「⋯⋯お前、殺したのか?」
ホロウの探索を終えたナハトとラプターは、昨日と同じ取引所に行き、ホロウで回収したエーテルや遺物を売ろうとしていた。
カウンターで査定を待っていると、後ろから声をかけられ振り返るとそこには、昨日のガスマスク男が立っていた。
「な、なにを⋯⋯」
ナハトの声がかすれる。胸の奥に、さっきまで必死に押し殺していた罪悪感が再び渦を巻いた。拳銃の重みが、ホルスターの中からズシリと意識を圧迫する。
まさか、この男の仲間だったのだろうか。
復讐されるのだろうか。
色々な考えがナハトの頭を支配する。
だが──ガスマスクの男の目は無機質で責める様子を一切見せなかった。
「殺したんだろ? 人間を」
言葉に明確な重さがあった。それは責めるでもなく、皮肉でもなく──ただの“確認”だった。
ナハトはコクリと無言で頷く。
「ふむ、やっぱりな。腰にある拳銃は昨日の今日じゃ手に入らない。それに、その落ち着かない動作と目でわかる。⋯⋯お前は、“誰かの命を奪った目”をしてる」
ガスマスクの奥で目が細められる。笑っているのかどうか、仮面のせいで分からない。ただ、その視線だけが、やけに冷たく感じた。
「その若さで、その経験を得たのは──良いことだ」
「⋯⋯は?」
ナハトは一瞬、聞き間違えたかと思った。
良いこと?
俺がやったことが──命を奪ったことが?
だが男は真顔で、いや、ガスマスク越しだからこそ、むしろ一層淡々と、続けた。
「人を殺すというのは、“選択”の中で最も重い。それを早い段階で経験できたというのは、この世界で生きていく上で大きな財産だ。むしろ、誇れ。お前は一歩、大人になった」
その瞬間、ナハトの胸にこみ上げたのは怒りだった。
「ふざけんなよ⋯⋯! 人の命をなんだと思ってるんだ! あいつは、もうすぐエーテリアスになるって分かってて、最期に“助けて”って頼んできたんだぞ。俺は、それを⋯⋯それを!」
怒りが突き上げてくる。理屈じゃない。言葉の意味なんてどうでもよかった。ただ、その無神経な肯定が許せなかった。
ナハトは拳を握りしめて男に突っかかる。ラプターが慌てて彼の袖を掴んだが、それを振り払うように前へ出た。
だが、ガスマスクの男は微動だにしなかった。むしろ、その声色はさらに落ち着いていた。
「落ち着け。俺はお前を責めてるんじゃない。⋯⋯むしろ、その“葛藤”に価値があると言ってるだけだ」
ゆっくりと視線をナハトに向ける。その瞳だけが、仮面の奥から静かにこちらを見つめていた。
「このスラム街にいるのは、世間から見れば“ゴミ”のような存在だ。お前も、俺も、そしてお前が殺したそいつもな」
スラム街の住人は税金も払わなければ、街のインフラや運送を支えるブルーワーカーでもない。自身の欲望に落ち、塗れ、そして人を傷つけることに何の罪悪感も感じない。どうしようもない奴らの集まり。
「⋯⋯何言ってんだ」
「勘違いするな。別に蔑んでるわけじゃない。これは事実だ。人に必要とされず、社会の外側に放り出された者たち⋯⋯役目を終え、腐っていく花のようなものだ。枯れた花を捨てることに、怒る奴なんていないだろ? むしろ、景観が良くなって喜ぶ奴もいる」
ガスマスクの男は鼻で笑いながら「いや、それだと花の方に失礼だな」と言う。
「⋯⋯そんな言い方、あるかよ⋯⋯」
ナハトは唇をかみしめた。自分たちを、まるで“処分されるべき存在”のように語るその言葉が、どうしようもなく胸に突き刺さる。
だが──男はなおも続けた。
「ナハト、俺はな。“ゴミ”というのは、誰にも惜しまれず消えるから“ゴミ”なんだ。お前が誰かを殺したところで、それを責める者はいない。誰も賞賛もしない。だが、それがこの世界の現実だ」
この男の言う通りだ。
仮に表の人間が殺されれば、きっとニュースになり世間は殺した犯人への罰を求めるだろう。それが、なにを成したわけでもない一般人であってもだ。
だが、自分たちは?
スラム街の人間が一人死にました⋯⋯それで? 誰が悲しむ? 誰が惜しむ? 誰が殺した者に罰を求める?
「⋯⋯」
「苦しいか? なら、お前の中にまだ“人間”が残ってるってことだ。だがな、その“人間らしさ”は、ホロウの中じゃ命取りになる。この先、何度もその線を越えなきゃならない。そのたびに泣くのか? 震えるのか?」
ナハトは、言葉を失っていた。
否定したい。怒鳴り返したい。だが、現実として彼は今日、命を奪った。そして、それが“必要だった”とも理解している。
その矛盾と向き合いきれずに、胸が張り裂けそうだった。
「ナハト、お前はもうこっちの世界に足を踏み入れたんだ。一度でも人を殺した人間が、元の世界に戻れると思うなよ!」
ガスマスク男はナハトの胸元を掴む。
ぐいと力を込められ、布越しにナハトの心臓が圧迫される。拳銃とは別の冷たい重みが、心の奥に突き刺さった。
「な⋯⋯んで、お前がそんなことを⋯⋯!」
掴まれた手を振り払おうとしたが、ガスマスクの男の握力は鋼のように強く、ビクともしなかった。
「お前がその“葛藤”を手放さないのは、悪いことじゃない。だが、いつか──それすら重荷になる日が来る。⋯⋯そのときに、自分の心臓を撃ち抜くか、他人の命を踏みつけて進むか⋯⋯その選択しか残らねぇ」
──次の瞬間、ガスマスクの男がわずかに視線を逸らし、仮面の奥で呟いた。
「それでもな、ナハト。⋯⋯俺は、今日のお前の顔を見て、ほんの少しだけ安心したよ。お前は、“殺しに慣れてない顔”をしてた」
「え?」
「殺しを誇る奴は、ろくな死に方をしない。だが、お前は違った。だから、ほんの少しだけ──羨ましいとも思ったんだ」
ガスマスクの男は、それだけ言うと背を向けた。
取引所の扉を開けながら、最後に一言だけ、振り返らずに言葉を落とした。
「安心しろ。お前が殺した相手のことなんて、誰も覚えてない。けど⋯⋯お前が“どう生きるか”は、お前自身が一生覚えてるんだ」
扉が軋む音と共に、男は外の闇へと消えていった。
ナハトはその背を、しばらくの間、黙って見つめていた。
「ンナナ⋯⋯(ナハト)」
ラプターがそっと袖を引く。彼の瞳には、不安と心配、そして小さな信頼の光が宿っていた。
「おい、換金できたぞ」
「⋯⋯ああ」
合計で二万ディニー、その六割弱は俺が殺した男のものだ。
俺はディニーで銃弾と防弾チョッキを買い、取引所から出た。そして、しばらくその場で立ちつくす。
ナハトはゆっくりと息を吐いた。
「⋯⋯ラプター、俺⋯⋯少しだけ、強くなれたかな」
小さな相棒は、黙って頷いた。
誰も祝福してくれなくても、誰にも責められなくても──
命を奪った“この日”は、ナハトの心に、深く刻まれたまま離れない。
だけど、確かにそれは、彼を変える一歩になった。
この腐った世界で、“ゴミ”と呼ばれながらも、それでも何かを信じて、歩いていくために──。
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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