ゼロ号ホロウの外縁部、もう一歩進めばこの地獄から抜け出せるという場所で儀玄と儀降はSATとホロウレイダーたちが来るのを待っていた。
先に市民たちと治安官たちは、新エリー都に向かわせた。恐らく、このホロウで残っているのは自分たちだけだろう。
「まだか⋯⋯」
儀玄は落ち着かない様子で歩いたり、周囲を警戒していた。
だが──時間だけが、静かに過ぎていく。
「遅い⋯⋯何をしているんだ兄様は」
儀降は焦りを隠せず、震える声で呟く。
「儀玄、落ち着きなさい」
「しかし、姉様」
「必ず来るわ。それに、兄様は私たちとの約束を破ったことないでしょ?」
「⋯⋯ですが——」
そのときだった。奥の方からある一団がやって来た。それは、ロクス率いるSATであり全員が生きている。だが、ナハト率いるホロウレイダーたちの姿はどこにも見えない。
「ロクスさん!」
儀降と儀玄が駆け寄る。
「兄様は!? ゼーレさんやアテネさん、他のホロウレイダーはどこに!?」
儀降が叫ぶ。息を荒くし、涙を滲ませながらロクスに詰め寄る。
ロクスは、苦しそうな表情で目を伏せた。
「現れたんだ──」
低く、抑えた声。
「要警戒級なんて言葉じゃ、到底収まらないような“エーテリアス”。このホロウ全域を壊滅させかねない、化物だった」
ロクスは帽子を取るように、ヘルメットのバイザーをゆっくりと上げた。汗と埃にまみれた顔に、戦場の重さが刻まれている。
「ナハトは⋯⋯お前たちを守るために残った。そして、俺たちが撤退できるように、自分が囮になって化物を引きつけたんだ」
その言葉に、儀玄と儀降の顔が引き攣る。
「そんな⋯⋯兄様が⋯⋯」
儀降は後ずさりしながら、信じられないように首を振った。
「違う、違う⋯⋯兄様は来るって、約束しました! “一緒に雲嶽山を立て直す”って⋯⋯言ってたのッ!」
その瞬間、儀降は振り返って走り出した。
「姉様ッ!?」
儀玄も後を追う。
「待てッ!!」
ロクスが叫ぶが、二人は聞こえていないかのように、瓦礫の地を蹴って走り始めた。
SATの隊員たちが素早く動き、二人の身体を取り押さえる。
「やめてッ!! 行かせて!! 兄様のところへ行かせてぇッ!!」
儀降は叫びながら暴れ、儀玄も必死に隊員たちを振りほどこうとする。
「兄様は⋯⋯生きてるかもしれないんだッ!! それを放っておけないッ!!」
ロクスが歯を食いしばり、怒鳴るように言い放った。
「ナハトが命懸けでやったことを、無駄にする気か!? お前たちがここで戻れば、彼の決意は──何だったんだッ!!」
その言葉に、二人の動きが一瞬止まる。
だが、諦めきれるわけがなかった。
「それでも⋯⋯兄様に会いたいんだ!! 生きててくれって⋯⋯伝えたいんだッ!!」
儀降は叫び、涙をこらえきれずに流した。
──けれど、現実は残酷だった。
SATの隊員たちが二人を抱え上げ、引きずるようにして外縁部へと運び出す。
「放してッ!! 兄様ぁッ!! 兄様あああああッ!!」
儀玄の声が、崩れかけた高層ビルにこだまする。
──それは、瓦礫と血の残る戦場に、確かに届いた。
*
その声が届いたのか──あるいは、幻聴だったのか。
ナハトは、崩れたビルの影で、血に塗れた体を横たえていた。
全身から出血し、装備もボロボロで雨も合わさって体温はどんどん下がっていく。
仲間の声も⋯⋯もうない。
だが、それでも。
「⋯⋯まだだ⋯⋯」
ナハトは呻きながら、倒れたトンファーを手繰り寄せる。
杖のようにして、地面を突き、ぐらつく足で、ゆっくりと、立ち上がった。
地面には、仲間の遺体と、砕けた装備。焦げたテルミット投斧、折れた鉄柱、弾き飛ばされた銃の破片──すべてが、戦いの名残だった。
「終わってない⋯⋯俺は⋯⋯まだ、生きてる」
