冷たい風が吹き抜けるホロウの峡谷で、ナハトは飛び散る血煙の中を駆け抜けていた。
「ゼーレ、右! 一体まだ残ってる!」
「了解——掃討⋯開始」
応答とともに、巨体のゼーレが地を踏み砕いて走る。背負った十字銃が唸りを上げ、咆哮のような爆音とともに35mmの弾丸が吐き出される。それはエーテリアス、ゴブリンの躯を粉砕し、黒煙と断末魔を残して霧散させた。
「アテネ、こっち、壁越しに回り込め!」
「了解!」
ナハトの指示を受け、屋根の上を跳ぶようにして進むアテネが投斧を三枚、扇状に放つ。熱処理されたその刃は赤熱し、エーテリアスの外殻を貫いて爆ぜた。
ラプターが「ンナナッ!」と甲高い警告音を上げ、ナハトの背後に迫る影を示す。
ナハトは即座に機械の義尾を振り返らせ、その金属の鞭を叩きつけた。打撃音とともに、背後から迫っていたエーテリアス、ハティが吹き飛ぶ。
「この辺りの巣は、ほぼ潰したな。回収して離脱だ」
「兄者、右肩、裂傷——応急処置、必要」
「放っておけ。帰ってからでいい」
ナハトは血の滲む右肩を抑えながら、遺物スキャナを起動する。埃にまみれた瓦礫の中、古代技術の結晶と思われるカプセル状の装置が光っていた。
「こいつは⋯⋯高値がつくな」
しばらくして、彼らは遺物を回収し、ホロウからの脱出を完了した。
ナハトがホロウレイダーになってから、五年の月日が経ち、年齢も十代半ばになった。
今もなお、ホロウという忌まわしい領域を彷徨いながら生きている。だが、かつてのように一人ではない。今のナハトには、共に戦う仲間がいた。
ひとりは、ゼーレ。身長は二メートルを超え、フードとガスマスクで顔を隠した巨漢だ。かつて、犯罪組織の闇医者に作られた強化人間。全身を覆う装甲のような筋肉、その上から装着された電磁フレーム。背中には対化物用の35mm重十字銃を背負い、腰には電力を帯びたガントレットと、鉄柱のような鈍器——その圧倒的質量は、もはや武器というよりも災害そのもの。
もうひとりは、アテネ。兎のような黒耳とふさふさした尻尾を持つシリオン族の少年。華奢に見えて、ホロウ内では盾持ちの前衛兼サポート、そしてプロキシとしてのホロウの案内を司る。爆発反応装甲の盾と、赤熱化する電熱斧、そしてテルミット処理された投斧を操る彼の戦闘スタイルは、緻密さと狂気を併せ持っていた。
この二人はナハトがホロウで遺物を漁っていた際、キャロットが壊れて、さ迷っていたところを助けたのだ。それ以来、どちらもナハトを兄と呼び、ついてくるため仲間になった。
(でも、アテネは同じくらいかもだけど、ゼーレは絶対年上なんだよなぁ)
ナハトは歩きながら、ちらりと足元を見る。
そして、ラプター。かつてはただのボンプだったが、ナハトの役に立ちたいという要望と改造屋の協力もあり、戦闘支援型に再設計された。小型ながらも頭部リボルバーキャノンと多目的ツールを持ち、ナハトの戦術に欠かせない相棒として、戦場を駆け回っていた。
ナハト自身も、右目と尾椎部に強化手術を施されていた。右目は多層式光学スコープへと置き換わり、視覚は人の限界を遥かに超え、尾は自在に動き、さらに何十メートルも伸び縮みする鋼鉄の蛇尾。格闘戦闘と探索の両面で機能するよう調整された、まさに“ホロウレイダーとしての進化形”だった。
そんな彼らの日常の、ある一幕——
◇
スラムの暗渠を抜けた先、夕陽が差し込む表街の近くにある屋台。
ホロウ探索から戻った三人は、珍しく穏やかな時間を過ごしていた。今日は戦闘もなく、エーテルの回収も順調。何より、小銭が手元に残っている。それだけで、ホロウレイダーとしては「良い日」だと言えた。
「兄者⋯⋯買ってきた」
ゼーレが体格に似合わない小さな紙袋を持って、やってくる。
「肉まん⋯⋯豚角煮入り⋯⋯残ってた」
「ありがとう。それ、人気じゃなかったか?」
「あー、多分あれだよ兄貴。こいつが並んだら、他の客みんな逃げたんだよ。だろ?」
アテネが鼻を鳴らしながら冗談交じりに言うと、ゼーレはこくりと頷いた。
「三人分⋯⋯買えた。兄者の⋯⋯大きめのやつ」
「嬉しいな」
「ンナナ(わー、湯気が凄いや)」
三人は屋台近くのベンチに腰を下ろし、湯気の立つ肉まんを取り出す。ラプターも「ンナナ!」と鳴いて、ナハトの足元にすり寄る。
小さな温もりと香ばしい匂いが、束の間の平穏を彩っていた。
——だが、その平穏は、ほんの一瞬で破られた。
「ごめんなさいっ!!」
ふいに、視界の端を小さな影が掠めた。
気がついた時には、ナハトの手元にあった肉まんが、すでに消えていた。
「⋯⋯あ?」
振り向けば、二人の少女が数歩先でこちらを振り返っている。どちらもボロボロの上着に、素足で、白いサラサラとした髪は伸び放題。年の頃は十歳そこそこだろうか。どちらもやせ細っていた。
