ブラック企業から異世界転生したら、魔王軍の人材流出がもっとヤバかった 〜ハズレスキル「平時調整」で成り上がる〜 作:まよ
「なあ、お前……いつから“正規兵”になったんだ?」
その問いに、若いオーク兵士はぽかんとした顔をした。
「え、えっと……たぶん、半年くらい前です。戦果出したんで昇格したって言われて――」
「俺は三年だ。で、戦果は三度。にもかかわらず、肩章は変わらん。なぜだと思う?」
「……さあ……?」
「人事記録が、行方不明なんだとよ。書いた奴が、戦死してな」
その一言に、場の空気が重くなった。
ここは魔王軍・第六方面軍。
西方戦線、地上駐屯部隊。
“魔界と人間界の狭間”と呼ばれる、もっとも不安定で、もっとも人が壊れやすい前線のひとつ。
兵舎の片隅、薄暗い食堂。
数人の兵士が、冷めた汁物を啜りながら、誰も笑わない冗談を交わすのが“日常”だった。
「俺、実家に手紙出してない」
ぽつりと、獣人系の女兵士が言った。
「出したら、たぶん戻れない気がして。……向こうの記憶が、あっという間に薄れていくんだよね」
「それは、お前がここに“適応した”証拠さ。誇れよ。――“軍用犬”としてのな」
言い放ったのは、爬虫族の上等兵。
淡々としているが、目の奥には“焦げた灰の色”があった。
彼は、二年前に一度“脱走”を図った。
だが見つかり、“再教育”を受けて戻ってきた。
以来、彼は“あまり喋らない人”になった。
「なあ、ほんとに疑問なんだが……なんで俺たち、ここまでして戦ってんだ?」
それは、誰もが心の奥底で思っていたことだった。
――守るものがあるのか?
――報酬が充分なのか?
――名誉が、意味を持つのか?
どれも、曖昧。
むしろ、“辞めたい”という願いだけが明確だった。
だが。
「辞めたら、“裏切り者”だろ?」
「そう。魔王軍からの離脱は、戦死と同義。“裏切り”というラベルが、家族ごと潰す」
「……で、どうする?」
「死ぬしかないだろ。“自己都合退職”なんて、存在しないんだから」
そう、ここでは“辞める”という選択肢がない。
正式な離脱ルートは、書類上存在していても、実行された前例が皆無。
そのすべてが、“行方不明”か“戦死”に分類されている。
それを知ってなお、口にする者がいた。
「俺、辞めるよ。マジで、今日限り」
そう言ったのは、珍しく元気なトロール兵だった。
「死にたくねえもん。命令が変だって気づいた時点で、こっちも変わるべきだろ?」
誰も反論しなかった。
ただ、その“辞める”という言葉の重さに、沈黙が落ちた。
彼は翌日から、姿を見せなかった。
代わりに回ってきたのは、一通の報告書。
《○○兵(トロール族):敵地偵察任務中に消息不明。戦死扱いにより処理完了》
誰も何も言わなかった。
その日から、“辞める”という言葉を口にした者はいない。
そして、カナス・アスカルトは、その報告書に目を通していた。
静かに、赤線を引く。
そして、メモ欄に書き込む。
【発言直後の消失/辞職希望表明と対応事例の検出/記録の不自然な“早さ”】
何かが、起きている。
“辞めたい”と言った者の末路が、誰かによって操作されている。
辞めさせないために。
辞めたという記録を残させないために。
では、“誰が”?
「……組織が、意思を持って動くとすれば、その意思を代行している“誰か”がいる」
彼女は呟く。
もはや、これは“人材流出”ではない。
むしろ、**“人材の封じ込め”であり、“思想拘束”**だった。
それは、企業で言えばブラックの極致。
戦場で言えば、**“自死の軍”**だ。
「そんなものを、“軍”とは呼ばない。呼ばせない」
カナスは立ち上がる。
そして、ひとつの帳票を魔王軍本部・人事部の“改変案件フォルダ”に投函した。
【提案:自発的離脱制度の創設について】
【付随提案:帰還支援・再教育無し・記録開示の義務付け】
内容は、軍の常識から見れば“異常”。
だが、これを通さなければ“正常な離職”という概念が永遠に存在しない。
だからこそ、提案する。
それが潰される前提であろうとも。
“異端”と呼ばれようとも。
「人が辞められない組織は、崩壊するだけです」
彼女の言葉は、誰にも届かないかもしれない。
だが、確実に“火種”を投じたのだった。