足元に血だまりを広げながらも、ナハトは──一人、立っていた。
ホロウの崩壊した空の下で。
その眼差しは、すでに“人間”のそれではなかった。
「戻らないと⋯⋯二人のもとへ⋯⋯儀玄と儀降のとろこに⋯⋯」
ナハトはふらつく足取りで新エリー都へと向かおうとする。一歩進む度に大量の血が流れ、体中に疲労と痛みが襲う。
ナハトが数歩進んだときだった。
その空気が──音を、殺した。
重い空。崩れかけた建造物の影。瓦礫の山。そのあいだに、音もなく「それ」は現れた。
──エーテリアス。
黒い霧のような残光を引きながら、獣のように四肢で這うもの、頭部が逆さにねじれたもの、腕が細長い触手になっているもの──数を数えることすら無意味なほどの怪異が、ナハトを取り囲んでいた。
咄嗟に身構えることすらできない。足は震え、視界がぐにゃりと歪む。全身の痛みが、遅れて押し寄せる。既に満身創痍。肉体も精神も限界だった。
──終わりだ。
ナハトの手が、腰のホルスターに触れた。そこに収められているのは、回転式拳銃──初めて殺した人から、貰ったものだ。
ナハトは迷いなく、回転式拳銃のシリンダーを開き──確認する。弾は、五発。
「⋯⋯こんなに残ってたか」
乾いた笑いが漏れる。自分の判断の甘さに対する苦笑か、あるいは──この世界への皮肉か。
ゆっくりと、銃口を自分のこめかみに当てる。
「俺にはもう、何も守れねぇ」
目を閉じる。
その瞬間──脳裏に、走馬灯のように記憶が駆けた。
──笑っていた、儀玄と儀降の顔。
兄様、と呼んで駆け寄ってきた声。泣きながらも、「行かないで」と抱きついてきた温もり。
──そして、黄嶺の声。
『生き続ければ、いつかそれが──誰かの光になることもある』
その言葉が、胸を貫いた。
「⋯⋯⋯⋯まだ⋯⋯」
まだ、死ねない。
ナハトは、震える指で引き金を引いた。
──だが、弾は、己の頭ではなく、夜空に向けて。
パンッ──!
パンッ、パンッ、パンッ!
──パンッ!
五発。すべての弾丸が、空に向けて撃ち放たれた。
真っ黒なホロウの空に、白い閃光が瞬く。
エーテリアスが一斉にこちらを向く。
ナハトは、トンファーを右手に、義尾を左へと伸ばす。血が噴き出しても、意識が霞んでも──足を、引きずるようにして前へと出した。
「──あきらめちゃ、いけねぇよな」
その声音には、どこか笑みがあった。
「⋯⋯それに、儀玄と儀降との約束も守らないとな」
絶望のど真ん中にいるのに、そこだけ光が射しているような。
「黄嶺! ラプター! アテネ、ゼーレ──見ててくれよ!!」
義尾を振るい、瓦礫を巻き上げる。
トンファーが、赤熱する。
牙を剥いたエーテリアスが、殺到する。
──だが、ナハトはもう、倒れない。
その姿は、まるで──地獄のなかに灯った、小さな灯火だった。
いつか誰かが、その光を「希望」と呼ぶ日が来るのかもしれない。
この時、ナハトはただ一人──立ち向かった。
この終末の闇のなかで。
命を、燃やすように。
男の雄叫びが、ホロウに響いた。
旧都陥落編、終わりです。次回からはバージョン2.0のストーリーへと移ります
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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シルバー小隊を率いる若き指揮官の話
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アストラの幼馴染でイヴと共に彼女を守る話
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時間をかけてもいい。どっちも書け