。今日だったか」
ナハトが低く呟いた。
「ん? 何か忘れてたか、兄貴」
「雲嶽山だよ。今日は、顔を出す約束の日だった」
「あ〜〜⋯⋯完全に忘れてた」
アテネが頭をかきながら苦笑し、ゼーレも静かに頷く。
「兄者⋯⋯肩⋯⋯大丈夫?」
「ああ、強化筋繊維の繋がりもまだ生きてる。問題ない」
呆れながらも、アテネは手当ての包帯を丁寧に巻き直した。
ナハトはため息をひとつ吐くと、換金したディニーの一部を使い、近くの屋台で肉まんを十数個購入した。中の具材は角煮であり、門下生の子どもたちが好きな味だ。
「ンナナ!(匂い最高〜!)」
ラプターはいつものように嬉しげに鼻を鳴らし、目を細めながらナハトの足元を跳ね回る。
──そして、夕暮れ前。
四人は雲嶽山へと向かい、石段を登っていった。
◇
門下生たちが竹刀の音を響かせる道場の外縁部。
ナハトたちが姿を見せた途端、門下生たちの視線が集まり、その場がざわついた。
「ナハトさんだ!」
「ラプターとアテネもいる!」
「ゼーレ! ゼーレ!」
子どもたちの歓声が上がり、ナハトは少しだけ顔を緩める。そして肉まんの包みを門下生の手に渡すと、次々と笑顔が広がっていった。
「一人一個ずつな。争うなよ」
「はーい!」
賑わいの中、儀玄と儀降が姿を現した。そして、ナハトたちを見て目を見開く。
「兄様⋯⋯その肩、どうしたのですか」
儀玄の声は静かだが、明らかに緊張を含んでいた。
「大丈夫。少し擦っただけだ」
「嘘つかないでください。筋肉が裂けてます。動かしたら余計悪化する」
儀降は眉をひそめ、すぐに弟子たちに指示を飛ばして薬箱を持ってこさせた。
「強化処置されてるとはいえ、これは放っておいたら深部の繊維に炎症が出ます。ちゃんと処置しますよ」
ナハトは観念したように頷き、用意された畳の上に腰を下ろした。鍛え抜かれた、それでいて実用的な筋肉と古傷に二人は思わず顔を赤くする。
「ん? どした?」
「な、なんでもありません」
「そうてす。兄様は前を向いててください」
儀玄と儀降が連携しながら、手際よく消毒と薬の塗布、包帯の巻き直しを行っていく。
「本当に、無茶ばかりして⋯⋯」
儀降がぼそりと呟いたその声に、ナハトは少し目を伏せた。
「今回は、ちょっと昔の因縁みたいなもんに出くわしてな」
「だからといって、命を軽くするのは違います。あなたの力は、“誰かを守る力”であって、“消耗品”じゃないんですから」
その真っ直ぐな言葉に、ナハトは軽く肩をすくめる。
「肝に銘じるよ」
治療を終えた後、ナハトたちは山頂の庵へと向かった。
そこには、静かに茶を淹れている黄嶺がいた。
「来たか、ナハト」
黄嶺は茶を置き、ゆっくりと顔を上げる。そして、ナハトの姿を見て、ふっと表情を曇らせた。黄嶺は一瞬、言葉を探すように視線を伏せた後、ナハトの左肩に視線を戻し、その眼差しに静かな鋭さを宿した。
「その傷⋯⋯戦ったな。しかも、ただのエーテリアス相手ではない。もっと⋯⋯人間の業が絡んでいる目だ」
ナハトは、黄嶺の目を見返す。だが、すぐに言葉にはせず、無言で頭を垂れた。
「初めて人を殺した日の夜⋯⋯ある意味、俺を救ってくれた人間がいてな。あいつの言葉のおかげで、俺は今、壊れずにいたのかもしれない」
「ふむ」
「今日、そいつと久々に出会ってな⋯⋯やっと会えたと思ったら⋯⋯殺されかけた」
ナハトは静かに息を吐いた。胸の奥からこみ上げる痛みは、傷のせいではなかった。肩をかすめた銃弾よりもずっと鋭く、深く突き刺さるもの――それは「信じていた者からの殺意」だった。
「俺もそれなりに、“裏切り”には慣れてるつもりだった」
視線は床の一点を見つめているが、その目は、ずっと過去のホロウを見ていた。
「ホロウ内で組んだレイダーに物資を奪われて置き去りにされたり、銃を向けられたこともある。救援信号を受けて駆けつけたら、それが“人狩り”の罠だったこともあった」
黄嶺は静かに耳を傾けていた。
「だから、背中を預ける相手を間違えると、死ぬってことは知ってる。そういう世界だってのも理解してる」
ナハトは拳を握った。その手には、血ではない――言葉にできない“失望”がにじんでいた。
「それでも⋯⋯まさか、あいつに殺意を向けられるとは思ってなかった」
茶を啜っていた黄嶺が、音もなく湯呑みを置いた。
「⋯⋯すまぬが、軽々しく“お主の気持ちが分かる”などとは言わぬ。わしは、そういう痛みをまだ背負ったことがない」
ナハトは顔を上げ、黄嶺の言葉を正面から受け止める。
「だがな、ナハト――その辛さは、想像できる。ほんの少しではあるがな」
黄嶺の声は静かで、深かった。厳しさの中に確かな温もりが宿っていた。
「⋯⋯ありがとう」
ナハトの声もまた、短く静かだった。
ふと、黄嶺が目を細め、尋ねた。
「次に、そやつと会ったら⋯⋯どうするつもりだ?」
ナハトはその問いを待っていたように、すっと顔を上げた。
瞳に宿る光は、揺るぎない決意を映している。
「殺す」
ナハトがそういった瞬間、雲嶽山が一瞬だけ音一つない静寂に包まれたような気がした。
「恨みも、憎しみもない。救ってくれたことも、今でも感謝してる。だけど──」
彼は立ち上がり、拳をゆっくりと握りしめる。
「今のあいつは、放っておけない。誰かの命を“材料”だと言い切った。そのために俺を殺すと言った。だから⋯⋯止めなきゃいけない」
「殺さねば、止まらないのか?」
「分からない。でも、止まってくれると信じてたら──こっちが死ぬ」
ナハトは肩の痛みに顔を歪めながらも、まっすぐに黄嶺を見た。
「だから、“次”は迷わない。あいつを超えて、俺は進む」
黄嶺はしばし沈黙したまま、ナハトの目を見据えていた。やがて、小さく息を吐くと、手のひらで自らの茶碗を撫でるように包み込む。
「⋯⋯ならば、せめて迷わぬように鍛えておけ。命のやり取りは一瞬だ。だが、そこに至る覚悟には、長い時間と重さがかかる」
「分かってる」
ナハトが頷くと、黄嶺はわずかに口元を緩めた。
「お主が何を背負おうとも、わしはそれを否定せぬ。だが──せめて、生きて戻れ。お主の死に、泣く者がここには多すぎる」
ナハトは返事をしなかった。だが、その目は確かに「分かっている」と語っていた。
風が、庵の障子をわずかに揺らした。
その音が、静かな誓いのように響いた。
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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時間をかけてもいい。どっちも書け