ラプターの充電を済ませた後、俺とラプターはスラム街ではなく、表街の食堂に来ていた。スラム街と違って、ここには日常がありふれており、周囲には親子連れや仕事帰りの人間など様々な者がいる。
「ご注文は?」
「あっ、じゃあこれで」
「はいよ」
俺はメニュー表に載っていたラーメンと炒飯のセットを頼んだ。これで、900ディニーを取られるが、これを食べれば明日の朝と昼は無くてもいいだろう。
「ンナナ(こういう場所は初めてだね)」
「ああ、そうだな」
幼くして捨てられた俺とラプターには、こういう温かい場所の雰囲気を知らない。
テーブルの上にはプラスチックの水差しと箸立て、そして少し黄ばんだ紙ナプキン。厨房からは湯気と共に醤油ダレの香りが漂ってくる。すする音、笑い声、湯を注ぐ音──どれも、スラム街とは別世界だった。
「ンナナ。ンーナナ(ねえナハト。ナハトって、お父さんとかお母さんの顔、覚えてる?)」
「⋯⋯いや、まったく。そもそも、あんなクソ野郎の事なんか覚えたくもない」
勝手に産んで、勝手に捨てたクソ親のことなんぞに脳のリソースを使ってたまるか。
「ンナナ?(そうなんだ⋯⋯じゃあ、家族ってどんなものか、分かんない?)」
「分からねぇけど、きっと、こういう食堂で一緒に飯食って、くだらない話して、文句言いながらも笑ったりして⋯⋯そういうのが“家族”ってもんなのかもな」
そう言いながら、俺は隣のテーブルで小さな子供にご飯を分けている母親の姿をちらりと見た。その姿は、どこか眩しかった。
俺も運が良かったら、あんな親に育てられて、スラム街みたいな掃き溜めでその日暮らしで死にかけることも無かったのかな。
「⋯⋯なあ、ラプター。お前は、“家族”って思ってもいいか?」
「ンナナ!?(えっ!? もちろんだよ! ナハトは、ラプターの家族だもん!)」
ラプターは嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ね回る。
そのとき——
「おまちどうさまー」
店員がトレーを運んできた。湯気を立てるラーメンの器、そして香ばしい香りの炒飯の皿。
「⋯⋯すげぇな。ちゃんと、湯気が出てる」
ラーメンのスープは濃いめの醤油味、チャーシューが一枚、煮卵が半分。炒飯には刻みネギと玉子、肉の細切れがしっかり混ざっている。どこにでもある、でも“俺にとっては初めて”の、ちゃんとした飯だ。
「ンナナ!(ナハト、はやく食べよう!)」
「ああ⋯⋯いただきます」
レンゲでスープをすくって口に運んだ瞬間、思わず息が漏れた。
「⋯⋯うまっ」
炒飯もスプーンですくって口に入れる。油がじゅわっと広がって、米の甘みがあとから来る。……止まらない。気がつけば、無我夢中で箸を動かしていた。
「ナナナ!(いっぱい食べて、ナハト、強くなるんだ!)」
「⋯⋯ああ、そうだな」
途中で、箸を止める。
なんでだろう。胸がいっぱいになった。胃じゃない。心のほうが。
温かい飯。誰かと一緒に食べる安心感。誰にも命を狙われない場所。
そんな当たり前を、俺は知らなかった。
目が滲んできた。だが、泣くわけにはいかない。ここで涙を流せば、俺がどれだけ飢えてたか、渇いていたか、全部バレてしまう。
だから、俺は笑った。
「⋯⋯やっぱ、いいな。こういう飯。最高だよ」
最後の一口までしっかり平らげて、俺は満足した顔で箸を置いた。
「ワタンナ。ンーナナ(ナハト……お腹いっぱい?)」
「ああ、腹が破れそうなくらい食った。ラプターも、満足したか?」
「ナナナ!(最高! ナハトの幸せは、ラプターの幸せ!)」
俺は笑いながら席を立ち、レジに向かって歩いて端末を取り出す。
「ごちそうさまでした。えっと、900ディニーでしたよね」
だが、店主は手を振った。
「⋯⋯スラム街の客だろう。見りゃ分かる。顔色も、手の皮膚の荒れ方も、何よりその目が、食い物に飢えてた」
「えっ⋯⋯」
