初めて温かいご飯を食べた翌日、ナハトとラプターは夕方まではゴミを漁り使えるものを探して、再利用できる廃材や電子機器はスラム街の取引所などで、売ったりなどをして小銭を稼いでいた。
「ンナナ⋯⋯(武器でも落ちてればいいのにね)」
「そう簡単にはいかないさ」
期待なんて、最初から捨ててる。だが、それでも探さなきゃ何も得られないのがこの街のルールだ。
「ンーナナ(でも、今日もホロウに行くんでしょ? 武器が無いと危ないよ)」
「その時は⋯⋯まあ、全力で逃げるよ」
冗談めかして笑ったが、本音でもあった。生き延びることが目的であって、戦うことは手段にすぎない。今の俺には、勝てる力も装備も無い。
そして、日が落ち始めた頃に昨日と同じようにホロウに潜った。ホロウは常に変化しているため、昨日通った道が行き止まりになっていることもあれば、新たに道ができていることもある。
午前中にゴミ漁りで手に入れた懐中電灯を片手に、ホロウの中を歩く。
エーテリアスと出会わないことを祈りながら、使える旧世界の遺物や高純度のエーテル結晶から、エネルギーとなるエーテルを集める。
「ンナナ(異常ないよ)」
「よし」
ラプターが周囲を警戒してくれているため、俺は遺物集めに集中できる。
崩れたオフィスビルの一角。机と壁が散乱した部屋の中で、俺は埃まみれの引き出しを開けて、目ぼしいものを探していた。古びたIDカード、すでに機能しない通信端末、割れたホログラフ装置⋯⋯使えそうなものは少ない。
「⋯⋯これは、まあまあマシか?」
手に取ったのは、まだ生きていそうなカメラだった。状態はボロいが、取引所で数百ディニーにはなる。それに、中のデータによっては値段も跳ね上がるだろう。
「ンナナ!(ナハト、何かあった?)」
「カメラだ。たぶん売れる」
ラプターが嬉しそうに飛び跳ねる。こういう小さな“成果”が、今日を生きる糧になる。
「さあ、次に行こう」
場所を移そうとした時だ——
どこからか、かすかな呻き声が聞こえた。
「⋯⋯う、ぐ⋯⋯あ⋯⋯ああ⋯⋯」
ラプターが耳をぴくりと動かし、俺の方を見た。
「ンナナ(ナハト⋯⋯今の、聞こえた?)」
「ああ⋯⋯間違いない、人の声だ」
声のした方へ向かう。割れたガラスを踏みしめながら、細い通路を抜けた先──瓦礫の山に押し潰されるようにして、一人のホロウレイダーがうずくまっていた。
若い男。胸から腹にかけて大きく裂けた傷があり、瓦礫に挟まれた脚は原形を留めていなかった。何より──皮膚には、黒く浮かび上がるエーテル結晶。
すでに、エーテリアス化が始まっている。
俺と視線が合うと、男はわずかに唇を動かした。
「ああ⋯⋯君、ホロウレイダーだろう」
「⋯⋯ああ」
そう答えるのが、やっとだった。
男はすでに意識が朦朧としていて、血に濡れた唇が小刻みに震えていた。目の焦点も合っておらず、肌は乾いてひび割れ、そこにエーテル結晶がじわじわと浮かび上がっている。
エーテリアス化──つまり、侵食の末期症状だ。
「頼む⋯⋯」
男は、震える手で懐から小型の回転式拳銃を取り出し、俺に差し出した。5発の弾倉に、弾はひとつだけ。明らかに、それは“自分を殺せ”という意味だ。
「俺はもう、助からない。数分うちに、意識が飛んで、気づけば“奴ら”になってる」
穏やかにも聞こえるその声には、どこか諦めではない、冷静な決意が滲んでいた。
「その銃も残った弾丸も、俺が集めた遺物も全部やる。だから、楽にしてくれ」
「⋯⋯」
言葉が出ない。
人を殺すなんて、これまで一度もなかった。盗みはした。脅しもした。だけど、命を奪うということは、一線を越える何か別の領域だった。
俺は拳銃を受け取ることもできず、その場に立ち尽くした。
「無理だ。俺には、そんなこと⋯⋯」
かすれた声が、喉の奥でこぼれた。
「ははは⋯⋯そう思うのも、当然だよな。俺だって、最初はそうだった」
男は、ゆっくりと息を吸い込んだ。肺に血が溜まっているのか、少し粘ついた血が吐き出される。
「でもな⋯⋯いつか絶対に人を殺さなきゃいけない時がくるんだ。特にホロウレイダーなんて職業は⋯⋯覚悟が必要なんだ」
「覚悟⋯⋯?」
「自分の身を守るために、人を撃つこともある。自分を救うために、誰かを見捨てることもある。信じてたものを裏切ってでも、生き延びなきゃいけない瞬間もあるんだ」
ゆっくりと、男の手がこちらに伸びる。拳銃を握ったまま、真っ直ぐに差し出す。
「⋯⋯だから、俺を練習台だと思え。嫌なら、こう考えろ。もう人じゃないものを撃つだけだと。⋯⋯お前が引き金を引かなきゃ、俺はこのままエーテリアスになって、お前や仲間を襲う。どうせ、手遅れなんだ」
そう言って、彼はわずかに笑った。
──なんで、そんなふうに笑えるんだ。
拳銃を受け取った。冷たい金属の感触。ずっしりと重いのに、どこか手に馴染むような感覚。
