新たな宗主となった儀降と儀玄を支えつつ、封印の術式を作り出す手伝いをしたり、ナハトはラプターとアテネ、ゼーレと共にホロウレイダーとしての仕事もしていた。
ファーターからの襲撃もない。
さすがにホロウ外で目立つ行動はできないと見てか、それとも何かを待っているのか──いずれにせよ、ナハトたちは一時の静けさを得ていた。
封印術の設計補助や、儀降たちが主導する新たな対エーテリアス防衛術式の理論構築。ホロウレイダーとしての仕事以外でもやることは尽きなかったが、それでも今日はようやく一日、自宅で羽を休めることができる。
ナハトは回転式拳銃を磨きながら、ラジオを聞いていた。
思えば⋯⋯この拳銃とも長い付き合いだな。
この回転式拳銃はナハトが初めて殺したホロウレイダーから託されたものだ。威力も他と比べて低く、小型エーテリアスを殺傷するほどの力しかない。それでも、ナハトはこの拳銃を使い続けている。
「変えるわけにも、いかないからな」
この拳銃はあのホロウレイダーがこの世界に存在していたと証明する唯一のものなのだ。捨てるなんて、できはしない。
拳銃を磨き終え、背伸びをしていると玄関の方からノック音が聞こえた。
「誰だ?」
「ンーナ(見てくるよ)」
ラプターは駆け足で玄関に行き、小さな穴から外にいる人物が誰なのかを判別しようとする。
「兄様、私たちだ」
「開けてください」
声と口調から誰が来たのかすぐにわかった。どうやら、儀玄と儀降らしい。
「今開ける」
ナハトは腰を上げて玄関へ向かい、手動ロックを解除した。扉を開けると、そこには薄い外套を羽織った儀降と、手に何やら包みを抱えた儀玄の姿があった。
「やぁ、兄様。ただいまです」
「これ、ミルクパンです。表街で買ってきました」
儀玄はにこにこしながら包みを差し出してくる。その表情を見たナハトも、自然と微笑んだ。
「ありがとう。どうだ、久しぶりのボロ家は?」
ナハトは部屋の奥に案内しながら、思い出話をする。
「⋯⋯懐かしいですね。この部屋の空気、変わってません」
儀降は穏やかにそう言いながら部屋を見回した。
「最初にここに来たの、私たちが捕まった時ですよね」
「ああ。お前らが俺の肉まんを盗んで、アテネとゼーレに拘束されてたな。最後に俺が“食うなら言え”って渡した日だ」
「懐かしいです⋯⋯まだ、昨日のようにあの日のことを思い出せますよ」
儀玄は笑いながらテーブルの前に腰を下ろし、ラプターが持ってきたお茶を受け取る。
儀降も懐かしげに目を細めて言った。
「だから今日、どうしてももう一度ここに来たくて。術式のことで悩んでたけど、兄様の顔を見たら、ちょっと気持ちが軽くなった」
「そうか」
ナハトは軽く笑いながら、湯の入ったポットを持ち直す。そして、儀玄のカップに茶を注ぎながら、ふと気づく。
儀降の顔が、ほんのわずかに曇っていた。
「⋯⋯で? 今日はどうした?」
儀降は一瞬だけ、言葉を飲んだ。だが、やがてその目をまっすぐにナハトに向ける。
「兄様──何か、隠していませんか?」
ナハトは目を細めた。ラプターが静かに顔を上げ、隣で様子を伺っている。しばしの沈黙。だが、ナハトはやがて小さくため息を吐き、椅子に背を預ける。
「いつから気づいた?」
「最近です⋯⋯共にホロウに入った時も、いつも以上に辺りを警戒していました。それに、ゼーレさんの殺気もいつも以上に高かったので」
「よく観察しているな」
「兄様⋯⋯隠し事はやめてください。私たちは怖いのです。また、大切な人を失うことが」
ナハトは視線を落としたまま、ため息をついた後に静かに口を開いた。
「⋯⋯俺は今、ファーターって男に命を狙われている」
儀降と儀玄の顔から、穏やかな表情がすっと消える。ラプターが黙ったまま、ナハトの手元をじっと見つめていた。
「ファーター⋯⋯ですか」
儀降が低く名を繰り返す。
「何者なんですか、その男は」
「──あいつは、俺が“人を初めて殺した日”に出会った」
ナハトの声には、かすかな震えがあった。だがそれを悟らせまいと、淡々と続ける。
「俺は、ホロウの中で重傷を負ったホロウレイダーに“介錯”を頼まれた。当時の俺は、人殺しに恐怖を抱き、手を震わせながら⋯⋯引き金を引いた」
儀玄が手を胸元に寄せ、そっと息を呑んだ。