「800でいい。いや、いいか。700にしとこう。次もちゃんと食って、次も生きて戻ってくる。それが条件だ」
不意を突かれた。まけてもらえると思ってなかった。優しさというものに、まっすぐぶつかられると、受け止めきれない。
「⋯⋯ありがとう」
俺は黙って700ディニーを渡し、深く頭を下げた。
背中で「また来いよ、若いの!」という声が響く。
俺は、食堂のドアを押して外に出た。空はすっかり暗くなっていて、ネオンが揺れていた。
「ンナナ(ナハト、これが“日常”なんだね)」
足元でラプターが呟く。
「ああ、ほんの一瞬でも、こういう時間があるだけで、また頑張れるな」
ネオンの光が雨上がりのアスファルトに滲んで、街の景色はどこか夢みたいだった。
風がひとすじ吹き抜ける。油と埃、そして屋台の焼き物の匂いが混ざっていた。
「ンナナ(ナハトは、これからどうするの?)」
「一旦、拠点に戻る。明日にはまたホロウに潜らなきゃならない。今日の分だけじゃ、まだ装備も足りないしな」
俺はディニー残高を確認する。700払って、残りは7300。防弾ベストもマスクのフィルターも、中古で揃えるにしても最低で1万は要る。ましてや、まともな武器に至っては……
「あと何回、生きて戻れりゃ“装備持ち”になれるかな」
「ンナ⋯⋯(三回⋯⋯四回⋯⋯それでも、ナハトは戻ってくる)」
「当たり前だ。死ぬわけにはいかないからな」
足音を響かせながら、俺たちは夜の街を歩いた。スラムに続く裏通りへ入る。そこは、先程いた表とは違って、社会から廃絶された肥溜めの世界となっている。
明らかに違法な薬物であろうものを足や腕に打っているもの、よくわからないアルコールを飲んで酩酊する者──そして、行き倒れた者の横を、誰も何とも思わずに通り過ぎていく。
ラプターの目が、暗がりに沈む死体のような男に向いた。
「ンナナ(あの人⋯⋯生きてるのかな)」
「分からない。けど、関わるな。こっちが潰される」
感情を殺して、通り過ぎる。スラム街じゃ、それが唯一の自衛手段だ。見て見ぬふり。答えた瞬間、次は自分が沈む。
それでも、さっきの食堂の温もりが、まだ胸の奥に残っていた。
「⋯⋯クソッたれな場所だ」
思わず口に出ていた。誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
「ンナナ(でも⋯⋯だからこそ、ナハトが生きてる意味があるんじゃない?)」
「⋯⋯どういう意味だ?」
「ンナナナ(ナハトが強くなって、装備も手に入れて、ラプターと一緒に幸せに生きていく──それって、夢でしょ?)」
夢。そんなもの、とっくに諦めていたはずだ。それに、幸せに生きるのが夢なのだろうか。幸せなんて、とっくに諦めていたはずなんだけど、それでも⋯⋯
さっき食べた、温かいラーメンと炒飯を食ったあの感覚が、「それでも」と、どこかで言っていた。
このクソみたいな世界にも、ほんの一滴くらい、希望の味はあるのだと。
「夢なんて⋯⋯そんな上等なもんじゃないよ。ただ、死にたくないだけだ」
「ナナナ(ううん、それは違うよ。ナハトは、ちゃんと生きたいんだよ)」
ラプターの瞳が、夜の光に揺れていた。
ちゃんと生きたい⋯⋯か。
気づけば、拠点の前にたどり着いていた。ボロボロのドア、剥がれた壁、漏れる冷気と鉄の匂い。
でも、今はここが“家”だ。
オレはラプターに手を伸ばし、そっと頭を撫でた。
「ありがとな、ラプター。⋯⋯お前がいて、助かってる」
「ンナナ!(ラプターも、ナハトがいてくれて嬉しい!)」
ボロいドアを開けて、中に入る。明日のために、少しでも体を休めて、少しでも強くなる。
それが、いつかこの腐った世界を抜け出すための、第一歩なのだと信じて。
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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時間をかけてもいい。どっちも書け