「誰かを救うために、誰かを殺す」──そんなの、間違ってる。
スラム街で道徳心や倫理観が低下しているとはいえ、ナハトの心の中では人殺しへの不安と恐怖、そして罪悪感が生まれていた。
⋯⋯でも、今この男を撃たなければ、次に誰かが殺されるかもしれない。それが、俺自身か、ラプターか。
「ンナナ⋯⋯(ナハト、迷ってる?)」
足元でラプターが心配そうに見上げてくる。
「⋯⋯ああ。迷ってる。怖いんだよ。誰かの命を終わらせるって、俺には簡単にできない」
それでも⋯⋯俺は目を閉じ、深く息を吸い込んでから男の目を見た。ゆっくりと、銃口を彼の眉間に向ける。
男の瞳は、わずかに潤んでいた。それでも、彼は頷いた。
「ありがとう。俺の最後の願いを聞いてくれて。君は、きっと、優しい人間なんだろうな」
銃をしっかりと握る。
初めて恐怖を体験したかのように、手は震えている。
トリガーに指をかける。
心臓が、うるさいくらいに跳ねた。
──そして、俺は引き金を引いた。
乾いた破裂音が、ホロウの静寂を破った。
男は、眉間から鮮やかな一滴をこぼし、穏やかな顔で崩れ落ちた。
苦しみは、もうなかった。
俺の手は震えていた。拳銃を持つ指が、汗で冷たく濡れていた。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」
呼吸が荒くなり、涙が流れる。
なんで⋯⋯別に悲しいわけじゃない。この男とは今出会った名前も知らない、ホロウレイダーだ。
──だけど。
胸が痛かった。
俺が殺した、という現実が、指先の震えを止めてくれない。人が死ぬ時の重さなんて、映像や噂で知っていたつもりだった。だが実際に目の前で、その命が終わるのを見てしまった俺は──自分の中の“何か”が変わってしまったことに気づいた。
「ンナナ⋯⋯(ナハト⋯⋯)」
ラプターが、俺の足元からそっと近づいてきて、ペンギンの羽のような手でそっと俺の腕をつつく。小さなその行為が、胸にしみた。
「⋯⋯ラプター」
俺はしゃがみ込み、拳銃を膝の上に置いたまま、ラプターの小さな身体をそっと抱きしめた。
「俺、殺っちまったよ⋯⋯人を⋯⋯殺したんだ⋯⋯もう戻れないとこに足を入れて⋯⋯⋯⋯嫌だ⋯⋯こんな世界⋯⋯」
小さな手が俺の背を優しく叩く。慰めてるつもりなんだろう。こいつなりに、俺を肯定しようとしてる。
「ンナナ⋯⋯(大丈夫⋯⋯)」
その一言だけで、俺はもう限界だった。
込み上げるものを堪えきれず、俺は声を殺して泣いた。しゃくりあげるように、何度も何度も。誰にも見られたくなかった。けれどこのホロウの深部で、俺は初めて“泣く”という選択肢を選んだ。
何もかも、初めてだった。
温かい飯。
誰かを思う優しさ。
そして──命を奪うという現実。
──数分後、涙を拭い、立ち上がる。拳銃を丁寧にホルスターに収め、男の傍らに残されたバッグに目を向けた。
中には、エーテル結晶がいくつも入っていた。ほとんどが低純度だが、それでも十分取引になる。他にも、予備の電池や簡易スキャナー、そして──数枚の写真。
古いフィルム写真だった。ぼやけた画質の中に、年老いた女性と、子供らしき姿。──多分、家族。
「この人たちのために、生き延びたかったのか⋯⋯」
呟くと、俺は写真を丁寧に畳み、小袋に入れて男の胸ポケットに戻した。少なくとも、最期にその“想い”は返しておきたかった。
「行こう、ラプター」
「ンナナ(うん)」
俺たちは再び歩き出す。ホロウの闇は相変わらず濃く、どこまでも冷たい。
だが、手の中に残った温もり──あの男の最期の言葉、命の重さは、確かに俺を少しだけ“変えた”。
たぶん、今日から俺は、ただのホロウレイダーじゃない。
命を奪う責任を背負った者として、これから先、生きていかなければならない。
──きっとこれからも、こんな選択があるだろう。
自分や誰かを救うために、誰かを殺すという、割り切れない現実が。
けれど、せめて。
あの男の死が、俺の最初で最後の“練習”であってくれと──そう祈らずにはいられなかった。
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名も無きホロウレイダー
スラム街出身の男で幼い頃、母親が他界。その後は軽犯罪を繰り返したり、犯罪組織に入り食いつないでいた。所属していた犯罪組織が治安局の掃討作戦によって壊滅後、体に悪い祖母の為にホロウレイダーとなる。ホロウに潜っていたが、劣化した建物の崩壊に巻き込まれる。最期は自分より遥かに若いホロウレイダーに介錯を頼み死亡。
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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時間をかけてもいい。どっちも書け