「その後、取引所でファーターに殺人をしたことを見抜かれてな。奴は俺にこう言ったよ——『お前はもうこっちの世界に足を踏み入れたんだ。一度でも人を殺した人間が、元の世界に戻れると思うなよ』ってな」
ナハトは自嘲気味に笑った。
「その言葉に助けられたよ⋯⋯もし、あのまま誰にも何も言われなかったら、きっと元の世界に戻れるっていう淡い希望を抱いて、精神を壊してた。今、こうして生きてはいなかったと思う⋯⋯だからある意味、恩人でもある」
その言葉に、儀降は複雑そうに眉をひそめた。
「その男がどうして今、兄様の命を?」
「再会したのは、つい最近だった。あいつは、ある“組織”に入っていた。ホロウ克服を目的とした集団でな⋯⋯相当、イかれてる連中だと思う」
「ホロウ克服?」
そんな事が可能なのか。ホロウを克服するなんて無理だという考えが一般的だ。
「もちろん、普通の研究なら無理だろう。だが、あいつらは人間と化物の境を“踏み越えてる”」
ナハトの瞳が鋭く光る。
「奴らは薬でホロウを克服するつもりだ⋯⋯その薬が、どれだけまともなものかはわからないが、少なくとも良いものではないだろう」
「それで兄様が狙われる理由は?」
「実験したいんだとよ。何度も長期間ホロウに潜り、それでも生きている人間を」
ナハトの言葉に、部屋の空気がぐっと重たくなった。儀玄は言葉も出せず、ただ強く手を握り締め、儀降は口を開いたものの、すぐにその意味を自覚して青ざめる。
「⋯⋯他の、レイダーでは駄目なんですか⋯⋯?」
言ってしまった後、儀降はすぐに口元を手で覆った。
「っ、ごめんなさい。今の、忘れてください⋯⋯っ」
震える声でそう言い、儀玄が慌てて姉の背中をさすった。ラプターも視線を伏せて、じっと沈黙している。
ナハトはそれを責めることなく、ただ静かに言葉を続けた。
「気持ちはわかるよ。俺だって、そう思った時はあった。誰かが代わりに狙われればいいって。でもな⋯⋯」
ナハトは、冷めきった茶を一口含み、吐き出すように呟いた。
「ホロウレイダーの平均寿命は──一年もない」
「⋯⋯え⋯⋯」
「ホロウでエーテリアス共に殺されるか、侵食が進んでエーテリアスの仲間入りか、過酷な環境とストレスに耐えられず精神を壊して自死するか。どちらにせよ、長く生き残る奴なんてほんの一握りだ。そんな連中を、わざわざ“実験対象”に選んでも意味がない。奴らが欲しいのは、ホロウに潜っても死なない“異常な”個体だ。つまり──俺みたいなのを、な」
儀玄がカップを握る手を震わせ、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「兄様が⋯⋯異常だなんて⋯⋯そんなのっ」
「事実だよ」
ナハトの声は静かだったが、その奥底には、諦めにも似た覚悟があった。
「ホロウに何度も潜って、生きて帰ってこれるのは普通じゃない。俺がこの世界で“生き残って”しまったせいで、連中に目をつけられた。それだけの話だ」
儀降は俯いたまま、絞るような声で言う。
「でも、それでも、私は兄様に生きていてほしい⋯⋯。例え、過去に誰かを殺していたとしても⋯⋯そんなこと関係ないです。兄様は、兄様だから⋯⋯」
儀玄も静かに頷く。
「⋯⋯命の価値を秤にかけるような世界に、負けたくないんです。兄様の命が、“使い捨て”なんて⋯⋯そんなの、私、絶対に認めたくない……!」
ナハトは二人の言葉を受け止めるように、しばらく黙っていた。
ラプターがそっと口を開く。
「ンナナ!(ラプターもそう思う!)」
ナハトは苦笑しながら、ラプターを見た。
「ありがとよ」
そして、儀降と儀玄に向き直り、穏やかな声で言った。
「お前らがいてくれて良かったよ。俺も、もう少し足掻いてみる。逃げずに、な」
二人の瞳が潤み、同時に「はい」と頷いた。
この瞬間だけは、確かに四人が“家族”だった。血は繋がらなくても、心が繋がっている、何よりの証だった。
だが──その穏やかな時間の中にも、確かに忍び寄る影はあった。
ナハトの知らぬところで、ファーターとその組織は静かに次の一手を打ち始めていた。
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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