ブラック企業から異世界転生したら、魔王軍の人材流出がもっとヤバかった 〜ハズレスキル「平時調整」で成り上がる〜 作:まよ
――この世界で「異物」とは、外から来たものを指す。
だが「異端」とは、**中に入りながら“中身を壊す者”**を指す。
魔王軍におけるカナス・アスカルトの存在は、前者ではなく後者――つまり、異端として扱われつつあった。
「最近、妙な人事調整官が来ているらしいですね」
その声は、魔王軍・第二軍“戦略局”の奥深く、密室の会議室に響いた。
出席しているのは、幹部級の者たち。顔を覆う仮面、特徴的な種族装飾、そして誰もが一様に“口を濁す技術”に長けていた。
「例の……人間か」
「人間というより、病原体ですよ。じわじわと、組織の“死体”に酸素を送ろうとしている。ああいうのは、逆に腐敗を早めるものです」
「なるほど……“記録”が動き出すと、都合の悪い連中も多いでしょうな」
嘲笑が交じる。
人事、記録、調整――それらは、本来ならば組織を整えるはずの存在である。
だがこの魔王軍では、それらが“無いこと”によって保たれている均衡がある。
記録がないから、過失を問われない。
調整がないから、責任の所在も曖昧になる。
意図的に“壊れたまま保つ”ことで得られる“闇の自由”。
「それを、修繕? 再構築? 笑わせるな。ここは地獄だぞ?」
会議室の空気は冷たく、笑いは熱を持たなかった。
一方――
カナスは、地下第七資料庫にいた。
目の前に広がるのは、“廃棄予定書類の山”。未整理の棚。黴臭い空気。
誰も近づかない、魔王軍の“情報の墓場”。
「この中にあるのよ。“正常性バイアス”の根拠が」
彼女は一枚の紙を拾う。そこには、ある部隊の戦死記録が記されていた。
《D部隊、全滅。唯一の生存者は帰還後に昇進》
《隊長の責任不問。記録再審査なし。昇進理由:不明》
――記録があっても、意味がない。
「これは、意図的な黙認か、あるいは“操作”の痕跡」
“誰か”が、情報のフタを閉じている。
だが、カナスの《平時調整》は“数”を見る。
情報を読むのではない。情報の“空白”を読むのだ。
空白が続く。空白が増える。
記録があるのに内容がない。
日付だけが連なり、名前と理由が抜け落ちた紙。
それらが示すのは、ただ一つ。
――魔王軍には、「言葉にできない理由で生き延びた者たち」がいる。
そして彼らは、ある種の“赦免”を受けている。
責任を問われず、再配属もされず、ただ“存在”として棚上げされているのだ。
「これが……“聖域”?」
その言葉を呟いた直後、背後で音がした。
「――お探し物、見つかりましたか?」
影が一つ、棚の隙間から現れた。
黒衣を纏い、目元だけを見せたその男は、礼儀正しくも明らかに“見張っていた”。
「あなたは?」
「VII課。魔王直属情報管理局――監査支援担当です」
“VII課”。
組織上は存在していても、誰も実態を知らぬ魔王直属の特殊部署。
情報の“整理”を任務とする、いわば“魔王の目”。
「ご心配なく。私たちは敵ではありません。
むしろ、貴女のような方がようやく現れたことに、安堵すら感じているのですよ」
その笑顔は嘘くさくもなかった。
だが、信用できるとも言えなかった。
「――ということは、こちらの動きもすべて、監視されていると?」
「ええ。ご提出いただいた“第四軍調整報告”も、魔王陛下直々に拝読されました」
カナスは一瞬、呼吸を止めた。
「……反応は?」
「“ようやくまともな人間が来た”とのことです」
その一言で、カナスの中の何かが僅かに弛緩した。
――そうか、“届いてはいる”のか。
魔王。
この軍の、名目上の頂点。
その意志がどこまで現場に及んでいるのかは不明だが、“意図”だけは確かに存在する。
ならば。
「私は、進みます。記録の復元と、構造の再整備。必ずやってみせます」
黒衣の男は軽く頷いた。
「ご武運を。――ああ、最後に一つだけ」
男は振り返りざま、言った。
「お気をつけて。“異端”は、最初に焼かれます」
それは、忠告か、予言か、あるいは警告か。
どれでもいい。
カナスは黙って、棚に目を戻した。
そして静かに、一枚の空白記録を取り上げる。
“言葉にされなかった誰か”のために。
書くのだ。
記録を。意思を。未来を。
“それこそが、私にできる唯一の戦いなのだから。”