「ご、ごめんなさいっ! ほんとに、ごめんなさいっ!」
そう叫ぶと、二人はすぐに踵を返して走り出した。
ナハトは一瞬、呆然としていたが、すぐに苦笑した。
「⋯⋯まあ、仕方ないか。腹が減ってたんだろ」
ナハトの言葉に隣のゼーレが立ち上がる。
「だめ⋯⋯兄者の肉まん」
アテネも、椅子の上でくるりと回転しながら立ち上がる。
「そうそう。これはゼーレが並んで、買ってきたやつだし。タダでくれてやる理由はないでしょ?」
「おい、ちょっと待て、お前ら——」
ナハトの制止を聞くより早く、二人は屋台のある裏路地から表街へと飛び出していった。
「おい!」
あの馬鹿共、こんな格好で表街に出てみろ。確実に逮捕されるぞ。
夕暮れの光が差し込む表街。整備された道路、立ち並ぶ店舗、行き交う人々。そこに突然、異形の二人が現れる。
フードにガスマスク、巨大な装甲ボディ、十字架の形をした巨大なライフルと鉄柱を背負ったゼーレと、兎耳にプロテクター、体の各所に投斧をまとったアテネ。人々の視線が一斉に集中した。
「うわっ、なんだあれ」
「えっ? 映画の撮影?」
「危なくない?」
「どこだ⋯⋯あのクソガキ⋯⋯」
「待て待て⋯⋯俺に任せろ」
アテネは兎耳を動かして、二人の少女の声が聞こえてくる方角をつきとめる。
「いたぞ!」
アテネの指さした方向に、走る二人の少女がいた。それを見つけたゼーレは、ほとんど獣のような勢いで地面を蹴り、猛然と駆け出した。
「待て」
その声は、まるで地響きのようだった。
「っ! 姉様っ!」
「だ、だいじょうぶっ! 逃げて⋯⋯!」
少女たちは表街の大通りを走り抜け、さらに狭い路地へと入ろうとする。しかし、ゼーレの速度は尋常ではなかった。
重い装甲のはずなのに、その脚はまるで地面を滑るかのように軽く、風を切る音とともに二人に迫る。逃げ場などない。
アテネも反対側から壁を蹴り、屋根伝いに並走する。兎耳をなびかせ、素早く先回りのルートを見つけて動くその姿は、まるで狩猟者。
「——無駄」
低く冷たい声とともに、ゼーレが手を伸ばす。そして、次の瞬間——
「ひっ!」
少女たちの身体が、片腕でまとめて抱え上げられた。まるで子猫を拾うような軽さで、ゼーレの巨大な体の前に、二人の細い身体がぶら下がる。
「はなして⋯⋯っ! た、食べてないの! まだ、袋のままだしっ!」
「ただ、お腹が空いてただけで⋯⋯っ!」
ゼーレの手の中で暴れる二人だが、逃れることはできない。その姿を、通行人たちが遠巻きに見ていた。スマホを取り出す者もいれば、不安げに治安局に連絡しようとする者もいた。
「どーするか、こいつら」
屋根から飛び降りたアテネが、ゼーレの隣に降り立つ。耳をピクリと動かしながら、周囲を警戒していた。
——その時、ようやくナハトが現れた。
フードを目深に被り、口と鼻を覆うガスマスクを付けたまま、通行人たちの視線を遮るように肩を揺らして歩く。足元では、ラプターが「ンナナッ!」と鋭く鳴き、ぴたりとゼーレたちの前に止まった。
「お前ら、マジで何やってんだ」
ナハトは溜息混じりに呟いた。ゼーレとアテネは振り向き、まるで「やっちまったな⋯⋯」というような目で彼を見た。
「兄者の仇を——」
「死んでねーよ。つか、肉まんで仇討ちすんな。今すぐ放せ」
ぴしゃりと言い放つと、ゼーレは一拍置いて、しぶしぶと少女たちを下ろした。少女たちはすぐには逃げず、震えながらナハトの前で身を寄せ合う。
ナハトはしゃがみこみ、彼女たちと目線を合わせた。
「名前は? どこから来た?」
「⋯⋯名前は、儀降。こっちは、妹の儀玄。ごめんなさい、私が⋯⋯」
「怒ってない。むしろ、お前らを怒鳴ったこの馬鹿共を、俺が怒ってるだけだ」
「兄貴ィ〜」
アテネが気まずそうに頭をかく。
「いいか。今すぐここを離れる。表街で目立つと面倒が増える。とりあえず、スラムに戻るぞ」
「「了解」」
ナハトは立ち上がり、少女たちを自分の後ろに隠すようにして歩き出した。ゼーレはしっかりとフードを深く被り直し、アテネは小声で「もうやんないよ、たぶん」と呟いた。
こうして、またひとつ、奇妙な縁がナハトたちのもとに結ばれる。
その日、肉まんは食べ損ねたが——
それでも、ナハトたちは“ホロウレイダーらしく”、今日を生き延びたのだった。
「旧都陥落の・Another」を書き終えてからの話なので、かなり先になりますが、他にもゼンゼロ小説を投稿しようと思っています。皆さんはどちらを見たいですか?
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